第28話 魔王様と忠実なる僕と
一方、魔王様の村である。
「マイマスター、宴でのお召し物はどちらになされますかな」
リッチが差し出してきた二枚のローブを一瞥し、十三番目の魔王は軽く首を傾げた。
藍色に銀の縫い取りのローブ、それが今の魔王の基本的な装いである。別段それにこだわりがあるわけではなく、魔王として定められたルールなわけでもない。
しかしある種「魔王らしい」格好ではあるかもしれない。
では他の魔王はと言えば、性別も姿も異なるために、ローブをまとっているものだけということではない。鎧姿の魔王も、やたらと露出度の高い魔王もいるが、十三番目の魔王としてはそういった格好をしたいと考えたことはない。
別段この姿にもこだわりはなく、十三番目の魔王という魂の形に残っていた前の姿を模したものだ。隣村の村長たるフィルにも言ったことだが、女性の姿でも構わなかった。
魔王の力というのは別に姿に左右されるものではないから、女性の姿になったからといって弱くなるわけではない。女性の姿でも問題なくドラゴンを持ち上げられる。そういうものである。
……似合うかどうかは、さておいてだが。
「そうですね……宴の主催者としてはある程度きちんとした格好をするべきでしょうか」
「ふむ。とはいえ、こういった小さな村の祭りとなれば、アットホームさが喜ばれたりもするものではありませんかな?」
「ああ、成程……」
リッチはともかく、十三番目の魔王は人間だったことはない。他の魔王たちに比較すれば人に近いところで過ごしていることが多かったが、それでも人間のすべてが理解できるわけではない。
なかなかにそういった機微というものは難しいものである。いつか、もっとわかるようになる日が来るのだろうか。どうにも困らせてしまっているように思うフィルに対しての礼儀としても、もう少し人間の常識や通例に対して詳しくなるべきだろうか。
「……とはいえ」
窓の外を見る。
巨木の下に座り込んで一心不乱に鈍器のような分厚い本に何事か書き込んでいるのは先日村人一号となった冒険者の女性、クラリッサだ。
あの巨木はトレントという木の魔物であり、おそらく今は猛烈な勢いであの魔物事典の更新にいそしんでいるのだろう。
そんな彼女の常識が一般的な人間の常識と同じであるのか、流石の魔王でも疑問を覚える。
「人間の常識人と言えば、やはりフィルさんとバルバザールさんなんでしょうか。リッチはどうですか」
「残念ながらわたくしめも人間をやめて幾分経ちますからな。当時の常識ならばともかく、今のナウでヤングな常識には少々疎いやもしれませぬ」
「なうでやんぐ?」
不思議な言葉遣いだと思う。今度フィルに聞いてみることにしよう。驚いたり困ったりしながらも、あの人間の青年は魔王と向き合うことから逃げたりはしない。
それが十三番目の魔王には、とても嬉しいことだ。
……人間が魔族や魔物を恐れるのは、仕方のないことだと思う。まして、その頂点となる魔王ならばなおさらだ。
創造神によって作り出されたその時から、魔族は高い戦闘能力と魔力を持って生まれてくる。特に魔力の方は、意識せずとも常に濃く強く、身の回りに流れ出る。
それを生きるものが恐れるのも無理からぬこととも思う。魔素、魔力というものは生命の活力とは異なるものであり、馴染まぬものにとっては異物にもなる。自分を容易く破壊することができるものに、誰が好んで近付こうか。それは、弱き生命体としての本能だ。それを、どうして責められようか。
十三番目の魔王を含め、十三人の魔王たちはそれぞれ、創造神から魔王としての役割を与えられてこの世に生じた。
全員が負っている役割は、「勇者に倒されて世界を巡らせる」というもの。これは一人の例外なく、全員が負っている役目だ。
フィルたちに説明したとおり、主に一番目から四番目の魔王が負っている役割ではあるが、イレギュラーがあれば他の魔王が代わりとなる。
しかし逆に言えば、創造神から与えられた役割以外、魔王たちには縛りがない。好き好んで人類の敵となり滅ぼす必要もなく、生命として繁殖する必要もない。
「ただのやたらと魔力の高い魔族の一人」にしか過ぎないと、十三番目の魔王は思っている。
十三番目の魔王は、人間を含めた「命」が好きだった。
たかだか数十年、百年の生命で、何と眩く生きるのだろう。
少ない魔力、か弱い命、その存在で次代へと命を継いで、他者を慈しみ懸命に生きている。
ただ一つの魂で悠久の時をつなぎ、世界を巡らせる役割しか持たぬ自分たちに比べ、何と愛おしく生きるものなのか、と。
けれど同時にか弱きが故に、自分たちとは相いれぬこともわかっていた。
魔王の魔力に耐えうる人間は少なく、魔力を抑え込んで接したところで本能が恐れる魔族の力への畏怖がそう簡単に消えるはずもない。
魔物に滅ぼされた村で、感覚の麻痺してしまった人間の子供たちが魔王を恐れなかったのは特殊なケースだと思っていた。
庇護する者のない力弱い存在は、おぼれている途中に流れ着いてきた禍々しい枝でも掴まずにはいられなかった、そういうものなのだろうと。
だから、せめて子供たちが生きていけるように、子供たちが離れることを望むまでは真摯に育てようと決めたのだ。
そしてその時に困らぬように、村を取り戻そう、と。
隣村に挨拶に行こうと思ったのも、すべては子供たちのため。
自分が恐れられることはわかっていたから、ただ一度だけ。
