第19話 村人一号(問題児)につき

「住居についてはこちらをそのまま使ってもらうのがいいでしょうか」

「ああ、そうですな。ふむ、ではわたくしめが掃除を手伝いましょう。修復後は特段手を入れておりませんでしたからな」


 楽しげに答えたリッチが見る間に老執事の姿に変わる。ああ、とクラリッサが残念そうな声を上げたのは、彼女にとっては魔族姿の方が魅力的だからだろう。本当に筋金入りだ。


「流石に元の姿で若いお嬢さんにモテるとは思いませんでしたな」

「ああ……今の格好だとモテそうですね……」


 上品なロマンスグレーの老執事姿のリッチは男性であるフィルから見ても格好がいい。それはモテるだろう、とわかる。


「ほほ、御婦人方と御令嬢にも少々、といったところですな」

「佳いひとができたら紹介してくださいね、とは伝えてあるのですが」

「難易度が高いとは思いませんかな、村長殿。我が主人を毎日拝見しておりますと、目が肥えて肥えて」

「……」


 リッチに言われ、思わず沈黙する。確かに目もつぶれそうに美しい魔王を毎日見ていたら、生半可な美人ではまったく驚かなくなりそうだ。毎日見ていなくても、フィルももうすでにその域に達している不安さえある。

 そう思って思わずバルバザールを見れば、意図が通じたのか意地悪く唇をゆがめたバルバザールは軽く顎をしゃくった。


「うちのシスターもそこの小娘も、一般的にはそこそこ美人枠だろ」

「……」


 言われてみればその通りだ。初めてシスターが村に派遣されてきたときなど、ずいぶんと驚いた記憶がよみがえる。だというのに、これである。


「美人ってのは、三日で見飽きるなんて言い方もするが、本物はそんなことはないようだな」

「とてもよくわかりました」

「?」


 その「本物の美人」であるところの魔王はわかっているのかいないのか、微笑みながらおっとりと首を傾げている。この美貌を三日で見飽きるなどと言うことがあるのだろうか。少なくとも毎日見ているリッチは飽きが来ていないようである。


「魔族は基本的に人間より見目が整っている方が多いですよね。あれは何か理由があるのですか?」


 爛々と目を輝かせたクラリッサが、何処から取り出したのか分厚い本を開いて尋ねる。そういえばバルバザールが背中に英雄も殴り倒せそうな分厚い魔物事典を背負っている、と言っていた。

 それに自分で見聞きしたことを書き込むのが何よりも楽しみだというから、ここは楽園かもしれない。


「ふむ……ご存じの通り、わたくしめの本質は骨ですからな、美醜なぞあったものではありませんが、そもそも魔族に姿の概念はあるようでないものですぞ」

「高位の魔族の方が姿を自由に変えられるというのは本当なのですね。ですが、低位魔族の方はそうではないのですよね?」

「そうですな。全くできないわけではありませんが、わたくしめたちのように自由自在に、とはいかぬのです」

「でも低位の方もとても美しい方が多いと思います。ですから、それが魔族生来のものなのかと思っていたのですが」

「……そうなんですか?」


 思わず魔王に尋ねたフィルに、魔王は優雅に首を傾げた。


「私には美醜を判断した経験がないので、わかりませんが……人間とはそもそもの姿かたちが違いますから、整って見えるのかもしれませんね」

「……そういうレベルじゃないと思いますがね」


 ぼそり、としたバルバザールの呟きに深く頷く。そんな二人の反応にさらに首を傾げた魔王は「では」と続けた。


「人間と魔族の違いといえば、持っている魔力の量違いがありますから、魔力が美醜に影響しているのでしょうか」

「確かに魔力の多いエルフは美形ですし、魔力の少ないコブリンやオークは醜いですね!!!!」

「何かそれは種族的な問題のような……?」


 興奮した様子で何度も頷くクラリッサに、フィルは首をひねる。フィルはどちらも間近では見たことがないが、エルフが美しい、というのはよく聞く話だ。ゴブリンやオークは凶暴な魔物だろう、間違ってもそばで見たいとは思わない。


「とはいえ、魔力があるなしにかかわらず見目の整ったものもおりますからな、その辺りは創造神の妙、と言ったところでございましょう」

「でも、魔王様がこれだけの美貌なんですから、魔力が無関係ってこともないでしょうね!! これはもっともっとたくさんの魔物と魔族を見なくちゃ……うふふふふふふふふふふ」


 怖い。見た目は少々あどけなささえ感じさせる少女めいた女性だというのに、やたらと怖い。思わず引きつるフィルに、バルバザールがぽんとその肩を叩く。「な?」とだけ言われたが、よくわかった。悪人ではないのだろうが、悪い人ではないか、と聞かれれば、フィルも首をひねるだろう。

