【恋愛短編小説】漢方薬の香りは、ここに
来我 春天(らいが しゅんてん)
第1話 漢方薬の香りは、ここに (1話完結)
上半分がガラスになっている、茶色い枠の昭和の雰囲気漂う古めかしい引き戸を開く。
ガラガラとスライドするはずの扉は立て付けが悪くなっていて、毎回のように引っかかる。
これを開くコツは、戸の下のほうを足で蹴って開くことだ。
扉をくぐったその先は、壁一面に木枠の引き出しがびっしりと並んでおり、小さな引き出しのひとつひとつに掠れた文字でなにかが書いてある。
毎日のように見ているが、すべて読んでみようと思ったことは無い。
ここは、普通の女子高生なら普段の生活ではほとんど嗅ぐことがない匂いで満たされている。
わたしには、この匂いはもはや日常。
わたしは、漢方薬屋さんの匂いが好きだ。
「─────いらっしゃい、真理子ちゃん」
店主のカズさんが、いつもと全く同じように出迎えてくれる。
雑多に積まれた生薬の入った袋には中国語がズラズラと書いてある。その向こうにある手元は見えないが、いつもと全く同じように薬を作っていたであろうその手を止め、口元にふわりとした笑みをうかべてわたしを見ている。
カズさんは漢方薬屋さんの薬剤師のくせにどこか不健康そうな顔をしていて、頬骨なんかはくっきりと見える。男の人なのに私と同じくらい線が細い。纏っている白衣は同じものを何年も使っているせいで、ずいぶんくたびれている。パリっとした張りもなくカズさんの肩のラインにくったりと掛けられているような状態だ。テレビドラマに出てくるドクター役の俳優さんが着ている白衣のような清潔感は全然なくて、毎回のように見ているわたしにとっては普段着のようにさえ見える。
「今日はずいぶん早いんだね、おうちには帰ったの?」
カズさんはふわふわ笑顔のままわたしに話しかけてくれている。
でも、今日のわたしは返事をしない。
何故なら、ちょっと不機嫌だから。
いや、別にカズさんが私を不機嫌にした訳じゃないんだけどさ。
今日のわたしは、ここに来るずっと前から機嫌が悪い。だから、今わたしがカズさんにしていることはまさに子供の八つ当たり。18歳にもなってこんなことをしてるんだから、わたしはまだまだ大人になれそうにないなぁと思う。でも今日は最初からこんな雰囲気でお店に入ってきちゃったもんだから、今更止めるに止められない。
いつもなら会話が始まるはずの空間でわたしがムスッとして黙っているのを見て、カズさんは一瞬だけ「あれ?」という顔をしたけど、すぐに何かを察したような笑顔に戻った。
「………なにかあったかな。とりあえずお茶飲もっか」
カズさんは生薬が並んでいる棚の一角に置かれた茶碗に手を伸ばす。ここに来るといつも決まってこの茶碗にあつあつの緑茶を入れてくれる。部屋中に充満した粉っぽい生薬の匂いの中に、お茶の香りが湯気とともに混ざってくる。
ことん、と大きな木箱の上にお茶の注がれた茶碗が置かれると、カズさんは「おいで」というようなジェスチャーをしている。そこはいつものわたしの指定席。ここに来ると毎回ここに座っておしゃべりをする。
わたしは肩にかけていた紺色の鞄を足元に置き、いつもの向きで座ってすぐ口を開いた。
「……………お母さんに、ね」
「うん」
突然喋り出したわたしの言葉にも、すぐ相槌が返ってくる。
「お母さんに、わたし作家になりたいから専門学校に行く、って言ったんだけどさ」
「うん」
「作家の勉強は大人になってもできるから、まずは大学に行きなさい、って」
「うん」
視線もあわせず、わたしはお茶から立ち上る湯気をにらみつけながら話し続ける。
カズさんはさっきまでゴリゴリしていたと思われる生薬を袋に片付けながら聞いてくれる。
「それで、そこから………」
「うん」
「───────……………」
「ケンカしちゃった?」
うん、と頷くわたし。
そっかぁ、と小さく返事をするカズさんの横で、茶碗に手を伸ばす。
三毛猫のデザインが描かれた小さい茶碗だ。まだ熱すぎて持てない。
「有名な大学を出れば、もし作家になりたいと思ったときに”ハク”が付くんだって。でもそれって結局、4年間も卒業の単位のためだけに勉強するってことでしょ?専門学校だったら半分の時間で小説そのものの勉強ができるんだから、そっちのほうがいいに決まってるじゃん」