隣に村があり、そこに子供たちがいるのだと知らせれば、それでよいと思っていた。
……それなのに。
「……ふふ」
恐れていなかったわけではなかった。戸惑っていたわけではなかった。
それでも世界の仕組みを語る自分を真っ直ぐに見つめて、話を聞いていた一人の人間の青年。
おろおろと取り乱しながら、逃げ出しもせずに自分と向き合った、ひょろりと背の高い、魔力など欠片も感じない、若い人間。
それが嬉しくて、欲が出た。
村に遊びに来てくださいね、と言い置いたものを、怯えながらも律義に村を訪れ、力になってくれると約束してくれた、フィルという一人の青年の存在がどれほど魔王にとって眩しいものだったか、きっと彼にはわからないだろう。
「すっかり見込んだものですな、マイマスター」
「見込んだ、なんて」
「では気に入られた、といたしましょうか」
「そうですね……いえ、惚れこんだ、ではどうでしょう?」
冗談めかしたリッチの声に、殊の外本音で応じる。ふむ、と頷いたリッチは、顎を撫で、首を傾けた。
「であれば、いっそドレスにいたしますかな」
「ドレス?」
「よくよく考えればわたくしめも女性姿の魔王様は拝見したことがありませんでした。いっそこの際、女性の姿で村長殿を誘惑してみては如何ですかな? より親しくなれるかもしれませんぞ」
飄々ととんでもない冗談を言うものだ、と魔王も微笑む。女性の姿になって着飾ったところで魔王は魔王、フィルが誘惑されることなどないだろうに。
大体、誘惑をしてどうするのだ、と優雅に笑う魔王に、リッチも笑みを返す。しゃれこうべで笑んだところで普通はわからぬだろうが、魔王には伝わるはずだ。
「まあ、誘惑はともかくとして、余興としては如何ですかな。そう、例えば何も言わずに女性の姿で宴に混ざってみて、村長殿の反応を見てみるだとか」
「こちらの村の村長として、来賓であるフィルさんたちを迎えなくては非礼になるでしょう」
「そこはそれ、家令のこのリッチめにお任せを。主に変わってお客人を迎え、もてなし場をつなぐのも家令の役目でございますからな」
そういうものですか?と首を傾げた魔王にそういうものですともと頷いて見せる。宴の余興だと繰り返せば、魔王は思案気に首を傾げて考え込んだ。
その姿を見ながら、リッチは思う。
リッチにとって、この十三番目の魔王はただ一人、大恩のある主である。穏やかなこの魔王が望むことを叶え、その生活がつつがなく送れるようにすることが配下としての役目と心得ている。
そして、リッチは知っている。魔族の中でトップクラスに強く、人間のような弱いものなど歯牙にもかけずにいることができるはずのこの魔王が、その人間を好いていることを。それこそ神が自分の庇護する人間を慈しむように、弱い命を眩く眺めていることを。
だからこそ、リッチは主が望むまま、あの隣村の村長と親しくできればいいと思っている。
と同時に、業の深い知識欲が故に人間をやめたリッチは、目の前のこの主がフィルと関わることでどのように変わっていくのかにも興味があった。何に使う知識というわけではない、万事知ることこそに意味がある。
そしてフィルが見せるであろう驚きに、魔王がどう反応するのか……それも興味深くてならない。
魔族となった自分は、人間よりもずっと長い時間をこの魔王とあることができる。この魔王を一人にせず、仕え続けることができる。少なくとも、人間よりもはるかに長い時間を。
ならば、あの村長も人間でなくなれば。
例えば女性姿の魔王に恋をして、望んで人間であることをやめてくれたなら……。
「リッチ」
短く呼ばれ、リッチは魔王を見る。そしてその金色の瞳に、即座に膝をついた。
「……出過ぎたことを考えました、我が主よ。愚かなしもべに、お許しを」
「……いいえ。私のことを慮ってくれたことには感謝しましょう。ですが、そんなことを考えてはいけません」
穏やかな声と微笑みには、責めるような色も怒ったような色もない。言葉の通りの感謝をにじませ、けれどその身からこぼれている魔力のうねりが、リッチの考えを封じ込める。
「……フィルさんは、人として生き、人として死に……そうしてその命は世界をめぐり、創造神からまた世界に生み落とされるでしょう。それが、眩い命というものです」
「……そうですな」
静かに頷いたリッチに微笑んで、魔王は光の加減で赤黒くも見えるベルベットのような生地に金色の縫い取りのローブをとった。こちらにします、と言い置いてリッチに渡し、部屋を出ていく。
深く伏してそれを受け取ったリッチは、魔王の気配が村長の邸を完全に離れてから背を起こした。
受け取ったローブを丁寧にたたみ直して小さく呟く。
「ですが、我が主よ」
魔王のアミュレットを与えるほどに、気に入っているのならば。
「この先、魔王様の魔力に……あるいは魔王様ご自身に村長殿が『酔われた』場合は、如何なさるおつもりですか」
人を、命を尊ぶ心優しい魔王だが、その身も力も魔族の頂点にある魔王のものだ。ただの、魔力さえない人間である彼に今後どんな影響があるのか、リッチにも想像がつかない。
「……いや、願わくは、お二人が『今のまま』親しく、長く在れることを、と祈るだけですな」
忠義者のリッチはそう呟き、少し離れた村の村長に思いをはせた。
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