第2話 人の子、拾いました
「目が覚めてすぐ、その村が廃村になっていることはわかりました。魔物の気配も人の気配も、戦いの気配も濃密でしたから。どうやら先代からの二百年の間……しかもつい最近に何かあったらしい、と村を回ってみたのですが」
「は、はあ」
「そこに、人の子が二人いたのです」
「……は?」
またすごいワードが飛び出してきた。
……人の子?
「いや、だって、三か月前に壊滅して、誰も生き残りはいなかったって都の冒険者さんたちが……」
「子の親が逃がしたのか、その子たちが隠れたのか……それは私にはわかりませんが。半分倒壊した家の地下室で、二人で身を寄せ合って震えていました」
憐れむようにその美しい眉目を曇らせ、魔王は嘆息する。
村が壊滅したと聞いたのが三か月前、魔王が目覚めたのが二か月前。ということは、その子供は一か月ほど二人だけで生きていたことになる。
幼い子供が二人きりで、ひと月。いったいどうやって生き延びていたのか。
「私は魔王ですが、別段必要もないのに人類の敵になるつもりもないので、その二人を保護して、魔法で村の建物の修復をしました」
さらりととんでもないことを言っている。三か月前に村長の青年も村近くまでおっかなびっくり見に行ってみたが、とても修復できるような破損状況ではなかったはずだ。
家々はつぶされてがれきの山になっていたし、村を囲んでいた粗末な木の柵は軒並みへし折られて打ち捨てられていた。遺体らしい遺体がほとんどなかった、というのも恐ろしい話だ。魔物に食われたということではないのか。
そんな荒れた村を魔法で修復した、とこともなげに言っている。そんな膨大な魔力を持っているものなど、青年は聞いたことがない。
聞いたことがないが、目の前にいるのはその魔力の結晶のような魔王だ。
むしろできない方がおかしいのかもしれない。
「これでよいか、と思ったのですが、よくよく考えれば幼い人の子を二人残して村を復元したところで、生きていけるはずもなく……これは、この村自体を復興させて子の面倒を見られる方を呼び込まねばなるまいと」
……そして、発想が極めて斜め上だった。
「ええ、えええええ……?」
「はじめはここの村に子供たちを連れてきてお願いしようかと思っていたのですが、子供たちが……きっと、親が眠っている村から離れたくないのでしょうね、どうにも嫌がるのです。ですから、村を復興するほかないと思いまして」
「つ、つまり魔王様は、その人の子供のために、村を復興しようと……?」
恐る恐る尋ねた村長の青年に、はい、とにっこりと笑顔で魔王は頷く。
それが魔王の発想か。
「今代の勇者は無事覚醒しましたし、三番目の魔王の大陸で勇者は魔王を打ち倒すでしょう。魔王として私には長い生がありますから、保護した人の子の一生を見守り、村を育てるのも瞬きの間です」
そういって細められた瞳には、金色の光が宿る。美しい、人間ではない光だ。
ごくり、と唾を飲み込んだ青年に、魔王はにっこりと笑みを深めた。
「ですから、これから東の村を復興するにあたってお隣さんとなるこちらの村にご挨拶をと思ってお邪魔したのです。今後とも、どうぞよろしくお願いいたしますね」
「お隣さん……」
魔王の作る村が、お隣さん。
くらくら、くらくら。
眩暈がひどくなっていく。
ああ、どうしてこんなことに。
何と答えたらよいのかわからずにへえ、と間の抜けた声を上げた青年に、くすくすと魔王は笑った。まったく邪気のない、温かな声で。
それからすっかり長居をしてしまいました、と立ち上がり、魔王は眩暈をこらえて頭を押さえた村長にそのしなやかで美しい白い手を差し出した。
「どうぞ、新米村長ですので色々教えていただけたら嬉しいです」
その手を取らないという選択肢は存在せず、村長の青年はひきつった笑みを浮かべながらその美しい手を握り返したのだった。
「……いやあ……」
他に言葉がない、といった様子でぼやいた衛兵の隣で、遠くなっていく長身痩躯の後ろ姿を見送り、村長の青年は肺がすべて空になりそうなほどのため息をついた。夢であってほしいと切に願ったが、この衛兵の反応からしてもまったくもって、夢ではないらしい。
そして、とてもどうでもいいことをぼんやりと考える。
魔王も、歩いて帰るんだな、と。
「フィルよ、あれはないわ」
「バルバルさん……」
隣でしみじみと首を横に振る衛兵は、バルバザール・バルドレ。通称はバルバルである。
やってきた魔王にいの一番に寿命が縮む思いをした村の衛兵だ。
「バルバルさんでもあれは無理ですか」
「馬鹿言え、魔王に相対するのは勇者の仕事だろうが。冒険者なんぞ魔物が相手で、魔族とだってやらねえよ。まさか冒険者を引退してこんなのどかな村に来てから本気で命の危険を感じる羽目になるとは思わなかったぜ……」
「俺も殺気とか気配とか全然……熊だの猪だのしかわかんないと思ってましたけど、人生で初めてこれはやばい、っていうの、わかりました。多分、あの人お茶飲みながら俺のこと殺せるんだろうなあって」
目覚めたばかりだというし、かなり赤裸々に魔王の仕組みのようなできるだけ早く忘れたい話を笑顔でしていたが、それでもその身がまとっているのはこれでもかというほど強い魔力だった。
