騎士団強襲

 始まりの合図は酷く短く、号令とも言い難い囁きだった。

 外に出ていた尼僧を脅して居場所を割り出した騎士が、隣に立ち尽くしていた漆黒の騎士に一言告げただけだった。


「行きなさい、ベル」


 漆黒の騎士が跳ぶ。

 最早跳躍と呼ぶには高過ぎて、飛翔と言えるくらいの高さまで跳んだ騎士は、転生者ならばライダーキックと呼んだだろうポージングで、流星の如く飛来した。


 まだ酒が残っていた見張りの破戒僧の酔いを、衝撃と粉塵とで一瞬にして覚ました騎士は、舞い上がる粉塵の中で自分を探していた破戒僧の首を背後から撥ね、近くにいたもう一人の胸座に、今首を断ち斬った漆黒の大剣で貫いた。


【■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!】


 人の叫び声とは言い難く、怪物の咆哮とも言い難い。

 何にも結び付かず、何にも属さないそれだけの発する音波のような絶叫が轟き、酔い潰れて眠っていた洞窟の全員を叩き起こした。


 ベンジャミンは二日酔いで痛む頭をさすりながら、ゆっくりと侵入してくる異物を見て、言葉を失う。

 ただし驚いた理由は、兜の奥で光る六つの赤い眼にではない。それが垂れ流している、厖大かつ尋常ならざる魔力量。

 魔法使いが魔法の効力を最大限発動させる際に放つような、後先考えずに解き放っているような魔力が、これでもかと流れ出ている。


 生まれ持った魔力の総量の桁が違うのだろうが、一つ二つでは計算が合わない。

 魔力は生命力に直結する生命的エネルギー。持ち得る魔力の総量が、即ちそれの持つ生命力の強さ、と言っても過言ではない。

 つまり今、目の前にやって来たそれは、ベンジャミンとは比較にならない規模の生物という事になる。それがベンジャミンを遥かに超える大きさの怪物ならまだわかるが、自ら距離を詰めたアンとほぼ同じ規格に収まっているとなると話は別だ。

 最早星の数ほどいる異世界転生者の中でも、滅多にいない破格の能力値。


「姉御! そいつはヤバい! 逃げろ!」

「ベンジャミン! 其方、まだ二日酔いが治っておらぬのか。冷静になってよく考えろ。こんな化け物が目の前にいて、一体どうやって逃げろと言うんだ」


【■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!】


 皮肉な話だ。

 折れず曲がらずよく斬れる。絶対的強度を誇る魔剣を貰い受けていなければ、狂人が振るう魔剣の一撃を受け止める事が出来なかった。

 ただ剣撃の勢いに負け、ガードの上から吹き飛ばされて、岩壁に叩き付けられるだけでは済まなかっただろう。

 それこそ、体を上下両断されていても、おかしくなかった。


 全身甲冑に覆われているので見た目ではわかりにくいが、アンの魔眼は甲冑の中身に宿る能力値ステータスを見る。

 その場の全員が気付いているだろう尋常ならざる魔力が、膂力のすべてを過剰強化ブーストして、獣人をも超える怪力を生み出している。

 さながら、石炭をべられて走る蒸気機関車が如く、魔力と言う燃料を心臓という炉心にべて、力の限り暴れる怪物。


 単純が故に無敵シンプル・イズ・ベスト

 小手先の技など通用しない。この上ないくらいに単純明快。圧倒的な力と速力だけで敵を圧倒し、圧殺する漆黒の騎士。

 手にしていた魔剣らしき得物と合わせ、アリステインが名乗っていた六剣聖の一角だろう事は察せられたが、こんな化け物がいたとは思わなかった。


 少なくとも、アンの知っている騎士という存在とかけ離れ過ぎていて、予想の斜め上から攻められた形だ。自分を口説いた騎士からも、ある程度の情報を聞き出しておくべきだった事を、アンは後悔する。


