第4話 拾い者
なんてのは若干嘘になる。
体調も絶好調で、いつもと変わらない日常に戻ってきた私。でも、眠るといつも見る夢がある。
アロスティアの笑み。腹に空けられた穴。アムの私を呼ぶ声。目の前で殺されたヴァーデゥル。
ほぼ毎日見るこの悪夢のせいでここ最近寝不足続きの私の機嫌はいいとは言えず、何かあればすぐにイラついて舌打ちをしていた。
そんな日が続いて、私は一人で家に引きこもっていることが多くなった。目の下には濃い隈が出来ていて、さっきから欠伸も止まらない。アムとも最近は距離を置いているし、読書にも集中できない。父さんや母さんは気を使って放っておいてくれているが、申し訳なくなって更に苛立ちが増す。
「気分転換に散歩でもしてきたら?」
見かねた母さんに勧められて、私は数日ぶりに外へ出た。心配をかけるといけないからあまり遠くには行かないつもりだったが、気づけば太陽は真上に昇っていて家とは反対側の村の外れまで来ていた。
「こんな所まできてどうすんだ」
はぁ、と溜息を一つついて戻ろうとした時、木の影に人が倒れているのを見つけてしまった。
どう考えても面倒事だ。関わるな。
そう思ってスルーしようとしたが、けっきょく私は行き倒れのその人を引きずって帰った。学習しないんだな、人間って。
途中で何度も放り出してやろうかと考えながら、何とか日が沈む前に家にたどり着いた私は、母さんに行き倒れの人を預けて汚れた服を変えた。
「ウィル。ちょっと手伝ってくれる?」
「うん」
母さんに呼ばれて来客用の部屋に行くと行き倒れは上半身裸でベッドの上に寝かされていた。壁には行き倒れが羽織っていたであろうローブだけがかけられていたことから、この行き倒れは上半身裸の上にローブを羽織っていたことが分かる。
(変態か?)
まさか変態を拾ってしまうとは。この間の事件からこっち、私の人生はいったいどこに向かって進み始めてるんだ?と、人生の行く末まで心配し始めた時、その行き倒れの背中に見慣れないものがあることに気づいた。いやそれ自体は見慣れ無くはないのだけど、それが背中に付いているのが見慣れないのだ。
「珍しいわね。この人オルニウスよ」
オルニウス。
見た目はほぼ人と変わらないが、その背中には鳥の羽が生えている。所謂鳥人間というやつなんだが、このオルニウス、超が百個付くぐらいの人間嫌いで知られている為人間の村でなんて普通はお目にかからない。
オルニウスを見たら慌てず騒がずそっと後退すべし、というのが人の間で知られている格言だ。まるで猛獣扱いだがあながち間違ってもいない。
私はハーフエルフだし多分大丈夫、のはず。
「助かりそう?」
「たいしたケガはないからしばらくしたら目を覚ますと思うわ」
「そう」
母さんの言葉にほっとする。たとえ猛獣でも拾ったからには助かってほしいと思う。自分自身に対して甘いと思わないでもないけれど……。
「ウィル。今日はお父さん遅くなるみたいだから先に夕飯にしちゃいましょう」
「うん」
思考を切り替えて母さんの後について部屋を出て、夕飯の準備を始める。この甘さが更なる悲劇を招くとも知らずに。
――夕飯を終え片付けをした後、私はもう一度あの行き倒れの様子を見るために来客用の部屋へと向かった。
でもそこに行き倒れの姿はない。
「あれ?」
勝手に出ていったか?ぐるりと部屋の中を見回したが影はなく、母さんにこのことを報告しようと部屋を出ようとした。しかしそれはヒヤリとしたものが首にあてられたことで阻まれる。
いつの間にか背後に何者かが立っていた。
「ここはどこだ」
声は男のものだった。おそらくあの行き倒れだろうが、いきなり首にナイフをあてるなんてどういう神経してんだ。命の危機より怒りが先に湧いてきて、少しぶっきらぼうに返事をした。
「私の家だけど」
「貴様は何者だ」
「ウィリディス・ゲール。ハーフエルフ」
「ハーフエルフ?」
その言葉に殺気が少し抑えられる。人間嫌いってほんとなのね。
拘束も少し緩くなった時、母さんが異変に気づいて部屋へ飛び込んできた。そしてその勢いのままサタ子を行き倒れめがけてぶん投げた。
しかしサタ子はあっけなく切り落とされる。
「さ、サタ子……そんな」
切り落とされたサタ子は真っ二つになって床の上に転がる。
サタ子とは生まれた時からの付き合いだった。料理はピカイチだけど裁縫は目も当てられない母さんが作った名状し難き造形の自立型子守ぬいぐるみ。それがサタ子だった。初めて見た時は関節が二個とか三個とかあるし髪の毛だろう黒い毛糸は顔の前に垂れ下がっているしで、泣くことも忘れて固まったのをよく覚えている。
そんな出会いだったけど、生まれてからずっと側にいたから愛着もあった。サタ子と名付けたのが気に入らなかったのかよく殴ってきてたけど。たまに蹴りも入ってたけど。でもやっぱり赤ん坊のころからの付き合いだからいろいろ思い入れはあったので、いくらなんでもこんな最期はないと思う。
ひどい!この外道!
