第21話 これからのこと
「……ともかく、クラリスさんについては大丈夫、そうでしょうか?」
大丈夫、の基準は様々だと思うが、とりあえず村にとって悪い人間ではなさそうか、という意味で尋ねてみる。魔族の村人に対して、という意味では何とも言えないが、リッチやエキドナならば適宜あしらえるであろうし、他に無茶をしでかしそうだとしても彼らが何とかしてくれるだろう。
あまりひどい場合は村からたたき出す、と言っておけばおとなしくしているだろう、あのマニアならば。
「そうですね、人間の村人を増やす算段については目途が立っていませんでしたから、ありがたいことです」
「あんまりええとやらかすようだったら、バルバルさんを派遣しますので……」
バルバザールの許可は得ていないが、絶対にそうさせてもらおう。魔族に迷惑をかける人間、など、人間であるフィルの胃が痛くなりそうだ。
「にぎやかですが、根は善良な方のようですからあまり心配は要らないかと思いますよ」
「ええ……」
しかし魔王の判断的にもまったく、ではなくあまり、であることに対して若干うすら寒い気持ちになるフィルである。くれぐれも節度を持って村に溶け込んでいってほしいものだ。
「……さて、今日は緊急事態で一緒に来ていただいたので……」
「はい?」
「手ぶらでお返しするわけにはいきませんね」
何故嬉しそうなのか。
金色の瞳を輝かせて楽しげに笑う魔王に、フィルは思わずひくり、と頬を引きつらせた。恐ろしい顔をしていたり悲しい顔をしているよりは楽しげな顔をしていてくれる方が安心だが、それにしてもその嬉しそうな表情と態度がフィルに向いているとなると、安心して受け取るにはまだ修業と慣れが足りない。
「ああ、どうしましょうか。書庫をお見せしましょうか、それとも魔導具庫を? 見てみたい魔族や魔物がいれば、紹介しますよ」
楽しげに紡がれる言葉に絶句する。
これはあれだ、初めて友人が家に遊びに来た時の子供の反応だ。
この村に来たのも魔王の居住地である村長の屋敷に来たのも初めてではないが、それぞれに目的を持って村長としてやって来た時の話だ。
今回については用事は既に済んでおり、他にしなくてはならないこともない。故にフィルは別段「隣村の村長」としてここにいるわけではない。
隣村の二十五歳の若者、フィルとしてこの場にいるといえば、いる。
ババ様の言う通り、魔王の友人にならんというのならば、今のフィルはまさしくそれである。
「えー、と……」
きらきらと、美しい瞳が期待に輝いている。どれもいりません、とは口が裂けても言えない。
魔王は何と言ったか、書庫か魔導具や魔物か、と言っていたか。
書庫、は興味はあるが、フィルもそれほど難しい文字が読めるわけではないし、汚しなどしたら大変だ。
魔族や魔物は村人として会うにはいいような気もするが、先程魔王が持ち込んできたものがデッドリーブラックサーペント、などという大物だったことを踏まえると、とんでもないものを見せられて腰が抜ける可能性が高い。
ならば魔導具だろうか。先日確か、八番目の魔王が魔導具作りが得意で、色々と作ってくれるのだと言っていたはずだ。おそらく、その絡みのものだろう。
それならば、手を触れなければ安心だろうか。使い方や用途などは魔王が説明してくれるだろう。
「じゃ、じゃあ、魔導具を……」
「魔導具ですね。人間には面白いものなのだと聞きます、こちらへどうぞ」
恐る恐る答えると、ますます嬉しそうに微笑んだ魔王が素早く立ち上がる。案内されたのは村長の屋敷の左奥の方にある蔵だった。ちなみにフィルの家にも似たような作りのものがあり、祭りに使う祭具の類が保存してある。時折虫干しのために入るが、幼い頃は恐ろしかったものだ。
扉を開けた魔王が、軽く指を鳴らす。ぼっと小さな音がして、壁にいくつか添えつけられたランプに明かりが灯った。
ぎょっとするフィルに、はっと気づいたように瞬いてから申し訳なさげに眉を下げる。
「ああ、申し訳ありません。きちんと手を使ってつけるべきでした。驚かせてしまいましたね。気が逸ってしまって」
楽しみにしすぎているだろう。そんなにか。
何とも言えない顔をしたフィルに気付くことなく、魔王は部屋の中に踏み込む。よもや足元に転がっているということもないだろうが万一のことがあるので慎重にその後に続いたフィルは、思ったよりも普通の部屋に拍子抜けした。
妙におどろおどろしいだとか寒々しいということもなく、いたって普通の倉庫である。施錠できる棚と展示棚、戸棚に衣装棚。とりあえず棚だ。
「ああ、どんなものからお見せしましょうか」
「で、出来れば安全なので……」
怖々申し入れると、勿論です、と魔王はにこやかに答える。だが魔王の安全と人間であるフィルの安全が同じであるかはわからないため、気が抜けない。
「では……これからにしましょうか」
魔王が取り出したのは、何の変哲もなさそうな金属の筒だった。両手の人差し指と親指同士をくっつけて作った輪っかほどの太さで、高さは掌二つ分ほど。どうぞ、と渡されて受け取ってはみたものの、特に何という様子はない。
