廃墟寸前王国レギンレイヴ

 王国レギンレイヴ。


 王国とはなっているが、国を治める王はいない。

 過去に起きた二度の大戦で多くの国民と兵を失った罪を重荷に感じ、自決したからだ。以降、王座に座る者が現れない。


 権力者争いと言えば、王座を手に入れるための闘争であろうが、荒廃した今の王国を継いでも未来はないと、二人の王子は王座を譲り合うばかりで、大臣や貴族らも手を上げる事無く、未だ王座は空席が続いているとの事だった。


 何とも情けない話。

 だが、荒廃した大地で食物もまともに確保出来ず、貿易ではかつての敵国に不平等な条件で取引され、まともな利益さえ得られない。

 結果、国全体が貧困に喘ぎ、一般家庭には捨て子が増え、王国の一部には捨てられた子供達だけが住まうスラム街が生まれ、現在に至る――と、そのスラムにて、捨てられた子供の一人であるシャルティは語ってくれた。


 と言っても、捨てられたのはもう十年近く前の話で、今のシャルティはもう、燻らせる紫煙さえ似合う立派な淑女レディである。


「いる?」

「いや、前世でも煙草はあまり得意ではなかったんだ。それに、これでも治療中の身だしな」

「ふぅん。治療中、ねぇ……」

「何か?」

「別に?」


 彼女達は元々宿屋だった場所をそのまま寝床にしており、アンには比較的大きなベッドが割り当てられた。

 シャルティの操る治療魔法のお陰で小さな傷はすべて塞がり、後は自然治癒を待つのみの今のアンの仕事は、安静にしている事。

 だがただ安静にしているだけではつまらない。そこで治療ついでに彼女を捕まえて、話し相手をして貰っている。


 ちなみにアドレーは一緒に逃げた子供達の心の穴を埋めるべく一緒に遊んでおり、エリアスは子供達が魔法を会得するために使った魔導書を読み込んで、新たな魔法を会得するための勉強で知恵熱を出している。

 ベンジャミンにはグレイと共に、子供達をまとめるリーダーの下へ会いに行って貰っている。直接会った時に礼は言うが、その前の軽い挨拶を任せた次第だ。


「……で、どこまで本当なの?」

「どこまで、とは」

「英雄に、喧嘩売ってるって。どこまで本当なの?」

「喧嘩は売ってない。が、宣戦布告は済ませてある。喧嘩程度で終わらせる気はない」

「……まぁいいけど、ここを巻き込まないで頂戴。見ての通り、もう壊れる場所すらないんだから――って、目が見えないんだっけ。ごめん」

「構わんよ。ところで私も、一つ問いたいのだが」

「何?」

「この国にも、貴族は……其方の家は、いつ潰れた」


 わかりやすいくらい、思い切りむせる。

 喉の奥底を紫煙に突かれて、シャルティは目尻に涙を浮かべながら紫煙を体から追い出さんと強く咳き込み、近くにあった暖炉に手を突こうとして、透かし、思い切りよろめいてコケた。

 溜まりに溜まった埃が舞い上がり、アンにも咳払いを促す。


「あんた……! なんで、私が貴族だって――知ってるのはガルドスだけのはずよ?!」

「一挙手一投足がぎこちない。何か隠そうとしている仕草だ。動作を隠すとなれば、貴族か王族。王座には誰もいないものの、王族は健在。となれば、貴族しかあるまい」

「あんた……ホントに目が見えないの?」

「よく言われる」


 それまでずっと一定距離を保っていたが、どうやら観念したらしい。

 体に着いた埃を払いながら灰皿に煙草を押し付け、どかっ、とベッドに座って来た。


 エリアス曰く、炎の如く赤い髪の持ち主らしいが、煙草のヤニに負けないくらいに柔らかく、いい匂いがする。それこそ、これまでに街ですれ違った貴族の令嬢が匂わせるような、石鹸か香水の匂いだった。


