第5話 魔王の村は、魔族村だった

「お呼びですかな、マイマスター」

「おわああああ!?」


 いきなりぬっと目の前に現れたしゃれこうべに、フィルは思い切り絶叫してのけぞった。

 目の前も目の前、鼻先五センチほどである。近すぎる。いや、近くなくても目の前にしゃれこうべはハードルが高すぎる。


「こら、お客様を驚かせてはいけませんよ、リッチ」

「これはこれは失礼をいたしました、お客人よ。このおいぼれ、少々距離を見誤りました」


 カタカタと顎を鳴らしてしゃれこうべは笑った。いや、笑ったも何も表情などわかりようもないのだが、笑ったのだということが何故かわかる。

 ぱくぱくと口を開閉するフィルの前で、そのしゃれこうべ……とその下につながる妙に仕立てのいい服を身に着けた体は、優雅に一礼をしてみせた。


「わたくしめは十三番目の魔王様の配下、リッチと申します。お見知りおきを、お客人。わたくしめは魔王様とレニ坊、ノエ嬢のお世話もしております。さしずめ、この村の執事といったところでございますな」


 辺境の村に執事はいない。……いや、そうではなく。


「り、りっち、りっちって……」

「おや、お客人はリッチをご存じですかな? はい、わたくしめは生前魔術師として生きたものでございます。ぬ、アンデッド化しているのですから生前、という表現があっているのかは哲学のようなものでございましょうか」


 腕組みをされた袖から見える手も、骨である。腱もないのにどうやってつながっているのか。


「驚かせて申し訳ありません、フィルさん。このリッチが街へ出て買い物をしてくれていたのですよ」

「街に!?」


 このしゃれこうべがか。スケルトンがか。

 街はどんなパニックになったやら。

 絶句するフィルに、はたと気付いたように執事を名乗るリッチは手を打った。ぽきん、と乾いた音が鳴る。


「おお、そうですな。腐ってはおりませんが腐ってもわたくしめは元魔術師、これくらいは造作もないのです」

「え……うわっ!?」


 いつの間にやら、目の前に立っていたのは老年のロマンスグレーの髪をぴしりとなでつけたまさしく執事だった。

 綺麗に整えられた口ひげとモノクル、皺一つないシャツとジャケット、胸ポケットにもこれまた綺麗にアイロンを当てられたようなハンカチーフがきちんと収まっている。


「街へはこの姿で参っておりますので、心配はいりませんぞ、お客人。どうですかな、魔族に見えますでしょうか」

「み、見えないです」


 どう見てもどこかの貴族の家令である。シャンと背を伸ばして立つ姿からはベテラン執事の気配さえ感じ取れる。


「リッチは私の先の魔王の時から十三番目の魔王に仕えてくれているので、今の私の体よりは先輩ということになりますね」

「何をおっしゃいますか、マイマスター。先の魔王様にお力を頂いてこの身になりましたが、その魂は同一のもの。マスターは私の魔王様でございますとも」


 フィルにはよくはわからないが、どうやらこの主従は魂の縁が深いらしい。そして目の前でしゃれこうべがカタカタしゃべることには慣れていないので、是非ともしばらくその人間の姿でいてほしいとも思う。


「私は人型ではありますが、角が生えていますので。リッチがいてくれて助かっていますよ」

「光栄でございます、マイマスター」

「えっと……魔王様はその、姿は変えられない、んですか?」


 何が失礼になるのかわからない。だがつい好奇心に負けて恐る恐る尋ねたフィルに、魔王は特に気にした様子もなく首を横に振った。


「姿は変えられますが、髪と目の色、角は変えられませんね」

「え?」

「十三番目の魔王様は必ずその三つをお持ちですな。性別や年代を変えようと、その三つだけは必ず身につけられているのです」

「他の魔王も同じ、髪と目の色、角は必ずあるのですよ。色合いや形はそれぞれ違いますが」

「へえ……?」

「ちなみにわたくしめもこの姿である必要はありませんぞ。ですが、人間界の家令を観察した結果、もっともそれらしく見えるのがこの姿だと判断いたしました。愛くるしい少女にでも凛々しい青年にでも、自由自在でございますが」


