~憤怒と守護者~

墓守、守護者タイタニア・ネバーランド

 女が、紅茶を嗜んでいる。

 たったそれだけの事だと言うのに、何と絵になる光景か。むしろ絵から切り取ったと言っても過言ではなく、納得さえ出来てしまう。

 古くから続く喫茶店ならではの静寂と、窓から差し込む陽光も相まって、紅茶を嗜む彼女の姿をより美しく、気品溢れる物へと変えていた。


 もはや他人の入り込む余地はなく、彼女に話しかけるなど無粋と言うもの。

 それでも話し掛ける人は彼女の知人か友人か、はたまた光に集まる羽虫が如く、彼女の美しさに惹かれて寄り付く、色に塗れた者達だけだ。


「ねぇ、お姉さん。一人?」

「俺達と一緒に遊ばない?」


 よくもまぁ声を掛けられたものだと、芸術的静寂を破った若者らへと、周囲から憤慨の混じった厳しい眼差しが向けられる。

 しかし良くも悪くも、色恋とは盲目な物だ。彼女にゾッコンな若者らは、周囲の目など完全無視して、何とか彼女を自分達の下へ連れ出そうとあれこれと話し掛けているが、肝心の彼女もまた、彼らを完全に無視して紅茶を嗜んでいた。


 すると若者らは煽られていると感じたのか、一人が女性の背後に回り、両肩を押さえ付けるように掴み取った。逃がさないぞ、と無言の圧力が女性を縛る。


「なぁ、無視しないでくれって。俺達と一緒に、しようぜ?」


 さすがに事件性を感じた紳士が立ち上がり、助けに行こうとしたその時、女性が笑った。

 何処に笑える点があったのか。周囲の誰にも、彼女を誘っている若者らにもわからない。まさしく不適な笑いを受けた若者の一人が、彼女より手を差し伸べられる。

 自分達で誘っておきながら差し出された手を前に臆し、時間を要しながらようやく取ったと思った次の瞬間――手を取った若者が、膝を突かされた。


「な、ぁ……っ?!」


 訳が分からない。


 彼は何もしていない。ただ、握手をしただけだ。

 なのに両膝を突かされ、立ち上がろうとしても脚が、体が言う事を聞いてくれない。どれだけ力を入れ、踏ん張ろうとしても、体がまるで動かず、むしろより強く圧し込まれる。


 が、女性は柔和な笑みを湛えており、魔力を含めた力のすべてを掛けていないように見えて、自分が立ち上がれなくなっている理由が、若者にはわからなかった。


「おい、てめぇら何をしてやがる」


 握手する若者の助太刀に二人が入ろうとしたところで、女性の方にも二人、助太刀が現れた。

 ただし一人は三つ目の鬼で、もう一人は巨躯を有する狼の獣人。自分達より遥か大きく強い存在を前に、彼らの選択は逃げの一択しかなかった。

 ようやっと掴み取った女性の手の感触に浸る間もなく、そそくさと退散させられた。


「姉御を口説こうなんて、十年早ぇぜ」

「アン殿、大事なかっただろうか」

「あぁ。まぁ、危険だったのは私ではなく、彼らの方であったが」


 と、アン・サタナエルは髪を掻き上げ、耳に掛けながら言う。


「危うく、斬り落とすところであった」

「えぇぇ……ちなみに、何を?」

、と言われても……なぁ?」


(あぁ、やっぱり聞くんじゃなかったぜぇ……)


 自分が標的にされていないとはいえ、光景を想像するとやはり恐ろしい。

 アンに至っては魔法を使う場合、予備動作も何もないから、前以て知る事も出来ないとなると余計に怖く感じられる。

 それで首を斬り落とされて、意識がないまま終わるならまだしも、斬られた事に気付いた後が怖くて、ベンジャミンは想像するのをめた。


「して、アン殿。頼まれていた買い物が済みましたが」

「そうか、ありがとう」

「にしても姉御……普段より随分と買い込んだが、何する気なんだ?」

「何をする、か。それこそ問われるまでもない。せっかく紹介されたのだ。言ってやろうじゃあないか」


 彼女の目が、赤く光って見えた。

 不適に浮かべる笑みの先に、見据えている敵の影を捉えているかのよう。

 光も色彩も通さぬ彼女の双眸には、どちらもあり得ぬ事だと言うのに。


「目指すはリムリス。敵は、タイタニア・ネバーランドだ」


  *  *  *  *  *


 やけに周りが騒がしい。

 そう感じているのは彼だけだ。


 周囲は整然とした静寂に包まれた森であり、風が吹けば木々がざわめき、常時繰り広げられている動物の食物連鎖を除けば、静謐極まる影に満ちた森が、延々と広がっている。

 むしろ彼こそ、森の静寂を打ち破れる唯一の存在であるとばかりに、漆黒の鋼に黄金の装飾が施された鎌を抱えて鎮座していた。


 彼のいる場所に、他の人影はない。

 人影どころか、生物の一切も寄り付かない。


 広大な森の中、ポツンと点在する広くも狭い墓場が、彼の居場所だ。

 森に住まう動植物は、彼の領域たる墓場への侵入を試みる事さえなく、時折遠目から見つめるのみ。

 別に侵入したからと言って、彼が絶対に攻撃してくるなんて事はないのだが、自ら進んで死神の前に立とうとする馬鹿は、動植物であろうともいやしないと言う話だ。


 ただし、彼は死神ではない。

 過去、そう呼ばれていた時期もあったものの、彼は魂を狩る者ではなく、むしろその逆。

 眠れる魂を護る者――当世においても今や絶滅危惧種扱いの一族。墓守の一族の末裔である。


 守護者、タイタニア・ネバーランド。


 虫の知らせか風の便りか。

 これよりやって来る招かれざる客の来訪を直感的に感じ取った彼は、静かに、抱いていた鎌を強く握り締めて、客の到着を待っていた。

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