「……二度目の大戦の時、他の子達と一緒に、外で遊んでたの。そしたら敵国の戦力が襲って来て、私はすぐに家に帰った。けど、帰って見たら両親一緒に、私を置いて逃げてたの。いつもお洒落して出掛けるような両親が、宝石も何も付けずに外に出たなんて、そのときが初めてだったんじゃない?」

「その家は、もう残ってないのか」

「三年くらいは持たせたわ。両親が残して行った宝石とか服とかを敵国に売って、子供なりに頑張った……けど、いつだったか、両親の首が晒されてる映像を見ちゃって。もういいやって……捨てちゃった」

「そうか」

「妙な気分だったのを覚えてる。私を捨てた報いが来たんだって思うと、胸がいたような気分なのに、もう帰って来ないんだってわかると、胸に穴がいたみたいになるの。この先どうすればいいのか、わからなくなっちゃって。だからいっそのこと、全部捨てちゃおうって捨てたはいいけど、お金なんてその時はただの紙屑同然。持ってても意味はなかった」

「その時か。ガルドスとやらに出会ったのは」

「えぇ。彼は命の恩人よ。私とそんな変わらない歳なのに、子供達みんなを率いて、今日まで生かしてくれてるんだから」

「そうか。そうだな」


 同じ、両親から捨てられた者同士。だからと言って、同情は出来なかった。


 ■は確かに両親に捨てられたが、それは前世での話だ。この世界におけるアンの両親は、命を賭してアンを護り抜き、死んで逝った。

 一方、シャルティの人生は一度しかなく、その一度きりの人生で、両親に見捨てられた。自分の命を優先して貰えなかった。


 故に同情は出来ない。あるのはただ、怒りだけだ。


 シャルティの両親に対する憤慨。そして、前世で■を捨てた両親への憤慨。

 彼女の両親は晒し首になったそうだが、前世の両親がそうなる事はない。ならばそれに匹敵するだけの苦痛を与えよ、不幸にせよ、という憎悪と憤怒を燃やすだけ。


 言葉にこそしない。呪いのような殺意を燃やすだけだ。


「素性を隠すのは、そんな両親を嫌ってか?」

「そういう意味もあるけれど、二度目の戦争の原因は、この国の貴族が魔剣帝に喧嘩を売った事がきっかけって言われてるのよ……だから、直接関係はなくても、ね」

「なるほど。だからこそ、ガルドスとやらは特別なのだな」

「そうね。私が貴族だったって知っても、見放すような真似はしなかったもの……彼には、感謝してもし切れない」

「で、いつから異性として意識し出した? その時か?」

「い、いつ、そんなこ、こと言ったかしら!? 私はべつっ、ぅぅぅ……!」


 どうやら、舌を噛んだらしい。

 素性を暴かれた時といい、面白いリアクションをするなと思いながら、アンは背筋にゾクリと感じる感覚を抑え切れなかった。


 本人曰く、これがアン・サタナエルのサディストとしての血が目覚めるきっかけとなったとの事だが、周囲が聞けば、元々素質は持ち合わせていたと言うだろう。

 故に敢えて言うならば、本人が自身の内に眠るサディズムに気付いたのが、この時だっと言うべきか。


「か、彼とはそんな関係じゃないから! 勘違いしないで頂戴!」

「別に隠す必要もあるまい。せっかく悪役令嬢に生まれずに済んだのだ、存分に謳歌すれば良い。で、彼とは実際どこまで進んでいるのだ? ん?」

「もう! ベッド貸してあげないわよ!? ――って、あれ……?」


 さながら、獲物を見つけたハイエナが如く。シャルティの動きを“憤怒の魔眼”で先読みしたアンは、怪我の有無さえ誤認させる神出鬼没な動きでシャルティの背後を取り、後ろから胸を鷲掴んだ。

