第23話 ダンジョンの話

 それからしばらくして、魔王とフィルは連れだってクラリッサが暮らす予定の家へと戻った。

 ドアを開ければきちんと片付いた内部が見え、仕上げは上々、とばかりに老執事姿のリッチが頷いている。すぐに駆け寄ってきたレニとノエが魔王の両側に身を寄せたが、おびえた様子はないからクラリッサに襲われはしなかったらしい。

 器用にとぐろを巻いたエキドナが微笑みながら小さく手を振っているから、彼女がうまくさばいてくれたのかもしれない。


「あー……だるい」

「お疲れ様です、バルバルさん」

「おう。……ったく、自分の家もまともに片づけてないってのに、何だってクラリッサの家を先に片づけることになるんだかな」

「片付けも何も、バルバルさん家にほとんど物がないじゃないですか」

「寝に帰るだけなんだから、野郎の一人暮らしなんざあんなもんだろ」


 比較的年の近いフィルはバルバザールの家にも行き来があるが、ベッドと収納と旅支度の荷物が適当に置かれているだけのがらんとした状態だ。

 あの状態で散らかせるというなら、逆にすごい。


「とはいえクラリッサ嬢も冒険者だけあって、荷物は少ないですな」

「旅の邪魔になりますから。でも、ここに定住するなら少しずつ本を増やせますね。うふふふふ……とても楽しみです」


 可愛らしい若い女性の笑み、という意味では微笑ましいはずなのに、何とも背筋がぞわりとするのはあの魔族への執着を見てしまったからだろうか。

 部屋の中をぐるりと見まわして嬉々とするクラリッサに、レニとノエがますます魔王にへばりつく。馴染んだ、と言えるようになるにはまだしばらく時間がかかりそうだ。


「まったく……片付けの最中にエキドナなんぞに遭遇したクラリッサのやつの反応がどんなもんだったか、フィルお前、わかってるのか?」

「あらあら、家に入った瞬間にとっさに殺気を飛ばしてきた腕利きの護衛さんには不評でしたか?」

「……まだここが魔族がいて当たり前な村だってことに慣れないんで、すいませんね」

「私としてはこんな至近距離でエキドナに会えるなんて思ったことはありませんでしたからまさしく千載一遇のチャンスでした。ああ、本当にこんな美人になら絞殺されても本望だという冒険者も多いでしょうね……しなやかな大蛇の尾と言い、香るような魔力の質と言い……エキドナ……なんて素晴らしい……」


 うっとりとエキドナを見つめるクラリッサの双眸は濡れたように光っている。エキドナの方は優艶に微笑んで何も言わないが、はたから見ていても若干気持ちの悪い視線に対しておおらかなことである。


「……鬱陶しかったら絞めちまっても構いませんよ」

「!!!! ぜひ体験してみた」

「やめてください、情操教育に悪すぎます!!」


 全力で止める。間違ってもレニとノエに見せたい光景ではない。苦しんでいればそれはそれで恐ろしい思いをさせることになってしまうが、喜々として恍惚と、となった日には何らかの危険な扉が開いてしまう。

 無垢な幼子に見せていい光景ではないし、フィルも見たくない。別段女性に対して幻想を抱いているタイプではないが、それでもそんな危ない光景はご免である。

 思わず反射的に背後にレニとノエ、それから二人にくっつかれている魔王ごと庇う。反教育的環境、駄目、絶対。何なら魔王様も今の生で言うなら子供と同じだ。

 同じ人間として、こんな訳の分からない性癖を理解させたくはない。

 突然フィルに庇われたレニとノエは驚いたようだが、紅玉のような赤い四つの瞳でフィルを見上げてきた他はおとなしく黙ったままだった。

 バルバザールもさすがにクラリッサに喜ばれるとレニとノエへの影響を考えたらしい。渋い表情で悪かった、と軽く頭を下げる。

 魔族や魔物に関してのクラリッサの興味と熱意に関しては異常値と見なしてめったなことは言わない方がよさそうである。まさか冒険者ならば危険を感じるであろうエキドナの拘束まで希望するとは思わなかった。


「あああ……」

「残念がるな、エキドナに絞められたければどっかの廃坑かダンジョンにでも行ってこい」

「ダンジョン?」


 首を傾げたフィルに、バルバザールは意外そうに「何だ知らないのか」と瞬いた。


「冒険者たちの稼ぎ場としては最も一般的なんだがな」

「そうですねえ、無尽蔵に魔物が湧いてくる狩場なんて、ありがたい限りです。深入りしなければそう危険もありませんし」

「……?」


 無尽蔵に魔物が湧きだす? 深入りしなければ危険はない?

 反射的に魔王を見上げると、にこり、と穏やかに微笑んだ魔王は説明してくれた。


「ダンジョンは魔素のたまり場を中心に形成される『意思のある場所』の総称です。大体は洞窟の形をした入り口を持っていて、いくつかの改装によって大体は地下に向かって広がっています。階層ごとに危険度が上がっていきますが、入り口とその下の階層くらいなら、初心者でもほぼ危険なく稼げるでしょう」

「稼げる、というのは……」

「無尽蔵に湧いてくる魔物たちの素材を持ち帰れば売れますから。ダンジョン外の魔物は狩りすぎればいなくなりますし、そもそもいる場所を特定することが面倒ですが……ダンジョン内なら、必ずいますしね」

