第25話 お祭りの準備とレコードバード
「魔王様の村のお祭り!?」
子供たちのテンションは、うなぎのぼりである。
よじ登ってくるわんぱく小僧を引きはがしつつ、フィルは絞まりそうな喉を何とかかばった。子供に絞め殺されている場合ではない。
「是非皆で来てほしい、って言ってたから、希望者集めてお邪魔しようかと思ってるけど、親の言うことちゃんと聞く良い子以外は連れていかない」
村長の顔で宣言すると、子供たちはそれぞれ蜘蛛の子を散らすように駆け去った。おそらくそれぞれに親の手伝いに行ったのだろう。きわめて現金である。
若干どうなのかと思わないでもないが、結果子供たちが悪さをせずに親の手伝いをするのならば万々歳だ、細かいところは目をつぶろう。
「魔王様の宴、ですか。それはまた……」
「シスター」
後ろからかけられた声に振り返る。楚々とした立ち姿のシスターは先日教会を直してもらってから魔王様にも信仰を捧げ出している。朝晩の祈りにあの妙に身もだえそうに恥ずかしい祈りの文句が増えたと知ったフィルは、もう一度家で悶えて父親から何を食った、と微妙な心配のされ方をしたものである。
そんなシスターなものだから、魔王様の宴、と聞いて渋い丸薬でも口の中に仕込んだのか、という顔をしてみせたバルバザールとは異なり、おっとりとした笑みのままだ。
「全然想像がつかないんですけど、やっぱり人間のお祭りとは違うんですよね?」
「魔族の宴でしたら参加したこともありますが、魔王様の宴は流石に私も未体験です。ですのでおそらく、としか言えませんが……ああ、ですが魔王様はフィルさんを歓待したいのでしょう。あまりフィルさんを驚かせるようなものはやらないのではないでしょうか」
切実にそうであってほしい。
とはいえ、招かれる身だ、何かお礼の品などを用意しておくべきだろう。
「うーん……ハーブティー……は気に入ってもらってるけどそればっかじゃ芸がないし……ババ様の蜂蜜飴はこの間贈ったばっかりだしなあ。シスター、こういうときってどういうものを贈り物にすれば喜んでもらえるものでしょうか」
腕組みをして唸り、それからシスターに意見を求めたフィルに、瞬いたシスターは穏やかに慈愛のこもった笑みを浮かべた。
胸の前で祈るように手を組んだせいで、何がとは言わないが強調される。速やかに視線をシスターの顔に固定したフィルに気付いているのかいないのか、シスターは何やら頷いた。
「とても良い傾向ですね、フィルさん」
「へ?」
「何を贈れば角が立たないか、失礼にならないか、ではなく、何を贈れば喜んでもらえるか、と考えるのは、賓客ではなく友人に対する考え方です。きっとフィルさんがそう考えているということを知れば、魔王様はお喜びになるでしょう」
けふり、と咳き込んでしまった。
何も考えずに口にした言葉をそんな深読みされるとは思っていなかった、どう返していいのかまるでわからない。
そんなことは、と否定するのも違うように思えるし、そうですね、と答えるのも敷居が高い。
結果フィルの見せた何とも言えないもぞりとした表情は、おそらくおかしなものだったのだろう。くすりと笑ったシスターは、「フィルさんの選んだものならきっと、魔王様は何でも喜んでくださいますよ」という参考になるようでならない言葉を述べ、優美な足取りで去って行ってしまった。
結局のところ、自分で考えざるを得ないらしい。
思いつくものを片端から自分で粉砕しながら唸っていたフィルは、不意に視界の端に色の鮮やかな青い鳥が飛び込んできたことに驚いて顔を上げた。
フィルたちの村の周りは緑が深く、保護色のためなのか茶や緑の鳥は多いが青い鳥はあまり見かけない。
しかも長く引いた美しい尾を持つ鳥ならば、なおさらだ。ちょうどフィルの数歩前、目より少し上の高さの枝に止まったその小鳥は、つぶらな目でフィルを見つめてくちばしを開いた。
