隣の村の魔王様

雪姫

第1話 プロローグ~はじめまして、魔王様~

 その日、穏やかな気候とのんびりした気質のおとなしい生き物だけに囲まれていた名もなき小さな村に、激震が走った。

 村の入り口に不意にその男が現れたとき、村の門番を兼ねている衛兵は、一瞬で死を覚悟した。

 長く足元にまで伸びている艶やかな藍色の髪、それよりも深い藍色で、銀糸の縫い取りのあるローブ。切れ長の瞳は妖しく光る金色で、そのこめかみからはねじれた細い角が伸びていた。

 その風貌は身も凍りそうなほど美しく、どんなに腕のいい絵描きや彫刻家でも写し取ることはできないだろう。

 すらりとした長身痩躯は均整がとれており、その全身からは濃密な魔力がこぼれていた。

 衛兵の男は、一瞬で悟った。

 これは、魔王だ。

 指先ひとつで一国であろうと蹂躙できる、魔族たちの長。

 がくがくと膝が震え、全身の血が足へと下がっていくような感覚。

 男は、つい最近までは名のある冒険者だった。

 しかしお決まりの、膝に矢を受けて冒険者を引退し、この名もなき村の衛兵に納まったのだ。

 けれど、自分などではこの魔王には敵わない。

 敵わないどころか、傷ひとつつけることもできずに惨殺されるだろう。

 何故、魔王などという存在がこんな辺鄙な村へやってきたのか。

 それはわからないが、わかったところで何になるのか。

 自分の命など、あともって数分だろうという、この状況で。

 ゆっくりと瞬いたその魔王は、反対に瞬きひとつできずに凍り付いた衛兵に視線をやって……。


「はじめまして、こちらは何という村でしょう? 村長さんとお話することはできますでしょうか?」


 にっこりと柔和に微笑んで、柔らかな物腰で丁寧にそう尋ねてきたのだった。


++++++++++



「お、俺……じゃなくて、私がこの村の村長です」

「はじめまして。あなたが村長さんでしたか。随分お若いのですね」


 カタカタと震える手で差し出した粗末な木のカップ(ただしこの村では一番良いものである)を丁寧な手つきで受け取り、その美しい魔王はゆったりと首を傾げて微笑んだ。

 ガッチガチに全身を固くしながら、特徴のない茶色の目と髪で背ばかり高い青年はこくこくと何度も頷く。


「いやあの、親父……ええと、先代村長の私の父親が、腰をやりまして。最近、その、代替わりしたばかりで」

「それはお気の毒に。お父様のお加減はいかがですか?」

「えっあっ、いえっ、もうすっかり!! ただ、譲ったものを取り戻すもんじゃないとか理屈をこねて、すっかり隠居に……」

「ああ、それは頼りになるご子息がいるので安心しておられるのでしょう。立派な村長さんなんでしょうね」

「いえあの、全然、その」


 へどもどする青年に魔王は穏やかな笑みを崩さない。

 この美しい魔王の目的がさっぱりわからず、村長の青年は粗末な家の窓に群がる村人に助けを求める視線を向けた。

 しかしそんなに息などあったことがないだろう、というほどの速度でさっと全員が視線を逸らす。薄情なものだ。

 目の前には穏やかに微笑んでおり、物腰も極めて丁寧だが、この村から出たことのない青年でもわかるほどの濃密な魔力の気配を持つ男。

 絶対に人では有り得ない、美しすぎる面立ち。

 繊細な指に持たれているだけで、粗末な木のカップまでグレードが上がって見えるほどの高貴な雰囲気。

 これまた粗末な家の粗末な木の椅子に座っているというのに、まるで王座にでも座っているように堂々として見える。

 魔族すら限られた数人しか見たことのない青年にとっては、この魔王が何を考え、何故ここにいるのかなどわかりようもなかった。


「ああ、このお茶はいい香りですねえ」

「は、ええと」


 とっておきのハーブ茶であるが、当然村程度ではいいものではない。だというのに魔王は幸せそうに香りを楽しんで微笑んでいる。

 生きた心地のしない村長としては、当然味などわかりようもないが、草など、と怒り出さなかったことにひたすら感謝をする。


「その、村の子供たちが、育てているハーブでして」

「ああ、幼い子供もきちんと働いているのですね。何と素晴らしいことでしょう」

「ど、どうも」


 心からそう思っている、というような賛辞に思わず頭を掻く。村や村人を褒められれば嬉しくないはずもないが、素直に喜んでばかりもいられない。


「……あの、それで……魔王様は、この辺鄙な村に、その……」


 何用だ、とはさすがに聞けず、口ごもった村長に、そうでした、と軽やかに手を打ち合わせた美しき魔王はにっこりと微笑み、何もない虚空から見事な造りの白木の箱を取り出した。


「私、隣の村を復興し始めました、二か月前に目覚めたばかりの十三番目の魔王と申します。こちらはお近づきのしるしに。これからどうぞよろしくお願いします」

「………………は?」





 その美しい魔王の話によると、こういうことらしい。

 魔王には、一番目から十三番目の魔王、というものが存在する。

 一般的に勇者と戦うのは、一番目から四番目の魔王が行っているらしい。この十三番目の魔王様いわく、勇者戦争四天王、と呼ばれているとのこと。

 では五番目から十三番目の魔王は何のためにいるのか、と言えば、基本的にはその四天王のスペアなのだそうだ。基本的に四天王たる魔王はこの世界の四大陸にそれぞれ一人ずついて、その代の勇者が生まれた大陸の魔王がその相手を務めているとのこと。

