第4話 ニンジンの概念と向き合うステージ
悩まし気に魔王様が口にした相談事に、フィルはぽかんと口を開けた。
ニンジン。
それはあれか、あのオレンジ色でウサギが好み子供の大半が忌み嫌っている根菜のことか。
「ニンジンって、あの、野菜の。橙色の」
「そうです、ニンジンです。こちらにうちの村の畑があるのですが……行きますよ、レニ、ノエ」
足に張り付いていた子供たちが魔王の促しを受け、魔王と手をつないで歩き出す。案内されるままにその背を追って、フィルは内心で首をひねっていた。
別段ニンジンはこのあたりの土壌と気候において育てにくい野菜ではないし、フィルの村でもそこそこに育っている。
村のいたずら坊主たちが成長しきる前に引っこ抜こうとするのを阻止するのがなかなかに大変な風物詩である。
他人事のように言っているが、フィル自身も幼い頃にやろうとして村のジジババからげんこつをもらっていたりする。
それが育ちにくい、というのがぴんとこず、とりあえずフィルは村を突っ切って連れてこられた畑に辿り着き……深く頷いた。
ニンジンは、キエエエエエエ!! と叫んだりしない。
「どうにも、魔物に襲われて滅びた村を魔王が修復した、ということと、魔王自身が常駐しているせいだとは思うのですが……ニンジンを植えているはずなのに、マンドラゴラが育つのです」
「まんどらごら……」
「元はニンジンで、魔素を吸っただけなので本場ほどの効果も威力もないのですが、ニンジンというよりはマンドラゴラで」
「にんじんというよりはまんどらごら……」
そもそももどき、劣化版とはいえマンドラゴラを初めて見た。引き抜かれると叫ぶ、という魔物のような植物のようなものだったと思うのだが、引き抜かれる前からもうすでに地中から少しだけ出た部分にある目と口でキエエエエエエ!! と叫んでいる。
オレンジ色でニンジンに見えるといえば見えるが、何分キエエエエエエ!! である。
怖い。
レニとノエは全く怯えた様子もなく畑に踏み込んでそのニンジンもどきをつついたりしているが、かじられたりしないのだろうか。
「マンドラゴラって、あれですよね、引き抜くとその絶叫で抜いた人が死んでしまうとかそういう話の」
「ええ、本来のマンドラゴラにはそういう性質がありますね。ただ、これはあくまでニンジンが素体ですので……」
素体、というのは野菜に対して使う言葉だっただろうか。
そんなことを考えていると、レニがむんず、とそのニンジンもどきの上の部分を掴んだ。
「あっ、ちょっ、レニ君!?」
制止は、間に合わない。子供の小さな手に込められた力で引っこ抜かれたニンジンもどきは、ここぞとばかりに大絶叫した。
「キエエエエエエエエエエエエエエ!!」
「うわあっ!? ……って、あれ? え?」
「このように、すこぶるうるさいだけですね」
「え、えええええ……?」
小さなレニの手にぶら下げられたニンジンもどきは、二股に割れた下の部分……おそらく足なのであろう所をばたつかせて抵抗しているが、宙に浮いていてはそれらしい抵抗もできない。
抜かれてからも叫び続けているが、その声はゆっくりと小さくなっていった。
ついには黙り込んでしまう。
不気味な顔だけを、残して。
「し、死んだ……?」
「土にたまっていた魔素が抜けましたね。もう叫びませんが、これをニンジンとしてレニやノエに食べさせたり、出荷したりするのは流石にどうかと思っていまして」
「そ、そうでしょうね」
そもそもマンドラゴラは何かの薬になるはずなので薬効はあるかもしれないが、先ほどまで叫び倒していたニンジンもどきを食べる勇気はフィルにもない。
人面ニンジンなど、出荷されても困る。
「薬の成分とか、そういうのとしてはどうなんですか?」
「そうですね……本物のマンドラゴラではありませんから、マンドラゴラが持っているような薬効はないですが、簡単な薬は作れますよ。むしろ本物より人間にとっては負担が小さいかもしれません。含んでいる魔素が少ないですし、引き抜く時の被害もうるさいだけで命にはかかわりませんから。それにホーンラビットたちが好んで食べますから、味も悪くはないのだと思いますが」
「ホーンラビット」
額に一角の角を持つ一抱えほどの巨大なウサギだ。なお、怒るとその角を武器に突っ込んでくるが、肉質は柔らかく食用として人気が高い。
だがすばしっこく頭がいいのでなかなか罠にもかからず、辺境の村からすれば猟師がごくまれに狩ってくるごちそう、という印象である。
「……好んで食べるって、どのくらいですか?」
「そうですね……レニ、それをください」
「はい、ととさま」
首を傾げて考えていた魔王が、すいとレニに向かって手を差し出す。その手の上にレニがニンジンもどきを置くと、魔王はやたらと美しいフォームで村の外、森にほど近い辺りにそれを投擲した。
地面にぶつかったニンジンもどきがバウンドし……ばっ!! と丸いシルエットが飛び出してくる。
そして一心不乱にニンジンもどきをむさぼり始めた。
それは、丸々と太ったホーンラビットだった。
「……このくらい、でしょうか?」
