第12話 だからこそ、村長

「本当は時間をかけて、跡を継がせる準備をするものなのでしょうが……お父様は、フィルさんならできると判断されたのでしょう。けれど真面目なあなたが経験不足を理由に辞退することを考えて、自分の怪我を理由に強引に継がせたのではありませんか」

「……それは」

「私は魔王ですから、人の子の心の動きには疎いのですが……それでもお父様がフィルさんを信用して、頼みにしていることはわかります」


 人の心の動きに疎い、というには、魔王の表情は確信に満ちていた。

 その表情に、先ほど去っていったばかりの父を思う。

 口を開けば馬鹿息子、馬鹿息子と面倒ごとばかりを放り投げてくる、真意の掴めない父だった。

 親の情がないとは、思ったことがない。乳飲み子の自分を残していった妻へ恨み言一つ言うことなく、引き取ろうかと言ってくれた幼馴染の母にも自分の子だから、と言って世話を頼む代わりに便宜を図っていた、ということも長じてから聞いた。

 幼い頃は、村長として村を回り、困りごとや面倒ごとがないか見て回る父の後を追って、フィルも村を回ったものだ。

 小さな村だがそれでも端から端まで細かく回れば幼い足には広く、べそをかけば黙って抱えてくれた。

 村が、好きか?

 ぼそりと尋ねた父の声も、覚えている。

 大好きだ、と答えたフィルにそうか、とわずかにほどけた、低い声も。


「……父、は」


 フィルが村が好きだといったから、村長を継がせようと思ったのだろうか。魔王が言うように、壮年の村人たちの方がふさわしい、と尻込みしないように、逃げ道をふさいでまで?

 そこまで考えて、ふとフィルは気付いた。

 そういえば、村人たちから全く反対の声が上がらなかったことに。

 フィルは、今年で二十五歳になるが、村の中ではまだまだ若輩者だ。坊、坊主、のっぽのちびすけ、など、言いたい放題の扱いを受けている。村長としては若すぎると言っていい。

 だというのに、村の中からフィルが村長になることに対して危惧の声や反対の声が一切上がらないなどということが、本来あるだろうか。

 こんな小さな村であっても、村長というのは村の長だ。何処と何の取引をするか、素性の知れぬ旅人を受け入れるかどうか、村の備蓄をどの程度とるか、そういったものを考え、決めるのが村長の役割である。村の命運を握っている身だと言っていい。

 勿論独断専行で行うわけではないが、それでも村の中心になる存在にフィルのような若者がつくことに対して、村の誰からも反対がないなど、考えられない。

 村の大人たちはフィルが子供の頃から可愛がってくれているが、それとこれとはまた別の話だろう。

 ……だとするならば、考えられることはひとつではないのか。


「……根回しを、していたんでしょうか……」


 考えたこともなかった可能性に辿り着き、フィルは思わず頭を抱えた。うまく言えない羞恥に、頭の芯がかっと熱を持ったような気がする。

 跡を継がせる、自分が面倒を見る、だからよろしく頼むと、父が村人たちに先に根回しをしていなければ、あれほどスムーズにまだ若輩者のフィルに村長の座が譲られることなど、ないではないか。

 この一年、必死すぎてその辺りに思いを巡らせることもなかったなど、とんでもなく恥ずかしい。

 言ってくれれば、と思うのは、甘えだろうか。


「跡を継いでくれと、お父様に言われていたら頷いていましたか?」


 優しい声で尋ねられ、どうだろうと考える。

 わからない。自分には務まらないと尻込みをしたかもしれないし、なりたいから修業させてくれと父に頼んだかもしれない。

 どちらも自分の性格上ありそうで、答えは出ない。

 けれど、村長になりたくなかったのか、という問いの答えは、一つだ。


「……村長には、なりたかった……というか、村のために働く父のように、なりたかった、です」


 言葉はたどたどしく、たったそれだけを言うのに全身の力を使ったような気がする。

 思わずしゃがみ込んでしまったフィルに、魔王は驚きもせずに柔らかく微笑む。

 何といえばいいのだろうか、無自覚の反抗期を少し年上の兄に諭されたような、何とも言えない気恥ずかしさがある。

 現実問題、肉体としてはまだ三か月に満たないほどでも魂としての年齢は少し年上というレベルではないのだろうし、相手は人知を超えた存在である魔王だ。

 フィルの心の中など、透かし見えていると言われたところで驚くには値しない。

 いっそ悶絶したいが、それはそれで気恥ずかしく、フィルはどうしようもない羞恥に奥歯を噛むしかなかった。

 まったくもって、未熟である。まだまだ父には敵うべくもないらしい。


「あー……」


 こんなに未熟で、よく魔王の村を手伝えると思ったものだ。無謀である。もう手を出してしまった以上、自分の村に不利益とならない限り手を引くつもりはないが、冷や汗が出そうである。

