第9話 魔王様と教会とけしからんシスターと

「シスター、こんにちは」

「こんにちは、フィルさ………………っっっ!?」


 微妙に懐かしい。おっとりと出迎えてくれたシスターが絶句してふらついたのを見て、フィルは若干遠い目をした。

 大分馴染みはしてしまったが、魔王を見た常人の反応としてはごくごく真っ当なものだと思う。幾ら気配を抑えていても、魔王の魔力というのはやはり特殊である。

 ましてシスター、神に仕える身とあらば、その辺りの感覚は他の人間より優れているだろう。


「ま、まままままま、魔王様……っ!?」

「驚かせてしまって申し訳ありません、シスター。こちらの教会に害なしたりはしませんから、ご安心ください」

「はははははははい、ようこそ当教会へ……ご、ごゆっくりお過ごしください」

「ありがとうございます。では失礼します」


 綺麗な足取りでこれだけは美しいステンドグラスの窓の光が落ちる教会の奥へ足を進めた魔王の背を見送り、素早い身のこなしでシスターはフィルに詰め寄った。


「(フィルさんっっっ、これはどういうことなのですか!!!!)」

「(いえ、俺の家に向かおうとしていたんですけど、教会を見かけた魔王様が行ってみたいっておっしゃるんで……)」

「(止めてくださいっっっ、そこは!!!! 全力かつ誠心誠意をもって失礼なく確実に!!!!!!)」

「(そんな無茶な……あれ、この教会って魔族入れませんでしたっけ?)」

「(魔族であろうと魔物であろうと人間だろうと差別は致しませんけれど、魔王様ですよ、魔王様!!!! フィルさん、私がここに着任する前、何をしていたかご存じですよねっっっ!?!?)」


 小声で叫ぶ、という至極器用なことをしているこの妙齢のシスターは、三年ほど前からこの教会でシスターとして神に仕えている。

 普段はおっとりと微笑んでいる優しく穏やかな性格で、特徴はと言えば目をそらしたくなるほどの巨乳美女であるということだ。

 露出のほとんどないシスター服に隠されてはいるものの、大変グラマラスなスタイルをしている。

 巨乳美女シスター。

 そんなある種反則級の条件をそろえている彼女はだがしかし、もうひとつの顔を持っている。

 それは。


「(知っていますよ、バルバルさんからも聞いていますし。流星のバトルシスターですよね?)」


 二つ名持ちの、冒険者だったということだ。

 何でもメイスとモーニングスターを軽々と扱うパワータイプのバトルシスターだったらしい。シスターと言えば祈りによる治癒を主体とした補助職だと認識していたフィルの常識を軽々と打ち砕くようなその情報は、渋い顔をしたバルバザールからの裏付けを持って肯定された。

 曰く、「天使か聖母のような顔をして、モーニングスターで敵をなぎ倒す。その軌跡が流星みたいだってんで流星のバトルシスターって呼ばれてた上位の冒険者だ」とのこと。

 実際、その色香に惑って不埒な真似を働こうとした冒険者やならず者は、腕力で黙らせた、という経験数知れず、とのことである。

 何が恐ろしいと言って、この穏やかな性格も演技ではなく、この性格と口調のままメイスをぶん回していたらしい、というところである。二重人格だと言われた方がまだ想像ができる。

 あげく、バルバザール曰く、「膝をやった俺とあいつなら、あいつの方が強いかもしれん」とのことである。もっともシスターに言わせれば「速さならバルバルさんに軍配が上がるでしょうから、当たってくれれば何とか、というところだと思いますわ」とのことだったが。

 ともかく、そんな腕の立つ冒険者であった彼女は、抑えていても魔王の魔力を敏感に察知したらしい。


「(まあ、基本的に穏やかな魔王様なんで、怖がらなくて大丈夫だと思いますよ)」

「(そうは言ってもですね……!!!!)」

「シスター」

「はいっ!?」


 不意にかけられた声にシスターの背筋がびしっと伸びる。ついでにたゆん、と胸元が揺れ、フィルは直ちに視線を魔王に向けた。触らぬ神に祟りなし、この魅惑の果実は爆発物と同じである。

 慌ててシスターが振り向いた先の魔王は、そのこめかみの角さえなければそれこそ神のように神々しく、美しい笑みで緩やかに首を傾けた。

 荒れた教会の中にいるせいで、なおさらある種の宗教画のようである。


「この教会は、こちらの村の方の信仰の拠り所……と思ってもよろしいでしょうか」

「そ、そうであればよいと思っております。このように荒れた教会ではございますけれども、ここは神々の宿る場所……この村にとって、頼みとできる場所になればと、私もお仕えしておりますわ」

「フィルさんはいかがですか?」

「えっ? あ、いや、こんな村ですから、そんな大した祭りもできませんけど……収穫祭や新年の宴なんかにも、教会は関わってきますので、村としても教会は大切です、ね?」


 振られたフィルがおたおたとしながらそう答えると、魔王は「よくわかりました」とにっこり微笑んで頷いた。


「では、親愛なる隣村への贈り物として、私も力を尽くしましょう」

「え? ……うわっ!?」


 聞き返そうとしたフィルは、次の瞬間魔王が起こした行動に驚き、ひっくり返りそうになった。

 ふわり、と優雅な動きで魔王が腕を広げると、濃密な魔力があふれて藍色の長い髪が風もないのに浮き上がる。

 指先から光の粒子が漏れ広がり、教会の中に広がっていった。

 その光が触れた場所から、壁のひび割れや雨漏りでできたのだろう苔が消えていく。そのまま磨き上げられたように教会内が修復されていった。


『……』


 人間が二人そろってぽかんとしているうちに、魔王が広げていた腕を下ろす。呆然と見上げた教会は壁のひびや汚れが消え、朽ちかけの木のベンチも作りたてのようにしっかりとしたつくりのそれに変わっていた。