「……すごい突っ込んできましたけど……」
「何か匂いでもするのかもしれませんね。もしくは叫び声を聞きつけているのか。ホーンラビットは耳がいいですから」
「……罠に使ったらホーンラビットが山ほどかかりそうですね……」
うらやましい話だ。
思わずそう呟くと、成程、と頷いた魔王は軽く指先を動かした。
途端キィィ!! と悲鳴を上げてホーンラビットが倒れ込む。
それを見て駆け出したのはノエであり、五歳の体では身長とほとんど同じくらいの大きさのそれを拾い、抱えて戻ってきた。
何気なく、力持ちである。
「ありがとう、ノエ。フィルさん、こちらはよろしければお土産にどうぞ。〆ておきますね」
「え? えええ?」
何が起きたのかわからないし、麗しい笑みで〆る、などと恐ろしいワードを口にされると反応に困る。
おろおろするフィルの前で、魔王がぱちりと指を鳴らす。
瞬時に目の前に現れたのは大ぶりの箱で、魔王はノエから受け取ったそれを箱の中に収めた。
後ほどお渡ししますね、とにこやかに言われ、断るタイミングを逃す。
それから顎に手をやった魔王は思案気に首を傾げた。
「ホーンラビット用の罠の餌、ですか。それは考えてもみませんでしたね……普通のニンジンだとあまり効果はないのでしょうか」
「家畜として育てているところなんかだと餌として食わせているみたいですけど、それに釣られて野生のホーンラビットが来るとかいうことはないみたいですね」
ふむ、と頷く魔王の顔が近い。目がつぶれそうな美貌も漂い来る濃密な魔力の気配も変わりはしないのに、何となく恐ろしさは減ってきたような。これが慣れというものだろうか。
「……あ、でも魔素のたまったホーンラビットって、人間が食べても大丈夫なんですか?」
「はい。ホーンラビット自体がそもそも魔物で魔力を蓄えていますし、むしろ魔素を食べて栄養をつけていればより美味になるそうですよ。前の魔王の時に、人の子の村でそんな話を聞きました」
そこまで話したところで、思わず顔を見合わせる。金色の瞳が瞬き、フィルを見つめた。
「……ということは、このニンジンマンドラゴラはホーンラビットを家畜化して飼育するのならば、最適な餌ということになりますか?」
「えーと、そうだと思います。ちなみに、育つまでにどれくらいかかっているとか……」
「植え付けをしてから三日から五日ほどでしょうか」
「早!?」
もうその段階で普通の野菜ではない。恐るべし、魔王の村である。
「えーと……若干見た目が禍々しいのは気になりますけど、普通のニンジンとかそういう野菜と物々交換するとか、欲しがりそうなところに売るとか……そういう方法がいいかもしれませんね」
育ててから引き抜くまでは叫んでいたが、しばらくしたら静かになった。顔面に見えるくぼみがあるので知ってしまうと禍々しいが、効果を考えると差し引いて余りあるだろう。
畑を見つめてそう呟くと、魔王はフィルの手をその美しい両手でがしり、と掴んだ。
「うわっ!?」
「フィルさん、それは可能ですか? 一応は魔王が村長の村で、どうにも今のところ人間はレニとノエしかいないのですが。……ああ、一応人間に化けられる魔族ならば幾らかおりますが……」
どうやら魔王様の悩みは思ったよりも切実なものだったらしい。となれば、フィルの回答などある意味で一つしかない。
「ええっと……とりあえず、うちと物々交換、始めてみますか……?」
「よろしいのですか?」
よろしくない気もするが、冷静に考えればあのホーンラビットキャッチャーはとても魅力的である。引き抜いてしばらく置いたものであれば叫びもしないし、自分たちで食べるわけでなければあの見た目も許容範囲と言えなくもない。
あれがニンジンとしての概念を満たしているかという点についてはしばらくあの人面と向き合って考えるべきであるような気もするのだが、向き合っただけで呪われそうなほどなので、しばらくは自分が窓口になって村人……バルバザール以外の村人には見せないようにするべきかもしれない。
バルバザールに関しては、今回さらりと自分をいけにえにしたので遠慮は無用だと思っている。盛大に巻き込んでやろうとも。
「うちでも育ち盛りの子供は結構いますので、ホーンラビットが安定して手に入るようになれば大分楽になるので……」
「ありがとうございます……私たちは構いませんが、レニとノエの食事をどうしようかと思っていたので本当にありがたいです」
柔らかな笑みで感謝を述べる魔王の顔は、どう見ても子煩悩な親である。やや中性的であることもあり、若干の母親感さえ感じられる。
……しかし。
「今まではレニ君とノエちゃんの食べ物はどうしていたんですか?」
魔王様がこの村を修復してから二か月経っているはずだ。おそらく一か月ほどレニとノエが二人きりで生きていたとして、地下貯蔵庫などに食事があったとしても三か月では足りないだろう。
そう思って首をひねるフィルに、ああ、と魔王は微笑んでぱちんと指を鳴らした。
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