第29話 宴への差し入れ
「ふっくしゅん!?」
「あー!!」
並べていたベリーに素早く麻布をかぶせ、目の前にいた女性は批難の眼差しをフィルに注いだ。
「ちょっとぉ、フィル?」
「ご、ごめん、メリッサ」
「まったく、せめて口くらいふさいでよね!!」
「ほんと面目ない……」
「もー……なあに、風邪でも引いたの?」
ひとしきり文句を口にした後に心配げに眉を下げた女性、メリッサはフィルの幼馴染の嫁であり、彼女自身も二つ下の幼馴染である。
女性の方が精神年齢上年上になりがちというのは本当のことらしく、フィルも幼馴染、テオも彼女にはいまいち勝てないところがある。
いやあ、と首をひねったフィルの背中を乱雑に叩き、大きな袋を抱えたテオはからからと笑った。
「風邪なんかひかないだろ、お前今『魔王様の加護持ち』なんだろ?」
「……何かそう言うとちょっとすごいことに」
「ちょっとどころじゃなく、ものすごい、じゃないのか?」
「言うな、思い出すと胃が軋む……」
「ははっ、メリー、拝んでおこうぜ」
「そうね、御利益ありそう」
「やめろ、本気で怖い!!」
フィルが貰い乳をさせてもらったおかげで、テオとフィルは兄弟のように育っている。そういうわけでフィルとテオは気の置けない親友兼幼馴染兼兄弟といった感じの関係だ。
向こうからフィルへの遠慮もないし、フィルから二人への遠慮もほぼないと言っていい。最近はバルバザールや魔王と過ごす時間の方が増えている気もするが、それでもテオとメリッサはフィルにとってきわめて親しい相手だ。
そんな二人に魔王様の宴への差し入れについて相談したのはフィルにとっては至極当然の流れである。
「俺はまだ会ってないけどさ、魔王様良い人なんだろ? ガキどもがそんなこと言ってたもんな」
「人……って言っていいのかはわからないけどな。親切だし、温厚だよ。ちょっとびっくりさせられることも多いけど」
「それが意外だよなあ」
「私は遠目にお見かけしただけだけど、すごく綺麗よね、魔王様。フィルったら、あんなに近くで見てよく目がつぶれないわね」
「俺も時々そう思う」
慌てたり驚いたりすることの方が忙しいので時折忘れがちになるが、改めてじっくり見れば見るほど、魔王は美形である。
クラリッサの言うような魔力と美貌の関連はわからないが、姿を変えられるといい、また美醜はよくわからないという魔王があの通りの美貌とあらば、本質的に美しいものなのだろう、十三番目の魔王というもの自体が。
「今度紹介しようか」
「うーん、もっと近くでお会いしてみたい気もするけど、魔王様なのよねえ……怖くないわけじゃないっていうか」
「だよなあ。何かで機嫌を損ねたりしたらどうなるかわからないんだろ?」
「まあ、それはそうだけど。いきなり乱暴なことをするようなひとじゃないよ、あの魔王様。魔王様ってだけでそういう判断はしなくていいと思う」
何となくむっとするものを感じ、それを抑えるようにしてフィルは手元のベリーをひっくり返しながらそう言った。顔を見合わせ、それからこの幼馴染夫婦はにやりと笑う。
「ふうん? フィルだって怖がってたんだろうに、随分魔王様の肩を持つじゃん」
「別にそんなことは……」
「まるきり友人を馬鹿にされたみたいな言い方だったわよ、フィル。むっとしたみたい」
「だから、そんなことは……」
ない、と言い切れずに口をつぐむ。
魔王という存在への恐れそのものがなくなったとは言わないが、少なくともあの十三番目の魔王様やリッチへの警戒は大分摩耗している気がする。
彼が繰り出す魔法や魔導具、ものの考え方に驚くことはあっても、あの魔王にフィルが害されるかもしれないと恐れることが減った、ような。
そんなことを考えながら無意識に腰にあるアミュレットに手をやる。そもそも魔王にフィルを害する意思があるなら、こんな貴重なものをくれたりはしないだろう。
ひんやりと滑らかな表面を指先で撫で、フィルは小さく頷いた。
「……まあ、そう、かな。魔王だけど、あの魔王様がひどいことをしたことはないから、それを悪く言うのは違うんじゃないかって思って、むっとはしたかもしれない」
「ひどいことをされたわけじゃなくても魔王様、ってだけで普通は身構えるけどな。フィル、やっぱり変なところで昔から大物だよな。基本的には常識人だし慎重派なのにさ」
「フィルらしいとは思うけどね」
「それ、褒めてるのかけなしてるのか判断に迷う」
やたらと息の合った夫婦をじっとりと睨んだが、まったく堪えた様子もなくけらけらと笑い飛ばされる。まったくもって、この二人とて魔王様を恐れそうには見えない。
「ま、フィルがそう思ってるならそれを信じるさ。それこそ魔王様の宴の時にでも紹介してくれよ」
「そうね、フィルをよろしくお願いしますって挨拶しなくちゃ」
「テオもメリッサも俺の親か」
とはいえ、友人とは有り難いものだ。
フィル自身は何度もあの魔王に会い、その温厚さに対して一定の信頼を置いているが、この二人が知っているのは初めの日に村を覆った強大な魔力の波と、魔王、というもののおとぎ話的な恐ろしさだけだ。
