第18話 だからオタクというものは
きい、とドアを軋ませて家に踏み込む。ふと先頭はバルバザールに任せるべきだったのではという考えが頭をよぎったが、後の祭りだ。
まあ、相手は魔物ではなく一応は人間、しかも冒険者である。無力な村人に突然襲い掛かってくるようなことはないだろう。
そう自分に言い聞かせ、フィルは家の中を見回した。
小ぶりな一軒家はフィルの村にもいくつかあるものとつくりは似ている。ドアを開ければ左手側に暖炉、正面に簡単な調理場、右の方にはベッドが三つ。こぢんまりとした家族向けの住居である。
昔はこの家にも村人が住んでいたのだろうが、今は住人がいないのが物悲しい。この村にはこういた住居が幾つもあるのだと思うと、切ない気持ちになる。
いつかは魔族や村人が、こういった家々に住んで生活していくのだろう。その日が一日でも早く来ることを願うばかりだ。
ともかく、今日この時は、そこのベッドにクラリッサが……。
「……いない?」
いなかった。
三つのどのベッドも空である。フィルの呟きに、最後尾にいたリッチが「右端の、」と言いかけたところで、ぴしり!! と空気が鳴った。
「フィルさん!!」
魔王の鋭い声に、目を丸くする。これほどとがった魔王の声は、初めて聴いたかもしれない。
そして、その音の出どころは、フィルの周りにあった。
「……え?」
シャボン玉のような、うっすら虹色に光る半透明で球体状の膜がフィルを包んでいる。そして、目の前ではおさげ頭の女性が尻もちをついていた。
「え? え? 一体、何がどうなって……」
「……クラリッサ」
低く厳しい声で、バルバザールが目の前の女性に声をかける。若干の怒りも感じるバルバザールの声もあまり聴くことのないもので、取り残されたフィルはおろおろするしかなかった。
「ふむ、マイマスターの守護サークルが発動しているということは……そちらのお嬢さんが、なにがしか村長殿を傷付けるような真似を働こうとしたということになりますな」
フィルと尻もちをついた女性、クラリッサを交互に見たリッチの言葉にはっとして、フィルは腰を見た。以前魔王からもらったアミュレットは今日もつけてある。確かにアミュレットが淡く光を放ち、その光の明滅に合わせてフィルの周りの膜がきらきらとしていた。
「ことと次第によっちゃ黙ってねえぞ、クラリッサ。今の俺はフィルの村の衛兵だ、うちの村長に手を出すってんなら、相手になるが」
バルバザールが頼もしい。頼もしいが、黙ったままの魔王がゆわり、と滲み出させる魔力を増やしたことでフィルの背筋が凍り付きそうになっている。
何故クラリッサはフィルに攻撃の意思を見せたのか。
そんなことを考えながら見つめた先のクラリッサは、さあっと青ざめていた。
「ご、ごめんなさいごめんなさい!!」
「おい」
「普通の人間みたいなのに魔王様のご加護を得られているのが羨ましくて妬ましくてつい勢いで胸を掴んで五十回くらい揺さぶろうと思っただけで攻撃するつもりなんてなかったんです!!」
「いや、人間をそんな調子で五十回も揺さぶったら結構なダメージだぞ」
冷静なバルバザールの突っ込みに深く頷く。おそらく、朝食がすべて床にリバースされる。そして魔王の加護が羨ましくて妬ましい、という理由だというのが、何ともまた。
「成程ですな。その意思を魔王様のアミュレットが攻撃の意思と見なして村長殿を守ったのですな」
「……ええ、そうですね」
気のせいか、魔王の声がいつもより平坦に聞こえる。焦って振り返り、フィルは魔王を見た。
「ま、魔王様!!」
「フィルさん?」
「これ、すごいですね!! ある程度までの魔物も魔族も手を出さなくなる、とは魔王様も言ってましたけど、俺に対する攻撃を防いでくれるんですね、すごく助かりました」
「……そうですね、フィルさんに危険がないように、私の力を込めましたから」
「これで安心して森にも入れます。大事にしますね!!」
何とか話題を探そうとした結果ではあるが、本心でもある。森で木の実をもいでいる途中に後ろから野生の熊に殴られても無事で済みそうだ。普通にありがたい。
フィルの言葉に瞬き、それから魔王はふんわりと微笑んだ。量を増やしていた重々しい魔力がゆっくりと落ち着いていくのがわかり、フィルはほっと息をついたがクラリッサの方は何やら絶望的な顔をしていた。
とはいえ無礼な性質の人間ではないようで、フィルに向き直ってしょんぼりと頭を下げる。
「……ごめんなさい……」
「あ、いえ、魔王様のおかげで結果的には無傷ですし……今回はなかったことに」
「ありがとうございます。ああでも、羨ましい、妬ましい……そんな濃い加護を魔族から……しかも、魔王様から……」
無礼な人間ではないが、正直な人間ではあるらしい。駄々洩れである。思わず頬が引きつってしまったが、何とかリッチに尋ねる。
「魔族が加護を与えるって、珍しいんですか?」
「まずありませんぞ。加護は本来神の所業ですからな。魔王様は力で言うのであれば神に匹敵しますが、魔族でいらっしゃいます。珍しがられても不思議はありません。そもそも魔族はどちらかといえば呪いの方が得意でしてな。まあ、魔王の加護や魔族の加護を得たいと思う人間も異端でしょうが。わたくしめがそうでしたが」