 リッチの補足に、何だそれは、と絶句する。だが確かに魔族が人間の姿に化けているのだ、その姿が複数あっても不思議はない気がする。


「ええ、と……魔王様の村には、その、レニ君とノエちゃんとリッチさん……以外の村の人は、ええと」

「そうですね……有事に呼び出すオーガなどもいますが、村人、とは言えないかもしれません。他に村人と呼べそうなものは……」

「ふむ。そうですな……畑の守り人アルラウネ、門番のケルベロスオルトロス兄弟、マスターのペットのベビードラゴン……」

「あ、すみませんもう大丈夫です勘弁してください」


 これ以上聞いていたら死ぬ。

 どうやら本当にレニとノエ以外は魔族や魔物ぞろいであるらしい。


「む、そうですかな?」

「きちんと村を修復して回りだすようになったら人間を呼び込みたいので、魔族も魔物もあまり置いてはいないのですよ」


 十分すぎる。何なら門番の兄弟だけでお腹いっぱいだ。

 ……とはいえ、ここを魔族の村として発展させるつもりではないらしい、ということはわかった。もしもその気があるのなら、村中に魔族や魔物が跋扈していただろう。


「最終的にはある程度自給自足も必要ですし、そう考えると街での買い出しに頼り切るわけにはいかないと思うのです。ですから野菜を育ててみたのですが、ご覧のありさまで」

「は、はは……」


 魔族には魔族の悩み事があるものだな、と頬を引きつらせながら思う。

 それと同時に、魔王だからといって何でも思い通りにいくものではないのだな、と不思議な気持ちだった。

 指を鳴らせば何もないところから箱が飛び出し、軽く手を振ればホーンラビットは狩られ、手を叩けば国が滅ぶ。

 そういうものなのだということは(流石に国が滅ぶところは見ていないが)見知ったのに、ニンジンがうまく育たず、姿を変えたとしても角は消えない、などのよくわからない悩みや特徴があるというのは、こうして直接話をしてみるまで知りようもなかった。

 改めて魔王を見てみる。

 目がつぶれそうに美しく、濃密な魔力はひんやりと冷たくさえ感じる。

 細くねじれた角に金の瞳、艶のある美しい声。

 しかし身長はひょろりと高いフィルよりも低く、バルバザールよりも華奢に見える。

 気配や角、金の瞳は異質なものであっても、だいぶ馴染めたような気がする。


「……? どうかしましたか?」


 フィルの視線に気付いて首を傾げた魔王に首を横に振る。

 この気付きが魔王自身にとって良いものであるかどうかはわからないし、フィルが麻痺をしているだけかもしれない。

 魔王はやはり恐ろしく、残酷な一面も持っているのかもしれない。

 その判断はつかないが、少なくとも今この時のフィルは、この十三番目の魔王をとても近しいもののように感じられたのだ。

 だから、できるだけ普通の口調で続ける。


「カブとかでも駄目なものですかね」

「カブですか? 植えたことはありませんが、白いマンドラゴラもどきになるような気がしますね……」

「うーん……根菜なのが駄目なんでしょうか。他の野菜とかはどうですか?」

「他もなかなか……。キャベツは中からアルラウネの亜種の子供が出てきますし……」

「そ、それは……」


 若干見てみたい。いや、恐ろしいといえば恐ろしいのだが。

 ……しかし、成程である。この魔王や魔王の配下たちがどれほどに心優しく親切であろうが、人間的常識は欠けていて当然であり、レニとノエが将来生きていく村を作るにあたって、そこは必要不可欠なものだ。

