第14話 「また」という言葉の温かさ
それからしばらく村で備えるべきことや、次の物々交換の希望などを擦り合わせした後、フィルは窓の外を見た。だいぶ日が陰ってきている、思ったよりも長く話し込んでしまったらしい。
「いけない、レニ君とノエちゃん、大丈夫でしょうか」
「ああ、そうですね。そろそろ遊び疲れているかもしれません、迎えに行かなくては」
「ええと……夕食はどうされますか? よかったら、うちで用意しますけど……」
「ありがとうございます、とても魅力的なのですが……初めてお邪魔したレニとノエが落ち着かないかもしれませんので、次回お願いしてもよろしいでしょうか? まずは、二人に今日の感想を聞いてみたいと思います」
「そうか、そうですよね」
フィルと魔王はともかく、レニとノエはまだフィルにも少し距離をとっているところがある。ましてあの父親との夕食、まだ慣れていないと思った方がいいだろう。
「リッチが用意をしてくれていると言っていましたので、そろそろお暇します。長々居座ってしまい、申し訳ありません」
「や、全然……少しでも参考になってたらいいんですけど」
「はい、とても参考になりました。早速村で備えたいと思います」
立ち上がった魔王に、先に用意をしていたハーブティーを渡す。丁寧に礼を述べてそれをいずこへかとしまった魔王は、今まで座っていた椅子をきちんと整えた。どこまでも礼儀正しい魔王様である。
連れだって子供たちが遊んでいるであろう広場の方に行くと、レニとノエはやはりほかの子供たちに比べて色彩が目立ち、何処にいるかはすぐにわかった。
「レニ、ノエ」
「ととさま」
「ととさま」
すぐに集団を抜け出し、手をつないで駆け寄ってきた二人の子供を魔王が優しく抱き留める。父から聞いていた通り、ノエは朝見た時とは髪形が異なっており、子供たちの中では年上のお姉さん分である子供が最終的に編み込みにしたのだと自慢気に胸を張った。成程、確かに顔立ちの整ったノエにはよく似合っている。
レニの方は肘辺りに清潔な布を巻いており、何と木登りの過程で擦りむいたのだという。
青くなったのはフィルばかりで、レニは泣いた様子もなく、魔王も見ていたバルバザールと父も平然としている。
お前も散々木登りで怪我はしただろうが、と父には言われたが、よそ様の子である。自分が怪我をするのとはわけが違うと思うのだが、魔王様は「子供の勲章というものですね」とまたよくわからないことを言っていた。
「良い子にしていましたか?」
「うん」
「うん」
「もう帰っちゃうの?」
子供に聞かれ、魔王にしがみついたまま首を巡らせたレニとノエは、魔王を見上げて首を傾げた。
「……また遊びたいですか?」
「うん」
「うん」
「では、レニとノエがまた遊んでください、とお願いしましょう」
柔らかい声で促され、双子は手をつないで振り向いた。
『またあそんでくれる?』
そろった声に、子供たちがてんでばらばらに「またね」やら「すぐ来いよな」やら「次は追いかけっこしよう!!」やらと声をかける。
驚いたように再び魔王の後ろに隠れかけたレニとノエは、けれど踏みとどまっておずおず、と手を振った。それを喜ばしげに目を細めて見守り、魔王は「ありがとうございます、隣村の子供たち」と微笑む。その笑みは再びフィルを見て、柔らかに眦がしなった。
「……フィルさんの村の子供たちはよい子たちですね」
村人たちを褒められれば村長として悪い気はしない。軽く頭を下げたフィルに一層微笑んで、魔王は子供たちを促してフィルに向き直った。
「それでは、今日はこれで失礼をしますね」
「あ、はい。また近いうちに」
「……」
微笑んでいた目が、ふっと見開かれる。
金色の瞳に宿った驚きの感情にフィルの方こそ驚いて、何か悪いことを言ったかと慌ててしまったが、ふわりととけるように微笑んだ魔王はおず、と幾分ためらい、遠慮がちに手を上げた。
先ほどの子供たちよりぎこちなく、そっと手を振る。
「また、ね?」
それは今まで魔王から聞いたどの声よりもぎこちなくあどけなく、優しいものだった。
どこか恥ずかし気に微笑んで、下した手を子供たちとつなぎ、魔王が村を出ていく。
あまりの不意打ちに思わず立ちすくんだフィルはその背中を見送ったまま身動きができず、ややあってぽん、とバルバザールに背中を叩かれてようやく我に返った。
思わずぎぎぎ、とぎこちない動きでバルバザールを振り返れば、やたらと生暖かいまなざしで見守られている。
「お前は悪くない、ありゃあ反則だ。男とは言えあんな顔ではにかまれたらぐっとくるわ」
「何か盛大に誤解を招きそうな発言なんですけど!?」
「まおうさま、きれいだったねー」
「レニとノエもきれいだもんな、まおうさまもきれいだよなー」
無邪気な子供たちの朗らかな声には楽しそうな響きが乗っているが、バルバザールの発言は何となく不埒な気がする。そういうことでは断じてない。ただ、魔王が見せたいうなれば人間臭い……まるで子供のような微笑みに驚いただけである。
「ま、嬉しかったんだろうよ」
「嬉しかった?」
「また、ってのは次を約束する言葉だからな。あの魔王様は人が好さそうだが、人間の友人がそういるはずもないだろう。それが魔王ってものだからな。だから、お前が当たり前みたいにまた近いうちに、って言ったのが嬉しかったんだろうよ」
「……」
それを孤独と呼ぶのか、それとも違うのか、人間であるフィルにはよくわからない。けれどもあのぎこちなく、そしてあどけなく優しい「また、ね?」に込められた嬉しさは確かに感じ取れた。
今はそれだけで十分なのだとも思う。
「……わんぱくども、レニ君とノエちゃんと遊んで、楽しかったか?」
「楽しかったよ!! レニ、最初全然しゃべんないから困ったけどさー」
「最後は一番高くまで登ったもんな」
「ノエちゃんも最初はしゃべらなかったよー。でも、ふわふわしたの、好きなんだって。村のワンワンみたいにふわふわしたの、可愛いって」
「だから綿で作った髪飾り、分けてあげたの」
口々に子供たちが返してくる。村のワンワンとはあれか、地獄の番犬兄弟のことか。ワンワンか、ワンワンなのか。あれは犬なのか?