「魔王様、これは……」
「見ていてくださいね」
微笑んだ魔王から、ふわり、と魔力が滲み出す。加減をしてくれているのだろう、恐ろしくはないが、一瞬どきりとする。
そうして生み出した魔力を、魔王はフィルの手にある金属の筒に注いだ。筒を掴んだところからわずかに魔王の魔力がフィルにも伝わる。思っていたよりも穏やかな、さざ波に指先をくすぐられたような感覚だ。
今までに感じたことのない不思議な感覚に戸惑うフィルは、それから別の感覚により瞬く羽目になった。
少しずつ、手にした筒が重くなっていくような。
「魔王様、これは……?」
「これは魔力を注ぐと水がわき出す水筒なのですよ」
「!!」
ぽん、と軽い音を立てて魔王がその筒の蓋を取れば、中でたぷん、と半分ほど入った水が揺れる。筒の中が暗いので色はよくわからないが、匂いはしない。魔王の言う通り、水なのだろう。
「水がないところでも水を飲むための魔導具、だそうです」
「それは……便利ですね」
魔力のないフィルにとってはあまり意味がないが、魔力のあるものにとっては便利な道具だろう。綺麗な水、というのは案外貴重なもので、外の水は煮沸しなければ腹を壊す、と昔村のジジババに教えられたことがある。
こういったものがあればそういう心配もなくなるだろう。逆に言えば魔王は魔王でこの類の道具がなくても水に困りはしなさそうだが。
「安全でしょう?」
にこにこと言われ、頷く。確かにこの上なく安心だ。八番目の魔王様が作ったと考えると、地味でさえある。
「元々は別のものを作ろうとしていて偶然できた産物なのだそうですが、私はこちらの方が便利だと思ったので譲り受けました」
「八番目の魔王様は初めは何を作ろうとしていたんですか?」
「薬湯も毒薬も自由自在に湧き出る水筒だそうです」
「……」
微妙に危ない。というか、良いと悪いを両極端に振り切っている。
「……というか、それは魔王様に必要なものなんですかね……?」
魔王に薬湯が必要だとも思えず首を傾げたフィルに、十三番目の魔王様は倣うように首を傾げた。
「薬は必要ありませんし、毒も効きませんね。ただ、八番目の魔王がこれを作ろうとした理由は一つ、興味があったから、だけだと思いますよ」
「興味……」
「まったく逆の効果のあるものを一つの入れ物に入れたとして、使い分けができるかどうか、魔王の力ではなく可能かどうか、おそらくそんなところでしょう」
研究者肌というのか技術者肌というのか。失敗作がこれ、ということは、出来なかったのだろうか。
「対消滅して、ただの水になりました」
「待ってくださいこれ中身薬湯と毒薬が混ざったものなんですか!?」
前言撤回、危険である。うっかり毒薬が勝てば毒薬ボトルになってしまうではないか。
「いえ、液体として生み出される前に対消滅していますから、正真正銘ただの水ですよ」
「それでもある日うっかり生み出されるときに毒薬が勝ったりすることがないとは限らないんじゃ……」
臆病というなかれ、慎重になることは大切だ。
尋ねるフィルに、魔王様は優雅にその美しい指を顎に当てて首を傾げた。
「八番目の魔王の魔力でかっきり均等になるように調整はしていますから、万一のことはないと思いますが……数千年経てばわかりませんね。調整には魔王の魔力が使われていますが、入れ物そのものはドワーフ製のものなだけでごく普通ですし」
「ドワーフ製はごく普通ではないです」
思わず突っ込んでしまった。エルフ製もドワーフ製も性能折り紙付きの高級品で、それこそ数百年、数千年ともつ代物さえある。魔王の魔力と比較すれば人間寄りなのかもしれないが、人間からすれば魔王寄りのアイテムだ。
「そうですか?」
「少なくとも俺は初めて本物を見ました」
「そうですか。持って帰りますか?フィルさんが生きている間は不具合が起きないことは十三番目の魔王の名に懸けて保証しますよ」
「ありがとうございます大丈夫です遠慮します」
ただでさえ十三番目の魔王様謹製のアミュレットなどという国宝もはだしで逃げ出すマジックアイテムをもらっているのだ、八番目の魔王様謹製の水筒などという謎アイテムまで追加されたら、フィルが人間ではなくなりそうだ。
そうですか?と首を傾げた魔王様は、さして気にした様子もなく次から次へと魔導具を見せてくれた。触れずに灯るランプ、空を飛ぶ絨毯、外からの攻撃に対して自動で防護壁を張るブレスレット、など、とんでもないものがゴロゴロ出てくる。部屋の内観は普通だが、保管されているものが軒並み普通ではない。
そして、八番目の魔王の興味の方角が無作為すぎる。魔王が見せてくれるものは安全なものばかりのようだが、これは確実に不穏なものもあるだろう。
「……いやあ、でも」
目の前に並べられたあれこれを見て思わずぽつりと呟いたフィルに、どうしたのか、と言うように魔王は首を傾げた。
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