第2話 滴とシズク

 シズクという名前を空間でHNハンドル・ネームとして使うようになったのは、渡米した幼なじみの友人と連絡が取れなくなってしばらくってからのことだった。


 

 たかなし しずく



 それが彼女のフルネームで、シズクという名前を名乗るのは最初は何やら女装しているような、そんな落ち着かない気持ちだったのを覚えている。


 実際には男でも女でもどちらでも取れる名前であり、その名前を目にしていたネット越しの知り合い達はそんなことには全く頓着しなかったので、すぐに気にならなくなったわけだが。


 彼女はいわゆるギフテッドと呼ばれる才能の持ち主で、月並みな言葉で表現するならば天才で変わり者だった。


 変わり者、というのはあくまでも彼女の周囲の意見であって、シズク自身はそう思ったことはほとんどなかったのだが。


 いずれにせよ2人はまたとない友人――親友と言っても良いほどの友情を育むことになり、それは彼女が飛び級で大学へ行ったあとも続けられた。



 ある日までは。



 前日まではいつもの軽口と憎まれ口の応酬をしていたのに、いきなり連絡が取れなくなったのだった。


 最初は何か手の放せない研究か何か入ったのだろうと楽観していたが、1げつち、半年もつころには平静ではいられなくなった。


 ちょうど、その頃だっただろうか。


 スカイナイツという空間でのゲームが世間をにぎわし始めたのは。


 トゥーンと呼ばれる異世界を舞台にして、飛行型パワードスーツを操り与えられたクエストをクリアする。そういうゲーム性よりもむしろ、空を飛ぶという現実の高校生にはおよそ不可能な部分に当時のシズクは強烈に魅力を感じていた。


 あるいはちょうど良い逃避先だったのかもしれない。


 親友の音信不通に加えて、その頃のシズクは家庭の問題も抱えており、そんな逃避先でも無いとつぶれてしまうほどにいっぱいいっぱいの生活を送っていた。


 頭を空っぽにして自由になる時間をスカイナイツにささげているうちに気がつけば、上位ランカーにのみ解放される限定ネットワーク――スカイナイツ・ハイリアルモードにアクセス出来るまでになっていた。


 通称、ハイリアルの情報は一般には公開されてはいない。


 ただ、うわさだけは十分に広まっていた。条件を満たしたユーザーにのみ、運営から招待状が届けられる。


 それ以外にアクセスする方法は存在せず、いわば選ばれた特別のモードで一般のスカイナイツとは全く異なる方向性を有していた。


 何しろ、口さがないeスポーツの有名プレイヤーがアクセスした瞬間に挫折してしまったといううわさが流れるほどで、その時に「あれはゲームじゃない。ただの実験だ」というりふを残してハイリアルから退出した。


 そんなうわさが流れるほどに現実に即していた。


 空間に再現されたトゥーンの基地はホコリ一つネジ一本までが現実と同様の振る舞いを示す。


 身体感覚のトレースさえも。さすがに触覚に関しては法で定められた範囲を逸脱するほどではなかったが。

 

 もちろん限定なのだから、そこに居続けるだけでも条件は厳しい。


 スコアが一定値を下回れば容赦無くアクセス権をはくだつされる。その代わりと言ってはなんだが、そういったリアルな環境を楽しめるというのとは別の見返りも用意されていた。


 スコアをそのままリアルマネーにトレード出来るという破格の見返りが。


 バイトでは追いつかないほどの金銭が手に入り、それが家庭の負担を軽く出来るとわかってシズクはさらにスカイナイツのハイリアルモードにのめり込んだ。


 シズクというHNハンドル・ネームを使い始めたのはその頃だ。


 現実でのストレスと開放感にあふれた現実の暮らしの中で親友との思い出が風化するのが怖かった。


 事実、あれほど頻繁に送信していたメールもSNSも気がつけば送らなくなっており、このままでは「ああ、たかなしだっけ? そんなやつもいたな」となるのは時間の問題だった。



