第25話 失恋と言う名の血飛沫は、時としてその色を変える

「······南先生。覚えていますか? 退学が決まったあの日。先生が私に言ってくれた事」


 大山さんが恥ずかしそうに顔を伏せ、緊張からか揺れる声色で話を切り出した。思えばこの大山さんは、小太りで不細工な私に対しても気さくに接してくれた。


 高校時代の大山さんは、両親の仲が険悪になり、家庭内はとても暗かったらしい。感受性が豊かな大山さんは、家に居る時間が少なくなっていった。


 夜の街、ゲームセンターで知り合った一つ年上の高校生と付き合うようになり、大山さんの孤独は紛れたと言う。


 だが、恋の結末は彼の裏切りと言う最悪な物に終わる。自暴自棄になった大山さんは学校も辞めた。一人の時間を家で過ごす間に、大山さんは冷静さを取り戻した。


 そして自分の事を必死に庇ってくれた担任の南先生の言動を思い出す様になった。大山さんはそれを糧にして立ち直った。


 大山さんと接して分かった事がある。大山さんは明るくて、それでいて控え目な人だ。もし両親の不和が無かったら、彼女は楽しい学生生活を過ごしただろう。


 自分が立ち直るきっかけを作ってくれた南先生を想う様になる。それは、大山さんにとって自然な事だったのかもしれない。


 実のところ、大山さんの告白の結果は今回の作戦の大勢に影響は無かった。影響があるのは南先生の方だった。


 南先生は現在、問題行動を起こしまくっている国岩頭ユリアの対応に苦慮している。その南先生の今の比重がどちらに傾いているかが知りたかった。


 過去に庇いきれなかった大山さんか。それとも現在進行形で頭を悩ますユリアか。それによって私は決めなくてはならなかった。


 あのユリアを改心させる協力者として、南先生を選ぶかどうかを。


 ······そんな私の勝手な都合で大山さんの気持を利用する。なんて自分は酷い人間なんだろうか。


 私は胸の痛みを必死に紛らわせる。何を偽善者めいた事を考えているの? 私はもう既に一度手を汚しているじゃない。


 今更善人ぶろうとしたって手遅れよ。私はこのまま突き進むしか無いのよ。毒を食らわば皿までよ!


 ······でも。皿を食べたら? 皿を食べて何も食べる物が無くなったら、どうやって悪事を続ければいい?


「何て言ったかなあ「先生はいつでも大山の味方だ」なんて恥ずかしい台詞は言ってないよな?」


 南先生のおどけた声で私の意識は現実に戻る。南先生と大山さんは同時に笑う。そして大山さんは、南先生の言葉に支えられ立ち直った事を感謝の気持ちと共に伝えた。


「······南先生。私ね。本当は今日、南先生に好きですって伝えるつもりだったの」


 大山さんの様子に変化が生じたのはその時だった。私は彼女を凝視する。お、大山さん?


「······でもね。さっき私に好きですって言ってくれた人がいてね。その人は、うちの店の常連さんで。大柄で。無愛想で。いつも黙ってパンを買って行く人なの」


 大山さんは瞳を揺らしながら言葉を続ける。南先生は穏やかな表情でそれを黙って聞く。


「レジで天気の話をしても「はい」としか言わない人なの。それでね。パンを渡すと必ず頭を下げる人なの」


 大山さんの小さな肩と声が震えていた。大山さんの瞳から涙が流れていく。


「······その人はね。その人は猫背で。それで······私、何を言ってるんだろう」


 俯く大山さんの肩に、南先生が優しく手を置く。


「大山。どうやらその人は大山にとって軽くは無い存在の様だ。今の大山は少し戸惑っている。気持ちが落ち着いた時。もう一度その人の事を良く考えるといい」


 いつもより酷い寝癖を指で掻きながら、南先生は優しく微笑む。そして高校時代の大山さんを立ち直らせたあの台詞を口にした。


 先生はいつも大山の味方だと。


 ······木陰から二人を見つめていた私は、予想外の展開に驚くと同時に、心が激しく揺さぶられていた。


 ······北海君。通じていたよ。北海君の気持ちがちゃんと、大山さんに伝わっていたよ。北海君のその無骨さが。その優しさが。


 言葉で表せない何かを大山さんは感じ取っていた。私は北海君の気持ちが報われた気分になり、両目から涙が溢れそうになる。


 ······駄目だ。今は。今日だけは泣いたら駄目だ!もし涙を流せば、私は冷酷になれない。この後の悪事が出来なくなってしまう!!


『小田坂ゆりえ。大丈夫か? 少し予定は狂ったがこのまま作戦を続行するぞ』


 六郎の心の声に私は力強く頷く。私は歯を食いしばり必死に涙を押し戻した。大山さんが化粧を直してくると離れた隙に、私は南先生に駆け寄る。


 私は南先生を協力者として決めた。小悪魔ユリアと対峙する協力者として。その時、私の視界の先に人影が映った。


 その人影はゆっくりと。そして優雅にこちらに歩いて来る。そのユリアと言う名の小悪魔は、天使の様な微笑みを浮かべていた。










〘二足の靴下を手袋にして玩具のピアノを引く。風呂上がりパンツも履かずにコタツに手を置きお尻を突き出しポーズを取る。


 ダンス番組を観ながら絶叫し踊る。ハサミを持ってチラシの紙を一心不乱に切り刻む。散歩が待ちきれず玄関で靴を履き無言でひたすら待っている。


 歯を磨いて貰っている途中に眠りに落ちてしまう。物心つく前の自分の写真を眺めながら、我ながら楽しそうな表情をしているなと感心した。


 事の善悪に無頓着なこの頃が、人間にとって一番幸せな時期なのではないかと私は思った。


 その記憶を忘れてしまう事は、人間にとって不幸な事なのか。それとも、こらから脳が膨大な知識や情報を抱える為の致し方無い清算行為なのか。


 その答えは結局今も分からず仕舞いだった〙


         ゆりえ 心のポエム




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