濃霧の奥の墓守
リムリス。
森に囲まれた小さな街の存在を知っている者は、極めて少ない。
地図にも乗っていない上、出身者が外に出て来ることも、滅多にないからだ。
理由としてはまず、外交を行なっていない事。
内部での自給自足で生活が成り立っているため、輸入と輸出を行う必要がなく、外との関わりをまるで持たない事が一つ。
もう一つは、街と言っても敷地の大半を占めているのは墓場であり、生活している人の数よりも、土に埋まっている人の数の方が多いと言う事。
最早肝試しなんてする度胸さえ湧いてこないほど、静寂と静謐に満ち満ちた空間にわざわざ行く理由などどう考えてもなく、さらに言えば森の中にあるために、旅人も危険を遠ざけ、素通りしていく。
街からの出入者など、英雄の一行として共に魔王を倒す旅路に出て戻って来た彼以外、一人もいない。
もしも優しい騎士様の紹介がなかったら、一行は街の存在に気付かぬまま、延々と墓守を務める英雄の所在を探し続けていただろう。
アンは面白くないと言いながら、若干、少しは、砂の一粒くらいには感謝していた。
そんなわけで、一行はリムリスを囲う、広大な森の中を歩いていた。
「アン様、足元にお気を付け下さいね。木の根が所々、地面から出ていますから」
「あぁ。すまないな、エリアス」
ベンジャミンの嗅覚とシャルティの聴覚とを頼りに、一行は森の中を直進していた。
整備された道などあるはずもなく、獣道を辿ったところで街に辿り着く保証もない。獣人の嗅覚と龍人の聴覚とが、街に辿り着くための唯一の頼りだった。
足元が不安定のため、アンはエリアスの補助を受けながら進んでいく。
「わぁぁ! ねぇねぇ見て見て! あの鳥さん青いのに、尻尾の先だけ赤いよ! 綺麗綺麗!」
「あれは魔鳥の類ですな。魔力を有し、人語を理解するばかりか、教えられた人語を知識として保管出来るのだとか」
「へぇ! 凄いねぇ、良いなぁ! 私、アドレーもそれくらい頭が良かったらなぁ!」
アドレーはグレイに肩車されながら、動物を見つけては質問攻めにしていた。
グレイが的確に答えてくれるのが楽しいらしく、アドレーも次々と知識を吸収していく。
(まぁ、人語を話す鳥くらいは前世にもいなくはなかったが……言わないでおこう)
アドレーの願いは本来、自分の中に蓄積された知識でしか知らない世界を、実際に見て回り、体験し、アドレー・リヴァイアの知識として蓄積させていく事なのだから。
前世の体験や知識を語って、妙な知識を持たせるのも違うだろう。
まぁ、銃火器然り、前世の知識を当世に持って来た輩は少なくないようだが、アンは好き好んで披露しようとは思わなかった。
アンが生きた前世にもまた、光はない。
「おい、シャルティ。確認だが、この先に人の気配なんてするか?」
「正直、私も自信ないわ……街があるだなんて思えないくらい静か過ぎて。この森といい、気味が悪いわ」
動物の気配はあちこちから感じられるし、木々の一本一本が魔力を帯びているような魔性の森でもなく、森自体に危険はない。強いて言っても、獣の襲来くらいだろう。
シャルティが気味悪がっているのは、森の静寂さだ。
獣が交わす鳴き声、食物連鎖の中で生じる断末魔から咀嚼音に至るまで、シャルティの耳には聞こえているのに、まるで無音のように感じられる。
曰く、林と森の違いは人の手が加わっているか否かの差らしいが、人の手が加わっていない紛れもない森の中と言っても、違和感の生じてしまう程の静寂が延々と続いて、まるで落ち着けない。
周囲から殺意の籠められた視線を向けられ、囲まれているかの如き緊張感さえあり、もしも森に住まう動物や虫の目が、この先にある街にいるという守護者と通じていたとしても、何ら驚きさえしない自信があった。
しかし、もしも前以て向こうがこちらの侵入を察知しているのだとしたら、普通何かしらの反応を見せないだろうか。
自分自身は動かずとも、せめて刺客を送り込むなり、魔法による結界や
自分の実力に相当の自信があるのか、それともそもそも興味がないのか。いずれにせよ、シャルティからしてみれば進む先に何かあると思わざるを得なかった。
