第20話 エキドナのお姉さん

 レニとノエを迎えに行く、という魔王について、フィルは今後クラリッサの家となる住居を出た。リッチはクラリッサの手伝いをすると言っていたし、バルバザールはまだ子供たちも慣れてないだろうから、と住居の方に留まっている。ならば家具の移動などを頼みましょうかな、などとリッチが笑っていたから、片づけの方の手伝いをさせられるのかもしれない。

 クラリッサ自身はエキドナに会いに行けないことを涙目になるほど残念がっていたが、村に住むならばこれから幾らでも機会がある、とリッチになだめられ、速やかに機嫌を立て直していた。


「さっき魔王様はエキドナさんがちょっと違う、って言ってましたけど、どういうふうに違うんですか?」


 会う前に心の準備をしておこうと思い、魔王に尋ねると、魔王はふふ、と楽し気に笑った。


「そうですね、姿についてはクラリッサさんの言う通りですよ。下半身が大蛇、上半身が女性です。美女、かどうかは私にはよくわかりませんが、魅了される人間の男性が多い種族ですので美しいのでしょう。戦闘の仕方や魔力についても、概ねその通りです。ただ、魅惑的な美女、というほど婀娜っぽいかというと……というところでしょうか」

「婀娜っぽくない?」


 魅惑的な美女、というと蠱惑的で婀娜っぽいと相場が決まっているのではないだろうか。そう思って首を傾げるフィルにに、魔王は「大概のエキドナはそうなのですが」と続けてその形よい唇に人差し指を当てた。


「子供の教育によくないでしょう? ですから、そうではないエキドナを呼んでいるのです。まあもっとも……エキドナたちはもともと母性が強い子が多いのですが」


 おっとりと微笑んで魔王は足を進める。その魔王に従ってしばらく歩き、村長の屋敷に戻るとふんわりと甘い香りがしていた。甘いと言っても甘味ではなく、花のような優しい香りである。


「戻りました」

「ととさま」

「ととさま」


 すぐにたたた、と軽い足音が響き、手をつないだ双子が飛び出してくる。ぎゅっと魔王に抱き着いたところでフィルにも気づいたらしく、瞬きののちに小さく手を振ってくれた。

 その後を追うように、しゅる、と床を布で擦るような音がする。


「魔王様、お帰りなさいませ」

「戻りました、エキドナ。レニとノエをありがとう」

「いいえ……魔王様のお子様のためならば、いつなりと」


 すらり、と姿を現したのは美しいと言って差し支えないであろう女性だった。ただし、事前に聞いていたように下半身が大蛇の、ではあるが。

 艶やかな赤い髪をしたその女性、エキドナは柔和に微笑んでフィルにも会釈をする。


「あなたが魔王様のご友人のフィル様ですね。レニ様とノエ様のお世話役のエキドナと申します」


 丁寧に頭を下げられ、あたふたとそれに倣う。確かに蠱惑的で婀娜っぽい、という印象はなく、しとやかな淑女、といった雰囲気だ。魔族である彼女に人間的な外見年齢が意味を成すのかはわからないが、二十代後半ほどに見える。


「と、隣村の村長、フィルです。よろしくお願いします」


 反射的に差し出した手を見下ろして、それからエキドナの女性はふんわりと微笑んだ。その手を握り返して「魔王様が慕われるのもわかります」と呟く。


「……?」


 魔王が慕われているのは魔王自身の人徳で、フィルは関係ないのではないだろうか。そもそも魔族である魔王を人徳というのかはわからないが。

 そう思って不思議がるフィルに、魔王がふっと吹き出した。


「フィルさん、私が受け身ではなくて」

「はい?」

「私が、フィルさんを慕っている理由、とエキドナは言ったのですよ」

「慕うっ!?」


 素っ頓狂な声を上げたフィルに、レニとノエはびくっとしたが、魔王とエキドナは笑みを絶やさなかった。

 興味を持つ、というくらいならまだわかる。恐れ多いが好意を持った、恩を感じる、でもわからなくはない。

 が、慕うというと意味合いが大分異なるような気がするのはフィルの気のせいだろうか。


「この姿を見ても恐れもせず、手を差し出してくださる人間は少ないのですよ。フィル様、あなたは心優しい方なのですね」

「いや、あの」


 買いかぶりである。先に魔王に驚かされれば、大概の魔族には驚けない。これは感覚が麻痺しているだけだろう。

 ぱしん、と軽い音を立てて尾の先で床を叩いたエキドナは、柔らかな表情をしていた。

 おろおろするフィルを落ち着かせるためか、魔王が軽く手を叩く。すると速やかに部屋に入ってきた黒いワンピースに白いエプロンの女性がお茶を淹れ、また速やかに出ていった。

 あれがリッチの言っていたメイドだろうか。

 そのお茶を飲みながら、魔王は手早く新に村人になったクラリッサについてレニとノエ、エキドナに説明をした。

 フィルもその特異な趣味嗜好について言葉を選びながら補足する。

 案の定レニとノエは意味が分からないようで首を傾げているが、是非そのままでいてほしい。あんな特殊趣味について理解できるようになるのは早すぎる。

 エキドナの方は動じた様子もなく、微笑みを柔らかくたたえたまま話を聞いていた。


「うふふ、エキドナの繁殖方法、ですか。確かに不思議でしょうねえ」

「ええ、勉強熱心なことです」

「では、尋ねられたらどうしましょうか。教えてあげるのは問題ありませんけれど、不思議は不思議のままにしておいた方が楽しいものかしら……」


 エキドナが器用に椅子に座っている様子に気を取られていたフィルは、くすくすと笑うエキドナの声に我に返る。魔族とはいえ女性だ、凝視するなど失礼だったかもしれない。しかしとぐろを巻く蛇の下半身をうまくさばいている様子は、見ていて何というか、ある種の芸術性さえ感じるものだったのでつい見てしまったのだ。


