24

 エスの背中に生えた黒い翼にマリアは見とれた。


「きれいね」


 それを聞いたエスが嬉しそうにマリアをキュッと抱きしめる。


「あなたは、おれの悪魔らしいパーツを、なんでも褒めないと気が済まないみたいですね」

「だって、ほんとうに綺麗なんだもの…」


 背中部分の布地を突き破って、翼が飛び出ている。そっとマリアがエスの広い背中を、続いて翼を触る。鳥とも、コウモリとも違い、鱗が生えているようで、触るとすべすべとした感触がした。


「ねえ、エス…。わたくしの国では悪魔として扱われているものは、古の人々にとっての魔人や魔神だったと聞いたことがあるわ…貴方もきっと神様の末裔なのよ」


 二人の会話に忌々しげにマルキオールが口を挟んだ。


「それが三つ目の宝物じゃよ」

「どういうこと、賢者さま」


 マリアがエスから離れると、メルキオールに向き直る。

 腰を下ろしたままの二人に、メルキオールはピンと指を立てると、まるで教師のように説明した。


「悪魔の鱗は、形が下弦の月のようだから『月の雫』と呼ばれておるのだよ。魔力の塊のその翼は、扉を開く鍵となるのだ。稀人は揃って元の世界に帰ろうとするが、その鍵となる宝物はほとんど揃わない。かの哀れな王子も諦めるしかなかった。この世界に悪魔は少ない。それも翼を持つ悪魔はもっと少ないからだ」

「賢者さま。どうしておれは翼を得たんだ?」


 エスの質問にメルキオールは忌々しそうに答える。


「強い感情が必要なのだ。心が死んだ悪魔に翼は生えん」

「…そうか」


 エスはなにかを飲み込んだようだった。メルキオールが続ける。


「悪魔と仲良くなれる稀人はほとんどいない。だから、大抵の稀人は途中で帰ることを諦める。そういえば、『魔女』と呼ばれた集団なんかは、最初から戻ろうとするそぶりすら見せなかったが、お主たち稀人は、複雑な事情を抱えたものがおおいからな」


 メルキオールははあ、と大きなため息をついた。


「…元来、三つの宝物探しは稀人に帰還を諦めさせるための装置なのだよ」

「どう言うことだ?」


 疑問を口にするエスに対してではなく、メルキオールが見たのはマリアの方だった。


「お主は、気がついておるか?」


 マリアは、悲しげに微笑んで頷く。


「ええ。わたくし、死んでいるのね。ヤコフに殺されて」

「そうだ。死んでおる。というよりも、死と生の狭間におる。器自体はそなたの世界の館の地下にあるがな。それでも、元の世界に還りたいのなら、扉を開くこともできるぞ。死後も魂というものがあるのなら、お主の魂は故郷に還ろう」