「ヴール!」
ウール?羊毛?何だそれ。
切られたサタ子を見て叫んだ母さんの口から出た言葉。頭の上に「?」を飛ばしていた私だったが、突然行き倒れの男のズボンが燃え上がったことで気づいた。
そういえば母さんは精術師だった。
生まれてこの方力を使ったところを見たことがなかったから知らなかったけど、さっきのは母さんの精霊の名前か。
「精術師か!」
行き倒れが怯んだその隙に私は真っ二つになったサタ子を拾い上げて母さんの元へ逃げる。そこへタイミングがいいのか悪いのか父さんが帰ってきたようで、騒ぎを聞きつけて部屋に飛び込んできた。
「人間!」
そして当然ながら、父さんの姿を見るなり烈火のごとく怒りだした行き倒れは腰にぶら下げていた剣を鞘から抜いて父さんに襲い掛かった。
「父さん!」
その時バチンッと目の前で火花が散った。ような気がした。
行き倒れが父さんに襲い掛かる。
母さんが精霊の力を使おうとしている。
その全てがゆっくりと流れていった。
(やめろっ!!)
世界が元のスピードを取り戻した時、行き倒れの全身は火に包まれていた。慌てて樽にためていた水をぶっかけて消火したが、行き倒れは体の半分以上に火傷を負っていて羽は根元を残してほとんど焼け落ちていた。
「あ、あぁ」
どうしようどうしようどうしよう。
私のせいだ。
混乱と吐き気。床にぶちまける前に外へ飛び出した私はさっき食べたばかりの夕飯を全て戻してしまい、ずるずるとその場に座り込んだ。
「……嘘つき」
力が使えないなんて、大嘘じゃないか。
何とか足に力を入れて室内に戻ると行き倒れは再びベッドの上に寝かされていた。しかし先ほどとは違いその全身は包帯に覆われている。自身がしてしまったことの恐ろしさに手が、体が、震えた。
「ご、ごめな」
「ありがとな」
誰のための何の謝罪かは分からなかったけれど、謝らないといけないと思って言いかけた時、それを遮るように父さんが私を抱きしめた。
「ウィルは悪くない。父さんを助けようとしてくれたんだよな」
「ぁ、あ、わ、たし」
「大丈夫、分かってるよ。助けてくれて、ありがとな」
父さんの言葉に自然と涙が溢れる。ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で何度も謝って、それすらも理解したかのように父さんは背中をぽんぽんと優しく撫でてくれた。
***
ズワールトが目を覚ました時、すぐにその違和感に気がついた。
生まれてからずっと背中にあったそれは殆どが焼け落ち、根本のみが不格好な姿でぶら下がっている。
(母親も娘も火の精霊とはな)
火は嫌いだった。火は全てを焼き尽くす。何もかも飲み込み、跡形も無くしてしまう。自然と共に生き、死ぬオルニウスとしてはあまり近づきたくないものだが、それがなければ困ることも理解している。
「気がついたようね」
ズワールトが旅支度をしているとルージュが水の入った桶を持って現れた。その顔はいつもの柔らかな笑みを浮かべたものではなく、非常に冷め切っている。
「まだ傷は癒えてないわよ」
「この程度問題ない」
「問題ならあるわ。そんな状態で出て行かれたらウィルがもっと悲しむもの。だから完全に治るまではここにいて」
ルージュに軽く押されただけでベッドに倒れ込んだズワールトは、自身が思ったよりも体力が戻っていなかったことを実感し大人しく指示に従うことにした。
「私は別に出て行ってもらっても構わないのよ。あなたは私の娘を脅して夫を殺そうとした。その羽に関しても自業自得だと思ってるわ」
ズワールトはその言葉に特に何も感じなかった。この世は弱肉強食。羽を無くしたのはあの娘のことを甘く見た自身の失態。多少移動は面倒になるが、それも仕方のないことだと受け入れていた。