『こんにちは、フィルさん。十三番目の魔王です。この声が届いたら、この鳥の前でレコード、と伝えてから何かメッセージをお願いできますか?』
そして柔らかな、魔王様の美しい声でしゃべった。
「……は?」
「……まさかこんなところでレコードバードを見るとは思わなかったぞ……」
「ば、バルバルさん」
固まるフィルの背後から近付いてきたバルバザールが微妙な顔をして目の前の美しい鳥を眺める。
小首を傾げた小鳥は無邪気にさえ見える丸い瞳で彼らを見ているだけだったが、バルバザールの片手は腰の剣にかかっていた。
「ば、バルバルさん、この小鳥、えっと」
「魔物の気配がしたんですっ飛んできたんだが……こいつか」
「この小鳥、魔物なんですか?」
「ああ。危険はないが、魔物は魔物だな。レコードバード、って言ってな、言葉を丸ごと覚える」
「丸ごと……」
「声、イントネーション、内容、を丸ごと、だ。その習性と能力から、偽造できない密書代わりに使われる。声も何もかも本人を真似られるから、偽物にすり替えられにくいんだ。しかも事前に主が覚えさせた相手以外には絶対に口を開かない」
「あ、ああ、成程」
確かに柔らかな声も話し方も、十三番目の魔王そのものだった。声を真似られるものもいるのだろうが、筆跡を真似るよりは難しそうである。
「見た目の綺麗さとその能力で乱獲されてな、かなり珍しい魔物になってるんだが……いまだに冒険者ギルドなんかだと捕獲依頼が出てたりする」
「えっ」
「で、こいつは何だって?」
「あ、えっとなんか、魔王様がこの子の前でレコード、って伝えてから何か伝言を、って……」
「……辺境村の伝書鳩代わりにレコードバードかよ……貴族や王族が泣くな」
呆れたように半目になるバルバザールの言葉でようやくこのレコードバード、という美しい鳥が何の目的で遣わされたのか理解し、フィルも頬を引きつらせる。
何気に頻繁に行き来してはいるが、二つの村の間は小一時間ほど離れている。
意思疎通の手段として、バルバザールの言う通り伝書鳩代わりに寄こしたのだろう。
その、やたらと希少価値の高い魔物の小鳥を。
「……もう多少のことでは驚かないと思っていたんですが、全然全く甘かったです……」
「そのようだな。……で、待ってるぞ、レコードバードが」
そうだった。
改めてメッセージ、と言われると何を言えばいいのかわからない。
しばらくもごもごとした後、フィルはレコードバードに向き直った。
「えっと……レコード。……魔王様、隣村のフィルです。ちゃんと届きました。ありがとうございます。……お元気ですか?」
言葉を切ると、ピィ、と高い声で鳴いたレコードバードはその美しい翼を羽ばたかせて飛び上がった。真っ直ぐに隣村の方へ向かって飛んでいく。
それを見送っていると、バルバザールは極めて微妙な表情でフィルを見ていた。
「……元気ですかって、昨日会ったばっかりだろうに」
「え、いや、そうなんですけど、他に思いつかなかったんですよ……」
突然目の前からメッセージをください、と言われて気の利いた言葉が出せるようなら、こんなにあれやこれやと右往左往していない。
恨めし気なフィルの目に軽く肩をすくめたバルバザールは「ま、そうだな」とうそぶいた。
「だが、レコードバードの飛ぶスピードならあっという間にやりとりができるだろ。村長同士の秘密通信と考えるなら、あれより安全な手段はそうないさ」
「別に秘密にしなきゃいけないような内容はないと思うんですけど」
「文通みたいなもんだろ。そんなに色々な相手に聞かれたいか?」
言われてみれば妙に気恥ずかしい。いや、おかしな通信はないと思うのだが、何となく。
それに今のところ秘密にしなければならない内容がないというだけで、今後もどうかはわからない。
