第11話 親父殿の教え
「……ん、馬鹿息子、何をしてる」
「親父」
ぷかり、と眠そうに目をしばたかせながらパイプをくゆらせ前方から歩いてきた父に、フィルは「前村長の父です」と魔王の方を向いて紹介した。
丁寧に一礼をして、魔王が「フィルさんには大変にお世話になっています、十三番目の魔王です」と名乗る。
ああ、どうも、とパイプを口から離して礼を返し、フィルの父は再び目をしばたかせた。
「ガキどもが騒いでたのは、それでか」
「見たの?」
「村の入り口で門番にどやされながら騒いどったわ。するとあれが魔王んとこの子供だな」
「ええ、レニとノエといいます。お見知りおきを」
「うちの小僧ども、悪さしてなかった?」
苛めたりはしないと自分の村の子供たちを信じているが、お調子者が多い。調子に乗って大騒ぎし、おとなしいレニとノエを巻き込んで悪影響をもたらしていたら目も当てられない。
そう心配になって尋ねてみると、くわえ直したばかりのパイプをまた離して父は目を細めた。
「髪の長い方は、着せ替え人形みたいに髪をああでもないこうでもないと結われていたようだな。女組の上二人が一つ結びだか二つ結びだかでどっちが似合うか喧嘩になっとったわ」
「げっ」
「もう一人の方は、長老木に上るガキどもんところにいた。ありゃ木登りをしたことがないわな、上のやつが担いで乗せてやって、落ちないように掴んでやってたから大丈夫だろ。バルバルのやつもついていた」
「木登り……長老木なら大丈夫かな」
村を作る際の中心にしたらしい老木は太く、枝も多い。村の子供たちは必ず登るし、危険度は低いだろう。バルバザールがついているのならなおさら安心だ。
「ああ、ありがとうございます。うちの子たちも、無事に子供たちの仲間に入れていただけたのですね」
安心したように眦を下げ、魔王は胸に手を置いてほっと息をついた。やはりそれなりに心配だったのだろう、ここからだと上の方だけが見える長老木の方に視線をやっている。
「人数がいますので、誰か特に気が合う子供が見つかるといいんですけど。……あとはうちのやんちゃどもがレニ君とノエちゃんを疲れさせないかどうかだけが心配で……」
魔王の来訪という特殊イベントにテンションが上がっている子供たちだ、悪気なく体力の限りレニとノエを振り回しかねない。
子供の体力というものは侮れない、それにこんな辺境村では環境の粗さが子供たちの体力の底上げに一役買っている。
場合によっては整った石畳の街で生きている子供たちよりも体力は上かもしれない。
世間では俗にそれを野生児と呼ぶ。
「レニやノエは村にいると私のそばをあまり離れませんから、たくさん運動するのは良いことだと思うのです。あとで今日何をしたのか聞くのが楽しみですね」
嬉しそうな顔は、親のそれだ。それをちらりと見て、父はぼりぼり、と頭を掻いた。フィルの癖毛は父譲りで、父の方がよりくしゃくしゃとしているのだが、魔王の前でそれはどうなのか、と息子として大層物申したい気分である。
「あー……成程」
そして何が成程なのか。
顎を撫で、父はそれからフィルを見た。
「そんじゃ今日は村長の会合か」
「そんなところ。あとレニ君とノエちゃんの顔見せも兼ねて」
「そうか。なら、ババ様んとこ寄ってから家に行け。ババ様、家で編み物してるから」
「ババ様んとこ? ああそっか、そうだな」
村同士交流はしていたものの、魔王自身がこの村に来るのは初めての来訪の時から二度目だ。
ババ様にはまだ会っていない。
飴のお礼に、と丁寧な手紙をしたためられてそれは渡してあったが、直接顔を合わせるのは大切かもしれない。
「魔王様、構いませんか?」
「蜂蜜飴をくださった方ですよね? ええ、勿論。是非お引き合わせください」
「じゃあえっと、ババ様の家はあっちの方なので……親父、子供たちを頼んだ」
「あー……ったく、父親遣いの荒い馬鹿息子め」
「うるさいな、一日ふらふら暇持て余してるんだから先の村長として村の未来を担う子供たちの役に立ったっていいだろ」
「腰を悪くした父親を労わらんか、親不孝者めが」
「完治してどれだけ経つんだよ……さぼり癖直さないと老け込むぞ」
容赦も遠慮もないぽんぽんとした言い合いにもにこにこしながら、魔王は微笑ましげに目を細める。全く微笑ましいものではないので、その優しいまなざしはやめてもらいたい。
じゃあな、と手を上げてゆったりとした足取りで去って行った父親を見送り、フィルは頭を掻いた。
「何ていうか、すみません、あんな感じの父親で……」
「いえ、フィルさんとよく似ていますね」
「どの辺がです!?」
心外である。あんな面倒くさがりで飄々とした父親に似ているといわれるとは思っていなかった。
思わず不本意さに叫んでしまったが、くすくすと笑う魔王は気にした様子もない。
「……良いお父様ですね」
「あの、照れ隠しとかじゃなくて本当にしみじみと父親としてどのあたりがよさそうに見えたのかわからないのですが……」
村長としては優れたひとだったのだと思っている。悔しいかな、村長を継いだとはいえ、いまだに父のような村長になれた気はしないし、なれる気もしない。咄嗟に父を村長、と呼ぶ村人も少なからずいる。
……別段、血筋で継いでいる役職ではないから、父が腰を痛めた時、フィルが継ぐ必要はなかった。壮年の村人たちのうちの誰かでよかったし、そうだとしてもフィルは不満など抱かなかっただろう。
