第23話 旅路 -後編-

 湖岸に《アジュールキャリアー》を寄せて、適当な空き地に野営の準備を終えたところでちょうど夜がやってきた。

 不意に空が蒼暗くなり、天頂に張り付いたままの太陽がゆっくりと欠けていく。まるで日食のように動かない太陽が欠けていくのがトゥーンの日没であり、また太陽が同じ位置から現れるのがトゥーンの日の出だった。

 地球のような太陽の傾きと共に移ろいゆく時間の感覚というものは無い代わりに、明らかに舞台が切り変わるというような不思議な高揚感がある。


「結構、ギリギリだったのです」


 完全に暗くなる前にランプの明かりを灯した2人組の従騎士の片割れ――キーヴァが空を見上げた。


「ああ。間に合って良かった。シズク、あまり火を強くしないようにな。変な動物が寄ってきても困る」

「地球じゃ、動物が寄ってこないように火を燃やすんだけどな……」

「避ける動物ももちろんいるがな。ジャンゴウなどは逆に火を盗みに来る」

「盗む?」

「そうだ。かなり賢くてな……言葉こそ解さないが、普通に道具も使うし酒なども醸すそうだ。小父さ――ジャーガ・ノートがそう言っておられた」


 地球と違い、どうやらトゥーンの動物は好奇心が旺盛らしく火を見ると飛び込みこそしないものの、かなり近くまで寄ってくるらしい。

 さらに火まで盗む、というジャンゴウはひょっとするとトゥーンの霊長類に該当するのかもしれないな、シズクは想像を膨らませた。

 もし、そうだとすれば彼らがこの世界の覇者として君臨していた可能性もあるということだ。

 そう思うと出会ってみたいような、そうでないような不思議な気分だった。


「ジャンゴウね。そういや、こっちであまり野生の動物って見たこと無いな」

「シズクは基地しか知らないからな。まあ、当然だろう」


 フライパンを揺すりながら、遠くに目をこらす。星が全く無いトゥーンの闇はあまりにも濃すぎてなにも見えない。夜が来る前に見た時は森があったようだが、今は光の外は完全な闇に覆われていた。


「それにしても、戦士さんはお料理の雑技イリハグラスタも持ってるんですねー」


 ノンビリした声で皿をテーブルに並べていたキーヴァが感心したような顔でシズクとフライパンを交互に見つめている。


「いや。これはスキルじゃなくて自前。だから、ちょっと焦げても勘弁な」

「自前?」


 小首をかしげるキーヴァにセレスティーナが笑いながら、異世界人の性質についてちょっとドヤ顔で解説を入れる。


「異世界の民は器用なのだ。樹寵クラングラールも使うし、樹下の民のように樹寵クラングラール無しでも簡単な料理や音楽ぐらいはこなしてのける。まあ、味は正直怪しいがな」

「おいおい。こう見えても地球じゃ飯炊き洗濯は日課だったんだ。言っとくが、下手なスキルの料理より自信あるぜ」

「ほう。お手並み拝見だな。焦げたら、すまぬとか言っていたようだが?」

「謙遜ぐらいしとかないと、イヤミだろ?」


 と偉そうなことを言っても、作っているのはただの焼いた腸詰めにただのシチューなのだから威張れるようなものではない。


「戦士殿は樹下の民の一族と、何かご関係があるのでしょうか?」


 と髪の長い方の少女、エイリンが興味深そうに手元を覗き込む。


「関係は全くないけど、そうだな……どっちかっていうと樹下の民だっけ? そっち側の考え方の方が馴染み深いかな。基本的に生活全般のスキルなんか地球には存在してないから」

「……だとすると戦士殿の世界ではどれほど多くのことをどれだけの時間をかけて学ぶのですか? とても効率が悪い気がするのですが……」

「基本的なことは学校だな。ええと、学校って通じるのか?」


 もしかすると、トゥーンに無い概念ではと思って恐る恐る繰り返すが、それは杞憂だったらしい。


「養成校のようなものだろう。私たちとて樹寵クラングラールをいかに使いこなすかということは時間をかけて学ばねばならん」

「そう言われてみれば、確かにそうですね」


 セレスティーナの言葉にエイリンは納得したらしい。逆にキーヴァはまだピンと来ないらしく、どこか胡散臭そうな顔つきで器用にフライパンとシチュー鍋の二刀流で火加減を調整しているシズクを眺めていた。


