最終話 ある秋の日

 私は屋上の出入り口で残念そうに空を見上げていた。四限目の授業の終わり迄は空は曇り空だった。


 だが、私が弁当箱を抱えいざ屋上に上がると、空はそれを待っていたかの様に雨を降らしてきた。


「仕方無いね。ゆりえちゃん。階段で食べようよ」


 私の直ぐ後ろからハーフの美少女が声をかけてきた。私はユリアに頷き返し、階段に腰を下ろした。


 一緒に居た鶴間君はお弁当を。北海君は紙袋からパンを取り出す。いつもの光景。いつもの四人のランチが始まった。


「ノブ。またパン? 栄養偏るよ。お袋さん作ってくれないの?」


「いいんだよ。お袋は仕事で朝忙しいし。徹平。お前こそもう少し量を食べろよ。そんなんじゃデカくなれねえぞ」


「へえ。パンを沢山食べれば北海君みたいに大きくなれるんだ?」


 ユリアのこの言葉で場に笑い声が起きる。私は笑いながら、時々不思議に思う事がある。


 何故平凡な私が、この三人と一緒に居るのか。いつから私は三人と仲良くなったのだろうか。


 思考を深く巡らせる時、行き着く答えはいつも同じだった。私はいつの間にか三人と行動を共にするようになったのだ。


 私がそう考えのも無理は無い。この三人はクラスの中でも目立つ存在だからだ。鶴間君はそのイケメン振りで、クラス内の女子から人気ナンバーワンだ。


 対照的に、ユリアはハーフの恩恵を如何なく発揮し、男子達からの人気ナンバーワン。


 そして北海君はその長身と強面からクラスで畏怖されている。


 でも私は知っている。この三人はその外見からは伺い知れない一面を持っているのだ。


 鶴間君は明るく男女問わず友達が多い。でも、そんな鶴間君に相談された事がある。自分は内心では他人を軽蔑している所があると。


 その理由は鶴間君本人も分からないと言う。私は鶴間君にこう言ってみた。無理して相手と合わせなくてもいいのでは無いのかと。 


 鶴間君は私のその言葉を聞いた時、正に「青天の霹靂」と言った表情をしていた。以降、鶴間君は対人関係に於いてとても楽になったと言ってくれた。


 かと言って鶴間君は他人との関係を断った訳では無かった。時間をかけて。ゆっくりとまた他人と関係を築いて行きたいと前向きだった。


 心根が優しい鶴間君なら、きっと遠からずその願いが叶うだろうと私は思っていた。


 ユリアはその美貌と裕福な家に恵まれたが、親の愛情には恵まれなかった。ユリアは時折自分が抱える孤独を口にした。


 ユリアの自分でも持て余すその重しを、私はいつも黙って聞いていた。そしてユリアはその孤独と正面から向き合う事を決意する。


 先ずは両親と腹を割って話し合った。重ねた話し合いの結果、両親は離婚を選択する事となる。


 仮面夫婦を続ける両親を幼少の頃から見ていたユリアは、両親の別離を心から歓迎した。ユリアの重しは少しは軽くなった様だ。


 これからも孤独と戦っていくとユリアは勇ましく宣言した。天然でおっとりとした彼女からは想像も出来ないタフな一面を私は見た気分だった。


 そのユリアは最近、担任の南先生に夢中だ。将来、絶対に南先生のお嫁さんになると公言していた。


