不死の傭兵たち

第1話 なくした名前

 シズクが初めてのトゥーン世界での仮の死によって自分の本当の名前を喪失したのは、彼が異世界トゥーンに来た直後のことだった。


 疑死ぎし――異世界で活動するためのアバターボディの致命的な破壊。


 そして、それに伴うアイデンティティの量子化と再生成が与えるダメージがどれほどのものか。


 それは不確定で定まっておらず、要するに運に大きく左右されるのだという。


 自分でも気がつかないような、ほんのさいな損失である場合もあれば、もっと重要な何かが失われる可能性もある。



 名前を失ったシズクの運が良かったのか悪かったのか。



 シズク自身はそのことはあまり考えないようにしている。


 考えても答えが出るようなことではないし、何よりも――その時のことは出来るだけ思い出したくなかったから。



   †



「さて、諸君」



 シズクに銃口を向けた男がささやくような声で集められた皆に告げた。


 軍服のような制服を着込んでおり、それなりの地位と責任を有しているということぐらいは想像がつくが、それ以上のことは何もわからない。


 少し大きめの講堂の壁面には2枚の旗が飾られている。


 1枚は濃い緑地に白抜きで樹木と翼をモチーフとした意匠が染め抜かれた旗。


 もう1枚は紺地にボーンドラゴン、竜の骸骨が染め抜かれている。


 旗を背に男はさらに言葉を続けた。


「まず、君たちに理解してもらわなくてはならないのは、君たちの境遇が大きく変化したということだ。君たちは学生であったり、パートタイムであったり、あるいはニートであったり……要するにこれまでは比較的、時間と自由に恵まれていた生活を送っていたかと思う。だが、これからの5年間はそうではない。もちろん、こちら側の時間で、だ。地球時間ではたったの1げつでしかないから安心してもらいたい。学生諸君は留年の心配はない」



 ここは笑うところだぞ、というように耳障りな声でおどけてみせる。



「君たちには私たちの指示に従ってもらわなくてはならない。命令と言ってもいい。君たちは要するに軍人になったわけだ。ここトゥーンでは。反抗的な態度や不服従は処罰の対象になる。もちろん、上官に逆らうのも無しだ。例え、手を出していなくても、だ」



 君のことだよ、というように男はシズクに向けた銃口をわずかに動かした。



「では、もう1度繰り返そう。君たちは1名を除いて5年間の戦闘奉仕が義務づけられる。報酬は15万ドル。ただし、君たちの活躍によってはこれに特別報酬が加算される。我々の試算ではおそらく最終的には30万ドル前後にはなるだろう。地球時間で1げつ後には君たちはそれだけの金を手にいれる。あとは好きにすればいい。まったく、うらやましいことだ。で、51番君――君に関してだが」



 男はさらに続けた。銃を向けたまま。凍り付くシズクに向かって。



「君だけは残念なことに報酬の前払い制度が適用されているため、戦闘奉仕の期間はおそらく……地球時間で1年ほどになる見込みだ。つまり、こちらの時間ではざっと60年。さすがに短くはないが、心配しなくとも老化で役に立たなくなるという気遣いは無い。君たちのアバターボディは地球時間がベースになっている。60年といわず500年ぐらいは活動できる」



 とても納得出来ない男の言葉に、シズクは絞るように先ほど怒鳴った言葉を繰り返した。


 ただし今度は怒鳴ること無く、絞り出すように。



「どうして、俺だけが、そんなに長いんだ」


「それだけの報酬が、君にはすでに支払われているからだ」


「俺はそんな金、受け取ってない」



 シズクの言葉に男は気の毒に、というように肩をすくめて見せた。



「受取人はドクター・タカナシとなっている。確か、君の知り合いだったか? 天才だという評判は私も聞いているが、かねもうけの天才だというのは初耳だな。君は要するに、だ。51番君。売られたんだよ、彼女にね」


うそだ」


うそでは無い。事実だ。我々は契約をじゆんしゆする。だから、君たちにも契約のじゆんしゆを要求する。51番君。君は契約にはトゥーンにおいて君は我々の完全な指揮下に入る、という項目に同意しサインを済ませている。完全な指揮下、というのはどういう意味かというとだ」



 タン、と乾いた音と共に激痛が走った。


 続けてじわりとした熱を感じて、ようやく激痛を感じた箇所が左足だということに気がつく。



「上官への反抗的な態度」



 タンともう1発。今度は右足。


 立っていることが出来ずに、その場に崩れ落ちる。



「命令不服従」



 タン。と左腕。耳障りな声。自分の声だと気づくには少し時間が必要だった。



「脱走……は心配していない。逃げる先は無いからな。まあ、ともかくだ。そういう態度は全て処罰の対象になることを諸君にはしっかりと理解してもらいたい。そして、もう1つ。この世界で過ごす君たちにはもっとも重要なことを今から伝える」