「う、すみません……」

「いいえ、人間にとっては物珍しいのでしょう? 気にせず見ていただいて構いませんよ。勿論私の体の一部ですから、自在に動かせますよ」


 そう言いながらしなやかに尾の先をくねらせる。くるり、と丸を描いたり波打たせたり、ぴんと張って見せたり。移動の仕方は蛇の蛇行そのものであるらしい。それゆえ足音ではないが、地を擦るしゅるしゅるという音がするのだそうだ。


「触れていただいても構いませんよ? 自慢の鱗ですから」

「い、いえっ、それは流石に!?」


 そこだけ見れば確かに蛇だが、女性の下半身である。触れるなど失礼なこと、出来るはずがないではないか。

 そう思って慌てるフィルにくすくすとエキドナは笑う。これはもしかしなくてもからかわれたのではあるまいか。


「エキドナ」

「申し訳ございません、魔王様。フィル様があまりに紳士なものですから、種の血が騒いで」


 ……訂正する。しとやかな淑女にしか見えないが、エキドナはエキドナだ。油断をしてはいけない。十分に魅惑的である。

 外見的な年齢がフィルより少し上に見えるということもあって、何となく敵わない近所のお姉さん、という風情もあった。

 おそらくだがエキドナが切り盛りする酒場などできようものなら、それはもう繁盛するに違いない。勿論辺境村にそんなものはないのだけれども。


「ですが……そうですか、一人目の村人が。おめでとうございます、魔王様」

「ええ、ありがとう。この調子で共存が進むように頑張りましょう。フィルさん、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします」

「あ、はい、俺にできることであれば」


 エキドナにからかわれたことは少々悔しいが、嫌な気持ちではない。魔王様の力になると約束したのだ、このくらいで拗ねていては先輩村長の名が廃るだろう。気にすると恥ずかしさが倍増だから早く忘れたいというわけではない。断じて、である。

 だから可能な限りしれっとした顔をしたつもりだったのだが、エキドナはくすくすと笑っているから、その辺りの葛藤もお見通しなのかもしれなかった。


「……では、魔王様、私がレニ様とノエ様を連れてその新しい村人に会ってまいりましょう」

「エキドナ?」

「魔族を偏愛する方なら、私が共におれば私に興味を示すでしょう。レニ様やノエ様に詰め寄って驚かせることもないのではないかと」

「ああ、そうですね。もしも何かあればリッチと、共にいるバルバザールさんというフィルさんの村の衛兵さんを頼ってください」

「承知いたしました。レニ様、ノエ様、エキドナと参りましょう」


 魔王の隣に椅子を置いてぴったりと張り付いていたレニとノエが顔を上げ、そろって魔王を見上げる。いってらっしゃい、と優しく微笑まれ、幾分ためらったものの素直に頷いた子供たちはエキドナに促されて部屋を出ていった。

 その背を見送り、魔王が唇をほころばせる。


「フィルさんの村にお邪魔してから、あの子たちにも少し変化があったのですよ」

「え?」

「知らない人間に会うこと、というのが刺激になったのでしょうね。以前は私のそばからなかなか離れなかったのですが、ああしてエキドナやリッチと私の姿が見えないところに行けるようになりましたし、フィルさんの村の子供たちにまた会いたいとも言っていました。……ふふ、初めのご挨拶の日、二人を置いていくのに随分困ったことを思うと、素晴らしい成長でしょう?」


 魔王の声は子供の成長を喜ぶ親のそれによく似ている。本当にこの魔王様は子育てをしながら村の復興を進めているらしい。

 緩やかに目を細めた魔王は微笑ましげだが、フィルには気になるところがある。


「あの、うちの子供たちと遊んで、レニ君とノエちゃんに何か変な癖とか、こだわりとかできたりしませんでしたか?」


 そこである。

 悪い子供たちではないと思っているが、おとなしいレニやノエに何かおかしなことを教え込んでいないとも限らない。子供というのは、大人の知らないところで妙な悪さを覚えるものである。自分もそうだったことを考えると、まったくもって油断できない。

 恐る恐る尋ねると、首を傾げて思案をしていた魔王はそういえば、と口を開いた。


「やっぱり何かやらかしてましたかすみません!!」

「ああいえ、そうではなくて」


 さっと血の気が引いて勢いよく頭を下げたフィルの肩にそっと手を置いた魔王は、ふふ、と楽しげに笑う。


「ノエが、髪の毛を編み込んでほしいとねだるようになったのです」

「……はい?」

「村でしてもらった髪型が気に入ったようで、髪を編んでほしいと私にねだるようになりまして」

「魔王様にですか!?」


 人間の子供が魔王様に髪を編んでほしいとねだる。この魔王とあの子供たちを知っているためにまだかろうじて受け止められるが、そのワードだけ取り出せばとんでもない。


「これが親の苦労と喜びなのでしょうか……髪を結うためのスキルが、だいぶ伸びてきたのですよ」


 喜ばしげに言う魔王に、フィルは頷くことしかできなかった。

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