「うん、うん」
急にまくしたてるような話し方になったわたしの言葉にも、カズさんは合間合間に相槌を打つ。
生返事ではなく、ちゃんと聞いた上で返事をしているのをわたしは感じている。
「学歴ってさぁ、そんなに大事なのかなぁ?わたしは有名大学なんか出なくても作家として頑張ってる人をたくさん知ってるし、そう思わないんだけど。お母さんはそういうの知らないだけなんだよね。作家になるなら色々な経験が必要だからって毎回言うんだけど、他の人よりいっぱい本読んでるし、新聞だって毎日見てるし。いらない勉強を4年間黙ってやるより、自分が将来必要になる勉強をみっちりやったほうが─────」
「うん」
カズさんは本当に聞き上手。
わたしが自分で気付かないと、いつまでもわたしの話を聞いてくれている。
カズさんは自分用の茶碗を戸棚から取り出して、急須に残っていたお茶を注いだ。水色の波模様が描かれた茶碗は、わたしの三毛猫茶碗よりもちょっと大きい。
カズさんはかなりの猫舌なので、あつあつのお茶は私に注ぎ、自分はいつもしばらく経ってから飲む。
「カズさん、どう思う?」
唐突に質問する。うん、と返事をしながら、お茶にふーと息をかけて冷ましている。
一口飲もうとしたけど、まだ熱かったようでちょっとすすっただけで茶碗を置いた。
コン、と私の茶碗のとなりに並べて置く。
「そうだねぇ」
めくれた白衣の裾を整えながら、カズさんがこちらに向き直る。
いつもこんな感じでおしゃべりしてるはずなんだけど、なんだか今日は面接を受けてるみたいでドキドキする。
「たぶんだけど、お母さんには『まず収入が安定している仕事に就くべき』とか、『失敗してから大学に行こうとしても遅い』とか……そういう事は一通り言われたんでしょ?」
「うん………」
「真理子ちゃんはずっと前から作家になりたいって言ってたし、それで納得しろって言われてもできないよねぇ」
「……うん」
あはは、とカズさんが笑う。
これは、完璧に見抜かれてますな。
カズさんとはわたしが小学生の頃から知り合いで、家の帰り道にあるこの漢方薬局に遊びにきていた。
おばあちゃんがここの漢方薬の煎じ薬を愛用していたのもあるけど、わたしは当時まだ白衣がピンとしている頃のカズさんとのおしゃべりが好きになって、学校帰りにいろいろな事を話した。
友達のこと、学校のこと、最近出たゲームのこと、スマホを買ってもらったこと………
カズさんはいつも売り物の漢方薬を作りながら、わたしの話を笑顔で聞いてくれた。
仕事中でも嫌な顔ひとつせず、いつでもおしゃべりに付き合ってくれた。
中学2年生のころにおばあちゃんが亡くなったときも。
────いらっしゃい、真理子ちゃん
と、いつもおばあちゃんが使っていた煎じ薬を作っておいてくれたカズさんを見たとき
14歳のわたしは一瞬で色々な感情が溢れてしまい
目の前で泣き出してしまった
カズさん ごめんなさい おばあちゃん、今朝亡くなったの
せっかく作ってくれた薬、使えなくなっちゃった
ごめんなさい
ぼろぼろと泣き続けるわたしを見て、カズさんは
────謝らなくていいんだよ
────ありがとうね、悲しいね
と言いながら、私が泣いている間ずっと肩を抱いてくれたのだった。
今、思い返すと恥ずかしさで目を閉じたくなってしまうが、それ以来カズさんとは一層仲良くなった。
薬の用事がなくても遊びにきてね、と言ってくれたカズさんの言葉を真に受けて、それからずっとお邪魔していて…………
「─────真理子ちゃん、"修治(しゅち)"って聞いたことある?」
「うえっ?」
わたしがひとり過去を思い出していたら、突然聞いたことのない単語と質問がきた。
思わずヘンな声が出ちゃった。
「漢方薬ってね、生薬をいくつか混ぜて作るものなんだけど」
「う、うん」
「この生薬って、どうやって作ってるか知ってるかな」
ううん、この薬局に長い事入り浸ってるけど、考えたことなかった。
植物とか木の実を採ってきて、カラカラになるまで乾燥させて、わたしの目の前にある袋に入っているような細切れにして、使う時に腹筋ローラーみたいなやつでゴリゴリするんじゃないの?