 「ひゃん!」と、今までにはない可愛らしく女々しい声が響く。


「なるほど。これが王道のスキンシップになる理由がわかった気がする……御し難き、この背徳感」

「いや、人の胸揉みながら何しみじみしてるのよ! 離れなさい!」

「そうだな、すまない……この目は身体的特徴までは捉えられぬ故……許せ」

「悪かったわね! 揉むほどなくて! いいから、大人しくしてなさいってのぉ!!!」


  *  *  *  *  *


 帝国、カイナグランデ。


 魔導女王ヴィヴィアン・スー、私室。


「来てくださいましたか、エメス」


 エメス、と呼ばれた男は仮面を被っていた。


 鳥のくちばしを模したような形の、俗にペストマスクと呼ばれる面だ。

 ペストマスクは嘴の部分に香草や藁などを詰める事で、吸い込む空気を浄化する事を目的に作られた物であるが、男は医師ではない。

 英雄の一角にして巨岩神きょがんしんの異名を持つ、世界屈指のゴーレム使いである。


「久しいね、ヴィヴィアン。アロケインとは、上手くやれているかい」

「開口一番それですか……何も心配されるような事はありません。後継者については、その、時間がないと言うだけで……」

「そうか。安心したよ。君達の事は、英雄と呼ばれる前から知っているからね。他に家族もいない僕にとって君達だけが、心配し、信頼出来る家族のようなものなんだ」

「だから来て下さった。本当にありがとうございます」

「それで、用件は」

「まずはどうぞ、お座り下さい」


 女王が魔杖ロッドを床を小突くと、足長の肘掛椅子が犬のように走って来た。エメスが座ると来た時より速度を落としながらも走り、机の側に鎮座する。

 机には地図が広がっており、その上にいくつかの駒が意図的な配置で置かれていて、エメスはそれらの配役を即時理解した。


「敵か」

「えぇ。七つの大罪を名乗る異世界転生者による聖母襲撃事件を聞き付けて、各地で燻っていた転生者が奮起したようで……現在、対応に追われている次第です」

「フム。賭博師の彼女の周囲はもう、粗方片付いていると見ていいのかな?」

「報告直後、自ら敵対勢力に向かって行ったようで……すでに彼女の周囲にはもういません。エメスには他の勢力……主に、聖母アリアを狙う勢力をお願いしたいのです」

「いいだろう。彼のいる霊園は……大丈夫そうだね」

「彼を襲う敵なんて、無能な獣か自殺志願者くらいですから」

「では、大罪そのものに対する対処は?」


 沈黙。


 部屋全体の空気が重々しく感じられるくらいに二人が押し黙り、生まれた静寂があった。

 実際に黙っているのはエメスだけで、ヴィヴィアンは彼の反応を待っている状態であり、そこまで大きな決断をしているわけでもないのだが、エメスのしているペストマスクのせいか、沈黙している彼の周囲は、どうしても空気が重く感じられた。


「まぁ、君がそう決めたのなら、止めはしない。ただ、そこまでする程なのかい? わざわざ英雄の一角を差し向ける程に、その大罪とやらは強いのかな」

「実力はまだまだです。アリアにさえ勝てないのですから。ですが彼女達を火種に、叛逆の狼煙が各地で上がろうとしています。そんな彼らに、再度思い出して頂かねばなりません。自分達が、一体何を敵に回そうとしているのかを」

「詰まる所、見せしめと言う訳か。変わったね、ヴィヴィアン。僕の知る君では、こんな判断は下せなかった」

「……私が汚れる事で、彼を護れると言うのなら、いくらでも穢れましょう。そのためなら、いくらでも変われます」


 千里を超え、万里を見通す“万里眼ばんりがん”として伝わっているヴィヴィアンの魔眼は、レギンレイヴに潜む一行を睨む。

 実際、万里どころか星の半球さえ見通せる神秘の魔眼は、自分達に牙を剥ける侵略者に対する憤怒で、燃え上がっていた。

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