 あまつ、こんな未熟者の村長を頼みにしている魔王がいるというのだから大変だ。

 とにかく、もしも父の腹積もりがそういうものなら、フィルの方も腹をくくって最大限に利用してやるつもりである。

 とりあえず、帰ったら覚えておいてほしい。

 何とか自分を鼓舞してから立ち上がり、フィルは咳払いをした。

 なし崩しだろうと父の策略にはまったのだろうと、今の村長は自分である。今改めて村のために生きたかった自分を自覚したのだし、しっかり村長をしようではないか。


「取り乱してすみません。ババ様のところ、行きましょう」

「はい」


 にこやかな魔王が、何を思って今こんなことを尋ねてきたのかは、わからない。

 だが不思議とすっきりした気持ちである。別段、今までも悶々と考えこんでいたわけではないのだが、それでも。

 そう思い、フィルは肩の力を抜いて再びババ様の家へと足を向けた。

 ババ様の家は、村の中では南寄りの、日当たりのいい場所にある。大分高齢で足腰も弱っていると思うのだが、一人暮らしをしている。

 もっとも息子、娘夫婦ともに村に住んでいるし、こんな村ではほとんどみんな身内のようなものなのだが。

 斯く言うフィルも一日に二、三度、少なくとも一度はババ様を見舞うようにしている。

 そんなわけで勝手知ったる他人の家、小さな薬草畑を回り込んだフィルはすっと息を吸い込んで「ババ様ー!!」と声を張り上げた。

 ほどなくカタカタと小さな音がして、ゆっくりと木戸が開く。顔を出したババ様はフィルを見、それから魔王を見てゆっくりと微笑んだ。


「どうしたんな、フィル坊。……ああ、お客様なんねえ。その方が魔王様かしらねえ」

「はじめまして、ババ様。隣村の村長になりました、十三番目の魔王と申します」

「ええ、ええ、はじめまして。この村で一番年寄りなだけのババですけんど、親しくしてやって頂戴ねえ。先日は、丁寧なお手紙をありがとうね」

「いえ、こちらこそ美味しい飴をありがとうございました。子供たちがとても喜びました」


 長身痩躯の魔王と背が曲がり、もともと小柄なようだがさらに小さくなったババ様では、視線の高さがまるで違う。

 その距離を柔らかに膝をたわめて埋めた魔王と顎を持ち上げるようにして魔王を見上げるババ様の空気は不思議と澄んで見えて、フィルはそっと息を殺した。

 フィルも具体的にババ様が幾つなのかは知らないが、長い時を生きてきたババ様の雰囲気は幾分人間離れしており、仙人のようなところがある。

 魔王は当然人間離れをしているわけで(そもそも人間ではない)、その二人が向かい合っている場所はさながら神域のようだった。


「……そうねえ」


 そうして魔王の顔をじっと見ていたババ様が、やんわりとまた微笑む。ゆっくりと伸ばされた手を魔王は避けず、より膝を折った。

 そうして近くなった頭に皺と節の目立つ歴史を感じさせる手を置いたババ様は、「いいこ、いいこ」と魔王を撫でた。

 ぎょっと目を見開いたフィルの前で、魔王も微笑む。


「……この魂を得て随分になりますが、頭を撫でていただいたのは初めてです」

「ごめんなさいねえ、こんなババから見ると、魔王様もフィル坊と同じくらいに見えるのんなあ」

「ふふ、見た目はそうかもしれませんね。成程、人の子が触れ合う理由が、少しわかったような気がします。これからはもう少し上手にレニやノエを撫でてあげられるかもしれません」

「そう、それならよかったなあ」


 何をどう通じ合っているのか、ババ様も魔王も幸せそうである。傍らで見ているにもかかわらず、状況が掴めないフィルとしてはもぞもぞとする他ないのだが。

 もしやこれが、疎外感というものだろうか。


「まだまだ私も村のため、何ができるかはわかりませんが……フィルさんをお手本に、良い村を作れるように努力しようと思います」

「うんうん、そうなあ、フィル坊はうちの自慢の村長さんなんよ。よくよく、二人で仲良くしてね」

「はい。フィルさんが、嫌だと思われない限りは」


 魔王の口調は穏やかだったが、どきりとする。嫌だと思われない限りは。それはきっと、人間であるフィルが魔王である彼を怖がらない限りは、ということなのだろう。

 最近は魔王に対する恐怖や畏怖は大分薄れているが、それでもやはりいつかは怖がられる可能性、というものを魔王自身は忘れてはいないらしい。

 それはフィルが悪いことではないと思うのだが、何となく罪悪感が生まれてくる。


「フィル坊なあ、村の子の中では腹の据わった子なんねえ。大丈夫よ。ふふふ、悪さはあんまりせんかったけんど、村で一番高い木に登るって言って聞かんかったりしたもの」

「ば、ババ様!!」


 そんなすわりの悪い感情は、うっかり幼い頃のやんちゃエピソードをばらされる羞恥に上塗りされる。いや、別にそう恥ずかしいエピソードではないのだが、二十五になって幼い頃の話をできたばかりの友人にされるような羞恥は、何とも言い難い。


「一番高い木に、ですか?」

「そう、村のやんちゃな子たちでも尻込みするくらい、高い木。自分がその木に登り切れたら、小さい子を仲間外れにしないって約束するように、って啖呵を切って、登って行ったなあ」

「ああ、優しいフィルさんらしいですね」


 やめてほしい。微笑ましい目で見ないでほしい。地面に自力で穴を掘って埋まりたい。何なら土も自分でかけるから。


「登り切ったのでしょうか」

「登り切ったなあ」


 ついでに降りられなくなったわけだが、そこは秘密にしておいてほしい。いじめっ子が去った後、べそをかいて木にしがみついていた黒歴史がよみがえってしまう。

 一人で心の修羅場と戦っているフィルを置いて、魔王とババ様はにこやかだ。これは新手の精神修業なのだろうか。


「……だから、フィル坊は魔王様を見捨てたりせんねえ。良い村になるように、ババも祈ってるなあ」

「ええ、ありがとうございます、ババ様」


 フィル一人を修羅場に追い込み、魔王とババ様の初めての邂逅は極めて和やかに終わったのだった。

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