輪廻流魂
生い茂る木々から伸びる枝の一本に、カラスのような黒の外套を着た女が留まる。
抱きかかえている袋の中から綺麗に磨かれた果実が落ちそうになって、
間に合わない――が、間に合う必要はなかった。
まるで最初から果実が落ちる事を知っていたかのように、伸ばされたタイタニアの手が下で受け止め、そのまま口へと運んで行ったからだ。
「御師様」
「私をそんな堅苦しい肩書で呼ぶんじゃない。まぁ、もう今更か……おまえが私の下へ来て、もう何年になる。フィロータス」
「六年です、御師様」
「そうか……つまり六年もの間、私の言いつけを守らず御師様などと、そんな堅苦しい呼び方をしているわけだ。まったく、見上げたものだよ」
「私にとって、御師様は御師様ですから」
「あぁ、一人称を私にしたのも、私の影響だ何だといつか語ってくれたか。一人称くらい縛りはしないが、前のように僕と言ったところで、大差ないと思うのだがね」
まぁいいか、とタイタニアが煙管を加えると、枝の上から飛び降りたフィロータスが器に乗っていた刻み煙草に火を点ける。
合図も何もしていないのだが、もはやフィロータスにとっては条件反射のようなもので、タイタニアも当然とばかりに、黙って受け入れていた。
「買い出しご苦労だった。いつもより多くて、一層苦労しただろう」
「いえ。この程度、御師様の手解きに比べましたら、子供をあやすような物です」
「確かにな。それは、確かに。うん……やり過ぎた、とは思わなくもない」
「では、此度も手加減を?」
「いいや、それはない。彼らは相手が相手だからな。それこそ、死ぬつもりで――いや、強くなったと自覚した頃には、すでに死んでいたくらいの気持ちで臨んでもらわねば困る」
と、タイタニアは吹き込んだ紫煙を、泥のように横たわって眠る六人へと吹き掛ける。
未だ一つ席を開けているにも関わらず、七つの大罪を名乗る賊が侵入してきてから早三日。タイタニアが墓守を務める墓地では、毎朝同じ光景が広がっている。
紫煙を燻らせるタイタニアの側で、泥のように眠る大罪六人。
煙を吹きかけられてもピクリとも動かず、墓地という場所も相まって、死んでいるのではないかと誤認させられてしまうが、タイタニアが強く地面を踏み締めて足音を鳴らすと、一斉に跳ね起きる。
その後、一秒以内に全員の戦闘態勢が整っていれば静観。いなければ、連帯責任で腹に一発ずつパンチを叩き込む。
今回は――全員殴られ、その場で膝を突いて
タイタニアの鉄拳は、女であろうが子供であろうが容赦はない。
「蹲っている場合か。敵に先手を許したのだぞ。警戒態勢を敷くなり反撃の準備を整えるなり、何かしらの反応を示せ。一方的な蹂躙を許すな。怪我をしている、腹が減っている、意識が朦朧だ、そんな言い訳は戦場においては通じない。腹が減っていたら敵が食い物を恵んでくれるのか? 怪我をしていたら、敵がその分ハンデをくれるとでも? 甘ったるい。死ぬ気で戦う覚悟程度しか固めていないから、そうも容易く滅ぶのだ」
「こ、の――っ!」
飛び掛かろうとしたベンジャミンだったが、顔を踏み蹴られ、圧し倒される。
タイタニアはフィロータスから受け取った酒瓶を返してラッパ飲みしており、ベンジャミンを踏み付けている事など、もはや忘れているかのよう。
だと言うのに、ベンジャミンは立ち上がるどころか、タイタニアの足を退ける事さえ出来ず、もがき続けて醜態を晒し続けた。
「何度言ったらわかる。そう言った独断先行がおまえの悪癖なのだ。先行するにしても計画を立てろ。ないなら前から用意しておけ。アイコンタクト、音、光――合図になる物ならいくらでもある。そういう浅慮が身を亡ぼすのだと、未だわからぬようならば、おまえの浅慮で誰かが死ねば、少しは気付けるか?」
最後の言葉は、ベンジャミンの戦意を削ぐに充分だった。
抵抗する意思が見られなくなるとタイタニアは足を退け、近くの墓石の前に作られた石段に腰掛け、紫煙を吹く。