だと言うのに――
「ねぇねぇオボーさん! あれは、あれは?!」
「これこれ。あまり動くと、拙僧も落としてしまう故、落ち着かれよ」
「アン様。何か?」
「……木漏れ日が、心地良いと思ってな」
「あんたたち、ちょっと緊張感無さ過ぎない?」
長年生きて来た環境の過酷さが、そうさせたと言っていい。
他人から奪う事で生き続けて来たシャルティは、いつしか報復や復讐を警戒し、眠っている間にも自らの呼吸を数えられるようになった。
そんな彼女からしてみれば、大罪を名乗る一行は敵地にいると言うのに、気が抜け過ぎているように感じられて、何となく馴染めずにいた。
そんな彼女の様子を察して、ベンジャミンが背中を叩く。
力が強過ぎて咳き込んだシャルティに睨まれたが、そう怒るなよ、と笑って見せる。
「うちはいつだってこんな感じさ。罪悪感に足を取られて死ぬくらいなら、罪を背負って歩いちまえってな。姉御曰く、人の罪を決めるのは実際自分自身じゃなく、赤の他人なんだとさ」
「それ、ただ開き直ってるだけじゃないの?」
「何言ってんだ。俺達ぁこれから、世界を救った英雄の皆皆様を殺して行くんだぜ? どんな理由があろうが、未遂に終わろうが、罪は罪。だがその罪ってのは、俺達じゃあなく、世間が、周りの人間が勝手に言う事だから気にするなって話さ。ずっと気を張り詰めて、緊張してたら疲れちまうだろ?」
「それは、そうだけど……」
「ま、今までの生活で癖になっちまってるんだろうけどよ。適当でいいんだ、適当で。例えこの先で敵に囲まれようと、誰もおまえを責めたりしねぇからよ」
再び背中を叩かれそうになったので、咄嗟に避ける。
もう叩くな、と威嚇する形で
そのお陰かどうかはわからないが、若干心にゆとりが生まれて、当初感じていた静寂の気持ち悪さが軽減されていたのに、この時のシャルティは気付かない。
それよりも先に、気付いてしまった物があったからだ。
「待って!」
「どうした?」
「……」
大罪の皆には、聴覚が良いとは言ったが、正確には少し違う。
眉間から超音波を発し、それを聞き取って
龍人族全員が持つ特性ではなく、シャルティのような、水中でも活動するタイプの龍人が持つ特有の能力だ。
ただ、シャルティはその能力のせいで「魚だ魚だ」と虐められた事があり、あまり良い思い出がないため、能力自体を嫌っている。
アン達はそんな事はしないだろうなと思えたが、過去の記憶が拭い切れず、言い出せないままでいた。
とにかく今、そんなシャルティが嫌々ながら放っていた超音波が、一つの気配を捉えた。
今の今まで感じられなかったのに、何故今、捉えられたのか。わずかに生まれた余裕のお陰か、それとも敵の油断か、挑発か。
さっさと来い。
そう言われている気がしないでもなかった。
「いたのか?」
「……えぇ。十時の方向を真っ直ぐに行ったところに、一つだけ気配を感じる。動く様子はないし、歩いて行っても大丈夫よ。きっと」
「そうか。では皆、行こうか」
「はい、アン様」
「シャルティ、案内を頼むぞ」
「えぇ」
アンに言われたので先を行こうとして、不意にベンジャミンが視界に入る。
突き出された手は背中を叩く代わりに親指を立て、強く押し出された。
何とも返し難いものの、悪い気はしない。しかし、本当に返す言葉が見つからない。
ので、シャルティは言葉の代わりにベンジャミンの背中を叩き、先を進んで行った。
照れた顔を皆に見せまいとして先頭を歩くシャルティを筆頭に、一行は進み続ける。
進んでいくと、今まで発生する気配などまるでなかった霧が広がり、視界を遮って来たが、超音波を頼りに進んでいる今、視界の有無など関係ない。エリアスが伸ばした触手を皆で握り、一列になって進んでいく。
果たしてどれだけ進んだのか。
たった数メートルのような、数キロにも及ぶ道のりだったような。
距離、時間共に霧幻の中に溶けて、永遠に続くかのように感じた道のりだったが、不意に霧が晴れ、道が開けた。
罅割れ、所々砕けて割れた石畳。
単純な四角柱から十字、神か何かを模った物まで、様々な形の墓石が並んでおり、最初に見えた範囲だけでも、五〇近い数の墓石が並んでいた。