 タンタンタンと3連発。もはやどこが痛いのかさえわからない。視界がチカチカと瞬き全身が激痛にさいなまれ冷たい汗がほとばしる。


 猛烈な吐き気。


 のたうち回るシズクのすぐ隣に腰掛けていた少女が、腰を抜かしたようにつんいになっていずっているのが傾いた視界の片隅に見えた。


 他にも悲鳴をあげて立ちすくんでいる者、訳もわからず床をたたいている者、逃げようとして壁際に待機していた職員に拘束されている者、逆に案外落ち着いている者。


 講堂の中はちょっとしたパニック状態だ。



「静かに!」



 男が声をあららげ、天井に向かって銃を撃つ。


 それだけ皆、凍り付いたように静かになった。悲鳴ともたけびともつかない絶叫を垂れ流すシズクを別として。



「よろしい。続けよう。まず、1つ。君たちのアバターボディは基本的に君たちの本来の肉体と全く同じだ。筋力・体力・神経系。何もかもだ。だから、視力などに問題がある者には、後から君たちが地球で使用していた視力補正具などを支給する。虫歯、などは再現していないからそちらは心配しなくてもいい。味覚・触覚その他も同じだ。もちろん、痛覚もだ。をすれば彼のようになる。仮の身体だからといって不用意なは慎むように」



 もう1発と思ったところで、スライドが後退していることに気がついた男は丁寧な仕草で弾倉を入れ替えて、新しい弾丸を薬室に送り込む。



「といっても、諸君は死なないから安心してもらいたい。アバターボディが破壊されたとしても、諸君が実際に死ぬことは原理的にはありえない。本体はあくまでも地球上の肉体だからね。アバターボディが停止したと同時に諸君の意識はトゥーンネットワークを通じて、新しいアバターボディと再接続されて再生される。軍人と先ほど私は言ったが、戦死は無い。さすがに我々は諸君のような未熟な人間をだまして戦場で使い捨てるほど非情ではないし、そんなコストパフォーマンスに劣ることをするほど愚かでも無い。安心して、戦ってくれたまえ」


「こ、こんなこと……アンタ……狂ってんのかよ……」



 少し離れたところにいた派手な髪型の少年が信じられないという表情で、血に塗れたシズクと男の銃口を見比べた。



「君も51番の仲間入りを?」


「ち、違うって! 違います! そうじゃなくて、地球に戻った後のことだよ…です」


「ああ。そうか。彼が私を訴えるという心配をしてくれているのか。問題無い。もちろん、そういったことも含めて対応出来るようになっている。なるほど、君はなかなかよく気がつくようだ」



 そう言って、少年に向けられたほほみはぞっとするほど優しげだった。


 本当に心の底から感謝しているというように見える。


 そこだけを切り取ってみれば、まるで映画に出てくる親切な神父とか牧師とか、そういう風にさえ見えた。



「さて。それでは諸君への私から最後のレクチャーを伝えよう。アバターボディが破壊され、再生される際に若干の影響が懸念されている。どのような影響があるかということは現在、調査中のため私にもはっきりしたことは言えないのだが……諸君のオリジナルから若干の変化が発生することが判明している。私からのレクチャーは以上で終了だ。この後、夕刻より歓迎会を予定している。そこで、諸君の上官――トゥーン人に紹介させてもらう。彼女たちは貴族階級にあたる。くれぐれも言動には気をつけてくれたまえ」



 男が銃を下ろすと、壁際の職員が全員の退室を促した。


 幾人かはシズクの様子を伺いながら。


 ほとんどは逃げるように早足で職員に続いて講堂を後にする。


 誰もいなくなり、急に広さを増したように感じられる講堂に残っていた男はじっと、シズクを見下ろした。



「51番君。協力を感謝する。少しばかり手痛い教訓だったとは思うが……皆には良く理解してもらえたと思う。トゥーンの特殊性を。改めて、お礼を言わせてもらいたい――そういえば、51番君。名前をまだ聞いていなかったね」



 名前。Name。



「シ…ズ」



 違う。それは幼なじみの名前だ。自分の本当の名前とは違う。


 大切な。とても大切な。


 だから、ゲームではそれを自分の名前として使ってきた。


 離れてしまった、友人との思い出が薄れてしまわないように、だ。今では自分の名前よりも親しみがある気さえする。


 シズク、なぜだ。


 俺を売った? うそだろう? シズクシズクシズク………シズク



「51番君?」


 ふむ、と男は改めて銃をシズクに向けた。


「もう、声も出せないか。お礼は改めて言わせてもらおう。なに、今晩の歓迎会には再生は間に合うはずだ。その時にでも改めて」



 タンと銃弾が脳髄に吸い込まれ、アバターの機能が完全に静止する。


 消えゆく意識の中でシズク、名前、シズク、名前とだけ繰り返す。しがみつくように。


 脳裏に瞬くのは数年ぶりの幼なじみとの再会。


 そして、異世界トゥーンへの切符を手に入れた時のこと。


 失ってはならない思い出にシズクはしがみついた。消えゆく意識の中で懸命にもがきながら。


 そして、シズクという幼なじみの名と引き換えに、自分の名前を失った。


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