顎を使い、フィロータスに大罪一行に食べ物を恵むよう促して、彼らの前に食べ物が入った袋を置かせた。
「食え。今は戦いではない。食える時に食っておけ」
「……皆、ご厚意に甘えようか」
事態の理解が追い付かず、狼狽しているのはアンも然り。
――私が鍛えてやる
その言葉通り、三日にも渡って生死の境を幾度も彷徨わされながら、前世だったら確実に法で訴えられていただろうスパルタ特訓が行われているわけだが、未だ、理由は明かされていない。
が、三日間いつでも殺せたはずなのに手を下す事はなく、生死の境を彷徨わされているものの、死のうとする事は一度も許されていない。
一体何が目的なのか、そろそろ話して欲しいのだが、一向に話してくれる気配がなかった。
「御師様。彼らが本当に、御師様のお願いを叶えられるのでしょうか」
「知らん。だがやって貰わねば困る。こいつらに、英雄を倒して貰わねばな」
「あ、アン様?!」
初めて、アンが動揺から咳き込んだ。
いや、これは普通に驚くだろう。予想なんて出来るはずもない。
事もあろうに、何故、英雄当人が他の英雄を倒して欲しいなどと画策するのか。
「……語って欲しそうだな。ならそれに見合うだけの実力を付けろ。そうでなければ、語ったところで意味はない――フィロータス」
「はい、御師様」
「今日はお前がこいつらの相手をしてやれ」
「おいおい。こっちは確かにヘロヘロだが、さすがに――」
「安心しろ、聖人殺し。例え万全な状態だろうと、今のおまえらにフィロータスは倒せん」
タイタニアのお墨付きであった弟子のフィロータスが、自分達より格上であった事にはもう驚かない。
驚いたのは、彼女の戦いぶりだ。
タイタニアの鎌ほど巨大かつ長身ではないものの、彼女の体躯には合わない長さの
単純な力は流され、ベンジャミンの冷気は旋風に絡め取られ、捕縛しようと伸ばしたエリアスの触手は引き千切られる。アドレーが声と共に放つ空弾など、まるで届かない。
近接型のグレイとシャルティに至っては近付けもせず、繰り出された
そしてアンは――何も出来なかった。
フィロータスの戦闘スタイルと、アンのそれは相性が悪過ぎた。
魔剣と
アンの繰り出す炎も風も、
単純な膂力や魔力、速度の面ではほぼ変わらないどころか、若干上なくらいなのに、戦闘技術と実戦経験値で上を行かれる。
タイタニアが指導しているだけあって、そこらの雑魚とはまるで違う。
認めたくはないが、おそらく実力は
認めがたき現実に歯噛みしながら、立ち向かうべき事実へと向かって行く。
結果は――改めて言うまでもない。予想を裏切る事もないまま、終わった。
「無策過ぎる。対抗手段が少なすぎる。弱点の露呈が早過ぎる。全部総合して見ても、加点なし。ゼロ点だな。マイナスが付かなかっただけ、まだマシと判断してやろう。何か異論、反論ある者は挙手」
「其方、ブレぬな……よくもまぁ、そう上から物が言えるものだ」
「当然だ。俺はおまえ達のずっと上にいる」
* * * * *
「クソっ! 言いたい放題言いやがって!」
ベンジャミンの拳が大木を揺らす。
「ひっ」と短く小さな悲鳴を上げたアドレーが並んで座るアンとエリアスの後ろに隠れると、シャルティが槍の石突で尻を殴った。
「八つ当たりしない! アドレーが怖がってるでしょ?!」
「……悪い」
「まぁ、気持ちはわかるけどね。あいつの方が実力も立場も上。霧の結界のせいで、この墓場から出る事も出来ないで、毎日毎日負かされる。傲慢の
貪欲を名乗るにしてはささやかな願いである気もするが、シャルティが限度を知らないだけだろう。今の彼女にとってはシャワーさえ、貪欲に部類される贅沢なのだ。
「しかし、英雄タイタニアの意図がわかりませぬな。拙僧らを鍛えると言い、他の英雄を倒させるとまで言った。あの方の狙いがさて、見当もつきませぬや」
「もうこの際、狙いなんて何でもいいわよ。最終的には全員ぶっ殺すんだから」
「そうかもしれぬが……正直、あの方に追い付くとなると一体いつになることやら。下手をすると、追い付くより前に体が限界を迎えてしまうやもしれぬ」