「アン様!」


 アンへと追撃しようとしていた狂戦士へと、エリアスが触手を伸ばして捕まえる。

 魔力を吸い取って力を封じ込める算段だったようだが、十秒と経たずして騎士を縛っていた触手が切れて、エリアスがその場で嘔吐した。


 魔力量が厖大過ぎて、許容量を一瞬で超えてしまったのだろう。

 他のスライムとは比較にならない器を持っているはずのエリアスでさえ、手に負えない代物と言う事だ。


「いいなぁ、騎士さん。その魔力、頂だ――」

せ! アドレー!」


 エリアスの魔力吸収でも一瞬で限界を迎えたのだ。アドレーが魔力を奪ったところで、扱い切れないだろうし、奪えたとしても、ほんの一部だけでグロッキーになるのは目に見えている。

 ならば尼僧と共に子供達の避難に尽力してくれた方が、まだ役に立てると言うものだ。


【――!】


「ベンジャミン、エリアスを担いでさっさと行け。二日酔いの狼など、酒臭いだけで役に立たんし邪魔だ」


 洞窟内だから反響する事をわかっての声量だろうが、それだけ意識を削げないという意味合いでもある。


 そもそもアンは、常人が本来持ち合わせている五感の一つが欠如しており、第六感シックス・センスと呼ばれる、いわば直感を駆使して、ようやく五感が完成している状態。

 目の前の狂騎士が六つの目を持っているから言う事ではないが、視力は事戦闘において、最も重要となる情報源だ。それがないアンは、他より大きなハンデを背負っている。


 アンのいた前世には、盲目ながらにして常人より遥かに周囲が見えている、などという設定のキャラクターで溢れていたが、見えているというのはあくまで比喩表現であって、異常聴覚然り嗅覚然り、視力に代わる他の感覚器官を、鋭敏に研ぎ澄ませているだけの事。


 心の目――心眼と呼ばれる物を開いて、より大きな視野を手に入れたなどと宣う連中でさえ、不意の事態に対応が遅れるのは当たり前。

 通勤ラッシュで雑踏する人混みの中、線路へと押し出されれば、一切の抵抗も遺言を残す暇もなく、発車直後の電車に撥ねられて死ぬだろう。

 少なくとも、アン・サタナエルとなった者はそれで死んだ。


 言葉らしい言葉を操らない怪物に、理性と呼べる物があるのかどうか知らないし、ダラダラと理屈を並べたが、言いたい事はたった一つ。

 油断大敵。その四文字熟語一つで、片付く事だけだ。


 だからこそ、ベンジャミンを含めた周囲へと気を配った一瞬に、アンの左腕は失われた。


「アン、様……? アン様! アン様! いや、いや……! いやあああぁぁぁ!!!」


 エリアスの悲痛な絶叫が響く。

 ただでさえ反響する洞窟内での叫び声は全員の恐怖心を煽り、背筋に悪寒と戦慄を走らせてその場に硬直させた。


 その場で動じなかったのは腕を斬り飛ばした騎士と、斬り飛ばされたアンの二人だけ。

 それどころかアンは斬り飛ばされた腕の切り口から噴き出す血を騎士へと撒き掛け、視界を遮って追撃を封じ、炎熱をまとった蹴りを胴に叩き込んで地面に叩き付けて見せた。


 空中で体勢を立て直し、脚から軽やかに着地したアンは、斬られた腕の傷口を自ら燃やして止血。歯を食いしばり、脂汗を噴き出しながら、間欠泉が如く噴き出す血を止める。


「エリアス! 泣くな! 喚くな! 其方が今するべき事は、現状を嘆く事ではない! この場にいる者達を無事、ここから逃走させる事だ! 自分自身の身を護りながら、共に宴をした者達を護り抜く事だ! いいな!? エリアス!!!」


 漆黒の騎士が、舞い上がる粉塵の中から飛んで来る。

 一直線に飛び込んで来た騎士の振るう漆黒の魔剣を受け止め、繰り出される連撃を真正面から受け切り、最後の一撃に吹き飛ばされる。


 再び宙で体勢を立て直して着地したアンは視線を感じて、洞窟の入り口へと顔を仰いだ。


「そこの剣聖。この魔剣が、そんなに気になるか?」


 騎士は、甲冑の下に垂れる生地を、スカートの裾のようにたくし上げて会釈する。

 その様はアンには見えないが、さながら貴族の令嬢のような立ち居振る舞いをするその騎士は、中世的な顔立ちをしていたものの、実際は女装をした男性であった。


「御機嫌よう、アン・サタナエル。我が同胞、アリステインの魔剣を操る大罪人。お会い出来て光栄――と言いたいところですが、正直に言って複雑な心境です。我がともがらの剣を握る貴女に対して、光栄と思うのは難しい」