「……戦士殿の動きが雑技イリハグラスタでないようには見えないのです」

「慣れだよ、慣れ。ほい、出来たぞ」


 いかにも食欲のそそる音を立てながら、さらに焼けた腸詰めを盛り付けていく。

 本日のメニューはトマトによく似た酸味のある果実をベースに煮込んだトマトもどきシチューに腸詰めの焼き物。そして葉野菜を酢で和えたものにトゥーン流のパン。

 トゥーンのパンは小麦ではないようだが、それなりにコシのある穀物の粉を練って蒸したものでクセがなく何にでも合う感じだった。シズクとしては少し物足りないが決して不味くは無い。


「さて。それではさっそく、シズクの料理を試してみるか。見た目は……悪くないな。腸詰めも良い色合いだ」

「煮込みもいい香りなのです。何を煮込んであるのですか?」


 ふんふんと犬のように鼻を近づけていたキーヴァが興味津々という体でシズクに聞いてくる。妙に動物っぽい感じなのが、ちょっとかわいい。


「普通に肉と野菜のぶつ切りを炒めて、トマトもどき……サンサだっけ? を潰したので煮込んだだけだよ。仕上げにハーブっぽいの使って見たけど」


 ハーブもどきのアイデアはもちろん、食い倒れツアーの時にミリスから教わった串焼きが元ネタだ。ああいう使い方をしてセレスティーナが美味いと言うなら、香りの強いものをハーブとして使っても問題ないと考えてちょっと冒険してみた。


「それでは、先陣をキーヴァがきるのです! キーヴァ、いっきまーす!」


 妙な気合いを入れて、キーヴァがシチューを匙ですくって口に運んだ。みゅっと妙な声をあげてぎゅっと目をつむる。


「ど、どうだ?」

「むむむ……これは……大人の味、なのです」


 何が大人なのかわからないが、キーヴァはそう表現するとエイリンに顔を向けてゆっくりと首を振ってみせる。


「これはエイリンはやめておいたほうがいいかもなのです。大人の味はエイリンには早いのです」

「なんですか、それは!? キーヴァが食べれて私に食べれないはずが無いでしょう!」


 キーヴァに続いてエイリンが挑発されたようにシチューを食べる。今度はみゃうっという声が出た。


「んんんんーーー。水、水!」

「ほら、早かったのです」

「あーその、なんだ。マズかったら無理に食べなくても……」


 ちょっとこの反応は予想外だっただけに、軽いショックを隠せない。


「あー、その、シズク。私は……遠慮してもいいか?」


 必死に水で口の中を洗い流しているエイリンを見たセレスティーナがつつっとシチューの器をシズクの方に押しやった。2人の様子を見ていたキーヴァが二口目を口にしながらしれっと毒を吐く。


「従騎士長もお子ちゃまなのです」

「今、聞き捨てならんことを言わなかったか?」

「この味は大人にしかわからないというだけなのです。味覚がお子ちゃまなのは仕方ないのです」

「……前言撤回だ。シズク、私も食べるぞ」

「あー、ホントに無理しなくていいから……」


 はぐっと目をつむり思い切って口の中に運んだセレスティーナの表情が一瞬凍り付く。必死で耐えつつ、さらに二口目を投入。


「……これは……うん……」


 ゆっくりと咀嚼しながら、セレスティーナはシチューから具だけをさらに口に運んだ。なんとなくグルメ番組の料理人のような気分で裁定を待つ。


「なるほど……。うん。食べ方を間違わなければ悪くないな」

「従騎士長は大人だったのです」

「俺、そんなに変な味付けしたつもりは無いんだが」


 予想外の講評にあらためて、ぶつ切りにした肉にシチューのソースを絡めて口に運ぶ。ちょっとした苦みの後に肉の脂の甘みがしみ出してきて、そこそこ美味いと自己評価。ただし、思ったよりもハーブもどきのクセが強く出てしまっており、そこは反省点だった。


「俺にはそんなに変な味には思えないんだが。味覚が少し違うのかな?」

「そうじゃない、シズク。これは食べ方の問題だ」

「食べ方?」

「そうだ。こういう盛り付けをされたら、普通はスープを楽しむものだと思うのだ。具材が妙に多いから不思議には思っていたのだが……」

「あ、もしかしてスープだけ最初に飲んじまったのか」


 それは味がキツくても仕方ないかもしれない。おまけにちょっとクセが強かったし。

 どうやらトゥーンでは深皿で出したときは、スープだけを楽しみ具材は出し殻として考える、というシズクからすると奇妙な食文化があるようだった。こういう場合は浅い皿で出すのが正解らしい。


「おっかなびっくりで食べると、ああなってしまうのです。だから、エイリンはお子ちゃまなのです」


 しれっと顔つきでのたまうキーヴァを涙目でにらみつけた。

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