だというのにフィルが魔王を好意的に見ている感情を信じて、会ってみてくれるという。魔王にとってもフィルとバルバザール、クラリッサ以外の人間の知り合いができるのはいいことだろう。
「……で、宴の差し入れ、それに決めたのか?」
「……頭が煮えるほど考えたけど、もう他に出てこなかった」
「ふーん?」
「笑うなって」
そう、二人に相談したのだ。宴への差し入れは何がいいのかと。
そしてメリッサが返してくれた返事が、「料理得意なんだから、ベリーのパイでも焼いて持って行ったら?」であった。
「まあ、確かにベリーのパイはうちのおふくろ直伝のフィルの得意料理だもんなあ」
「一番最初に覚えたパイで、うちの親父の好物だからな。数作ればそりゃ得意にもなるよ」
「話を聞いている限り、何かそういう人間っぽい気遣いが好きな魔王様なんだろ? じゃあ喜ばれるんじゃないか」
「だといいけど……」
いまだにあの魔王様のツボがよくわからない。嫌な顔をされることはないとは思うが、魔王様の宴に手作りベリーパイの差し入れ、と考えるとアットホームが過ぎるというか、本当にそれで正解なのかと若干不安である。
しかし、他の候補は自分がすべて考えては撲滅してしまった。街や王都の流行とは全く縁遠い辺境、気の利いた贈り物などどう頭をひねったところで一切出てこない。
期待を持って尋ねてみたバルバザールとシスター共に返してきた返答は、要約すればフィルが考えるものなら何でも喜ぶだろうから考えろ、というものだった。
まったくもって参考にはならない。
そして最後の砦とばかりに相談してみた幼馴染夫婦の妻の方が出してくれた解決法が、手作りベリーパイだった。
正直、その発想はなかったので、思い切り「は?」と聞き返してしまったものである。
だがそれ以上もそれ以外も思いつかず、フィルはそれを受け入れることにしたのだ。そして、メリッサとベリーの選別にいそしんでいた、というわけである。
つやつやとしたベリーは今が盛りだ。赤く熟れた丸いベリーは甘酸っぱく、これだけ食べても美味しいものだ。ベリー自体が甘いので、砂糖をそれほど使わずにすむのも辺境村にとっては有り難い。
甘酸っぱいパイになるので、甘いものが好きでも嫌いでも、それなりに美味しく頂けるのも高評価ポイントである。
だから、魔王様の好みがどちらであれ、喜んでもらえるのではないだろうか。
せめて誠心誠意、心を込めて作らせていただく所存である。
「……んー……」
「テオ?」
「何かさ、こう……すごいことなんだろうけどさ」
「……そりゃ、魔王様が隣人なんて、考えたこともなかったよ」
「そうそう。普通に考えたらないことっていうか、何なら世界の終わりさえ感じるようなことのような気がするんだけど、フィルがそんな感じに見えないから、あんまり危機感が湧かないんだよな」
「は?」
何を言うのか。こんなに胃を痛めて一生懸命村のため、魔王様との交流に努力をしているというのに。
「ま、そうなんだろうけど、フィルも村のためだけってことじゃないんだろ?」
「……まあ、そう、かな」
しぶしぶ頷く。そもそもフィルに選択肢があったのかと言えば微妙なところだが、嫌々魔王に付き合っているのだと言えば嘘になる。
緊張もあるし、驚きも多々あるにせよ、では明日から魔王様に会わなくていいと言われたとして喜ぶかと言えば、きっとフィルは喜ばない。
結局のところ魔王様がどうしているか気になって、何とも言えない気持ちになっただろう。それが村のためでないわけではないが、魔王様そのもの、の状態だって、きっと気になるはずだ。
先ほどテオやメリッサが魔王に対して構えたところを見せた時に感じた、不快感にも似た感情は、フィル自身の想いなのだから。
「……おお、なかなかの百面相だな」
「そうね。そのうち湯気が頭から出そう」
「夫婦のくせに、表情が似すぎだろ……」
「そう?」
すまし顔のメリッサに思いきりしかめ面をしてしまう。何というか、盛大に面白がられている気がしてならない。親友は悪友、と言うべきか、まったくもって分が悪い。
「お祭りって、いつなの?」
「五日後の夜……らしいんだけど」
「ああ、結構すぐなんだな。天気がいいといいけど」
「魔王様主催の宴だから、そこはあんまり心配してない」
「でたらめだなあ……」
呆れたようにテオが肩をすくめるが、魔王様だ。そのくらいのことで驚いていては心臓も胃ももたないだろう。
「それじゃ、フィルは五日後までに今までで一番のパイに辿り着かないといけないわけね」
「今までで一番のパイ……」
「単語だけ聞くと、すごいことになりそうだな」
くつくつと楽しそうに笑うテオの顔面にこそパイを投げつけてやりたいところである。子供たちの教育に間違いなく悪いので、勿論そんなことは許されないけれども。
「まあまあ、いいじゃないの」
「いいって、何が」
「だな。うちのお袋も言ってただろ。ペリーのパイを焼くのに一番最初に必要なのは、相手の喜ぶ顔を想像することだって」
その言葉にふっと浮かんだ魔王様の微笑みに苦笑して、フィルはゆっくりと頷いたのだった。
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