 このままでは人間の双子が治める魔族村、などというトンチキなものに出来上がってしまう。

 であるならば、隣村がそんなトンチキ魔族村にならないように、自分の村のためにもフィルは誠心誠意この魔王様に協力するべきではないか。


「とりあえずあのマンドラゴラニンジンはうちの村と取引しましょう。普通の野菜とトレードでいいですか? あと……えーと、村の特産品とか」

「ええ、ありがとうございます。特産品というのは?」

「要は、行商に出すにしても他の村とトレードするにしても、その村にしかないものがあると強いと思うんです。うちの村だと先日のハーブティーとかですね」


 立地の問題なのか、フィルの村ではハーブ類がよく育つ。ハーブティーと香油はなかなかの村の稼ぎ頭である。


「成程……ですがこの村では野菜は大概こんな感じですが」

「キエエエエエエ!!」

「ノエちゃん、新しいの引っこ抜くのはちょっと待ってね?」

「……?」

「うん、えーと、その辺りのかごにいれておいてね。うん、いい子だから」

「レニ、ノエとリッチとあちらで遊んでいらっしゃい。リッチ、お願いできますか」

「勿論ですともマイマスター。ささ、レニ坊、ノエ嬢、この爺とあちらで遊びましょう」


 大切な話だと察してくれたらしい魔王がリッチと子供二人を促し、心得たリッチが速やかに子供たちを連れて離れていく。

 それを見送って一息つき、フィルは辺りを見回した。


「この村だから育つもの、っていう意味では、悪いわけではないと思うんですよ。取り扱いさえ間違えなければ、効果は折り紙つきになるわけですし。個人的にはここが魔族村としての繁栄を前提としているなら、魔物由来の素材とかもいいとは思うんですが……うーん、最終的に人間の村に、ってことだとそれは駄目か……」


 腕組みをしてうなるフィルをしばらく見つめていた魔王は、それからふっと柔らかく微笑んだ。


「……フィルさん」

「はい?」

「あなたはとても良い方ですね」

「へ?」

「魔王である私が恐ろしいのでしょうに、この村のことを真剣に考えてくださっている」

「え、や、それは」


 打算がないわけではない。最終的には自分の村のためだ。

 そう思って歯切れ悪くもごもごと口ごもったフィルにわかっています、と頷き、魔王はそれでも、と魔王という名が浮いてしまうほど、慈愛深い笑みをふわりと浮かべる。


「私、十三番目の魔王はフィルさんの厚意に感謝を。私の名と力が届く限り、あなたとあなたの大切なものを守りましょう。暴走した魔物があなた方を害するならば、この手で滅ぼしましょう。人の世の争いがあなた方を害するならば、すべてこの身に引き受けましょう。私は魔王、この名の意味を分からぬ魔族も魔物もおりません」


 美しい指を持つ手が、胸元に添えられる。そこからふわり、とひし形の石が浮かび上がった。深い藍色の、自らの髪の色と同じその石を差し出して、魔王は微笑む。


「このアミュレットは私の魔力を注いで生み出したものです。身に着けておいてください。ある程度の魔物までは、これを身に着けている人間やその場所を襲おうとはしないでしょう。せめてものお礼に、これを」


 さらりと差し出され、大いに慌てる。なんだその国宝にでも指定した方がいいであろう代物は。

 目を白黒とさせながら両手でそれを受け取ってしまったフィルに、魔王はしっとりと笑みを深めた。


「魔族は恩には報います。遠慮なく頼ってくださいね」

「そ、それはどうも、アリガトウゴザイマス……」


 よく見れば、そのアミュレットには護符らしくチェーンがついていた。身につけておくことはできるだろう。

 断るのも恐ろしく、フィルはぎくしゃくとそれをベルトにつけた。

 魔王の言う通りの効果があるのなら、村にはいいものをもらったと考えることもできるだろう。

 魔王が約束してくれたフィルとフィルの村に手を出すなら滅ぼす、といういささか不穏な言葉も、幸い辺境の村であるところの名もなき村にはそれほどの危険は存在しない。

 お守り代わりにその言葉をもらうだけで十分だろう。

 そうして自分を無理やりに納得させ、それからフィルはぶん、とひとつ頭を振った。

 魔王の厚意に報いるのならば、まずはこの村の復興の手伝いである。何から手を付けるべきか。


「……そもそも、俺……私も父である村長から村を継いだだけで、村を育てた村長は父やその前の村長なんですよね。ちょっと、何をすればいいのか相談してからまた考えてみるのでもいいですか? とりあえず、さっきのニンジンの取引は確定で」

「勿論です。ありがとうございます、フィルさん」

「いえ、役に立てるかはわかりませんが……とりあえず、今日は失礼して相談してきます」


 とにかく、こういう時はジジババの知恵を頼るに限る。

 うん、と頷いたフィルは大いに土産を持たされ、そうして自分の村に帰ることになったのだった。

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