第3話 ウェルカム魔王ビレッジ
そして、数日後。
フィルは、あ、これ俺死んだわ、と思っていた。
目の前には、粗末な村の門と、その前に立つ門番。
フィルも、お伽噺でだけは知っている。
三つ首の魔犬と、二つ首の魔犬。ケルベロスと、オルトロスだ。
体は二つなのに頭が五つもあるなど、おかしいではないか。
ぐるる、と唸りながらフィルを睨みつける五つの頭にそんな馬鹿げたことを考えていると、ざり、と土を蹴る音がした。
「おや? ああ、隣村の村長さん!! 来てくださったのですね!!」
「ま、ま、ま、まおう、さま」
「はい? ああ、いけません。ケルベロス、オルトロス、おすわり!!」
優雅に歩み寄ってきた魔王に顔を動かせないまま視線だけを向けて呼べば、すぐに気付いてくれたものと見え、魔王はすっと手を上げて声をかけた。
よりによって、おすわりである。
しかしざっと土ぼこりが立つほどの勢いで、二頭の魔犬は従順に腰を落として唸り声を納める。
へたり、と腰が抜けて座り込んだフィルに、申し訳なさそうに魔王は眉を寄せて手を差し出した。
「本当に申し訳ありません、人にとっては恐ろしいですよね。門番の番犬としては申し分ないのですが……」
「そ、そうですね……」
盗賊にしろ山賊にしろ王国の冒険者にしろ、この二頭の魔犬が守る村に襲ってくる愚か者はいないだろう。近付いただけで噛み殺されそうだ。
差し出された手におっかなびっくり手を重ねて、起こしてもらう。細身だというのに力強い魔王は、軽々とフィルの体を引き起こしてしまった。
「すみません、先にお伝えしておけばよかったですね。門番としかお伝えしていなかったですし、さぞ驚かれたでしょう」
「いやあ……ははは……」
正直なところ、驚いたどころの話ではない。
今日は魔王の村に行くと決めていた日であるだけに、昨晩も朝も、何一つ喉を通らなかった。水分さえ取れていないが、飲み食いできていたら上からか下からか、その中身が出ていただろう。恐怖のレベルがえげつない。
恐々と五つの頭を見上げる。艶やかな漆黒の瞳がじろり、と見つめてくるが、主から止められたためだろう、敵意はないようだ。
「さあ、どうぞ中へ。ケルベロス、オルトロス、後は頼みましたよ」
『ヴォンッ!!』
地鳴りのような鳴き声に折角立ち上がった腰が再び抜けそうになる。
とにかく一刻も早く恐ろしい門番の前を離れたく、フィルは魔王の誘導に従って直ちに村の中に足を進めた。
「……って、あれ……?」
「どうされました?」
「本当に、村が……」
「ああ、そのことでしたか」
驚きに進めたばかりの足を止めてしまったフィルに朗らかに笑い、美しい魔王はひらり、とその手を広げた。
「いかがでしょうか、以前の村をよみがえらせた、と言ったのは、このようになのです。……残念ながら、よみがえらせることができたのは建物だけで、亡くなった方をよみがえらせることはできないのですが」
「魔王様でも、ですか?」
「はい。それができるとしたら……神、と呼ばれる方だけでしょうね」
「……?」
ごく田舎の村であるフィルの村にも教会はあり、シスターが派遣されてきている。この大陸で信仰されている神は多様だが、一番大きな力を持っているとされるのは創造神である。
その神のことを言っているのかもしれないが、魔族である魔王様にとっても神とは上位の存在なのだろうか。
疑問ではあるが尋ねることははばかられ、フィルは冷や汗を押し殺しながら奇跡的に先ほどの転倒でも落とさなかった包みをそっと魔王に差し出した。
「? これは?」
「ええっと、うちの村からのお土産です。つまらないものですが、ご挨拶とお返しに」
「……」
ぺこり、と頭を下げながら差し出したそれは受け取られず、魔王は何も言わない。
まさか、あまりの粗末さに怒らせてしまったか、と慌てて顔を上げたフィルは、目の前で感動の面持ちをしている魔王に思わず口をぽかんと開けた。
美しい面立ちの魔王がきらきらと目を輝かせていると、凄まじい破壊力である。
「なるほど……」
「ま、まおうさま……?」
「これが『近所付き合い』というものなのですね……!! ありがとうございます、有り難くいただきます」
丁重な手つきでその包みを受け取った魔王は、嬉しげに微笑んで包みの重さを確かめたり、布地を撫でたりしている。
中にまるで金銀財宝が詰まっているかのような反応に、フィルは慌てて手を振った。
「いやっ、あの、本当に大したものではなくてですね!? うちの村のババ様連中の編んだ敷物と、奥様連中が作ったパンと……」
「何と、村の女性陣が手ずから作られた敷物とパンですか!! ますます素晴らしい、『心尽くしの贈り物』というものですね!!」
何がそんなに嬉しいのかさっぱりわからないが、魔王様のテンション、うなぎのぼりである。まったくもってツボがわからない。
うきうきと金色の瞳をきらめかせてますます大切そうに包みを抱えた魔王にどうしたらよいのだ、と途方に暮れていると、てて、と軽い足音と共に何かが魔王の足元にしがみついた。
「ととさま」
「ととさま」
「おや、あなたたち」
「……?」