今後となれば、村と村の交易の調整など、村長同士で先に握っておいた方がいい内容ができる可能性だってないわけではないではないか。
村長業務に対して意欲的な魔王様のこと、そこまで考えて貴重な魔物を派遣してくれたのかもしれない。まったくもってありがたいことである。
「そういえば、バルバルさんは魔王様の村のお祭り、参加しますか?」
「俺はこの村の門番だぞ」
「でも村のほとんどが多分あっちに行くなら、護衛としてはそっちじゃないですか?」
「護衛と門番は違うだろうが」
「その辺りは、まあそうかもしれませんけど、うちの数少ない戦力ですし」
魔王様の出没が緊急事態と言えばそうだが、基本的には辺境村にやってくる危機など暴走した猪の畑荒らしくらいだ。
バルバザール一人でほぼ十分であり、フィルは見たことがないが、シスターもバトルシスターとして極めて腕利きだと聞いている。
護衛でも門番でも、存分に活躍の場を設けていきたいところだ。
「最近運動不足じゃないですか、バルバルさん」
「なんだよ、いきなり」
「お腹、出てきてません?」
重々しいフィルの言葉に、バルバザールは思い切り顔をしかめた。咄嗟に腹部に手をやってしまったことが不本意なのだろう、忌々し気にフィルを睨む。恐ろしくはないが、迫力はあった。
バルバザールの名誉のために言うなれば、決して彼は太ってはいない。
身長こそフィルの方が高いが、筋肉質でがっちりとしたバルバザールは引き締まった体つきをしている。浅黒い肌と合わせ、柔らかそうな印象は皆無である。
だが、フィルは知っている。バルバザールは村に来た当時より、少しばかり腹部が出てきた。絶対に。村にやってきて三か月程度というなかれ、運動量が落ちたとしても食事量というのはすぐには落ちないものだ。
冒険者当時ほどの運動量があるはずもなく、辺境村とはいえ、フィルの村はそこまで貧しいわけではない。食に不自由させたことはないはずだ。
代謝は良いのだろうが、今までの運動量を考えれば釣り合いが取れないだろう。
「嫌なところをついてくるな、お前というやつは……」
「村長として村の門番さんの健康に大いに留意しているだけです」
「ああそうかい、そりゃありがとうよ。……くそ、村の外周でも走るべきか……」
憮然としつつも気にしていたのは確かであるらしく、森の方を見ている。それほど大きな村ではないが、外周を走れば確かに運動にはなるだろう。
膝に負担をかけない程度に頑張ってほしい。
「まあ、バルバルさんに活躍してもらう機会がないのは平和でいいことなんですけどね」
「まあな。危険なことはないに越したことはないんだが……」
門番や衛兵が暇なこと自体はよいことだ。安全の証でもある。安全を守る彼らが忙しいような環境、フィルとて断じてお断りだ。
そんな益体もないことを二人で話しているうちに、再びレコードバードが戻ってきた。
すこぶる早い。往復で十分程度しかかかっていないのではないか。
再びフィルの目の高さほどの木の枝にとまったその魔鳥は、魔王の声で話し出した。
『お気遣いありがとうございます、元気にしていますよ。これで間違いなくこの子でやりとりができることがわかりましたので、私に何か御用があれば、この子にそう伝えてください。急ぎであれば、魔力を使って伺いますから』
魔王は普段歩いてこの村にやってきていたが、フィルには仕組みもわからない魔法で飛んでくることもできるようだ。もっとも、魔王がてくてくと外を普通に歩いてこの村に来ていることの方が異様と言えばそれまでだが。
そっちの方が問題なんだろうか、と首をひねったフィルに、ふと思いついたようにバルバザールは手を打った。
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