あれは本当に、指をひとつ鳴らすだけで国ひとつ滅ぼせるだろう。
「……それが村の復興なあ……」
「バルバルさんは三か月前の討伐は……」
「もう膝やっちまってたからな、王都でその話を聞いたよ。それを聞いて、辺境の村の衛兵やろうと思ったんだからな。ガタの来た俺みたいな体でも、数が多いだけの魔物くらいなら王都から冒険者が来るまでは持ちこたえられる。冒険者やめるなら、他のところで人の役に立つのも悪くないだろうと思ってな」
バルバザールがこの村に衛兵としてやってきたのは確かに二か月前のことだ。
すっかり馴染んですでに初めから村人だったかのようにも感じるが、そもそも彼は少し前までは高位の冒険者として魔物を殲滅していた凄腕の男だ。
いくら膝に矢を受けて以前のように戦えなくなったからと言ってこんな辺境に、と村長である青年……フィルはひっくり返りかけたが、暴走猪をこともなげに転がして「肉だぞ」とのたまった彼の頼もしさは舌頭に尽くしがたい。
ともかく、フィルなどからすれば目が飛び出るほどに強いバルバザールが何もしていない魔王を見て命の危険を感じたというのだから、そのとんでもなさは計り知れない。
「ありゃあ普通の人間じゃてんで相手にならん。お前の言うように、茶を飲んでるもう片手でぐしゃ、だ。……だが、何の冗談なんだか……やたらと腰の低い魔王だったな」
「ええ……すごく温厚でした」
「ああくそ、あんなにおっとりして見えるのにとんでもなく強いとか、詐欺だろ」
「まあ、魔王様ですからね……」
辺境の村の若い村長でも、魔王が世界を滅ぼせる力があることくらいはお伽噺として知っている。勇者という特別な戦士でなくては倒せないことも。
「……というか、つまり今って世界の危機が訪れているんですか?」
「あー、そういやそういうことになるなあ」
投げやりに頷いたバルバザールが目を細める。勇者が生まれて、十三番目の魔王であるあの魔王様が目覚めたということは、あの魔王様いわくの三番目の魔王が世界の敵として振る舞いだしているということになる。
あの言い方から察するに、どうやら今回はこの大陸ではないようだが、世界の危機となれば大陸どうのの話ではない。
「……ピンときませんね」
「だよなあ」
対岸の火事は、川を渡って自分の家の真隣が焼けなくては危機感が湧いてこないものである。
ぴぃぴぃと愛らしい鳥の鳴き声が聴こえており、優しい風と温かな日差しが降り注いでいる森の中の静かな集落にいては、そんなもの、感じようがない。
そこへやってきた、どえらい力の温厚な魔王様である。
「どうすりゃいいんですか、あんなの……」
「さあなあ」
「真面目に聞いてくださいよ!!」
「聞いちゃいるが、どうしようもないだろ。あっちが先輩村長としてフィルを頼ってるなら、力になってやるしかないんじゃないか」
「勘弁してくださいよ……俺だって村長歴一年半ですよ」
「だがガキの頃から村長の仕事は見聞きしてたんだろ?」
「そりゃそうですけど」
魔王が作ろうとしている村などというわけのわからないものに、一体どんなアドバイスができるというのか。
挙句、あの美しい魔王は「近いうちにぜひ私の村にも遊びに来てくださいね」などと言いおいていったのだ。
それを無視することなど、どうしてできよう。
「……バルバルさん、一緒に来てくれたりは」
「俺はこの村の門番兼衛兵だからなあ。お前についていっている間にワイルドグリズリーか何かが村を襲わんとも限らんしなあ」
「あんなレア魔物五年に一回くらいしか出ないでしょう!!」
バルバザールの薄情さに思わず吠えるが、フィルとてわかっている。彼がバルバザールの立場なら、絶対に同行などしたくない。
「あああああ」
「しかしフィルよ、どうするんだ?」
「どうって、何がです」
「手土産。こっちももらっちまったんだ、何か返せるもんを用意しないと駄目だろうに」
「……あああああああ!?」
「魔王様が喜ぶような手土産ねえ……一体どんなもんなんだかな」
「知りませんよそんなの!!」
「はははは」
笑い事ではない。
世界の危機などという大仰なものより、余程フィルにとっては危機だ。
「まあ、素直に村でとれたもんとか、ババ様連中が作った編み物とか、そういうのがいいんじゃないか。魔王様相手はともかく、人間の子供がいるんだろ?」
「そうらしいですね……」
「しかし、そんなガキ二人置いてよくここまで来たな、あの魔王様も」
首をひねったバルバザールの言葉に、ああ、とフィルは頷く。
「俺も気になってちらっと聞いてみたんですけど、門番がいるから安全だ、とか言ってましたよ」
「魔王様の言う門番ねえ……どんなおっかねえのがいるんだかな」
くわばらくわばら、と首を竦め、バルバザールは首を横に振った。それから大きな掌でばしん、とフィルの背中を叩く。
「ま、頑張ってくれや、村長さんよ」
「頑張りますけど、魔王様の村にまで、誰も骨を拾いに来てくれないじゃないですか……」
青年の嘆きの声は森の木々の中に溶けて、誰もそんなことはない、とは言ってくれなかった。
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