「して、その身は如何なる剣聖か」

「あぁ、そう言えば名乗ってなかったですね。失礼を致しました。大罪人とはいえ、礼儀を欠いてはなりませんよね。では。高い所から失礼します……魔剣帝が配下、六剣聖の一角、ディコルド・ヴァレンシュタイン。あなた方大罪一行を捕縛しに参りました」

「に、しては、随分と手荒じゃあないか。こちらはこの通り、片腕が飛んでいるんだが」

「はい。抵抗するようであれば、その場で処刑しても構わないと言われておりますので。更に言えばどのような経緯であろうと、かの魔剣を握る貴女が許せない……なんて、私情が混じっておりまして、片腕くらいでは物足りないくらいです」

「其方、実は結構性格が悪いとは言われないか」

「いいえ? 特別言われたことはないです」


 まぁ、本人に言える勇気がある人は少なかろう。

 と言うか、そもそも彼の思いが特別、アンに対して強く向けられているだけだ。

 敵意と殺意。敵に対して向けるべき意識が、純粋に向けられているだけの話である。

 そういう意味では、腕を斬り飛ばしてくれた目の前の怪物も、純粋な敵意と殺意の下で動いているのだから、そう思えば多少は冷静になれてきた。


 周囲が静かに感じられるのは、錯覚ではあるまい。

 エリアスを叱責した甲斐があったのだろう。とりあえずこの場から全員撤退する事は出来たようだが、自分はさてどうしたものか。

 正直に言って、考えていなかった。


 見事に腕を斬り落としてくれた怪物じみた騎士然り、ディコルドもアリステインと同等か、それに近しい実力の持ち主とすれば、逃走は難しいだろう。

 そしてアリステインの時のように、見逃してくれる可能性はない。ゼロだ。


「その腕、自ら焼いたのですね。てっきり、腕くらい即座再生出来るのだと思っていました。異世界転生者の十八番でしょう、そういうの」

「何もトカゲじゃあるまいに。誰も彼もが自切と再生芽が出来るなどと、思われても困る。神に作られた最初の泥人形は腕が四本あったかもしれないが、今は二本だ。それはどの世界でも共通している基礎だろう。そう簡単に、斬られた腕が生えて堪るものか」


 そんな事が出来るのなら、盲目のままでいるはずがない。

 神話の時代の神秘でもなければ治せないなどと言われて、絶望なんかしない。

 大罪など名乗り、英雄を倒す旅路になど、出立していなかった。


「そうですか。それを聞いて安心しました。いや、盲目な上に片腕にされた人に対して、安心したなんて言うのは失礼だとわかってはいるのですが……敵なので、つい」

「何、構わないよディコルド嬢。と言うか、其方を令嬢呼ばわりしていいのだろう? まさか香水まで着けておいて、昨晩のカードゲームで負けた罰ゲームなんですよ、とは言うまい」

「そこはご自由に。私が女装している理由を語ると少し長くなるので割愛しますが、基本的に他人に任せていますので」

「ではには?」


 と、アンが目の前の狂戦士を差して言った時、ディコルドは沈黙を守りながらも驚いた。

 全身甲冑に覆われた怪力無双の狂戦士たるベルが、実は女であると見抜いた人は、今まで一人としていなかったからだ。

 彼女の素性は、騎士団ではディコルドとアリステインの二人しか知らないし、他で言っても魔剣帝と魔導女王くらいしか知らないはずなのだから。


 であるならば、やはりこの場で見抜いたのだ。盲目なのに。

 魔導女王の――何という名前だったか、何処までもを見通す目とは違う類の、しかし見る力の備わった目の持ち主である事だけはわかった。


「それもご自由に。尤も、魔剣帝に心を捧げた彼女に、あなたの声は届かないでしょう。敵に対して敵意と殺意のみを向ける。それが彼女――ベルですから」

「フム、そうか」


(魔剣帝に心を捧げた、か……魔剣に精神を蝕まれた、の間違いだろうに)