考えながらも答えずにいると、カズさんは近くにある引き出しを開けてなにかを取り出した。
ぽん、と渡された白いカサカサした塊からは覚えのある匂いがする。それは─────
「ショウガだ」
「そう、漢方では音読みで"ショウキョウ"って言うんだけどね、もとはただのショウガ」
手のひらに乗せてみると、想像していたよりもだいぶ軽い。
ショウガって聞くともっと実の詰まったイメージだったけど、乾燥させてるから軽いのかな。
「この生姜はね、ただ乾燥させただけじゃなくて、一度蒸気でたっぷり蒸してから乾かすんだ」
「へえ、蒸してるんだ」
「うん。そうすることで、生薬にしたときに効果がすこし弱くなるんだ」
ん?気になることを言ったぞ?
「弱くなっちゃうの?なんでそんなこと」
「このショウガは、ただ乾燥させただけなら"乾姜(カンキョウ)"という生薬になるんだけど」
「うん」
「それだと、刺激が強すぎることがあるんだ。だから弱っている胃腸を元気にしたい漢方薬を作るときは、カンキョウじゃなくて蒸してマイルドにしたショウキョウを使うんだよ」
「へええ」
さすが漢方薬屋さん。説明もわかりやすい。こういう話、わたし好きだ。
あれ?でもさっきまでは、わたしの進路の話だったような。
「このほかにも、烏頭(トリカブト)は甘草(カンゾウ)の煮汁で長い時間煮込むことで毒性を弱くしたり、あぁ、コレなんかはフライパンの中に砂を入れて火にかけて、高温の砂のなかに突っ込んで組織を壊して成分を抽出しやすくしたりするんだ」
「へえ~、そうなんだぁ」
知らない世界の話。
文系のわたしは、カズさんに教えてもらう機会でもなければ一生知らなかっただろう。
わたしにとっては雑学としてしか役に立たないかもしれないけど、こういうおしゃべりは何度聞いても退屈しない。
「でもね」
ひょい、とわたしが持っていた生姜(ショウキョウ)をつまみ上げる。
「最近じゃ、この修治(しゅち)はあまり意味がないんじゃないかって言う人もいるんだ」
「そうなの?」
「うん、だって効果を弱くしたいなら量を減らせばいい訳だし、もっと強くしたいならいっぱい入れればいいし。抽出しやすくするなら、ミキサーで粉にしちゃえばいいんだしね」
言われてみればそうだ。
わざわざフライパンで砂を温めなくったって、現代の技術ならもっと効率のいいやり方なんていくらでも見つかるはず。大昔に開発された方法にこだわらなくても、最高の効率を求めて研究すればいいんじゃないだろうか。
最高の効率
あぁ
「でも、不思議なことに昔からやられているこの方法で作られた生薬で煎じた漢方薬を使ったほうが、調子が良くなるっていう人も多いんだって。一見無駄かもしれないことでも、意外と─────」
「意外と良い結果になるから、無駄かもしれない大学受験もしたほうがいい、ってことかな?」
言葉を重ねられて、カズさんはきょとんとした顔をした。
ニコニコしながら覗き込んでいるわたしの顔を見て、同じようにニコニコする。
「あはは、たとえ話にするには単純すぎたね」
「んーん。カズさんらしい説得でした」
行きつく結果が同じでも、カズさんの言葉ならわたしは受け入れたいと思うことができる。
カズさんは苦笑すると、ほどよく冷めたお茶をひとくち飲んだ。
わたしも同じように三毛猫の茶碗を持ち、緑茶を口に含む。
昔、おばあちゃんが淹れてくれていたような濃いお茶だ。
「真理子ちゃんは今、たくさんの友達と同じスタートラインに立ってるから、これから先の人生を決めるためには少しでも前を走らなきゃ、って感じてるかもしれないけど」
「うん」
「そんなことないから大丈夫。たとえば大学を出て僕みたいな仕事を選べれば、収入も得ながら作家さんのような仕事だってできるかもしれないし、ね」
「そうだね、暇だもんね!」
二人して大笑いする。
暇をいいことにおしゃべりに来ている張本人が言うんだから間違いない。
わたしは今日、この薬局に来た時のぶすくれた顔などすっかり吹き飛んでしまっていた。
「作家さんの勉強なら、社会人になってから頑張る人もいるんじゃないかな」
「そうだね、そういう人わたし知ってる。結婚して子供ができてから本を出してる人もいるし」
「そっか、旦那さんがお金と時間をつくってくれる人なら、結婚してからでもいいねぇ」
そこまで聞いて、わたしはカズさんに顔を近づけて耳打ちした。
「ねぇ、カズさん」
「うん?」
わたしは、「漢方薬屋さん」の匂いが、好き。
「カズさんて、お金儲かってる?」
カズさんは、耳まで真っ赤にしていた。
- Fin -
【恋愛短編小説】漢方薬の香りは、ここに 来我 春天(らいが しゅんてん) @Raiga_Syunten
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