「…そんな! 他に方法はないのか?」


 悲痛な顔をするエスに、メルキオールはぴしゃりと言い返す。


「黙っとらんかい。この嬢ちゃんがここに残ることを本心では願っておるくせに、あけすけな懇願を口にするな」

「…それでも、マリアが生きて帰りたいのなら、おれもそれを願う」

「ふん。白々しいわい。悪魔。そもそもそんな道はない」


 メルキオールは本格的にふてくされてようで、腕組みをしてそっぽを向く。エスも沈痛な面持ちでうつむいた。握りしめた手から、血が流れている。


「ねえ、ヤコフの亡霊はどこにいるのかしら?」


 ぼんやりと故郷に想いを馳せていたマリアは、賢者たちに聞く。バルタザールが、


「そこの悪魔がさっき水に投げ込んだわい。今は水の底で溺れておる。こりゃきついぞう。亡霊は死ねないからなあ」


 と水に顔をつけて、ぶくぶくと話をした。


「ねえ、賢者さま方。ヤコフの亡霊こそ、生きているのではなくて?」


 マリアの質問に、賢者たちが三種三様、それぞれに頷く。


「亡霊とは、妄執が形をとった者のことじゃ。そいつの本体が生きておるなら、こっちに来てしまった魂が生きていてもおかしくない」


 マリアは少し考え込んで、言った。


「じゃあ、わたくしの代わりに、ヤコフの魂を、地球へ帰しましょう」

「どうしてだ、マリア!」


 エスが、マリアの腕を掴む。

 マリアはエスの腕をそっと外すと、その指先にキスをした。


「なぜって、彼が生きているからよ。生きている限り、人は生き続けなければならないわ」

「マリア、ダメだ!」

「人殺しの罪を、彼が感じるかは分からない。けれど、たしかに彼はそれを背負って生きていくのよ。無責任に降りることを、わたくし、許さないわ」


 マリアが微笑んだ。


「それでいいのか?」


 ジャスパーがマリアに問いかける。マリアは力強く頷いた。


「お父さまはわたくしをとても優しい子だと可愛がってくださったわ。わたくしは、そんなわたくしを誇りたいの」


 ジャスパーが空中をくるくると舞うと、宣言した。


「いいだろう。妖精を統べる者として儀式をとり行おう。そこのお主」


 ピシ、とマリアの肩でヒグヒグ泣いていた小妖精を指差す。


「底に沈んでいる亡霊をここまで引き上げてまいれ」

「ええ、ボクっ?」


 妖精が仰天して飛び上がる。


「ちょうどいい場所にいるのだからいいではないか。王のために働け」

「うわーん。横暴!」


 妖精は泣きわめくと、姿を消した。

 バルタザールがヒレをパタパタさせながら「いつか革命を起こされるぞ」とボソリと言った。「圧政だから大丈夫じゃ」しれっとジャスパーが返す。

 小さな妖精がどうやったのか、ぐるぐるに縛られたヤコフを水面にまで持ち上げた。水の上に膝をついたヤコフがゴホゴホと咳き込んでいる。ジャスパーがマリアに指示をする。


「帰還者の口の中に『トカゲネコの尻尾』を入れるのじゃ」


 縛り付けられたヤコフの口にエスが『トカゲネコの尻尾』を押し込む。


「泉に『月のしずく』を投げ込め」

「とってもいい?」

「もちろんです」


 エスでは手が届かないので、マリアがエスの翼から鱗を一枚毟る。神経が通っているのか、毟ったあとに血が少し滲んだ。マリアはハンカチを押し当てて血を止めると、水中に鱗を投げこんだ。

 すると、水がひときわ白くボウと光り、急に湖が深くなったように感じられた。下に向かって水流が起きている。


「これが『帰還の扉』の先じゃ」


 バルタザールが興味深そうに水中を眺めている。


「最後に『人魚の歌声』を帰還者に突き刺せ。この世界にいることを拒絶するのだ」


 ジャスパーが最後の指令を下した。


「おれがやります」


 というエスを置いて、マリアは前に進みでる。手の中に小刀を抱えて。

 縛られたヤコフの前に膝をつく、黒いヒゲの生えた顔、鋭い眼光。

 ヤコフと、目を合わせる。


「わたくしはもう、あなたに怯えないわ。あなたはもう、わたくしに手出しができないのだから」


 それからぎゅっと小刀を握りしめると、胸に突き刺した。

 ヤコフは刀が刺さった瞬間、塞がれた口で「うっ」と呻いたが、それでも痛くはなかったらしい。怪訝な顔をする。その間にも、ぶくぶくと胸に小刀は吸い込まれていった。柄の部分まで吸い込まれた瞬間、水上にあったヤコフの体は重力に逆らえなくなったように、水中に引き込まれていく。

 そしてそのまま流れに流され、姿が見えなくなった。


 マリアは首にかかっているロケットペンダントとぎゅっと握ると、「さようなら」と別れを告げる。

 水流もなにも跡形もなく消えてしまった時、後ろを振り返ると、エスと三賢者が揃って、マリアを見つめていた。マリアは、微笑んで言って見せた。


「もうすぐ朝ね。お腹がすいちゃったわ」

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