 隣村を修復した。

 魔王が述べたそれが、今まさに目の前で行われている。


「……ああ、建物の記憶がはっきりとしていましたね。これは確かに、大切に扱われてきた場所なのでしょう」

「た、建物の記憶?」

「はい。場所や建物、道具などにはそのものに宿る記憶というものがあります。その姿を取り戻させる……それが今私が行った修復です。その場所や物が大切にされていれば大切にされているほど、記憶は濃密に残り……呼び起こすこともしやすくなるのですよ」


 おっとりと微笑み、教会内を見渡す魔王は満足げである。

 目の前で行われた神の軌跡にも等しい魔力の発露に思考が追い付かず絶句するフィルの隣で、シスターががっと膝をついた。

 流石に気でも失ったかと慌てるフィルが見たのは、祈るように両手を組んで顔を伏せたシスターの姿だった。


「この地に満ちます神々の慈愛よ、あなたの御許に集います弱き命に救いの手を差し伸べてくださりありがとうございます」


 つらつらと流れ出す感謝の祈りに納得する。感動で膝から崩れたのか、と頷いていると、かっと目を開いて顔を上げたシスターは爛々と輝く瞳で魔王を見つめた。


「そして、深き闇夜より愛されし幾千万の夜の使途たちの長よ、満月の光宿すその金の瞳より貴き御力をあまねく命に恵み給うたことに、恒久なる感謝の祈りを捧げましょう」

「ほあああああああああああああ!?」


 さらに続いた何というか、全身がむずがゆくなるような賛辞とも祈りともつかぬ言葉に、フィルは奇声を上げ、思い切り身もだえた。

 何故かはわからない、わからないが、とんでもなく恥ずかしい。このシスター、何を言い出したのか。

 何とも言えない感情に喉の奥が詰まりそうになりながら慌てて顧みた魔王は、意外そうに瞬いていた。


「ま、ま、魔王様、ええと、何というか」

「……驚きました」

「で、デショウネ!!」

「ああ、いえ。今シスターがおっしゃった祈りの文句は、魔族の長である魔王に捧げる正式なものなのですよ。しかも、金の瞳、つまり十三番目の魔王である私へのものです。ですが、先日もお話ししたとおり、私は二百年ほど眠っていましたし、十三番目の魔王は他の魔王たちよりも人間からの知名度は低いので……まさか知っていらっしゃる方がいるとは思いませんでした」

「はいぃ!?」


 魔王への祈りの文句。まず何故そんなものが存在するのか。

 加え、魔族の長である魔王が十三人。長の概念がひっくり返りそうだが、村長も複数いるのだし、治めている種族や地域が異なれば長が変わるのはおかしなことではないのかもしれない。

 魔族や魔物にとっては、魔王こそが人間でいうところの神なのかもしれないことだし。

 とはいえ、何故このシスターはその祈りの文句を知っているのか。そして神に仕えるシスターが魔王への祈りを唱えていいのか。

 その何とも言えないフィルの視線に気付いたのか、彼を見たシスターは、にっこりと微笑んだ。


「それはそれ、これはこれ、ですよ、フィルさん。この教会を救ってくださった方に感謝をすることは、御神への信仰を妨げるものではありませんわ」


 きわめて現実的かつ、現金である。それでいいのだろうか。


「私は御神に仕える身ではございますが、今日この時より十三番目の魔王様、あなたへも心からの祈りを捧げます」

「それはどうも、ご丁寧に」


 おっとりと鷹揚に魔王もシスターのフィルからすれば目玉の飛び出そうな宣言を受け入れている。もはや自分の村のシスターの常識すらフィルには怪しくなってきた。

 とはいえ雨漏りし放題ひび割れ放題の教会が修復されたこと自体は純粋に喜ばしく、フィルも村長として魔王に礼を述べるべきだろう。

 一体何をどうしてこう修復されたのかはわからないが、どうあっても直せなかった自分の村の建物があっという間に復元されたのだから。


「すみません、魔王様。ありがとうございました」

「いいえ、助け合いこそがご近所付き合いの要であり醍醐味であると、リッチが買い求めてきた本に書いてありました。フィルさんの村の役に立てたなら、私も嬉しいのですよ」


 何を魔王に買い与えているのだ、リッチよ。

 魔王が参考にしている文献がにわかに不安になりながら、フィルは身震いした。うっとりと微笑みながらシスターが頷く。


「流石は十三番目の魔王様でいらっしゃいます。私も、まさか人生で本物の魔王様にお会いする機会があるとは思いませんでしたけれど……」

「というか、シスターはやたらと魔王様に詳しくないですか?」


 流石に疑問を覚えて尋ねたフィルに、シスターは再び微笑んだ。

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