第22話 魔王様のレクチャー

「魔導具って、魔力が必要なものなので俺には縁がないなと思って。ああ、見せてもらう分にはすごくえーとその、興味深いんですけど」


 ごく普通の村人であるところのフィルには魔力が備わっていない。それぞれに面白い道具ではあったがフィルにはその真価を発揮させることができない。


「ああ、そうですね。魔導具は魔力を流して使うものですから。ではフィルさんには魔道具の方がよいのでしょうか」

「え?」


 穏やかな魔王の言葉に、フィルは首をひねった。まどうぐ。魔王はそう言わなかったか。


「ああ、申し訳ありません、ではこれを」


 ついと魔王が手を上げると、魔王とフィルの前に黒っぽい板のようなものが浮かび上がる。さらに動いた指先につられるようにその板もどきに白く文字が浮き上がってきた。


「『魔導具』と『魔道具』……この二つは別のものなのですよ」

「どっちもまどうぐ、なんですね」

「そうですね。魔導具はフィルさんの言う通り、魔力を流さなくては使えないものですが、魔道具は道具自体に魔力があるのでどなたでも使えますよ」

「へえ……」


 音だけでは違いがわからないが、結構しっかりとした違いがあるものだ。思わず感心してしまう。


「便利ですね」

「ええ。ただ、あくまで道具に魔力を持たせているだけなので、誰が使っても一定の効果しか出ませんし、それほど強度もありません。魔導具の方は使うものと作り出すものによって……というより、注いだ魔力の量や強さ、濃さによって効果は変わりますね」

「えっ」

「ですから、私は先程魔力を絞って水筒に注ぎました。魔王が作って、魔王が使ったわけですから……少し気を緩めると、おそらく一瞬であふれ出して周辺一帯水浸しでしょう」


 恐ろしい。使い方次第では水筒のくせに災害を起こしかねない。水筒によって起きる水害。字面だけなら間抜けに聞こえるが、起きる現象としてはかなり恐ろしい。というか、容量丸無視で水が出る、というのがもう恐ろしい。水筒ではなく水瓶だったなら、それらしい神の天罰のように見えそうだ。


「興味があるなら、道具の方の魔道具も多少はありますし、フィルさんが何か特別に欲しいものがあるなら、八番目の魔王に頼んで」

「ありがとうございます大丈夫です遠慮します」


 二度目のお断りである。道具をもらうこと自体も遠慮したいが、八番目の魔王様がフィルの希望で専用のものを作ってくれる、という環境なんて恐ろしくて仕方がないではないか。

 バルバザール辺りならば「欲がないとは思うが賢明だ」と笑っただろうか。


「魔導具はお気に召しませんか?」

「見ている分には面白いんですけど、辺鄙な村の村長の手には余ります……もう、これだけですごく助かっているので」


 先程もフィルを守ってくれたアミュレットを示して見せる。具体的な発動自体は先程が初めてだったが、今になってよくよく考えれば建材集めなどで村の外に出た時に魔獣の類に遭遇する確率がぐんと減った。遭遇したとしても害意のない、臆病で小さな魔物ばかりだったのは、魔王の言っていたこのアミュレットをつけたものの意味が分からない魔族も魔物もいない、という約束の通りだったのだろう。


「……」

「ま、魔王様?」


 すげなく断ったことで傷付けてしまったか、気分を害してしまったかと慌てたフィルは、それからへにゃり、と魔王が幾分幼く眉を下げて微笑んだことに驚いて上げかけた手を下ろした。

 そうですか、と呟く声は甘いほど、優しい。


「そのアミュレットは、フィルさんの役に立っていますか」

「も、勿論。さっきだって守ってくれましたし」


 流石に女性の力で揺さぶられたくらいなら命の危険とまではいかなかっただろうが、朝食リバースの刑から守ってもらえたのは素直にありがたい。

 そう思ってこくこくと頷くと、それならよいのです、と魔王は柔らかく微笑んだ。

 ……そういえば、である。


「このアミュレットは魔道具なんですか、魔道具なんですか? 俺が使ってるって感覚じゃないので、魔力のない俺でも平気なんでしょうか」

「ああ、それは魔導具でも魔道具でもありませんね」


 音は同じなのに、何となく判別して会話ができている気がする。そんなことを考えていたら、あっさりと魔王は首を横に振った。

 魔導具でも魔道具でもない。

 となると、これは何なのか。

 艶やかで美しいアミュレットを見て首をひねるフィルに、魔王はこともなげに答えてくれた。


「私の魔力の結晶です」

「……はい?」

「私の魔力の、一番濃いところを練り上げて作り上げました。具体的に言えば、魂の真隣ですね」

「はいぃ!?」

「ですので、道具の類というよりは……たとえば私の爪や髪のように、私から切り離せる私自身、という方が近いでしょうか?」


 魔王の心臓ともいえる魂の近くで練り上げられた、魔王自身の魔力の結晶。そんなとんでもないものを出されれば、それはその辺りの魔族や魔物など敵うわけがないだろう。フィルは常に魔王の魔力を身に着けてふらふらとしていたことになる。

 チートアイテムどころの話ではない。


「えっあっ、それは魔王様自身に負担があるんじゃ!?」


 そして同時に気付く。そんなとんでもないものを魔王から切り離しなどしたら、魔王自身に負担があったのではないのか。青くなるフィルに、魔王はにっこりと笑みを深めた。


「フィルさんは優しいですね。ですが大丈夫ですよ、魔力はいくらでも生み出せますから。私から永久に失われるものではありません」

「そ、そうですか……」


 それなら一安心だが、幾らでも生み出せる、というワードの方は不穏だ。恐ろしい。魔王の魔力の絶対値など知りようもないし、そもそも魔力を持たないフィルにとってはどの程度が平均なのかもわからない。