「でもウィルは責任を感じてる。ようやく少し元気になったと思ったらこんなことがあってすっかり塞ぎ込んじゃってるもの。だからあなたがどうにかしてちょうだい」
「……オレが、か?」
ルージュの意外な言葉にズワールトの表情がようやく少しだけ動いた。とうのルージュはその整った顔を歪めて苦々しげに言葉を吐く。
「本当はもうあなたをウィルに近づけたくないわ。えぇ、当然よ。……でも私達がどれだけ言葉をかけても意味はないの。結局あなたを傷つけたのはウィルで、傷つけられたのはあなた。私達は第三者でしかない」
「だがオレは」
「何でもいいの。慰めろって言ってるわけじゃないのよ。許し難いけど、本っっっ当に嫌だけど、ウィルを責めたっていいわ。とにかく一度、二人で話してほしいのよ。お願い」
ルージュの目には涙が浮いていた。普段から見慣れているはずのものなのに、ズワールトは少しだけ気まずくなって顔を逸らした。
「――。分かった」
「そう。じゃあ、よろしくね」
手早く包帯を変えたルージュが出て行く。体力はあまり戻っていなかったが、火傷はだいぶ良くなっていた。腕がいいのだろう。
(ウィル、ウィル……オレがあの娘に何ができる)
今更ながら承諾したことを後悔し始めたズワールトは、おもむろに立ち上がりローブを羽織って外へ出た。日は沈みかけており、じめじめとした生温い風が時折ローブを揺らす。
特に目的もなく出てきた為適当な切り株に腰を下ろすと、じっとこちらを見つめる視線に気がついた。
(あれがウィルか)
一度目に目を覚ました時はあまりその顔を見ている時間はなかったが、こうして見ると緑の目以外はあまりあの二人には似ていないなと思った。ハーフエルフと言っていたが、僅かに尖った耳以外それらしき特徴もない。どうやら精霊も今は眠っているようで声も聞こえない。
「ウィル」
名を呼べばウィルの肩が面白いぐらい跳ね上がる。しかしその
「…………」
見つかったウィルは何かを言おうとして口を開いたが、何を言っても言い訳にしかならないことに気づいて口を閉じる。
その様子を見兼ねて先に言葉をかけたのはズワールトの方だった。
「オレは気にしてない」
「嘘」
すぐさま言い返してきたウィルの表情は強張っていた。しかし何をそんなに思い詰めているのか、ズワールトには分からなかった。
「お前は父親を守ろうとした。ただそれだけだろう」
「でも私あなたの羽をっ」
「仕方のないことだ。戦いがあれば傷つくものが出る。オレはお前に負けた。たとえ首を落とされていても文句はない」
なんでもないことのように言い放ったズワールトに、ウィルは次こそ何も言い返せなかった。その口ぶりに、何を言っても変わらないのだろうと分かったからだ。
「――。あなたがそう言うのなら、もう、悩むのはやめる」
「そうか」
「そのかわりあなたの羽を治せる方法を探す」
「……。そうか」
ズワールトはその言葉に僅かに動揺して、返事を返すのが遅れた。今の会話からどうしてそうなると、若干呆れてウィルを見る。それはズワールトにとって初めて知る感情だった。
「あなたが気にしないならそれでいい。だからこれは私が勝手にする私の為の罪滅ぼし。嫌って言ってもやめないからね」
さっきまで泣きそうに歪んでいた顔はすっかり消え、日の光を受けた緑の瞳が朱く燃えていた。それはまるで全てを飲みこむ業火のようで――。
「好きにするといい。オレはお前に負けたからな」
「そういうのやめてほしいんだけど」
「だが事実だ」
ズワールトの言葉にウィルはあの日以来すっかり忘れていた感情がこみ上げて来て、腹を抱えて押し殺すように笑った。
悪く言えばつっけんどん。よく言えばさっぱりした性格なのだろうズワールトの言動に、ウィルはようやく肩の力を抜いてその場に座り込んだのだった。
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