 “憤怒の魔眼”を駆使し、静観してようやくわかった。

 彼女――ベルの心臓と脳に絡まるような形で、彼女と魔剣が魔力で繋がっている。最早ベルが戦っているというよりは、ベルの体を借りて魔剣そのものが戦っているようなものか。


 さながら――何といったか。名前は忘れたが、水辺に移動するため、カマキリに寄生して操るらしい寄生虫が如く。

 吸血が目的か殺戮が目的か知らないが、魔剣そのものが何かしらの本能に従って、ベルを操っているのが見てわかった。


 そして今静止しているのは、オーバーヒートし掛けている体を冷やしているという事も。


 おそらく魔剣自体、誰も彼もが操れるような代物ではないのだろう。ベル程の魔力があって、ようやく使い物になる魔剣。

 だが先に想像した通り、状態としては魔力を燃料に動く蒸気機関車のような物だ。燃料がべられる限り、無人であっても走り続ける暴走機関車を舞台にした作品が、あったようななかったような――とにかく、そんな感じなのだろう。


 だが、魔剣が操るのは機械ではなく、人間の体だ。そして魔力は、生命力に直結するエネルギー。合間に休憩を挟んで冷却しなければ、魔力が枯渇するか体が壊れるかして、活動停止になる事は目に見えている。

 せっかく見つけ出した器を、魔剣も壊したくないのだろうが、そうなると最早、のが怖い。


 剣と魔法が生きる世界だ。

 生きている剣が合っても、そういう世界なんだな、と納得はしよう。

 が、いざ対峙したとなると少々心霊現象じみて、気持ち悪い。というか怖い。

 霊など前世でも接触出来た事さえないが、聞く限りでもとても人間に制御出来るような代物ではなさそうだからだ。


 そんな代物を、どのような経緯かは知らないが、身に着けるにまで至ったベルの心情は、とてもじゃないが理解出来ない。

 崇拝か、敬愛か。ともかく理解出来ない事には違いなく、理解する気も起きない。


 片腕も失った今、この状況をどうやって打破するか。

 考えるべき点はそこだ。


「さて、歓談はこれくらいにしましょう。片腕になったばかりで申し訳ありませんが、二人掛かりで確実に処理させて頂きます」

「おいおい、元々捕縛しろと言われて来ているのだったら、少しは手加減し給え。それでは最初から私を殺しに来ているではないか」

「貴女は聖母アリア・マリア様に深手を負わせた。それだけで充分脅威に値します。故に

「こちらは……? っ――そう言う事か! 貴様ら!」


 我ながら、何と清々しいくらいに潔く彼らの術中に嵌ったものだ。

 憤りを通り越して、もはや呆れて言葉が出ない。


「賊の対処は慣れています。故に私達が出張る必要もないでしょう。一人残らず、捕縛ないし即時処刑です」


 すでに包囲は完了している、と言う事なのだろう。

 こちらは全員が戦えるわけではなく、騎士団が有している立派な武器があるわけでもない。

 状況は圧倒的不利。劣勢だ。


 そして、敢えて繰り返すが、劣勢はアンにこそ言えることだ。

 ただでさえ二対一な上、盲目かつ隻腕。さらに言えば、元々本調子ですらなかった。ただ酒の勢いで忘れ、楽しむ事に没頭していた約三日で、全快時の七割程度は回復出来たと思っていたが、片腕を失った事で、とても七割とは言い難い状況だ。


 つまり、何が言いたいか。


 力の出し惜しみは、命取りという事だ。


「“翼の折れた熾天使クリューエル・セラフ”――!」

「それがアリア様を苦しめた炎の天使……ベル、油断しないように」

【……】


 二対四枚のあかい翼を広げ、隻腕の天使が飛翔する。

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