「……ん?」



 そんな時だ。懐かしい親友からの便りが専用のメールボックスにぽつねんと収まっているのを発見したのは。


 メールを開けると、懐かしい物言いの言葉が並んでいた。


 ぶっきらぼうで単語のぶつ切りで、見る人間によってはコイツは何を怒ってるんだと勘違いするような。そんな文面。


 懐かしさに浸っていると、SNSのコールが鳴り響く。


 もちろん、相手はそのメールの主。たかなし しずくからのコールだった。



 空間に彼女が作り上げたトークルームへと入室する。古い洋館をした、2人だけのティールーム。


 そこに、少しだけ成長した彼女が静かに紅茶に口をつけていた。現実世界でも見たことのない優雅さで。


 そして、ギロリとシズクをにらみ付けてこう告げた。じっとりとしたチェシャ猫のような目つきで。


「キミ。こんなことになってるならだね。ちゃんと連絡をくれたまえよ。まったく、不人情にもホドがあると思うんだがね」


   †


「は?」


 少しは感動あるいは感傷めいた気分での再会になるかという想像は、彼女の一言できれいさっぱり吹き飛んだ。


 何しろ、開口一番出てきた言葉が憎まれ口だ。まるでタイムリープしたかのように、意識が瞬時にかつての時間へとまき戻る。なんのタイムラグも無く。



「ちょ、ちょっと待てよ。音信不通になったのはそっちだろうが」



 さすがにこれは理不尽な言いがかりでは無いだろうか。彼女の正面に腰を下ろしながら、抗弁すると彼女は若干バツの悪そうな表情をティーカップを飲む振りでした。



「やむを得ない事情があったんだよ。そこらへんは後で話すよ。それよりも、だね。治療費のことだよ。静枝さんの。水くさいじゃ無いか」


「どこでそれを――」


「まあ、ハイリアルモードでRMTリアル・マネー・トレードというのは悪くないさ。アレはモチベーションを上げるために派手にリターンをばらくようにしてるからね。アルバイトなんかよりもよっぽど効率はいいさ。けど、それにしたって――追いつく額じゃないだろう。そうだ。中退を思いとどまったのは正解だよ。キミじゃ、数年後が心配だ。静枝さんのファインプレーだね、これは。それからもう一つ。キミね、勝手にボクの名前を使わないでくれたまえ。言っとくがねボクは女でキミは女の名前を使ってるということだぞ。変態だろう、それは。それともキミはボクが女であることを忘れたとでもいうつもりかい? それはさすがにだね。許せるエラーじゃないぞ」


「ちょ、ちょっとまて。ステイ、ステイだ」



 シズクは待ったとばかりに彼女を制止すると、わざとらしく目を閉じた。


 一方的に彼女が言いたいことを言って、それをシズクが解きほぐす。


 それがお決まりの二人のリズムだった。


 それはもちろん覚えてはいるが、さすが久しぶりのこのノリについていくにはリハビリが必要だ。


「キミ。しばらく見ないうちにに磨きがかかったんじゃないか。そんなに大脳を磨き上げてどうするんだ。ミラーボールでも作るつもりかい」



 そして、憎まれ口。まったく、相変わらず難儀な性格だった。もっとも、そういうところが気に入っているのだが。



「まずひとつ。姉ちゃんのこと、どこで知った」


「調べたんだよ。ハイリアルで。キミらしくないと思ったからね。少しでもスコアを稼いでのRMTリアル・マネー・トレード。こいつは何かあったなと誰でもわかるさ。キミを知っていればね。あとは静枝さんにワンコール。まさか病院から返事が戻ってくるとは思わなかったがね――さすがにボクも慌てたさ。慌てた甲斐かいがあったよ。そもそもだね、キミは――」


「よーしよしよしよし。良い子だ。じゃあ、ふたつ目だ。ハイリアルってスカイナイツ――のことであってるな? どうやって、俺が」


RMTリアル・マネー・トレードしてるか気がついたかだって? 簡単な話さ。少し話は前後するがね。そもそも、キミがボクの名前を勝手にハイリアルで使っていたというのが話のほつたんなのさ。あと、そういうだね。犬じゃないんだがね、ボクは。ペットでも無い。キミ、本当にしばらく会わないうちに、そういう趣向に目覚めたりなどしてないだろうね?」