「フム……シャルティの意見も尤もながら、グレイの言葉にも一理ある。では、どれ――」
「アン様、どこへ?」
「決まっている。共に、墓の番をしに行くのさ」
* * * * *
タイタニアが休息場所として指定して来た場所は、広大な墓地の片隅にある廃材置き場。最初に彼と対峙し、瞬殺された場所までは十分ほどで到着する。
曰く、濃霧の結界を通って来た者達が必ず最初に辿り着く地点をそこに固定する事で、防御しやすくしているのだと、さりげなく教えてくれた。
かれこれ三日――この夜で四日目を迎えると、道順も体が覚えていて、タイタニアの燻らせる紫煙の香りがすぐ鼻を刺して来た。
「何をしに来た」
「探り合い……は苦手なのでな。単刀直入に訊きに来た。私達を鍛え、他の英雄を倒させる其方の意図は、何だ。何のために、私達の力になる。見返りは何だ」
「……言ったはずだぞ。語って欲しくばそれに相応しいだけの実力を付けろと。別におまえ達にこだわる理由は私にはない。ただ英雄を倒す志を持つおまえ達がここに来たから、鍛えているだけの事。素質があれば語り、送り出す。素質がなければ勝手に死ぬ。それだけの事だ」
「そこまでして、其方は英雄を倒したいのか」
「あぁ」
「躊躇がないのだな。かつての仲間ではないのか? まさか、最終的には英雄の一行から外された、いわゆるざまぁではなかろうな」
「……そのザマァとやらはわからないが、最後まで付き合ったさ。魔王を倒すなんてホラを吹く大馬鹿が、私の手を引いて行ったその日から、魔王を倒す時までずっと――何より、魔王ソーディアス・リンドヴルムを倒したのは、私だからな」
「は?」
間の抜けた返事で会話が途切れ、静寂が続く。
嘘を言っている風には聞こえなかったし、そもそも冗談すら言うような性格には思えない。
タイタニアは何か付け加える事もなく、黙って紫煙を燻らせる。
結局彼の思い通り、静寂に耐え切れず言及せざるを得なかったアンが、静寂を破らされた。
「何、其方が魔王を……倒した?」
「世間では、英雄が倒したと伝わっているのだろう。だが、普通におかしいとは考えなかったのか。魔王は英雄が倒したと伝わっているものの、英雄一行が倒したとは伝わっていない。そして七人もいる英雄の中で、何故か魔剣帝が魔王を倒した事になっている点について、不思議に思った事は、一度も、なかったのか?」
無言を回答とすると、タイタニアは困ったなと言いたげに紫煙を吹いた。
それくらいは感じていてくれよと言いたげなのが、盲目の身にも伝わってくる。
「何、答えは簡単だ。誰も魔王が倒された場面など見ていない。だから当事者であり、英雄であり、最後まで立っていた私の証言が唯一の証拠であった。それだけの事。この世界に蔓延る魔王討伐の英雄譚の原点が、最後のラストシーンだけが
「何故、そのような事を」
「九分九厘が実話だからな。信じぬ者、疑う者などいない。これ以上なく騙しやすかった」
「いやそういう意味合いではなく――何故、魔剣帝が倒した事に仕立て上げた。そのような事をして、其方になんの利点がある」
「質問ばかりだな。少しは自分の頭で考えろ。何、難しい事じゃない。私に勝つ方法を考え、実行するより簡単な事だろ? 何せ答えは目の前に広がっているし、おまえが今、答えの上に立っているのだからな」
不意に、周囲の霧が乱れ始めた。
霧の壁を見えぬ何かが駆け抜け、乱流する霧の壁に弾かれて石畳の上に落ちる。
目の見えないアンには、気配さえ感じられない自然現象の唐突の来訪に近く、生命体らしからぬ力の塊から、尋常ならざる能力を見取れてしまったことに、驚きを禁じ得ない。
しかも次の瞬間には突然自分達へと襲い掛かってきて、タイタニアが当然とばかりに間に入り、放たれた光線を横に払った鎌の一薙ぎで相殺してみせた。
「やれやれだな。おまえ達の戦いが、少しばかり刺激的だったらしい」
力は光線を刃に変え、握り締める。
