第13話 村のために

「お疲れですか、フィルさん」

「いや、なんていうか、精神的にこう、ダメージを受けたような……」


 妙にふらふらとしたフィルを心配そうに見て、魔王は首を傾げた。とりあえず触れないでもらえるのが一番有り難いので、フィルは曖昧に笑う。

 ともかく、教会の修復、父の真意の推察、ババ様との挨拶と、主目的外で起きたサムシングが大きすぎる。

 むしろ今日の主題はそっちだったのではないかと思えてならない。

 だが、一応今日の魔王の来訪は子供たちの顔見せと村長同士の会合が目的である。

 ようやく村長の屋敷に辿り着いて魔王を迎え入れたが、どうやら一応父は子供たちを見てくれというフィルの言葉に従ってくれたものらしく、家には誰もいなかった。


「えーと、とにかくどうぞ。お入りください」

「はい、お邪魔します」


 綺麗な礼をしてから中に入ってきた魔王は、幾分珍し気に周囲を見渡している。家の中のつくり自体は魔王の村で復元された村長邸とさほど変わらないと思うのだが、何か珍しいものでもあるだろうか。


「……フィルさんはまめやかな方なのですね」

「はい?」

「いえ、とても綺麗にされているので。リッチが、女手がなければ家は荒れやすい、と聞くと言っていたものですから」

「あー……」


 必須ではないだろうが、女性の細やかさは確かに屋敷の維持に効果的だろう。残念ながら嫁もいないフィルは家の中に女性がいる環境をあまりよく知らないが、花を飾ったりだとかそういうことはしないものの、それなりに片づけはしている。まめだ、と言ってもらえるのは誇らしい。


「あれ、魔王様のところも女手はないんじゃ……?」

「いえ、魔族であれば一応はありますが……そもそも、それが必要ならば……ああ」


 不意に何かを考えこんだ魔王が、首を傾げる。何となく嫌な予感がして、フィルは身構えた。

 そう多くもない経験だが、魔王がこういう顔をしたとき、大概フィルの常識では目が飛び出そうなことを言う。ほぼ、間違いなく。

 そしてその身構えとほぼ同時に、魔王はおっとりとした口調でやはり爆弾を吐いた。


「よくよく考えれば、幼い子供の子育てならば母親であるべきだったのでしょうか。女性の姿の魔王になるという手があったのですね」

「は!?」


 母親が必要、はまあいい。女親やその代理がいてくれた方がありがたい、というのは幼馴染母に面倒を見てもらったフィルとしてもわかる。いなければ育てないものではないが、いた方がありがたい、理解できる。

 だが、いるならなればよかったか、というのはどういう理屈だ。


「え、魔王様、は、ええと、男の人、ですよ、ね?」


 思わずつっかえつっかえ確認してしまう。中性的に美しく物腰も穏やかで優しいが、長身痩躯で声も艶やかに低い。女性だとは思わないが、まさかということもある。

 そんなフィルを見て、魔王はおかしそうに笑った。


「この姿は男性ですよ」

「そうですよね、いや、や、え、あれ!?」

「ただ、私に定型の性別というものはないので、必要があれば女性の形にもなれるのですよ。たまたま、先代は男性の姿でしたので、それに倣って今代もそうしているのですが」

「そ、そういえばリッチさんと話しているときに、角と目以外は、とか、えっと」

「ええ。角と、目と髪の色以外はどうにでも変えられます。性別も年齢も、風貌も。ですから、レニとノエにとって母親の方がいいのなら、女性の姿をとることもできるのですが……初めてあの子たちを見つけた時がこの姿でしたから、変えてしまうとかえって困らせてしまうのでしょうか」


 頬に手を当ててほっと溜息をついた魔王の悩まし気な表情は美しいが、発言内容がやはり人間的にはぶっ飛んでいる。流石は魔王様、出来れば驚かせるのは一度の機会に三度まで程度にしておいてほしい。


「人というのは、難しいですね。魔族は姿であまり相手を判断することがないので、重要視していなかったのですが……人と共に生きるのならば、そう簡単に姿を変えることは望ましくないのでしょうし。まだまだ勉強が足りません」


 人間のメンタルやら考え方の勉強をする魔王様。シュールであるが、魔王本人は極めて真面目な顔をしている。本気だろう。


「フィルさん、その辺りのご指導をお願いしたら、ご迷惑でしょうか」

「いえ、俺でできる範囲のことであれば……あ」


 そこでふと、フィルは思わぬ失敗に気付いた。一応の礼儀として魔王に対しては私、と慣れない一人称を使っていたつもりなのだが、うっかりと地が出てしまっている。テンパってかしこまり切れていなかった。

 それに気付いて目を白黒とさせるフィルに、魔王はにっこりと微笑む。気付いていたし、気にしない、ということなのだろう。何とも懐深い魔王様である。


「育ちが悪くてすみません……」

「そんなことはありませんよ。きちんと礼をもって繕ってくださろうとしていたのだとわかっておりますし、砕けていただけるなら、それも私には嬉しいことです」

「……ありがとうございます」


 どう返事したものか迷い、それからフィルはようやくそうとだけ言った。それこそ兄弟のように育った幼馴染に相対するような気やすい態度はおよそとれるはずもないが、親しみがないわけではない。何とも、どの距離で接したらよいのか迷うところである。