 以前興味でバルバザールに尋ねてみた時には、「水差しみたいなもんで、使っただけ水が減る。減った分は、寝たり薬を飲んだりして補充する」というわかりやすい返事が返ってきたものだが、魔王の場合、その水差しには底がないのかもしれない。

 別段、フィルだけが魔力を持たないわけではない。むしろ魔力を持って生まれる人間は、全体の半分以下といったところだと聞いたことがある。

 バルバザールやシスター、クラリッサのように魔力を使って冒険者や神職、治癒師になるものが大半で、フィルはむしろ多数の方に組み込まれる。

 逆に魔族やエルフたちはほぼ必ず魔力を持って生まれてくるそうで、種族や役割でその量は違ってくるのだという。

 フィルの村に魔力を持つ者はいないはずだが、魔力の有無は遺伝の他にも突然発現する場合があるらしいので、今いないだけでこれからもいないとは限らない。


「……ってことは、魔王様は生まれた瞬間から魔王様の魔力量なんですか」

「そうですね。……おや?」


 柔和に頷いていた魔王が、ふと首を傾げる。何事かと同じように首を傾げたフィルの前で、魔王はつい、と唇を撫でた。


「生まれた瞬間……」

「魔王様?」


 ふと顔を上げた魔王は、それから困ったように笑った。


「初代の私のことを、思い出して。何代続いても私は私……記憶も魂も継いでいます。そこから思えば、ずいぶんと長い時が流れたものだと思って」

「……」


 それはどのくらい、と聞きかけて、口を閉じる。きっとフィルなどでは想像もできないほど長い長い時間だろう。気軽にどの程度なのか、と尋ねて答えをもらったとして、フィルはそれを消化できるのか。

 フィルは生きて後せいぜい五十年程度だろう。魔王が今のこの魔王のままあと何年生きるのか、また魂となって眠りについて、そして目覚めるのはいつなのか。幾度も幾度も友に遺され、そして目覚めた時には知るものは誰もいない世界、ということを繰り返す魔王の孤独が、ただの人間であるフィルにわかるのか。

 ……気軽にわかるとは、言ってはいけないだろう。実際に想像することはできても、本当の意味で理解することなどできないのだろうから。

 ただ、思う。目覚めた瞬間の孤独を。それはどれほど寂しいものだろうか。それは人間であるフィルの独りよがりな慨嘆だとわかっていて、それでも胸が軋むような寂寥だった。

 同時に、思う。魔王の友になったとして、フィルはいつか必ず魔王をおいて逝く。魔王の友となることは、その罪悪感を知って、覚悟を決めなくてはならないことなのかもしれない。

 何処まで行ってもフィルは、ただの人間なのだから。


「……フィルさん? どうかしましたか?」


 これはそう遠くない未来に間違いなく起こりえる事実ではあるが、今考えるべきことではない。一つ首を横に振り、フィルはことさらに明るい声で続けた。


「魔王様みたいに長く生きていても、初めてのことってあるんですね。村おこし、頑張りましょうね」

「ええ、そうですね。初めてのことで、たくさん失敗もするかとは思いますが……どうぞよろしくお願いします、フィルさん」


 今魔王が楽しげに笑っていること。

 案外必要なことはそれだけのような気がして、フィルも笑い返す。

 世界の命運やら魔王の一生やら、ただの村人であるフィルには荷が重すぎる。村の復興についてあれこれ頭を悩ませたり、魔王やリッチが繰り出してくる魔族的常識に驚き慌てて、ああだこうだと騒ぐくらいがちょうどいいのだろう。

 ……寿命が縮みそうな気がするので、ほどほどにしておいてほしいと思う気持ちも嘘ではないのだが。


「ああでも、村おこしに便利な魔導具とか魔道具とかあるなら、活かせればいいですよね。今のところ村人も魔族やクラリスさんなら、魔導具の方も使えるんでしょうし。……あれ、レニ君とノエちゃんはどうですか?」

「あの二人も魔力持ちのようですね。ただ、まだ幼く使い方がわかっていないので、本当にただ持っているだけのようですが。もう少し成長して体力がついて、心の方も安定したら……リッチに魔力の使い方を指導させてもいいかもしれません」


 リッチは高位の死霊魔術師である。死霊、はさておき、師匠とするには高位魔術師というのは恵まれた環境になるだろう。クラリッサがまた羨ましい、と騒ぐかもしれないが、リッチならばクラリッサもまとめて面倒を見てくれそうである。

 成果が出るかはクラリッサ自身の能力がものを言うのだろうから、フィルは何も言うまい。


「魔王様自身で見てあげるわけにはいかないんですか?」


 とはいえ、レニもノエも父と慕う魔王自身から教えてもらえた方が嬉しいだろう。そう思って尋ねてみると、魔王は首を傾げた。


「私は生来魔王で、魔力の使い方を習い知ったことがないので……指導には向かないと思います」

「ああ……そうか、自分が普通にできることを説明するのって、難しいですよね」


 フィルとて息はどうやって吸うの、と尋ねられたらうまく説明できないだろう。魔王にとって魔力を使うということはそういうことかもしれない。そういう意味では後天的に魔術という学問を学んだリッチの方が師として相応しいのかもしれない。


「そういう意味で、私は誰かに何かを教えるのに向かないと思っていましたが……」

「?」

「フィルさんに魔導具と魔道具の違いがきちんと伝わってよかったです」


 嬉しそうな魔王の言葉に何とも言えず、フィルは曖昧に笑ったのだった。

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