~憤怒と怠惰~

知らぬが仏

 寺院襲撃事件の犯人と思われる賊の討伐のため、編成された騎士団の面々は緊張の面持ちで整列していた。


 その場にいる全員が幾度もの死線を潜り抜けて来た歴戦の猛者であり、賊の討伐など日常茶飯事と言ってもいい数こなして来ている事など関係ない。

 今回の敵が、六剣聖の一人であったウォルガーダ・エイジスを倒した事も若干関係しているかもしれないが、緊張している真の理由は、死んだウォルガーダなどでは到底敵わない六剣聖が、二人も同行するからであった。


 何より、序列二位の騎士の存在が大きい。

 六剣聖筆頭騎士、アリステイン・ミラーガーデンに次ぐ実力者ではあるのだが、単独敵陣に斬り込んでいる事が多く、部下や仲間を引き連れている事が少ないために他の騎士との接点が極端に少なく、噂のみが伝播している。


 ある者は熊を片腕で投げ飛ばす程の剛力の持ち主と言い。


 ある者は魔法を使わず、岩どころか鉄すら斬る剣の達人と言い。


 ある者はたった一人で、千の敵兵の首を斬り落として串刺しにして晒した狂人と言う。


 皆が共通して知っているのはという仮の呼称と、その身を覆い隠す漆黒の甲冑姿だけだ。

 誰もベルの顔を見た事がなく、話した事がなく、性別すら知らない。一体いつから騎士団に在籍していたのかすら、誰も知らない。


 そんな、不気味の一言の具現化であるかのような怪物じみた騎士が今、目の前で鎮座している緊張感を言い表す言葉は他になく、整列する騎士の全員が笑いそうになる脚を抑え、唾を呑み込み、とにかく動かない事を我が身に命じていた。


「何だ。おまえ達、これから戦争にでも行くつもりか? 心構えは立派だが、過度な緊張は勝てる勝負すら敗北に変えるぞ」


 颯爽と現れた、二人目の六剣聖。

 彼の登場によって、場の空気が少しだけ緩んだ。

 仮にベルの機嫌を損ねるような事があったとしても、彼なら止めてくれると皆が信用し、信頼している証である。


「しかし、敵はウォルガーダをった奴らだ。相応に気を引き締めて行くぞ!」


「「「は!」」」


  *  *  *  *  *


 一方、破戒僧らがアジトとする洞窟内では宴会が行われていた。

 聞けば、今までにも寺院の和尚暗殺に挑み、失敗を重ねて来たらしい。グレイも賊のリーダーとしては三代目で、そのまえにいた二人のリーダーは、和尚の結界の前に敗れ、殺されたのだとか。


 故に成功を祝う意味はもちろんの事、今までに散って行った同胞らの魂を弔う意味でも盛大にやろうと、破戒僧らは僧侶時代に抑圧されてきた分を取り戻さんばかりに酒や肉を喰らい、炎を囲って踊っていた。


 教会の孤児院から連れて来た子供達も混ざり、ベンジャミンとアドレーも混ざって踊っている。エリアスは尼僧と話しており、どうにか打ち解けられている。

 そして、アンは皆から外れて一人、洞窟の入り口付近に座って貰い受けた魔剣に視線を落としながら、酒瓶を傾けていた。


「気乗りしませぬか」


 酒瓶と器を持って、グレイが話し掛けて来た。

 元々酒に強いのかそれほど飲んでいないのか、他の破戒僧とは違って平静な声色。

 アンは持っていた酒瓶を耳元で振るい、空であるのを確認してからグレイから器を受け取った。


「彼らを責めないでやって頂きたい。あの寺院を落とすまでに、多くの同胞を犠牲にした。こうして発散させてやらねば、自ら圧し潰されてしまいそうになるほどに。しかし、だからと言って人が死んだ事を喜ぶと言うのは、些か気が引けるものではありますが」


 注がれた器の中身を、アンは一息で空にした。

 が、次を頼む事はせず、空にした器に視線を落としたまま、動かない。

 酔っているのかいないのか、顔色にも出ていないため、グレイには判別出来なかった。


 と、アンはと一息に凝縮した笑いを零す。


「戦いとはそう言うものだ。勝者は宴を開き、葬式を開き、気の済むままに振舞う一方、敗者は気の向くままに歩く事さえ叶わない。そんな敗者の気持ちの在り様など、勝者には理解出来ないよ。それこそ、勝利した直後は特にな」

「アン殿は、転生者でしたか……前世では、そのような戦いを経験なさった事が? 差し支えなければ」

「ないよ。なかったが、延々と話は聞かされた。私の国はかつて敗戦していたらしいから、当時の状況の過酷さ、戦争の虚しさを嫌というくらいに植え付けられた。最早戦争を知らぬ人達に語り聞かされても、実感も何も無かったがね」