「成程……」


 自分で危険度を選べ、かつ狩りの対象は無尽蔵に出現。

 それは確かに稼ぎにはとてもいいだろう。

 うんうん、と頷くフィルに、「行ったことはなくても知ってるもんだと思ってたぜ」と首をひねった。


「それ、一般人でも普通に知ってるものなんですか?」

「ああ、いや……そうか、冒険者が頻繁に立ち寄るような村じゃなきゃ聞く機会もないのか……? つーか、フィルの村は街から遠いし、ああいう大討伐でもなければ冒険者もほとんど来ないんだったな」

「そうですね、そもそも外からのお客さん自体が少ないというか、定期的に来てくれる行商人さんくらいですし……」

「それでもダンジョンについて全く聞かないってのは珍しいな」


 バルバザールの反応を見るに、それほど冒険者にとってはダンジョンというのは常識であるらしい。とはいえ冒険者の常識が一般の常識とは限らないので、一般村人であるフィルが知らないこととダンジョンの存在が常識であること、どちらが普通のことなのかの判断はしかねるところにあるのだが。

 ちらっと魔王を見たが、相手は魔王様である。さらに人間の常識には疎いはずだ。


「……ダンジョンがどうやって生まれているのか、どうやって存在しているのかは謎だって聞いてますが……魔王様がかかわったりしてるもんなんですか」


 代わりのようにバルバザールが尋ねた問いに、魔王は少し首を傾げた。


「はい、ともいいえ、とも言えるような気がしますね。バルバザールさんはダンジョン・コアはご存じですか?」

「ええ。ダンジョンの意思……をつかさどるっていう、魔力の塊でしょう。そのコアが破壊されると、ダンジョンごと消滅するっていう」

「じゃあ冒険者の人たちはそのダンジョン・コアっていうのを壊すのが目標なんですか?」

「阿呆、良い狩場だって言っただろうが。壊しちまったらそれごとなくなるわ」

「あ、そうか、そうですね」

「それに、ダンジョン・コア自体見つけるのはかなり難しいと思いますよ」

「そうなんですか?」

「コア、つまり核ですから。人間で言うと心臓でしょうか。地中深くに埋まっていたり、隠し部屋にあったり……そういうものなので、とにかくコアを破壊することを目的として探して挑めば別でしょうが、うっかり見つけることはまずないと思いますし、見つけたところで破壊するのは難しいと思います。何しろ、純粋な魔力の結晶でできていますから」


 魔力の結晶。

 何故だろう、つい先ほど似たような話をしたばかりのような。恐る恐る伺い見た魔王は、穏やかに頷いて見せた。


「あのアミュレットと性質は似ています。破壊しようとすれば、それを上回る魔力で叩き潰すしかありません」

「……ってことは、ダンジョンは魔王様が作ってるってことですか」

「一部そういうものもありますが、魔素が凝って自動的にダンジョン・コアになるものの方が多いですね。そういう意味で、はいともいいえとも言える、と言いました」

「魔王様が作ったダンジョンもあるんですか?」


 いまいちダンジョン、というものの見た目が想像できないままにぼんやりと尋ねれば、魔王は「私、ですか?」と瞬いた。


「私が意図的に作り出したダンジョンというものはありませんが、私の魔力が宿ったダンジョンはありますね」

「その二つは違うんですか」

「私が長く過ごした場所に凝った魔素は、私の魔力の影響を受けていますから、結果的に私の魔力が宿ったダンジョンになることもありますね。……ああ、ご心配なく、この村がダンジョン化しないようにきちんと魔素は散らしていますから、ここは普通の村として育つはずです」

「……うっかりすると魔王様が住んでいるダンジョン・タイプ村とか笑えねえ……冒険者が押し寄せるだろ」

「おや、それは村おこしにはなるでしょうか……?」

「やめましょう魔王様」


 村の名物がダンジョンで魔王様に挑める、というのはバルバザールの言う通り笑えない。レジャーレベルならともかく、本気で挑みに来られたらどうするのか。そもそも、マンドラゴラニンジンが育ってしまっている段階で、魔素が散っている、にしろ完ぺきではないのだろう。ここはむしろいっそ……。

 ……いや違う、レジャーレベルでも駄目である。何を考えているのか。この周辺の数少ない小市民常識人枠として、おかしな感覚を身に着けてはいけない。変わっているのは隣村の村長である魔王様と人間としては十分すぎるほど強いバルバザールとシスターだけで十分だ。いや、リッチやクラリッサさえ普通ではなく、むしろ普通の人間が異常という事態になりかねない。平穏という言葉の尊さについて、今一度全員思い出してほしい。

 しみじみとそんなことを考え、フィルは誰にともなくうんうんと頷いた。平和は尊く、何にも代えがたいものだ。今後ともフィルだけでもぜひ大切にしていきたい。


「村についてはともかく、ダンジョンそのものは見ておいても損はないぞ。何というか、人生経験としても面白いものはあると思う」

「なんですかその物騒な人生経験……」

「いいえ絶対に見ておくべきです!! ダンジョンごとに出てくる魔物にも傾向がありまして、水のダンジョンなら水棲系の魔物が、天空のダンジョンなら飛行系の魔物が、というように傾向があるのです。つまり会いたい魔物がいればその該当に見合うであろうダンジョンに行けばいいなんて、なんて親切なんでしょう!!」

「……親切なんですか、それ」

「あー、まあ冒険者としちゃ欲しい素材がある程度確実に手に入るわけだが……クラリッサの場合はそういう意味じゃないってのは、まあ分かり切ってるな」


 とてもわかるし、踏み込みたくない。微妙な表情で頷いたフィルに、くすくすと魔王は笑う。

 だがもしもいつか、万が一、億が一。ダンジョンを見て見たくなったら魔王に頼んでみよう、と後から考えれば全く小市民的ではないことを考えながら、フィルはため息をついたのだった。

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