からからと笑いながらリッチが答えてくれるが、それにも羨望のまなざしを注ぐのはやめてほしい。フィルはあくまでごくごく普通の、辺境村の村長Aである。この美しい魔王や愉快なリッチとは不思議な縁が結ばれただけの凡人であるため、フィル自身には何の力もないのだ。
微妙な気持ちで身じろぐフィルから、その隣に立っていたバルバザールに視線をやったクラリッサは、尻もちをついた姿勢のまま首を傾げた。
「……はっ、そういえばロレンツォさんはどうしてここに」
「えっ」
「ロレンツォはあのとき臨時パーティを組んだ大盾持ちだろうが阿呆。俺はバルバザールだ。本当に人間の名前を覚えないな、お前は。というか、話も聞いてないだろ。このフィルの村の衛兵をやってるから、こいつの護衛だよ」
よもやここにきてバルバザールの秘めた本名が暴露されたのかと焦ったが、そんなことはなかったらしい。呆れた顔でバルバザールがため息をつく。どうやら魔物魔族マニアの彼女は、人間の名前や話には興味が薄いらしい。そうでしたっけ、とさらに首をひねる様子には悪びれた様子もなく、すぐに視線は魔王に釘付けになっている。これは、フィルが自己紹介をしても無駄かもしれない。
何となくさりげなく自分の背中で魔王を隠しながら、フィルはうーん、と唸った。
これは、どうしたものか。
「……ええと、クラリッサ、さん?」
「はい。クラリッサ・フローウェルと申します。クラリス、とお呼びください」
「あ、じゃあえっと、クラリスさん。魔王様の村には、何の御用で……」
何となく魔王に直接話をさせてはいけない気がして、フィルは尋ねた。目線で確認した魔王も、そっと頷いている。とりあえずはフィルに任せてくれるつもりらしい。
魔王様の村、と繰り返したクラリッサは、そのまま爛々と瞳を輝かせた。
「つまりこの村は魔族村なのですね!?」
「げ、現時点では……最終的には魔王様を村長とした、魔族と人間の共存村を目指している村です」
がっと跳ね起きたクラリッサに詰め寄られ、思わず身を引きかける。何とか踏みとどまったが、アミュレットは反応せず、魔王も何も言わないのだから今回は安全なのだろう。
「私は濃い魔力をたどってここまでやってきたのです。共存村ということは、人間が住んでも構わないのですよね?」
「え、ええ、元々は人間の村でした、から……?」
待て、これを答えるのはフィルでいいのか。思わず再度魔王を振り返ったが、魔王は微笑むだけだった。おそらく了承を返せばこの魔物魔族マニアが住みこむことになるが、それでいいのか、魔王。
そして案の定、クラリッサは勢いよく挙手をした。
「では私、クラリッサ・フローウェル22歳独身女職業魔術師、移住を希望します!!」
「要らん情報が多い!!」
バルバザールの一喝もなんのその、きらきらとした目でクラリッサはフィルの肩越しに魔王を見ている。おそらく見えているのは角くらいだと思うのだが。
「……どう思いますか、リッチ」
「……ふむ、いまだ人間はレニ坊とノエ嬢のみですからな、人間を増やす、というのには賛成いたしますぞ。……とはいえ、魔王様を四六時中追い回すような真似はこのリッチ、決して許しは致しませんが」
リッチの言葉に合わせてぼっ、と青い火の玉が幾つも生まれ、リッチの周りを回転する。フィルはぎょっとしたが、クラリッサはますます爛々と瞳を輝かせた。これは、逆効果なのではないだろうか。
「死霊魔術師の鬼火……!! 魔力で生み出した幻燈、これが本物なんですね!! ああ、なんて綺麗な青色……使い手が望まなければ熱を持たない炎だというのは本当なのですか? ああでも火傷をしても構わない、触ってみたい……!!」
「……筋金入りですな」
普段ならば飄々と人を食ったような物言いをしているリッチが呆れたように呟く。人間の身でありながら死霊魔術師を呆れさせるというのは、ある意味で偉業なのではなかろうか。
「まあ、この調子であればどんな魔族や人間が村人として増えたところで動じはしないと思いますので、村人一号としては上々なお嬢さんではありませんかな」
リッチのコメントに、クラリッサが華やかに笑う。高位魔族に認められるということは、魔物魔族マニアにとっては光栄なものらしい。認められてはいるが、褒められてはいないと思うのだがどうだろうか。
「わたくしめ個人といたしましても、街に買い出しに出られる人数が増えることは歓迎しますぞ。現状ですとわたくしめしかおりませんでな、魔王様が村長殿のところに行かれている間、レニ坊とノエ嬢を残して出かけるわけには行かぬものですから」
「ああ……」
二人はまだ五歳児である。ケルベロスやオルトロスがいるとはいえ、保護者として大人(?)がついていた方がいいのだろう。成程、その利便性もあるのか。
そうですね、と頷いた魔王は少し思案したのち、そっとフィルの背に手を当てた。前に出たい、という意思表示だろうと理解してフィルも退く。
優雅な足取りでフィルの前に出た魔王は、その金色の瞳でクラリッサを見て、ゆるりと微笑んだ。
「わかりました、あなたをこの村に受け入れましょう。ようこそ、私達の村へ。クラリッサ・フローウェル。あなたを歓迎しましょう」
声にならない歓喜の叫びを上げ、クラリッサ・フローウェルという魔術師が記念すべき初めての村人になったのだった。
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