 南先生の事を話す時のユリアは、とても可愛らしかった。その可憐なユリアは梅雨が始まる前に顔に大怪我をした。


 本人も覚えが無いと言う原因不明の怪我だ。こんなか弱いユリアの頬を殴った加害者を私は決して許さない。


 犯人を見つけ次第、その暴挙に相応しい報復を私は加えるつもりだった。右拳を突き上げそれをユリアに宣言すると、何故かユリアは怯えていた。


 猫背で猫好きの北海君には、最近相談されている事があった。それも親友の鶴間君にも内密の話だ。


 なんと北海君は、パン屋の店員さんに片思い中なのだ。私は微力ながら協力し、北海君は近々行動に出ると決心していた。


 そしてその結果は、北海君の突然の報告で知る事になった。


「おい小田坂! これを見てくれ!!」


 放課後、帰りの準備をしていた私に、北海君は自分のスマホを見せた。その画面には、ラインメッセージで「お友達からよろしくお願いします」と書かれいた。


「ほ、北海君! こ、これってパン屋の店員さんからの答え!?」


 私はスマホの画面を食い入るように見つめ、北海君にメッセージ主を質問する。北海君は顔を上気させ頷いた。


 その瞬間、私と北海君はハイタッチした。


「やった! やったね北海君!!」


「······ああ。小田坂が色々協力してくれたお陰だ。小田坂。ありがとな」


 北海君は指で鼻を掻きながら照れ臭そうに私に感謝の言葉を言ってくれた。何故だろうか。


 北海君が片思いの人と上手く行くと思うと、心が温かくなる。私は本当に嬉しかった。急にテンションが上がった私と北海君を、鶴間君とユリアは唖然として眺めていた。



 

 ······それから長い雨の季節が終わり、夏が季節の主役に躍り出た。その夏もあっと言う間に過ぎて行き、気付くともう十一月になっていた。



「ゆりえちゃん! 早く早く!」


 水色のワンピース姿のユリアに私は急かされる。十一月のある土曜日。私とユリアは市外にある大学の文化祭に来ていた。


 大勢の人達が行き交う校内では、至る所で出店が軒を連ねていた。また大きな看板を掲げ、自分達のサークルの出し物の宣伝をする人達が威勢の良い声を上げてアピールしている。


 ユリアによるとこの大学は南先生の母校だと言う。南先生も母校の文化祭には足を運ぶらしく、ユリアはその機会を逃さまいと南先生の後を追ってきたのだ。


「だったらユリア。私は必要無いでしょう? あんたと南先生二人で楽しめばいいじゃない」


 ユリアの恋に燃えるその姿に私は少々閉口気味だった。


「何を言っているのゆりえちゃん! 私と南先生が二人きりの所を誰かに見られたら、南先生に迷惑がかかるでしょう!」


 つまり、私はユリアと南先生のオマケと言う事だった。意外と南先生の事をしっかり考えているユリアに私は驚く。


「あ! あの寝癖! きっと南先生だわ! じゃあね。ゆりえちゃん後でね! 文化祭楽しんでね!」


 南先生とおぼしき人物を発見したユリアは、先刻の言葉を完全撤回して想い人へ向かって猛然と駆け出していった。


 ······ちょい。ちょいと可憐な美少女よ。こんな知り合いもいない大学の校内に残され、私一人でどうしろって言うの?


