第5話 去りし君

ズワールトにとってバナーレ村で過ごした日々はたった数日間の短い出来事だった。魔物との戦いで術を受けさえしなければ、留まることもなかったであろう人間の村。

人間は嫌いだ。他の種族ともあまり関わりたくないし、それは今後も変わらない。


しかしあの一家だけは嫌いになりきれなかった。特にあのハーフエルフの娘、ウィリディス・ゲールのことは。


「剣を?私に?」


包帯も取れて体を戻すために剣を振るうズワールトを眺めていたウィルは、その手に握られた鈍い銀色の物を見て同じ言葉を返した。


「剣じゃない。剣術だ」

「なんだ、残念」


ニヤニヤと笑うウィルの額を小突いてその隣に腰を降ろす。

ウィルがズワールトを拾ってからもうじきひと月。だいぶ体の調子も戻って来ていたズワールトが村を出発する日はそう遠くなかった。だというのに、なぜ急に剣術を教えるなんて言い出したのか理由が分からず、ウィルはじっとズワールトを見つめる。


「理由は……よく分からない」

「……はぁ」

「よく分からないが、オレに教えられるものはそれぐらいだ。護身ぐらいには使えるだろう」

「はぁ」

「迷惑ならやめる」

「いやー、別に迷惑じゃないけど」


ズワールトはウィルの返答に「そうか」とだけ言うと剣を鞘に仕舞い、ウィルに向かって放り投げた。慌ててそれを受け止めたウィルは鞘から剣が抜けなかったことに安堵し、そんな危険なことを何でもない顔で行ったズワールトをねめつける。


「危ないじゃんか」

「そうか?」

「そうだよ」

「それは、すまなかった」

「ん。分かればよろしい」


いつの間にか立場が逆転している二人だったが、それはあの一件で勝ったウィルのことをズワールトが自分より上の者として認識しているが故だった。ウィルとしてはあの結果は望んでそうなったものではない為元の接し方のままでいいと言ったのだけれど、結局流されるままこういう形に落ち着いてしまった。


とはいえ二人ともこの関係を悪いものと受け止めてはいない。ウィルにとってはまるで兄でも出来たようで、このひと月は以外にもとても楽しいものだった。唯一問題があるとすれば、アムがこの家に近づけなくなったことだろうか。残念ながらズワールトの人間嫌いはひと月程度で消えるものではなかった。


「理由はまぁいいけど、私に剣なんて振れるかな」


ウィルは未だ十歳の半ば。今持っている剣より少し高いぐらいの身長しかない為、これを振れば地面に突き刺さるのは火を見るより明らかだった。


「筋肉は問題ないだろう。自覚がないだろうが、お前の力は人間の子どもよりかなり強いぞ」

「なっ」


他意はないのだろうが、仮にも女の子であったウィルはその言葉に若干傷ついた。確かに毎日父さんの仕事を手伝ってるけどさぁ、とその理由を思い浮かべて、自分の夢の代償にちょっぴり悲しくなった。それでも夢を変えるつもりはないのだけれど。


「それにエルフの血も入っているからな。もう少し背が伸びれば問題なく振れるようになるはずだ。が、まぁ今はこれだな」


ズワールトが取り出したのは細い木の棒だった。細いとは言ってもウィルがギリギリ握れるぐらいの太さはあり、剣とそれを交換したウィルは試しに軽く振ってみる。ヒュンッと音を立てて振るわれた棒はかなり取り回しがし易く、その辺に落ちている棒ではないなとすぐに気がついた。


「どうだ」

「うん、使いやすい。これってズワールトが加工したの?」

「あぁ」

「ふーん」


棒を手の平でくるくると回して空中へ放り投げ、再び受け止める。今日急に思いついたみたいな言い方をしておいてこんな棒を準備していたズワールト。その理由が何であれ悪い気はしなかったので、ウィルは勢いをつけてその胸に飛びついた。反射で受け止めたズワールトは不思議そうな顔をしてウィルを見る。


「どうかしたのか」

「いや~、ありがとうの抱擁?みたいな?」

「なぜ感謝と抱擁が繋がるんだ?」

「い・い・のっ!そこはっ!」


天然なのかわざとなのか分からないズワールトの態度に急に恥ずかしくなってきたウィルは地面へ飛び降りる。空っぽになった腕の中を何となく寂しく思ったのはズワールトの方で、その手を伸ばしかけ、しかし下ろした。


(オレはいったい……)


自分で自分のことが分からなくなる。今までそんな経験をしたことがなかったズワールト。思い返せばウィルと共にいると自分の知らない感情によく直面する。それが良いことなのか悪いことなのかズワールトには分からなかったが、だんだん心地よくなっているのは確かだった。