 ともかく、魔王に椅子を勧めてからお茶を淹れ、フィルは彼のそばに戻った。気合のハーブティーである、村の名産を是非とも味わってもらいたい。

 良い香りですね、と甘やかに微笑んだ美貌の魔王は、品のいい仕草でカップを口元に運んだ。香りを楽しんでから口をつける、その動作が極めて美しい。流石は魔王様だ。


「こういった繊細なものは、人間の方が上手に作られますね」

「魔族の方はこういうのはあまりやりませんか」

「そうですね……好み次第だとは思いますが……人型の魔族以外はあまり嗜みませんし、人型もお茶よりもアルコール、というようなものが多いようには思います」

「魔王様もワインだとか……そういうものの方がお好きですか?」


 ワインは流石に村では作れないが、村の祭り用に交易したものが多少は備蓄してある。勧めるならそちらだったか、と慌てたフィルに、魔王は微笑んで首を横に振った。


「私はお茶の方が好きですよ。ハーブティーというものを頂いたのは先日ご挨拶に伺ったときが初めてでしたが……すっかりその魅力にとらわれてしまいまして」

「ああ、それなら今日お土産に持って帰ってください。ちょうど良い頃合いのものがあるので」

「それはとても嬉しいです。お返しに……何がいいでしょう」

「いえ、教会を直してもらっただけでお釣りがくるどころか、全然足りないっていうか……」


 石造りの教会は本来村一番の丈夫な建物だ。嵐の日や魔物の襲撃などの日は避難場所にするような場所がボロボロ、というのは村の安全面としても心もとない。修理してもらえてとてもありがたかった。

 そう伝えると、さらりと髪をこぼして首を傾げた魔王は嵐ですか、と小さく呟いた。


「成程、そういう対策も必要なのですね」

「ああ、そうなんです。さっきバルバルさんとも話をしてたんですけど、この辺りってこの時期、大雨が降るんですよね。生活には便利ですけど川も近いし、大雨が降ると土砂崩れとか川の氾濫が怖くて……」

「こちらの村ではどのように対応されていらっしゃるのですか?」

「とりあえず土嚢を大量に作ってます。あと、水を逃がせるように堀を作って……普段は木の板でふさいであるんですけど、大雨の時はそれを外して、向こうの湖の方に雨水を逃がせるようにしていますね」


 堀自体はフィルが生まれるよりも前にすでに完成していたらしい。そのため、フィルがしていることはいざというときに落ち葉で堀が埋まって使えないだとか、木の板が腐って踏んだら割れた、などということがないように手を入れるくらいのことである。


「ああ、こちらの村にも堀はありました。成程、そういう仕組みのものだったのですね」

「多分、この辺りの村なら大体同じようなつくりになっていると思いますよ。だから、一度見ておいた方がいいとは思います。案外泥や落ち葉で埋まってたり、木の板が傷んだりして危ないですから」

「よくわかりました、気を付けておきます」


 丁寧に頷いて魔王が美しい指先を顎に当てる。思案気な表情で、他に気を付けることは……と呟く魔王に、フィルは自分の村ならどうしているか、と考えを巡らせた。


「雨漏り対策とか……風が強いといろんなものが飛んで行ったりするので、そういうのの対策も大事ですね。飛んでいくこと自体も危ないんですけど、何よりそれが人にぶつかったり建物を壊したりすると後が大変ですし」

「成程、確かにそうですね。……人間は、自然の脅威に知恵と協力、備えで対応するのですね。素晴らしいことです」


 それほど感心することでもないと思うのだが、魔王はいたく信頼のまなざしをフィルに注いでくる。いたたまれない。


「あとはジジババと子供が川の様子を見に行くのは絶対に止める、とかそういうのなんですけど、魔王様の村だとレニ君とノエちゃんは魔王様から離れないし……ジジババもいませんよね」

「そうですね、人間的な意味で言う老人はいないかと思います」

「……リッチさんは、えーと」

「リッチですか? リッチはアンデッドですから、年齢はあまり意味がないと思いますが……あの口調と態度については、どうも私の家令はかくあるべきだ、というリッチ自体の美学なのだそうです」


 わかるようでわからない。あのしゃれこうべのこだわりどころも謎である。まあ、確かにリッチに嵐の日の川見学はフラグである、などという心配はいらないような気もするので、野暮なことは言わないでおこう。仮に川に飲まれて流されたところでけろりと帰ってきそうだ。


「畑対策はどうでしょうか」

「雨だけなら幌をかけたりで何とかなるんですけど、風も強い嵐だとかえって危ないんですよね……そういうときには諦めるしかないです」


 成程、と神妙な顔で魔王が頷く。緩やかな瞬きののち、魔王はそっとカップに視線を落とした。


「……嵐を鎮めることも川を治めることも、作物を守ることも……どれも私にとってはたやすいことですし、魔族たちにはそれができるものも多いのですが、それをしてはいけないのでしょうね。それは、人間の生きるための力を削ぐことです。共存して村を作っていくのなら、人間の手で対処できる災いを頼まれもしないのに払い除けてはならない……私たちは、よくよくそれを忘れてはなりません」

「……っ」

「私は村長として、人と魔族がともに生きていける村の村長として……その秤を、間違えてはいけないのだと思います」


 それは、とても丁寧で、誠実な言葉だった。

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