 ベンジャミンの陽気な歌声が聞こえる。

 元々遠吠えをするだけの喉だからか、かなりの声量だ。ビブラートが効いているものの、採点機に掛けたところでそこまでの点数にはなるまい。何せ、音程が滅茶苦茶だ。


 幼稚園児が揃って歌っている時を思い出す。幼少期の子供達は、何故もあぁ棒読みしたかのような感情があるようなないような、独特な雰囲気で歌うのか、不思議に思っていた時があったような気がする――と言うか、今思った。

 それを目の前の鬼僧に伝えたところでわからないだろうから、自分の中に押し留めて笑ったため、苦笑したような感じになった。


「私は異質だよ、破戒僧。私は元々、この世界にとっては不純物だ。私に限らず、転生者は皆そうだ。私達は武力を禁じられた。武器を持つ事を禁じられた。禁じられた暴力は二次元の世界へと向き、死ねだ殺せだのと平気で言うようになって、それでも拭い切れぬ精神的疲労が蓄積し、ついに自分自身に暴力を振るって、死んでしまった奴もいたよ。そんな私達にとって、この世界は余りにも――」


 その先を行ってはならないと、直感でわかっていた。

 隣で話を聞く破戒僧が侮蔑しようとしまいと、とにかく言ってはならない事だけはわかっていたけれど、言わずにはいられなかった。


 酒に呑まれていた、と言い訳は出来る。

 だが転生した体はかなり酒に強いらしい。全然酔っていない。全然酔えない。

 だからこのとき、アンは自身に酔っていたのだろうと分析する。異なる世界からの視点で以て語る自分に、陶酔しているのだろう、と。


 そんな自分に腹が立ったが、それは、言ってしまった後の事――


「余りにも、魅力的過ぎる。この世界は、私達が抑圧されていた暴力を向けて来た二次元の世界に酷似しているからだ。だからその人が悪人ならば平気で殺す。モンスターと言うだけで平気で殺す。殺してしまえる。殺すための暴力を揮えてしまえる。この世界に来て、命の価値が余りにも変動し過ぎている事に改めて気付いてしまって……私は今、憤怒の大罪アン・サタナエルの再構築に必死なのだと思う」


 言ったところで、理解などされるはずもない。

 そんな事はわかり切っていたはずなのに。それでも言ってしまった事に後悔した。


――貴女は、大罪を名乗るには美し過ぎる


 姿を形容したにしては、随分と胸の深くを抉ってくる言葉だった。

 自分が容姿端麗か否かなど、盲目となった今知る術もないが、とにかくあの騎士は、自分の容姿を褒めたようには聞こえなかった。

 けれどあの場、あの時、自分は間違いなく大罪人であったはずだ。なのに何故、そんな風に思われたのかわからなくて、せっかく作り上げた憤怒の大罪アン・サタナエルという大罪人が壊れてしまいそうで、それで――アンは酒を飲む。


「笑え! 大罪を名乗りながら、手の甲に落とされた口づけ一つで、女に変わってしまいそうな私を! 私は今、私自身が、強くなれる理由を知った!」

「強くなれる、理由」

「要は負けたのさ! 強くなれる理由を知り、負ける意味を知った今、私は更なる成長を遂げるだろう! と言うか、このフレーズを聞いて何も思わぬか? あの寺院には転生者もいたのだから、口ずさむ奴の一人や二人いたろうに」

「申し訳ない、拙僧にはよくわからぬ……」

「……よし! 今から私が歌ってやろう! おいベンジャミン、マイクを寄越せ! 本物の歌と言うのを聞かせてやろうじゃあないか!」


 グレイと肩を組んだアンはそのまま立ち上がり、ズルズルとグレイを引きずって行く。女とは思えない力に引っ張られたグレイは何が起きたのかわからぬまま連行されそうになって、咄嗟に踏ん張った。


「あ、アン殿、何を――?!」

「其方、私の歌が聴けないと言うのか?」


 蛇に睨まれた蛙、基、大罪に睨まれた鬼。

 ただしアンには視力がなく、眼光がない。にも関わらず、グレイは向けられた一瞥に対して抵抗する意欲を失い、そのままズルズルと引きずられた。


「良し! 飲むぞ歌うぞ騒ぐぞ踊るぞ! そう、私は憤怒の大罪、アン・サタナエルなれば! 命の価値など知った事か! 敵の事なぞ知った事かぁ!」

「お! 姉御も歌うのか!? やれやれぇ!」

「お姉ちゃぁん!」


 戒め破りし破戒僧。大罪犯せし大罪人。

 揃いも揃って食って踊って、飲んで歌ってのお祭り騒ぎ。

 討伐軍が組まれている事など知ってか知らずか、人生で最後くらいの勢いで祭りは続く。


 これから繰り広げられる惨劇など予想だにもせず。地獄の惨さなど知らず。この祭りが、泡沫の夢に消える事さえも知らぬままに。

 逆を言えば、知らぬからこそ騒げるのだろうが、『知らぬが仏』などという諺が仮にこの世界にあったとして、破戒僧たる彼らに適応されるかどうかもまた、知る由もない事である。

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