若干存在を迷うところだが、番犬だから犬でいいのだろうか。
「なー、フィルー、こんどレニたちんとこつれてってくれよー」
「わたしもノエちゃんのところいきたい!!」
「ま、魔王様の村にか?」
続いてせがまれ、ひるむ。今のところ魔王村に直接行ったことがあるのはフィルのみであり、バルバザールですら行ったことはない。
地獄の番犬兄弟やしゃべるしゃれこうべ、叫ぶニンジンもどきや小さなドラゴンなど、だいぶ驚きの種が大量にあるが、どうなのだろうか。
「なーなー、フィルー」
「いいでしょ、フィル兄ー」
「うわ、わかった、魔王様に聞いておくから、引っ張るなって!!」
ぐいぐい四方から引っ張られ、フィルは半ば悲鳴のように叫んだ。やったー、と快哉を叫ぶ子供たちの中、黙って肩をすくめた父がくわりと欠伸を漏らす。
いいんじゃないか、とどうでもよさそうに言う口調はやる気など欠片もなく、いつもならば反発の一つもしているところだが……。
「……」
「何だ、馬鹿息子」
「……別に。引率の時には手伝ってもらうからな、前村長」
「腰が悪いんだ、一時間も歩けるか」
「動かないとボケるって言ってるだろ、ものぐさ親父」
今は少し、父の気持ちもわかるような気がした。魔王相手に気持ちを吐露して整理できたのがよかったのかもしれない。
この一年、すべてが怒涛で落ち着いて考える暇もない村長生活だった。ようやく少しばかり形になってきたと思ったところに魔王襲来である。
もはや最後のこれは怒涛という言葉ではカバーしきれない。初日の段階で死を覚悟するレベルだった。
そう考えると、それからほとんど時間は経っていないというのに随分と魔王になじんだものだな、とも思う。
もともとどちらかと言えば適応能力の高い方ではあったのだが、人間、抵抗など無意味なほどの流れが押し寄せてきたら、諦めて馴染むようになるものなのだとしみじみと思う。
「……ほら、わんぱくども、そろそろ家に帰れ。かーちゃんたちが心配するぞ」
「はーい」
「フィルも帰れよなー」
「うるさい十歳児、こっちはもう二十五だっての」
どうしてこうも子供というのはませるのが早いのか。自分たちの年代はどうだっただろう、と思い返すが、そう違いがあるとは思えない。大体において、子供などこんなものかもしれない。
「じゃあフィル、俺も戻るぞ」
「ああ、バルバルさんもありがとうございました」
「いや。思っていたより何もなくて何よりだ。お前もお疲れさん」
「はい」
ひらひらと手を振って去っていった大柄な背中を見送り、フィルはそれから父を振り返った。
不意に変わった風向きにパイプの煙を浴びたらしい父は、煙たげに瞬いてからフィルを見やる。
「何だ」
「別に。ほら、俺たちも帰ろう、親父。昨日から煮込んでたシチュー、食べ頃だろ」
「あー……」
そうだな、と頷いて、父はゆっくりとした動きで家の方に足を向ける。腰を痛めたこと自体は一応本当のことだ、ほぼ完治しているはずだが、ゆっくりと動く癖がついているのかもしれない。
いや、もともとあまり忙しなく動き回る人ではなかったような気もするが。
「冷えてくると腰に来るんだろ。ババ様に頼んで腰巻でも編んでもらうか?」
「阿呆、いらんわ」
「じゃあ腹からあっためろ、食が細くなったりしたら俺の料理が不味いみたいだろ」
「……少なくともお前の飯は母さんよりマシだ、馬鹿息子」
「……母さん料理へたくそだったのかよ。初めて聞いたぞ」
「今思い出したからな。思い出なんてもんは、大概美化されてる」
つるりと知りたくなかったような現実が飛び出したような気はするが、そんなことでがっかりするほど幼くはない。残念ながら母の手料理を食べることはできなかったが、いつになく微妙な顔をした父の反応を見るに、なかなかの破壊力を誇っていたらしい。
けれど飄々とした父親の顔はどこか楽しげで、妻と死に別れてもフィルを養子に出すでなく育ててくれた父は、やはり母を愛していたのだろう。
「……親父」
「うん?」
「ありがとな」
「何だ、気色の悪い」
「別に? ちゃんとシチュー食えよ」
ふん、と鼻を鳴らす父と歩調を合わせ、フィルはゆっくりと日が沈んでいく村の中を家に向かって歩いて行った。
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