魔力だけならば、アンの魔剣と大差ない魔力量。そんな物を容易に出せるなど、ただ者ではあるまいが、そもそもアンの魔眼は、唐突に現れたそれを生物として捉えていない。
目の前に圧縮された台風があるかのような、力の塊が浮遊しているような、何と表現しても的を得られず、正確に捉えきれない物質が、今まさに攻撃を仕掛けんとしている。
アンは魔剣を抜いて応じようとしたが、タイタニアの手がそっと柄を押し、鞘に戻した。
「邪魔をしてくれるな。これの相手は、墓守たる私の仕事だ」
敵が、刃を振りかぶって襲い来る。
タイタニアが鎌の石突きで地面を突くと、墓石という墓石から魔方陣が現れて光弾を乱射。敵は敷かれた弾幕の中を斬り裂きながら進んでくるが、応戦する分突進力が落ちる。
その隙に高く跳躍したタイタニアが、大きく振りかぶった鎌を着地と同時に振り下ろして、敵は地面に足の半分が埋もれながらも刃で受け止めた。
受け止められて、タイタニアは次手の取捨選択を一秒内に収めて動く。
鎌を握る片手の指が、人差し指から小指まで順に鎌を放してすぐ、再び強く握ったのを合図として、地中と頭上に現れた魔方陣から射出された鎖が、敵の四肢と首を絡め取る。
動きが完全に固定され、敵が拘束を解こうともがくまでのタイムラグ、およそゼロコンマ五秒の間に、鎌を放したタイタニアの正拳が敵の胸の中央を突き穿って、決着となった。
「ここまでだ。いい加減、敵わないと知れ」
タイタニアが拳を引き抜くと、敵は霧散するが如く消えていった。
そもそも肉体がないかのよう――いや、タイタニアが今戦った敵には、肉と呼べる物はなく、体と呼べる器に収まっていなかった。
では一体、彼は何と戦ったと言うのか。
「憤怒の。ここは一体、誰のための墓だと思う」
「誰の……ここ、リムリスの者達の、ではないのか」
「その解答だと、正解は一割だ。つまりリムリスの民のために裂かれている敷地は、この墓地の一割に過ぎない。では、残り九割は誰の墓か。そもそも、私が何を守っていると思う? 墓守が守っているのは、何だと思う?」
「言葉通り、墓ではないのか」
「それもまた正しい。が、正確には違う。墓の中身の話だ。しかし、死体ではない。焼かれた後の骨でもない。では何か――」
「まさか……」
あり得ない。
信じられない。
そんな物のために墓を守ると言うのか。
少なくとも、アンはそうしろと言われたら理解出来ず、投げ出していたかもしれない。
墓を守れ。墓の下にある死体、もしくは骨壺の中の骨を守れと言われた方がまだ、頑張れるかもしれない。
そう感じてしまうのは、前世の基礎知識を持つが故なのか。
しかし、そうとしか考えられなかった。
「其方は、魂を守っているとでも言うのか」
「それでようやく、七割程度の正解になる。より正確に言うならば、この世界より死した者達の中より、再び転生する事を許されぬ者達の魂を封印し、守護する事が、私達墓守の一族の使命である。
「では、今、其方が戦ったのは……」
「輪廻の輪に戻るべく、私を殺しに来た魂の残滓だ。毎晩、とまでは行かないが、度々夜更けに現れては戦いを挑んでくる。否が応でも、戦闘経験値は他を圧倒するまでになった。実際、戦闘経験値だけで言えば、私は他の英雄より圧倒的に上だろう。結果、この墓を守れるのは、今となっては私だけになってしまった」
「だから其方はここを離れられないと。だから私達に、英雄を倒す役目を負って欲しいと」
「あれは魔王を倒した結果、新たなる魔王へと至ってしまった。他の英雄もそうだ。ならばいっその事、殺してこの墓地に封印してしまった方が良い。おまえ達を鍛える理由など、その程度だ。だから、期待を裏切るなよ、七つの大罪。私をおまえ達を利用するが、おまえ達も私を利用しろ。強くなれ」
そう言い残し、紫煙を燻らせながらタイタニアは去って行った。
アンらも知らない寝床に戻るとの事だったが、追いかけようとは、思えなかった。
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