銀色の髪の子供が二人、魔王を見上げている。血の滴るような赤い瞳と白い肌は人間離れして美しく、魔族の子供のようにも見えるが……この子供たちは魔王が先日言っていた人の子、なのだろうか。
「ま、魔王様、こちらは魔王様のお子さんで……」
「ええ、私の養い児……先日お話した、村で生き残っていた子供たちですよ。この子が兄のレニ、この子が妹のノエです。レニ、ノエ、ご挨拶をしましょうね」
魔王の足にしがみついたままじっと見つめてくる子供たちは、うり二つの外見をしている。強いて言えば妹だというノエ、という子供の方が髪が長いくらいで、後はそっくりだ。双子なのだろう、年の頃も同じくらいに見えた。
「……」
「……」
「レニ、ノエ。ご挨拶、しましょう?」
じっと見つめてくるまま何も言わない子供たちを、優しく魔王が促す。なおも沈黙を続ける子供たちに、フィルはとりあえず膝を折って二人の目線に高さを合わせた。
何分フィルは身長ばかりはひょろりと高い。見下ろされて怖がっているのかもしれないからだ。
「こんにちは、隣の村の村長のフィルです。よろしく、レニくん、ノエちゃん」
「……そんちょう? ととさまと、おなじ?」
「うん、そうだね」
「……」
魔王の足にしがみついたまま、二人はなおもじっとフィルを見上げる。それからまず兄のレニの方が口を開いた。
「……レニ。ごさい」
「そっか、レニ君は五歳か」
こくん、とレニが頷く。それを見て、ノエが続いた。
「ノエ。ごさい。いもうと」
「ノエちゃんも五歳だね。レニ君の妹か。フィルです、よろしく」
こくん、とノエも頷いて、魔王の足に顔を隠してしまう。おやおや、と笑ってから魔王ははっとしたようにその美しい金の瞳を瞬かせた。
「そうです、先日のご挨拶の際にお伺いし忘れていましたね」
「は……?」
「フィルさん、と仰るのですね。レニとノエがいるのに、人の子には個別に名があることを失念しておりまして、失礼をいたしました」
何やら、ほんのり魔王発言が出てきたような。顔を引きつらせ、フィルは尋ねた。
「ま、魔族の方にはお名前がないんでしょうか……」
「いえ、必ずあるというわけではない、という程度でしょうか。あるものもいますよ。ただ、ある程度強くないとその名に意味がつかない、というのもあって、積極的に持とうとすると魔族の中でも強いものに限られる、という意味で、少ないとは思います」
「な、なるほど……」
頷き、隣に立つ両足に人間の子供(というには美しすぎるが)をくっつけて立っている魔王を恐る恐る見る。
強ければ名に意味がある、ということは、この魔族の中では最強クラスであろう魔王にも名はあるのだろうか。
しかし魔王に名を問うこと自体の是非や、そもそも名を知ってしまった結果なにがしかの呪いのようなものが発動したりはしないのだろうか、という根拠のない不安が浮かんでしまう。
躊躇い、ちらちらと見てしまった魔王は、その視線に気付いたようににっこりと微笑んだ。
「私は魔王以外の名を持ったことはありません。十三番目の魔王、というのが私の個別名称になりますね」
「持ったことは、ない?」
「特別必要だったことがありません。私を魔王以外の名で呼ぶ方はいませんから」
「ー……」
魔王の表情は穏やかで、特にそれを気にした様子もない。
けれど子供たちをレニ、ノエと呼び、彼を今フィルさん、と呼んだ魔王が、他にも複数いる魔王と同一の、その中の一部であるような感覚は、フィルにはどうもそぐわなかった。
魔王が気にしていないのだとしたら、それをフィルが気にするのは余計なお世話というべきものだろう。
けれど、フィルは人間であり、意思疎通ができるすべてに名がある世界で生きている。
魔王様、と呼べば他に魔王の知り合いなどいない以上彼のことを指すことは明白だが、魔王は村長と同じく、役割の名前ではないか。
レニやノエは、「ととさま」と呼ぶ。それが彼らにとって名前なのだろうし、「お父様」の意味であろう。
けれど、フィルは?
何となく、もやもやした気持ちが渦巻く。
魔王という生き物も、村の入り口にいた二頭の番犬も、今までのフィルの世界にはいなかった恐ろしい生き物だ。
少し気が乗れば、指先一つでフィルも村も大陸も滅ぼせる、そういう存在。
だが、その魔王は何をしたか?
目覚め、村を修復し、子供を保護し、隣村であるフィルの村に挨拶しに来た。
ごく普通の、ただの善人の振る舞いではないか。
そこに人間離れした力が働いていたことなど、この際関係ない。
自分を害してきたのではない限り、恐れる方が失礼ではないのか。
「……魔王様」
「はい」
「……何か困っていることとか、ありませんか。村づくりで、俺が役に立てそうなこととか、何か、そういうの」
気づけば、後になれば頭を抱えてのたうち回りそうなことを口にしていた。
目を見開いた魔王が眦をなだらかに下げて微笑み、それから柔らかく頭を下げる。
ありがとうございます、と丁寧に礼を口にした後、魔王は「それではひとつ相談させてください」と表情を改めた。
姿勢を正して頷くフィルに、沈痛な面持ちで続ける。
「にんじんが、育たないのです」
「……は?」
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