「それは無い。せめて、猫耳つけてから言え。俺は犬は」


「苦手なんだろう。知ってるよ。歯形がお尻に残ってることもね。ボクはまないぞ、そんなところ。念押しさせてもらうけどね」


「お前の中で俺はどんな変態になってるんだ。それよりも、答えを聞いてないぞ。俺がお前の名前をスカイナイツで使ってるのに気がついて、気になって調べてみたらRMTリアル・マネー・トレードしてることを突き止めた。怪しいと思ってさらに調べたら、姉ちゃんの病気に気がついて慌てて連絡をしてきた――そこまではまあ、わかったよ。で、そもそもどうして俺がスカイナイツのハイリアルモードでお前の名前を使ってるって気がついたんだ」



 その存在そのものが非公表なのだから、そもそもユーザーリストを見ることがありえない。


 何かの偶然でリストが漏れており、それを見た……としてもそれがシズクだとはわからないはずだ。


 SIZUKUというHNハンドル・ネームはネットワーク全体で見れば、さほど珍しいものではない。


 自分と結びつける、という考えそのものが不自然だ。


 その疑問に対する答えは思いもしないものだった。



「それはだね。種を明かすと――ボクがトゥーン計画の発案者の一人だからだよ。スカイナイツはトゥーン計画の一部だからね」


「……なんだって? お前、いつのまにゲームなんて」


「そっちには関わってないよ。最初期に神経インタフェイスを組んだぐらいだ。と言ってもアクセス権限ぐらいはあるさ。キミね、ちょっと想像してもらいたいんだがね。ある日突然だよ? 同僚からこんなことを言われたボクの気持ちが理解出来るかい? 


やあ、しずく! 君、ドまりしてるんだって? ミイラ取りがミイラってのはこのことだな! ハッハッハッ! 


こいつ、とうとうイカレたかと思ったね。で、気になって調べてみたら――」


「俺だとわかったってことか」



 ようやく話がつながった。


 まさか大学では無く、世界的な大企業で開発の仕事に関わっているとは思わなかったが、そういう偶然が重なったというなら理解出来る話ではあった。



「そうさ。ボクとしてはね。命に関わるような病気じゃ無いといってもだね。知らぬ顔の半兵衛を決め込めるほど神経は太くないのさ。幸い、蓄えはそれなりにある」


「ストップ。それ以上は言うな」


「……静枝さんと全く同じことを言うんだね。この手の話がキミらのトラウマになってるのは知ってるさ。にしても時と場合があると思うんだがね、ボクは」



 そつちよくに言って、彼女の言葉はうれしかった。


 だが、シズクにも譲れるものと譲れないものがあるのも事実であり、今回は後者だったということだ。

 シズクだけでは無く、家族にとっても、それは譲れない一線になっていた。



「気持ちだけ受け取っとくよ」


「そんな出来損ないのドラマみたいな言葉は要らないよ。それで、提案があるんだけどね、キミ――」


「……提案?」



 彼女がこんな思わせぶりなことを言った記憶は無い。それだけにただならぬ気配を感じ、シズクは思わず彼女の瞳をのぞんだ。現実ではありえない色に彼女の――たかなし しずくの瞳が輝く。

 


「キミがハイリアルのランカーになってるというのは偶然が過ぎるとは思うが――」


「何を言いたいんだ……お前らしくないぞ」


「わかった。はっきり言おう。今日、ボクがキミを呼んだのはね。キミにオファーがあるからさ。報酬は1げつで15万。ドルで、だ」


 15万ドル、という単位を円に置き換えたシズクは思わず息をのんだ。


「……説明してくれ。わかりやすく、丁寧に。いつものノリは無しで、だ」


 そう言うのはひどく勇気が必要だった。今、自分の人生が切り替わろうとしているのが実感出来る。


 彼女は1つうなずくと、オファーの中身というのを話し始めた。


 ゆっくりと一言一言をゆっくりと大切に選ぶように。


 

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