霧の中を歩いていたせいか、それとも墓地が放っているのか、ジメジメと湿気の強い異臭が、鼻腔の奥を突いて来る。
「本当に突然現れたな……さっきの霧も、結界の類か何かか?」
「断言はしかねるが、おそらく自然発生した霧に己が魔力を籠め、疑似的な結界を作り上げたのではなかろうか。一から霧を発生させて作るより必要とされる魔力量も少なく、効率も良いですからな」
「まぁ、この森なら霧なんてしょっちゅうでしょうしね……」
「そんな事はない。霧とは、空気中に浮遊する水滴によって、視程――つまりは見える距離が一キロ未満になっている状態を呼び、一キロ以上十キロ未満の状態は
長々とした説明文が、スラスラと一切噛まれる事無く流れて来る。
しかし流暢な語り手の姿はなく、声だけが響いてきて、一行は互いに背中合わせになって周囲を警戒し始めた。
何処からか様子を窺っているらしく、重い吐息が聞こえて来る。
「その陣形は六人では不足だ。何より、そこの少女二人を狙われれば容易く突破される。獣人と龍人がいるのなら待つのではなく、索敵して攻めるくらいの気概でなければなるまい。即座に防御を固めるなど自分達の方が劣勢であり、実力的にも下ですと暴露しているような物だ。例え格上を相手にするとしても、強気な姿勢は保つべきだろう」
よくもまぁ、噛まずにスラスラと言えるものだ。
何より、指摘が的確過ぎて腹が立つ。
アリステインと同じで敵に塩を送るタイプだとしても、的確過ぎるアドバイスほど腹の立つ物もそうはない。
一発かましてやりたいところだが、アンの視界にはもちろん、他五人の視界にも敵は現れていなかった。
「どうした。手詰まりにしては早過ぎないか。看破されたなら索敵に移るなり、攻撃に転じてみるなり、何かしらの動きを見せるべきだろう。つまらぬプライドが邪魔をすると言うのならさっさと捨ててしまえ。ただでさえ格上が相手なのだ。誰も責めはすまいよ」
「このっ……! てめぇ黙って言わせてれば――!?」
一人飛び出そうとしたベンジャミンを、呼び止めようとした時だった。
あろう事か六人で背中を向け合って固まっていた、誰も入る事が出来ないはずの中心に、それは霧の中から降り立ったのである。
咄嗟に全員飛び退こうとしたがアドレーが捕まり、反撃の隙も与えられぬまま首の気道を手刀で突かれ、意識を狩り取られた。
「先ほど忠告し忘れたが、あの陣形だとこうした中央からの奇襲を受けた時に脆い。まぁ、本当は忠告される前に気付けと言うべきなのだが、私は英雄だ。やり直すチャンスくらいくれてやるとも。つまり、わかるな? 私が相手でなければこの娘は今ここで死んでおり、七つの大罪は早くも空席が生まれていた、と言う訳だ。まったく、この程度で魔剣帝を倒すなどとよくぞ宣えたものだな――」
背後から飛び掛かろうとしていたベンジャミンの首に、太い鎖が巻き付かれる。
取る暇など当然の如く与えられずに引き倒され、倒れ込んできた胸座と腹部に叩き込まれた拳の連打に抵抗する力を奪われ、打ち上げるように繰り出されたアッパーカットに下顎を打ち抜かれて、浮かび上がったベンジャミンの巨体が背中から倒れ、気絶してしまった。
「独断先行。油断。軽率。傲慢な犬だ。おまえのような奴が動いた瞬間から、チームの崩壊は始まる。尤も、その事も考慮した上で勝利してこそ、真の指導者と言えるだろうが、ここの指導者は随分と甘い教育を施していると見える。味方がやられた程度で狼狽するな。間に入らず後ろから刺せ。敵を殺す訓練をさせる前に、味方が死ぬ時に揺らがぬ心を作る訓練をしろ」
「こいつ……!」
シャルティは槍を出そうとした。
が、地面を踏み込むより前に距離を詰められ、首を掴まれて持ち上げられると、近くにあった墓石目掛けて投げ飛ばされ、ぶつかって砕けた墓石の上から喰らわされた跳び蹴りによって、シャルティの意識も闇の中へと落とされた。
