第2話 死ぬということ

「ヴァーデゥルッッ!」


エザフォスは何もできなかった。冷静さを欠いた状態でアロスティアに勝てるはずがないと分かっていたはずなのに。

いや、知っていたはずだ。

目の前で殺された人がいて、ヴァーデゥルが我慢できるはずがないことぐらい。だから人を遠ざけるためにビッグピッグがいるという話をあの村でしたというのに。


「……エザフォス。あの子達を頼みます」

「マルメルダ?」


なすすべもなくヴァーデゥルが倒れていくのを同じように見ていたマルメルダが、笑みを浮かべてエザフォスを見つめる。


「わたくしでは一瞬気を逸らすので精一杯でしょう。だから、あなたがあの子達を。風の精霊と契約を結んでいるあなたなら逃げきれますわ」

「何を言っている。お前を見捨てろというのか」

「ここで全滅するより誰かが生き残って知らせなくては」


マルメルダは剣を握ってにこりと笑った。曲げる気はないのだろう。もう、覚悟を決めてしまったのだ。


「いいチームだった。ありがとう。マルメルダ」

「えぇ。達者で。エザフォス」


マルメルダが地を蹴ると同時にオレも精霊を呼び出して子どもの元へ走った。そのまま上に飛び、村へと向かう。


視界の隅でマルメルダが倒れていくのが見えた。


***


ドンドンドンと激しく扉を叩く音。ルージュは何事かと思って奥の部屋から跳びだし、扉を開け、悲鳴を上げた。

目の前に血塗れになって抱えられている我が子、ウィルがいたからだ。


「ウィル!」


何が起きたのか分からなかった。苔を取る場所は魔物も出ない普通の林だ。こんなケガを負うような危険な場所ではないはずなのに。


「落ち着け」


その声にハッと我に返る。いけない。自分が取り乱してどうする。大丈夫だ。まだ息はある。


「ルージュさん」


目を真っ赤に腫らしたアムが不安げに服の袖を引っ張った。


「ウィルは大丈夫よ。アムは向こうで顔を洗ってきなさい」

「……うん」


アムをキッチンに向かわせ、ウィルは奥の部屋へと連れていく。

血はお腹の穴から流れ出していた。どう見ても事故で出来る傷ではない。


「何があったかは後で聞くわ。あなたは精術師?」

「そうだ。エザフォスという」

「エザフォス?……無属性の精霊との契約は?」

「オレは風と土の精霊の契約のみだ。あなたは」

「私は火よ。どうしましょうっ……こんなケガ、普通の治療じゃ治せないっ」


涙ぐむルージュ。しかしエザフォスは、そもそも生きているとは思っていなかった。

腹に穴を空けられれば当然大量の血が出る。加えて内臓もことごとくやられているだろうし、即死しなかっただけ奇跡だ。

ここまで持ちこたえたことも信じられないぐらいだ。


もしかしたらと思う。

もしかしたらこの少女なら。


「助けられる方法が一つだけある」

「……本当?」

「あぁ。あなたもエルフであり、精術師なら知っているはずだ」


その言葉に不安で揺れていたルージュの目がつり上がる。


「……ダメよ。あんなこと、この子は耐えられない」

「だが放っておけば死ぬだけだ。やってもやらなくても死ぬことに変わりはない」


死ぬことに変わりはない。ルージュも分かっていた。

でも、だからって。


「どうする。時間はないぞ」


ヒューヒューとか細い息をしながらどんどん血の気の失せていくウィル。

嫌だ。死んでほしくない。だって、私の娘だ。まだ十歳になったばかりで、世界のことなんて爪の先ほども知らなくて、楽しいことも辛いことも嬉しいことも悲しいこともこれからたくさんたくさん知って、そんな普通で幸せな人生を送るはずだったのに。


あぁ、でも、死んでしまえばそんな幸せもない。希望はただの希望で、夢はただの夢で終わってしまう。

それならば、それならば。


「分かりました」

「――。そうか」


エザフォスはそれだけ言うと、ルージュの代わりにウィルの血で陣を描く。描き終わる頃にはウィルの呼吸音は微かに聞き取れるだけになり、もうそれほど時間が残されていないことを教えていた。


「……いいんだな」

「えぇ、いいわ。ウィルが、この子が生きる為なら何にだって縋ると、決めたの」


――そう、たとえ化け物になったとしても。


***


ウィリディス・ゲールの人生はこうして幕を閉じた。正しくは閉じかけているところなのだが、ウィル自身はもう死んだものと思っていた。


「はえーよなぁ」


畳一畳の空間に呟いた言葉が落ちる。この先いったいどうすればいいのだろうか。

この謎の空間は叩いても蹴ってもこれ以上広がることはなかったし、肉食べたい毛布欲しいと念じてみても何も起こらない。こんな所でこの先一生(もう死んでるけど)過ごさないといけないと思うと頭がおかしくなりそうだ。


「だーれーかーだーしーてーっ!」

「そーれーはーむーりー」


またどこからともなく声がする。でも姿はない。もしかして天の声だったりするのだろうか。


「いや、天じゃなくてオレは精霊」

「……。はぁ?」

「精霊のプロクス君でーす!じゃーん!って言ってもオレ達に形はないんだけどね」

「……死んでからも幻聴って聞こえるんだなぁ」

「幻聴じゃなくて精霊だって」

「へー、そう」

「その感じは信じてないな」


信じるも何も、初めましての天の声を信じろという方が無理だと思うんだけどね。

ふぅ、と溜息をついて膝を抱えたウィルはその後も聞こえ続ける天の声に適当な返事を返していた。

しかしその声もふと気がついた時には随分小さく、聞き取りづらくなっていた。


「つまり天の声の言うことをまとめると、死にかけた私を助けるために母さん達が契約した精霊が君で、でも私の魂が畳一畳分しかない貧弱魂だったから暫くその回復に努める為精霊の力は使えない、と」

「そ……そぉ……ら、気……けて。……みが、……だってし……たら……り……るから」


(……全く何言ってるか分からん)


しかし、話を聞いてる限りこのプロクスという精霊は火の精霊だと思うんだけど、傷を治すなら普通無属性の精霊だろう。火の精霊と契約したって傷は治らない。


「そろ…………ね。じゃ……た」


プロクスの声が更に遠くなる。遠くなるたびに頭の中に霞がかかっていくような感じがするのは気のせいだろうか。

いよいよまともに思考が働くなり、プロクスの声も聞こえなくなった時。


『目覚める時間だ』


「ッッ――!!」


目を覚ましてみればいつもの私の部屋の天井が視界いっぱいに広がっていた。どくどくという心臓の音と大量にかいた汗がこれが現実だと伝えてくる。


「いきてる」


気づけばそんな言葉が口を突いていて、勝手に溢れてきた涙が目尻を伝う。


「生きて、る」


ようやく私はここで、自分が死にたくなかったのだということを自覚した。

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