第7章

第25話 薫の決断

 今、病院の待合室に座って居る。


「斉田さん! 大丈夫ですか!?」


 漫画の担当編集さんが慌てた表情をし、走ってきいた。


「はい、骨折しただけ何で命に別状はないみたいです」


 ほんと、ついてないな私。


「一ヶ月はギプス外せないらしくて……」


 私の右腕には、ギプスが巻かれていた。

頭には包帯も巻かれている。


「連載、間に合いますかね?」


 私の言葉に、担当編集は目を伏せた。


「そのことなんですが……」

 


 ♢



「ただいまー」


 私は利き手を骨折しているのでいつもとは逆の手で玄関を開けた。


「おかえりーかおる!! おのねっ!」


 クロはいつも通り、私を出迎える為に走ってきた。

しかし、私の腕を見ると、その表情は驚きの者に変わった。


「いやぁ、ちょっと転んでね。腕を痛めちゃった」


 あくまでも自分で転んだという体だ。

自転車にぶつかられたことは伏せておく。


「かおる……それ、大丈夫? いたくない?」


 クロは私に心配の眼差しを向けてきてくれた。

そのクロの表情に、私は自分の感情を押し殺した。


「ん? 何が? ほれ!!」


 私はその場で、元気なのをアピールするために、動ける範囲で動いて見せた。


「おおー、さすがかおる」


 クロは少し安心したような表情を見せた。


「かおるに見てほしいものがあるの!!」


 そう言ってクロは私の手を引いた。


「えー、なに?」


 私は、クロに手を引かれながら、リビングの方へと歩いた。


「じゃーん!!」


 クロが扉を開け放った。

私の目に飛び込んできたのは、『かおるおめでとう』の文字とパーティー仕様に飾り付けされた部屋だった。

そこで、私の押し殺した感情が一気に溢れ出てきてしまった。


 あ……ヤバイ


 自分でもそう感じた。


「すごいでしょー! クロ、がんばったんだよ!! かおるの夢叶ったんだよね? クロは知っているよ、かおるは凄い天才だって」


 クロはいつも通りの得意げな表情で言ってきた。

今は、やめて……


「漫画家さんになった?」


 クロは更に追い打ちをかけるように、得意げな表情でで言った。


「うれしい? かおる、パーティーだよ!!」


 せっかく、うまくごまかせていた感情を逆なでされてような気分だった。

おねがいだから、やめて……



「漫画家さんおめでとう!!」


 そう言って、クロは折り紙で作られたケーキを私の前に差し出した。


「うれしい!?」


 クロは柔和な表情で聞いてくる。

私は、その表情に抑え込んでいた感情が爆発的に増幅するように感じた。


『クシャ……』


 私は思わず、その紙で出来たケーキを使える左手で握りつぶした。


「かお……る」

 

 クロは驚いた表情を浮かべていた。


「いい加減にしてよ……」


 私はボソッと呟くように言った。

その言葉に、クロの瞳は真っ黒に染まり、絶望したような表情を浮かべていた。


「私が天才? すごい?」


 私は、鼻で笑うと共に、自嘲するように言った。


「何それ!! そんな訳ないじゃん!! だったらとっくに夢叶ってるわ!!」


 私は、声を荒げて言い放った。


「落ちたよ!! 全部!! やっぱり面白くないって! 才能無いって!!」


 違う……こんなことが言いたいんじゃない…… 

私の瞳には涙が溢れてきた。


「全部だよ!! 全部!! 私の今までの10年間が否定されたんだよ!! 分かる!?」


 私の怒鳴る声を、クロはただ黙って聞いていた。

いや、声も出なかったのかもしれない。


「クロが子供だからとか言うつもり!? アンタはいいよね。そうやって誰かの幸せを応援するだけなんだから!! 大人はね、責任があるの!!」


 それでも私は声を張り上げた。

大人には、子供の模範にならなきゃいけない責務がある。

大人の背中を見て子供は成長するのだ。


「だから、弱音吐かずに、取り憑かれて不幸になっても、骨が折れても、連載が落ちても、隠してきたんだよ!! 私は大人だから」


 そう、自分に言い聞かせて大人として頑張ってきたのだ。


「努力したの!!」


 クロの瞳にも涙が浮かべられていた。


「クロのことが、大切だから……!!」


 私の顔も涙で一杯だった。

これが、私の本心だった。

だから、クロに心配されないように隠してきたのだ。

 

「責任、取れないくせに自分勝手に凄いとか、適当にえらそうなこと言わないでよ」


 そこまで言うと、私はその場に崩れ落ちた。


「私に、才能何かない。凄くなんかない」


 大人だから大人だからと自分に言い聞かせてきたけど、今もこうして、クロにあたっている自分が居る。


「企画が落ちたとき、クロのせいにした……」


 心の中では、自分のせいじゃないと。

本当は、自分が一番分かっている。

自分の実力が足りなかったことに。


「私はそう言う人間なんだよ……もう、無理だよ……」


 私の中ではすでに限界に近かったのかもしれない。


「分かんない……クロ、わかんないよ……」


 クロはのどを鳴らすような、振り絞るような声でそう言った。


「でも、クロはかおるが子供でもいいと思う……そしたらね、クロが大人になる!!」


 クロはいつも通りのドヤ顔を浮かべていった。

その目にはまだ少しの涙が残っていた。


「え?」

 

 私は思わず声を上げた。


「だからね、クロがかおるにいい子いい子してあげる」


 そう言って、クロは私の頭をそっと撫でてくれる。


「かおるのためならクロ、取り憑くのやめる。もう、ケガしてほしくない」


 クロは柔和な表情を浮かべていた。


「でも、そしたらもう、自由に動けないんだよ……」


 クロは隣の部屋の地縛霊だ。

私に取り憑いているから、今は自由に動けているのであって、取り憑くのをやめたら、クロはまた隣の部屋から動けないことになる。


「かおるに来てもらえばいい。玄関で待ってる」


 クロはそう言った。



「でもクロ、寂しがりだからすぐ泣いちゃうと思う。だから次はクロが子供になるの。かおるがお母さん」


 クロの言葉に私は、どこか暖かくなるのを感じた。


「でね、またかおるが悲しくなったらクロがお母さんになるんだ」


 そう言ってクロは、私の手を優しく握った。


「つまり、せきにゅっ、せきにんとかね、よくわかんないけど!」

 

 責任を噛んでしまうクロ。

それに、私は少し心が落ち着いたように感じた。


「クロはねこうね、子供でママで、みたいなね……えっとね……」


 うまく言葉が見つからないんだろう。

私はくすっと笑った。


「支え合うってこと?」


 私は手のひらをクロの手のひらと合わせて言った。


「おおー!! それだぁ! やっぱかおるは天才だぁ」 


 馬鹿だな私。

勝手に背負い込んで偉いつもりになって、そんな自分に酔いしれて。

私は、何一つクロに心を見せて無かった……


「ねぇ、クロ」

「なーに?」


「取り憑くの、やめてくれる? もう、体がもちそうにないよ……」



 しばしの静寂が流れた。



「うん! 分かった」


 クロは強く頷いて言った。


「これは、私のワガママ。もう一つクロお母さんにお願い」

「クロママにお任せ!!」


 クロは、頬を緩ませて言った。




「隣の部屋に引っ越そう」


 これが、私の出した決断だった。


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