だというのにぎっくり腰になったから村長の仕事を手伝え、と寝床からああだこうだと指示を出してこき使ったうえ、どうにも調子が悪いからそのまま継げ、と放り投げられたのだ。
あの時は派手に親子喧嘩になったなあ、と思わず遠い目をしてしまう。
「……フィルさんは、村長になりたくなかったのですか?」
「え?」
ゆるり、と首を傾げた魔王に尋ねられ、フィルは思わず間の抜けた声を上げた。
金色の瞳は真っ直ぐにフィルを見つめており、束の間、その光に見とれそうになる。魔王の瞳に魅入られる、と表現すればまるで物語のようだ。
人には宿らない色合いの瞳は、別段瞳孔が蛇になっているだとかそういうこともなく、色合いを除けば人のものと変わらないというのに、見つめられれば動けなくなりそうだとも思う。
けれどその瞳にはフィルを気遣うような感情が乗っており、フィルはぽろり、と自分でも考えたことのない返事を返していた。
「……子供の頃」
「はい」
「村長やってる父を見てて、格好いいな、って思う気持ちと、村に何かあったらそっちを優先する父なんかいらない、って気持ちと、両方持ってたんですよね」
「はい」
「うち、母親いないんです。ていうか、俺を生んだ時に亡くなったらしくて。こんな村なんで、ちゃんとした医者、いないんですよね。産婆さんはいますし、大体の病気はジジババの知恵で何とかなりますけど、俺の母親、それじゃ間に合わなかったらしくて」
「はい」
魔王が静かに頷く。視線はフィルに置いたまま、眼差しは穏やかだ。
「幸い……っていうか、俺と同じくらいの頃に生まれた子がいて、俺にとっては幼馴染兼兄弟みたいなやつなんですけど、その子の親が一人も二人も同じだから、って貰い乳、させてくれたらしくて。母がいなくても、無事成長できたんですけど……」
無事どころか、村一番の高身長まで育ったのだから幼馴染の母には頭が上がらない。壊滅的に家事ができない父だったから、成長してからもまとめて食事を用意してくれ、洗濯なども引き受けてくれた。
流石に申し訳なく、きっちり家事を仕込んでもらい、自分と父の面倒を見られるようになったのは、フィルが八歳の頃である。幼馴染の母曰く、「何処に婿に出しても恥ずかしくないように教育した」とのことだ。 婿に行く予定はないが。
「だから、父と村長、っていうのを、上手く呑み込めてないんですよね。尊敬しているのも本当だし、やっぱり敵わないなって思うのも本当だし、同時に……その敵わない俺に村長投げてふらふらしてるのは何なんだよ、って思っているところもあるっていうか」
うまく言えない。村長である父にあこがれて、そして素直にその跡を継ぎたいと思っていたなら、簡単だっただろう。けれど訳も分からず継いだ村長の役目に必死の一年間で、父に怒っている暇さえなかったような気がする。
改めて村長になりたくはなかったのか、と聞かれると、どうなのだろう。
何とも言えないつかえが喉の辺りにあるような気がして何となく喉を撫でたフィルに、魔王はふふ、と小さく微笑んだ。
「以前、人の子の父親は、自分の背中で息子に語るのだと聞いたことがあります。息子は、父の背を見て育つのだと。フィルさんのお父様は、背を見せるだけでは足りなかったのですね。フィルさんに、村長になってほしかったのでしょう」
「……父が、ですか?」
「他に何かなりたいものはありましたか?」
尋ねられて、考える。
村が好きで、街に出たいと思ったことはない。この村の中で一生生きていくことに、何の不満もない。旅をする冒険者になりたいなどと、幼い頃から一度たりとも思ったことはなかった。
それは多分、母を亡くした自分を村の大人たちがみんなで育ててくれたからだ。
何も返せない子供だったけれど、大きくなったら村の、村人皆のために働きたいと幼心に思っていた。
そして、村で生きるならば職業は限られている。木こりか、農夫か、炭焼きか、大工か、猟師か。
一度街に出て医者になって村に戻る、などの選択肢もないではないが、フィルは村を出ようと考えはしなかったから、大きく育った体を活かすような何かを生業にしただろう。
けれどそれがなりたいものか、と言われれば、違うような気がする。
「村のために生きたかった、というのがフィルさんの希望だったなら、村長は最も村のために生きられる立場なのかもしれませんね」
「……!!」
魔王の言葉に目を見開き、フィルは絶句した。
言われてみれば、その通りだ。
村長という役職は、少なくともフィルの村では何でも屋、と読むような仕事だ。
必要があれば屋根に上って雨漏りも直すし、親子喧嘩の仲裁もするし、収穫期には畑にも出るし、人手が必要であれば鹿も追い回す。
村の祭りのための予算を捻出するために何日も村の収支と向き合ってうんうん唸り倒すこともあるし、村人同士の結婚の仲人もするし、場合によっては赤子を取り上げる手伝いもする。
それはもう、色々やる。これでもかとやる。
流石に村長一年生のフィルは今あげたもので言うと産婆の手伝いだけは一人でしたことがないが、それも父に言われて手伝いに行った。湯を沸かして綺麗な布を用意してテンパって怪我をした赤子の父親の手当てをしたくらいだが、赤子の産声が聞こえた頃の、夜明けの空を覚えている。
すべてが、村のためのことだ。
村のために生きたかったから、一番村のために生きられる仕事を譲られた。
そういうことなのだろうか。
絶句したままのフィルに、魔王はにっこりと微笑んだ。
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