「そこのお嬢さん! 良かったらこれ見て」


 それは突然だった。人混みの中から看板を持った男の人が私に声をかけてきた。看板にはバンド名と演奏時間がゴシック体で書かれていた。


「俺達のライブ良かったら聴きに来てよ!」


 ここの大学生と思われる茶髪とピアスのその男の人は、人懐っこい笑顔を私に向ける。


「おーい! 椎名! こちらのお嬢さんにチラシを一枚渡してくれよ」


 周囲の人達に抱えていたチラシを配っていた人が、茶髪とピアスの大学生に呼ばれこちらに歩いて来た。


 それは、腰まで伸びる金髪を束ねた男性だった。黒のジーンズに赤いジャージ。両目は茶色いサングラスに隠れていた。


 細身で長身の金髪の男性は、抱えていたチラシを無言で一枚私に差し出した。な、なんか無愛想な人ね。


 受け取ったチラシには、演奏者達のリストが演奏順に記載されていた。気付くと金髪と茶髪の二人は再び周囲の人混みに向けて宣伝活動に勤しんでいた。


 一人で手持ち無沙汰の私は、する事もないので演奏が行われる校内の中央広場に向かった。


 広場の中心は芝生になっており、簡易ベンチも設置され座る事が出来た。手作り感がある木材の壇上の前に、時間と共に人が集まって来た。


 午後二時を過ぎた頃、演奏会が始まった。七人の女性達による沖縄民謡の演奏から始まり、ギターの弾き語りや合唱。ピアノの独奏など、個性ある多様な演奏が行われた。


 そして、先程私を勧誘してきたあの金髪と茶髪の人達が壇上に現れた。五人組のそのグループは、バンド名を「オトンヌ」と名乗った。


 ちなみに「オトンヌ」とはフランス語で秋と言う意味らしい。このバンドは季節事に名を変えているとギターを持った茶髪とピアスの男性が前説していた。


 その茶髪とピアスの男性が歌い、オトンヌの演奏は始まった。そしてそれが終わると、私は人混みに流され気付くと建物の中に辿り着いた。


「······大学って中も広いし建物も大きいな」


 私は宛もなく校内を彷徨う様に歩く。至る所に各サークルの宣伝が壁に貼られていた。長い廊下の終わりにある部屋の前で私は足を止めた。


 その部屋には手書き看板に「美術展」と書かれていた。私は何となくその部屋に入る。


 入口の机の上には「見学自由」と書かれた貼り紙があった。部屋の中は外の喧騒が嘘の様に静まり返っていた。


 仕切りが無い部屋は全体を見渡せた。どうやら訪問者は私一人らしい。私は少々乱雑に飾られたキャンバスの群れをゆっくりと観賞し始めた。


 水彩画。油彩画。鉛筆で書いた絵。変わった物では油性マジックで書かれた絵もあった。


 芸術的感性の刺激を期待していた私だったが、絵を見る素養が貧弱だった為か、それは徒労に終わりそうだった。


 窓の外には、傾き始めた太陽がその光をカーテンの外から覗かせていた。耳が痛くなるような静寂の中、私は一枚の絵の前で足を止めた。


 ······それは、一人の女の子の肖像画だった。肩より少し長い黒髪。太い眉毛に小さい瞳。平べったく潰れたような鼻。厚い唇。


 そして頬はふっくらとしており、身体は肥満していると言って差し支えない膨らみだった。


 その絵の少女は、自信無さげに私を真っ直ぐに見つめている。私は何故かその少女の絵から目を離せなかった。


「······気に入ったのか? その絵」


 突然背後から聞こえたその声に、私は驚き振り返る。そこには、先刻私にチラシを渡した金髪サングラス男が立っていた。な、なんでここにいるの?


「ああ。俺はこの部屋の係員だ。美術サークルの連中で交代して持ちまわっているんだけど。誰も居なかった所を見ると皆仕事をサボっているらしいな」


 ついさっき迄、広場でベースを演奏していた金髪サングラス男は、ため息をつきながら私達以外誰も居ない部屋を見回した。


 ······この金髪の人。音楽サークルだけじゃなくて、美術サークルも掛け持ちしているんだ。


 それにしても。一人だけ律儀に係員の仕事に来るなんて。見た目は派手だけど真面目な人なのかな?


「······アンタが見ていたのその絵。俺が描いたんだ」


 金髪サングラス男は、自らが描いたと言うキャンバスの絵に指を触れさせる。その横顔から見えた目は、何故だか懐かしそうな色をしていた。


「······誰かモデルがいるんですか?」


 私の質問に、金髪サングラス男は首を横に振った。


「居ないんだ。モデル。俺の頭の中の想像だ。理由は分からないんだけど、何故かこの顔が浮かんだんだ」


 ······浮かんだ。それにしても、どうせ描くのならこんな小太りな人より、もう少し綺麗な女の子を選べばいいのに。


 そう言いつつも、私と彼は無言で暫くその絵を眺めていた。画材の匂いが充満していたこの部屋に、突然薔薇の様な甘い香りがしたのはその時だった。


 そして彼が突然サングラスを取り私を見つめる。


 な、なな何ですか? よ、よく見ると整った顔に見つめられ、私の心拍数は急に上がった。


「······アンタ。よく見ると結構胸があるな」


 純朴な女子高生に禁忌の言葉を吐いた愚かな破廉恥男に対して、私は即座に正拳突きを放った。


 破廉恥男は見事に吹き飛び背中から倒れた。そして血が流れる鼻を押さえながら絶叫する。


「い、痛ってーな! この暴力女! その直ぐに手が出る癖! ちっとも変わってねーじゃねーか!!」


「うるさい! この三国一の無粋男! あんたこそデリカシーの無い所、ちっとも変わってないじゃない!」


 互いに叫びあった所で、私達は互いを凝視して固まった。


 ······あれ? 今、私なんて言った? ちっとも変わっていない? 誰が? この人が? 何で? 私はこの金髪男とは初対面の筈よ?