 ではその大陸以外の魔王たちが何をしているのか、と言えばである。


「基本的には、好きに過ごしています」


 とてもアバウトだった。


「魔王はただ魔族の中で力が強くて役目持ち、というだけなので。魔王が勇者に倒されることによって、世界は生まれ変わる……というよりは、寿命を延ばしているのです」

「あのそれ、この世界の真理とか言いませんか」


 辺鄙な村の一村長が知っていい話では絶対にない。

 泡を食う村長に、さあ、と小首を傾げて見せて十三番目の魔王はのんびりと微笑んだ。


「それで、大陸の中でも勇者がどこに生まれるかというのはランダムなのです。ですから、生涯かけても四天王魔王のいる場所まで勇者がたどり着けない場合や、世界のミスで勇者が勇者として目覚めるのが遅い場合があります。そういうときのためにスペアの魔王たちはいるのです。勇者にほど近いところに現れ、覚醒を促して倒されるために」

「えええええ……」

「魔王が勇者に倒される、という世界の約束が果たされないと、世界は続いていきませんから。なかなか世知辛いでしょう」


 どう考えても世知辛いどころの話ではない。それでは何か、子供たちがみな憧れる勇者伝説は八百長の出来レースなのか。


「いえいえ、あくまで勇者は魔王を『倒す』必要がありますから、魔王もただではやられませんよ。稀にではありますが、己が勇者であることを過信して満足に自分を鍛えないうちに魔王に挑み、返り討ちにあう勇者もいますので。あれは魔王にとってもとても困りものですよ」


 何しろ勇者は数百年に一度しか生まれませんからねえ、と物思わし気に魔王は嘆息するが、聞きたくない。とても聞きたくない。荷が重すぎる。

 というか、こんな辺鄙なところにある村だけに入ってくる情報というのは至極限られているものだが、まさか外の世界は数百年に一度魔王と勇者の戦いが行われているのか。


「そ、それで、魔王様は……」

「ああ、今代は大丈夫ですよ。三番目の魔王のいる大陸で無事勇者が生まれています。少しばかり王都や魔王城とは離れているようですが、たどり着けないということはないでしょう。つまり、他の魔王はいったんは自由となったわけです」

「……」


 若き村長も、頭がついていかない。どうやらこの温厚な魔王様は魔王のスペアとしての役目から解放されて隣村の復興をしようとしているらしいが、何故そこに辿り着いたのか。


「ああ、実は……先ほどお伝えしたとおり、私、十三番目の魔王は、二か月前に目覚めたばかりなのですが、目覚めたのがここからそうですね、人の足で一時間かからないくらいのところにある村だったのです」

「村……? ここから東の?」

「ご存じですか?」

「は、はい。確か、三月前くらいに……その、魔物に襲われて、壊滅したって」


 この名もなき村と似たような立地の隣村も当然、冒険者の多い都からは離れている。都が派遣してくれた冒険者たちがたどり着く頃にはもう、村は魔物に蹂躙されて破壊されつくしていたと聞く。

 隣村を襲った魔物の討伐戦の時はこの村が拠点になったのだから、村長の青年としても記憶に新しい。


「ああ、あの壊滅具合はやはりそういったものでしたか。痕跡からそうではないかと思ってはいたのですが、討伐戦に加わった冒険者たちの気配が入り混じって、荒れていたので」

「魔王様はその……魔物とか、亡くなった村人とか、そういうのがあったから、そこで目が覚められたんですか……?」


 魔王というのがどういう存在なのか、いまいち村長の青年にはわかりかねるが、蹂躙の後や人々の無念が満ちた場所で魔王が目覚める、というのは、いかにもありそうだ。

 恐る恐る尋ねた彼に、魔王はいえ、と首を横に振った。


「私の場合は、単純にその村に先代魔王の魂の核があったためです。私の前の十三番目の魔王が魔王としての生を終えたのがその場所で、その上に村ができたのでしょうね」

「えっ」


 都だの町だのと比較すれば、村は簡単にできるだろう。とはいえ、それでも人が満足に暮らせる村になるのにはそれなりに時間がかかるはずだ。

 この小さな名もなき村でさえ、村として機能し始めてから五十年ほど経っている。


「ああ、先代の魔王が消滅した後、すぐに次の魔王が生まれるわけではないのです。先ほどお伝えしたように、魔王は勇者がいなければ無用の長物ですから。ですから、何がしかの理由で消滅した後は基本的にはそのまま放っておかれるのですが、勇者が生まれると近いところから順に、全員が目覚めさせられるのです。私は……そうですね、ざっと二百年ぶりに目覚めたでしょうか」


 もはやスケールがダイナミックすぎて開いた口が塞がらない。くらくらと眩暈もしてくる。


「勇者のいない時代については、魔王たちもそれなりに自由に生きていますよ。ですが、勇者の誕生を察知したらすぐに、その大陸の四天王が適度に世界の敵として振る舞って、人々を恐怖に陥れ、勇者がやってくるのを待つ、というわけです」


 にこやかにとんでもないことを言っている魔王に、村長は額を押さえた。眩暈が収まらず、頭の中では鳩がくるっぽー、と鳴いている。限界は近い。


「各大陸に原則三人ずつ魔王がいます。十三番目である私は、どの大陸にも属さず、気ままに移動していますが」

「え?」


 四大陸に、三人ずつ。確かにそれなら十二人、十三番目の魔王は余ってしまう。

 しかし目の前の美しい魔王はそういうものです、とにこにこと笑うばかりだ。

 たぶん、疑問に思わなければならないことはいろいろあるはずなのだが、熱を持ったように回転の鈍った頭では、まったく思いつけない。


「まあ、そんなわけで私は二か月前に、ここから東に小一時間の村で目が覚めたのですが……」


 ふう、と白い頬に手をやって、魔王は艶やかなため息を吐いた。

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