「ズワールト。とりあえず何から始めればいい?」


さっきまでのことなどすっかり忘れて構えるウィル。ズワールトはそれまでの思考を停め、意識を切り替えた。


***


その日は急にやって来た。

前日までなんてことない顔で夕飯を食べていたズワールトは、次の日の朝、誰にも気づかれることなく旅に出てしまった。残されていたメモには『行かなければならなくなった。別れが言えずすまない。世話になった』とだけ書かれていて、彼らしいなと鼻水をすすりながら苦笑した。


この別れが悲しくないのは、いずれまたどこかで会えると確信めいた何かがあったからだ。だってまだあの約束も果たせていないのだから。

メモは無くさないように箱に仕舞い、早朝の素振りの為に家を出た。朝焼けが山を照らし始める中、この景色をズワールトも見ているのだろうかと思う。きっと視界には入っていても頭には残っていないだろうけど。


「きっとまた、どこかで」


約束の時まで待っててね。


「ひっさしぶりウィルーーッッ!!」

「うっわ」


ズワールトが旅に出たその日、さっそく家に突撃してきたアムのその騒がしさを嬉しいような面倒なような気持ちで迎える。


「何その反応~っ。久しぶりに会えた幼馴染に対してひどすぎっ」

「はいはい、すいませんでした」

「許しません。罰として今日一日私と遊ぶこと!」

「それはいいけどアム、手習いは?」

「うっ」

「しかも噂じゃ婚約者が出来たらしいじゃん」

「ううっ」

「大人の階段を駆けあがってますね。ミス・フィゲロア?」

「うううううっ。ひどい、ひどいよウィルーッ」


そこでようやく私はいつもとは違うアムの様子に気がついた。普段なら負けじと言い返してくるはずなのに、今日のアムは言われっぱなしで、今に至っては半泣きで私の肩をぽかぽかと叩いてる。

このひと月の間にいったい何があったのだろう。てっきり婚約者が出来て心うきうきワクワクだと思っていたのに。


「あー、ごめんごめん。言いすぎた」

「ほんとだよ」


ぐすぐすと泣くアムにばつが悪くなって椅子に腰かけ、話を聞く態勢に入る。いつもならアムの愚痴に塗れた話なんて聞かないんだけど、今日ぐらいはいいだろうと腹を括った。


「それで、何があったの」

「うん。じ、実はね――」


私の幼馴染、アミークス・フィゲロアはバナーレ村を治める領主の娘だ。領主の名前はエーアガイツ・フィゲロア。アムに似ておらず禿げたメガネの中年太りのおっさんなのだが、このおっさん、やたら上昇志向が強いことで有名だった。バナーレ村なんてほとんどが農家か畜産家で税収なんてたいしたことないのに、村周辺の貴族や時には王都の貴族にまで賄賂を贈る始末。


しかし貴族なんてのは村の領主程度歯牙にもかけていない様子で、賄賂作戦は無駄な金を使っているだけで効果がなかった。そこで白羽の矢が立ったのがアムだ。このたびアムの婚約者になったのは王都近辺の土地を所有する侯爵の次男で、所謂政略結婚(未遂)というものになる。


まさかの侯爵家の登場にさすがの私も口をぽかーんと開けて話に聞き入る。いったいどういう伝手を辿ったら侯爵家に行きつくのだろうか。


「侯爵家の嫁になるんだからって前よりたくさんの手習いをさせられるし、そもそもどういう人かも分からないのに結婚なんてしたくないっ!私はもっと素敵なお姫様みたいな恋をしたいのっ!」

「はぁ、恋、ねぇ。ま、でも仕方ないんじゃない?だってアムは領主の娘なんだし」

「ウィルまでそんなこと言うーーっっ!!」


アムはよほどショックを受けたのか泣きながら家を飛び出してしまった。呼び止める隙もなくあっという間に姿が見えなくなったアム。残された私は椅子の背にもたれて天井を仰いだ。


アムの気持ちも分からなくはない。でもこればかりは仕方がないことだ。いくら辺境の村の領主とはいえ特権階級は特権階級。だからこそ当然課せられる責任と義務がある。あのハゲメガと同じ意見なのは気に入らないが、アムには諦めてもらうしかないだろう。そもそも私は村の一農民。エルフの娘という点を除けば何の取り柄も権力もない私が意見したところで変わるものでもない。


「結婚かぁ」


この世界での平均結婚年齢は男で十八~二十歳。女は早いと成人してすぐに嫁にいく。これまであまり考えてこなかったけれど、成長するにつれて私にもそういう問題が付きまとってくるのだろうか。


(でも私半分エルフだし。聞いた話じゃ寿命は五百歳ぐらいらしいし)


だとしたら人間と結婚なんて無理ではないだろうか。


(母さんは父さんと結婚する時怖くなかったのかな)


愛する人に置いていかれる苦しみ。それを分かっていてなお止められないものというのが、今の私には理解できなかった。

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