 金髪男も私と同じ事を思ったのか、自分の口元を手で押さえ要領を得ないといった表情をしていた。


「······おい。暴力女。念の為に聞くけど、以前どこかで会った事があるか?」


「な、無いわよ。一度も」


「······だよな。俺も記憶に全く無い」


 金髪男はそう言うと立ち上がり、私の前に近づいて来た。そして私の顔を再び見つめる。その時、私の鼻孔にまた薔薇の香りがした。


「うん。やっぱりアンタの顔は記憶に無いな。もう少し美人だったら絶対に忘れないもんな」


 飴細工より繊細な乙女の心に冷水をかけた不埒な男に対して、私は今度は回し蹴りを的確に腹部に命中させた。


 デリカシー皆無男は悶絶して膝が崩れ落ちる。


「この虚言男! 何が絶対に見つけるよ! 梅雨が過ぎて夏が終わっても全然見つけに来なかったじゃない! もう秋よ! 秋!!」


「うるせー! この暴力女! こっちだって情報と記憶ゼロの状態で大変だったんだぞ! それに! 今日見つけてやったじゃねーか!!」


 二度目の怒鳴り合いの後、私と金髪男はまた無言で見つめ合った。互いに何を言っているのかまるで分からなかった。


 ただ言葉が勝手に口から溢れてくる。それと同時に、感情も激しく揺さぶられていた。


 ······この人も? この金髪男も、私と同じなのかしら?


 金髪男は三度私に近づいてくる。そして真っ直ぐに私の瞳を見つめた。


 ······何だろう。理由は分からない。分からないけど、この人に見つめられると、鼓動が高鳴って止まない。


 そして身体が。心が温かい高揚感に包まれて行く。


 金髪男の瞳が揺れていた。まさか。もしかして。この人も私と同じ気持ちなのだろうか?


「······俺の名前は椎名六郎。アンタは?」


「······お、小田坂ゆりえ」


 小太りで不細工な少女の肖像画の前で、私達は無言で見つめ合う。私は理由は判然としないが、ここから立ち去り難い何かを感じていた。


 それはこの小太りな少女の絵からだろうか。それとも。六郎と名乗ったこの人からなのか。


 ······答えは直ぐに出た。否。最初から私は分かっていた。この人の。六郎の側から離れたくないと私は感じていた。


 ······どれくらいの時間が経過しただろうか。秋がもたらした深い静寂の中、六郎が口を開き何かを言いかけた。


 私はこの人が。六郎が自分と同じ気持ちでいる事を。


 

 

 心から願っていた。










〘他人と関わるのは煩わしい。男も女も嫌い。所詮他人は他人。他人と分かり合えるなど幻想だ。


 人生は独りでも歩んで行ける。独りは気楽だ。人生の時間を全て自分の為に費やせる。


 そう断言する貴方に私は言いたい。貴方の人生を否定しません。偉そうにお説教するつもりも毛頭ありません。


 でも。それでも。貴方の隣に居てくれる人はきっといます。一人くらいは何とかなります。


 一人くらいは見つかるんです。例え見つからなくも、相手が見つけに来てくれます。


 もし気が向いたら、俯いた顔を少し上げてください。ほら。視界が。世界が広がったでしょう? こんなにも貴方の世界は人で溢れています。


 大丈夫。運命の赤い糸は見えなくても、貴方には胸の中の心があります。耳を澄まして自分の胸の音を。心の声を聞いて下さい。


 胸が高鳴った時、目の前の人は貴方の隣に居てくれる相手かもしれません。煩わしくも愛おしい他人と歩む人生。


 そんな日々も、案外悪くはないかもしれませんよ                     〙


          ゆりえ 心のポエム

  


 

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創造主の手違いで醜く生まれた私は、本当の姿を取り戻す為にクラスでナンバーワンのイケメン男子を口説き落とす @tosa

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