レニやノエの教育にいいのかどうか、思い切り悩むところだ。


「って、レニ君とノエちゃんは?」

「おお、二人ならば共にエキドナに預けてまいりましたぞ」

「エキドナ……」


 こともなげなリッチの返答にバルバザールの目が遠くなり、クラリッサの目が輝きを増す。恐ろしく対照的だ。


「エキドナ……ってどんな魔族ですか?」

「あ、馬鹿」

「エキドナはですね、下半身が蛇、上半身が魅惑的な美女の姿をした魔族です。もともと魔力も高く魔法に長けますが、その下半身を使った肉弾戦の力も侮れません。その蛇の尾に締め上げられ、背骨を折られれば一巻の終わりですし、首を締め上げられても一巻の終わりです。また、下半身を使って捕らえ、その鋭い爪で掻き裂いても来ます。知能が高く美しく誇り高い魔族ですよ。ですが不思議だと思いませんか? 女性のみの魔族で彼女たちはどうやってその血脈をつないでいるのでしょう? 発見されていないだけで男性のエキドナがいるのか、雌雄一体なのか……謎と興味は尽きません、そうは思いませんか?」


 おそらく、三割り増しほどの早口で語られた。思わずのけぞるフィルの背を抑え、バルバザールは「……こうなるぞ」と低く呟いた。あっという間にフィルの脳内魔族メモに真っ白からエキドナ情報が手厚く詰め込まれてしまった。そして確かに女性しかいないのならば、どうやって増えているのか。


「魔王様にでもリッチにでも聞けば、教えてもらえるんじゃないのか」


 面倒そうなバルバザールの言葉に、クラリッサはきっと視線を鋭くした。思わぬ厳しいまなざしにバルバザールが眉を上げる。


「それでは意味がありません!! 自分の目でその本体を見て真偽を確かめ、新たな事実を発見するからこそ意味があるのです。誰かから学ぶだけならば、本でも読んでいればいいのです」


 思わぬこだわりだった。けれど、一理あるとフィルも思う。フィールドワークの醍醐味とは、そういうものだろう。熱意の度合いがいささか突き抜けてはいるものの、クラリッサのこだわりは正当なものだと思う。

 何となく魔王とリッチを見れば、二人とも頷いていた。


「尋ねられればお伝えすることに否やはありませんが、知る楽しみ、学ぶ楽しみとはそういうものですね」

「まして魔術師ですからな。業の深い探求心を持っているのです。その意気や良し、ですぞ」

「ありがとうございます!! ですから、自分で見聞きしたものを書き留めたこの魔物事典、もし間違っているところがあれば指摘していただきたいのです。間違っているとだけ教えていただければ、もう一度調べに行けますもの!! お願いします、リッチ師匠!!」


 喜色満面だ。さらにいつの間にかリッチを師匠呼ばわりしている。微妙な気分でリッチを見たが、リッチはほっほっ、と愉快気に笑った。


「わたくしめは死霊魔術師ではありますが、本職は十三番目の魔王様の執事ですからな」

「逆ではありませんか、リッチ」

「何をおっしゃいます、マイマスターにお仕えすること以上に大切なことなどあるものですか」


 麗しい主従愛を前に、クラリッサが尋常ではない速度でその分厚い本に何事か書き込んでいる。リッチの情報を更新しているのかもしれないが、これはこの家令リッチ固有の性質であってリッチという種族全体の性質ではないのではないか。


「ああ、幸せ……こんなに魔族や魔物がたくさんいる村に住めることになるなんて……魔王様創造神様、ありがとうございます」

「……まあ、見ての通り変な小娘だが、他の人間を村に呼び込むときの呼び水にはなるだろ。魔物魔族オタクだが、一応人間だしな。こいつが他の魔族の村人を全く恐れてないってのが、良い方に働けば万々歳だろ」

「そうですね……」


 普通の人間かというところに疑問を覚えなくもないが、レニとノエしか人間がいないよりはいいだろう。レニとノエは魔族と間違えられる可能性もあるが、一応クラリッサは見た目的にはごく普通の人間である。彼女が普通に暮らしてくれれば、他の人間のハードルも下がるだろう。

 レニとノエがこのテンションになじむかどうか、というところについては大いに疑問が残るのだが、先ほどのロレンツォ事件を鑑みるに筋金入りの魔物魔族オタクで人間には名前を間違うレベルで興味がないようだ。

 詰め寄って怯えさせるということはないだろうが……いや、初手のフィルへの態度から考えると、人間の身で魔王の養い児だなどと知ったら二人のことも揺さぶるだろうか。

 心配してそっとリッチを窺えば、その視線に気付いたらしいリッチがとん、と軽く胸を叩いて見せた。任せておけ、ということだろう。にこやかな老執事の表情は非常に頼もしいものだった。中身は骨だとわかっていても、である。あの子供たちへの無体など働こうものなら、流石の魔王も許しはしないだろうから、是非ともその辺りのしつけは入念に行ってほしい。師匠と呼ばれた彼ならば、何とかしてくれるだろう。


「……ちなみに、さっきのエキドナ評、どのくらい正解だったんですか?」


 ふとした好奇心で、クラリッサには聞こえないように声を潜めこっそりと魔王に尋ねれば、フィルの小さな声に耳を傾けるために首を傾げて近づいてくれた魔王は、ゆっくりと瞬き、それからにっこりと笑った。こちらもひそめた声で答えてくれる。


「彼女はとてもいい研究者だと思いますよ」


 うちのエキドナは少々違いますが、と付け足して、それから魔王は悪戯っぽく微笑んだのだった。

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