「格上の相手と戦う事を知りながら今更になって武器を出すとは、後手もいいところだぞ。格上に限らず、戦いに出るのなら常に先手を取る事を考えるべきだ。常に後手に回って勝てるのは、そう在る事を許された才人のみ。これは戦いを知らな過ぎる。本当に、英雄を倒すため集っているのか? おまえ達は。それとも、英雄を倒すという名目の下、行き場のない者達で群がっているだけか」
アドレー。ベンジャミン。シャルティ。
間違いなく、選んで狙ったのだろう。七つの大罪の中でも、比較的攻撃力の高い方から削いできた。アンと同じ、もしくは酷似した相手の
そして、戦いの途中でまたベラベラベラベラと、まぁよく喋るものだ。
墓守と聞いていたからもっと物静かな相手を想像していたのだが、まるで正反対。しかも文言のすべてが挑発でなく、的確な説教であるから腹が立つ。
これが守護者、タイタニア・ネバーランドの実力か。
「さて……もう三人倒れたが、次はどうする。殺してはないが、戦闘中に起き上がっては来ないだろう。あぁ、ちなみに、今のはその気だったら殺していたという脅迫めいた忠告も混じっている。よく考えて、次の行動に移せ」
腹が立つが、目の前の怪物じみた強さを持つ英雄の言う通りだ。
次の一手、間違えば確実に破滅への一手に繋がるだろう。
三人を殺さずにおいている理由はわからないが、一時撤退するにしろ残りの三人で戦うにしろ、後の行動が左右する事は言われるまでもない。
「判断が遅い!!!」
タイタニアは高く跳び上がると、鎖で繋がれた鎌を振り上げ、空中で体勢を整えて飛び掛かってくる。狙いはグレイだ。
振り下ろされた鎌の一撃を躱し、掌に目玉を出現させて掌打を打ち込もうとしたが、読まれていたような動きに躱され、懐に入られて自分が掌打を受ける。
掌打と共に撃ち込まれた拘束の魔法陣が動きを止め、更に地面から伸びた鎖が両腕に絡み付いて縛った直後、駆け抜けた紫電が焼き焦がし、グレイの意識をも焼いて奪い取った。
「私が戦力の高い順に狩っているのは明白。ならば次にそこの
「……其方、どういうつもりだ?」
堪らず、問い質す。
戦いの中でも、それだけの余裕がこちらにはなく、向こうにはあった。
向こうに余裕もないのなら話す余地すらないが、こちらにないだけなら一応は出来る。
「先程から何故、そのような説教じみたアドバイスをしてくる。意識を狩り取った後でされても聞けはしまいが、こうして私達が聞けてしまっている上、殺していない以上、再戦もあり得ると言うのに」
「再戦? 大罪を名乗る割には気楽なのだな。それとも楽観視か。このあと全員揃って埋められる可能性も、全員の首を斬って晒す事も出来ると言うのに、再戦するつもりでいるのか? 滑稽だな」
「アン様に向かって――!」
「止せ、エリアス」
「止めずともいいだろうに。どうせここで、七つの大罪は――」
「――全滅だ」
その後の事は、まるで記憶にない。
長く続いたような一瞬だったような。
とにかく必死に喰らい付き、勝つために全力を賭して戦った。
が、アンは起きた。
今の今まで眠っていた体は妙に軽く感じられて、むしろ気分さえ良かったが、どうも死んだわけではなさそうだった。
もし死んでも盲目だったなら、見えざる手の不条理を呪う。
何よりすぐ側で、タイタニアが
「アリアと引き分け、グレゴリーを押し退けた程度で調子に乗ったか。私の素性も碌にわからなかっただろうに、よくもまぁのこのことやって来たものよ」
「……何故生かした」
「殺す理由があるか? 墓守は墓を荒す者から、墓を守るのが仕事だ。私自身の命までは勘定に入っておらん。何より、おまえ達では私には一生届かない。魔剣帝どころか、魔導女王――アリアと再戦したところで、勝ちはなかろうよ」
結界を構築する濃霧の中へと、吹き付ける紫煙が溶けて消えていく。
この時はまだ、紫煙を吹き込む行為が結界の再構築そのものに繋がっているなど、気付く事さえ出来なかった。
何せ――
「故に、私が鍛えてやる。生かす理由などその程度よ」
黒い炭と化した刻み煙草を落としながらそんな事を言われては、注意が散漫になってもおかしくはあるまい。
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