~幕間・魔剣帝と魔導女王~

魔剣帝アロケイン

 いつしか、そこは世界の中心と呼ばれるようになっていた。

 魔王を討ち倒した英雄が玉座に就いてからか、それとも英雄が魔王を討ち倒してからか。いずれにせよ、そこはかつてこの世界を支配していた魔王を討ち倒した七人の英雄の筆頭剣士。魔剣帝と呼ばれる男が治める帝国である。


 帝国をグルリと囲む防壁は、大罪に落とされた寺院のそれよりも遥かに強固。

 幾度もの戦争において帝国を護り抜き、魔王の進軍の際に破壊されながらも、帝国の七割をも護り抜いた栄誉を称え、未だ防壁の一部には、魔王進軍の際に残った防壁が使われている。

 魔剣帝の補佐にして七人の英雄きっての魔導士、魔導女王に施された多重の防御系統魔法によって、過去の大戦においても傷一つ受けなかった湖上のアクロポリス。


 それが世界の中心にして、世界最強の英雄たる魔剣帝が治める帝国、カイナグランデである。


「魔導女王陛下! 六剣聖、アリステイン・ミラーガーデン卿がお戻りになられました!」

「そうですか。それで……魔剣帝への御目通りを、求めているとか?」

「は! ……は?」

「何か」

「い、いえ! 仰る通りでございます!」


 報告しに来た騎士が驚くのも無理はない。

 今しがた帰って来たばかりの騎士から預かっていた伝言を、すでに知っていたのだから。

 伝言を預かっていたのは自分だけで、伝言を預かっていた騎士だけが、彼らと女王とを繋ぐ伝言係。例え他に漏れていたとしても、女王に先に届けられるはずはなかったのだ。


 女王が世界のすべてを見通す魔眼の持ち主である、なんて噂は聞くものの、そんな話は信じられるはずもなく――


「……わかりました。魔剣帝には私から話を通しておきましょう。後で時間を伝えますので、それまで待機するよう、伝えて頂けますか?」

御意!」


 魔剣帝のいる玉座の間に入れるのは、世界規模で数えても二〇人もいない。

 魔剣帝を含む七人の英雄と、自身の部下の六剣聖。そして、帝国のまつりごとに関わる大臣ら数人だけである。


 強いて言うならば、命を狙って侵入してくる賊ぐらいはいくらか入ってくるが、二度目の侵入を許した事はない。一度侵入して来た者は全員、その場で斬り殺されるからだ。

 ガラス張りの天井越しに降り注いでくる陽光の温もりに負け、鎮座する玉座でうたた寝をする、魔剣帝アロケインによって。


「……アロケイン!」


 耳元で大声を出されて、英雄は英雄らしからぬ動揺を見せる。

 授業中に居眠りしていた頭を叩かれた学生が如く、間抜け顔を晒して跳ね起きた魔剣の帝王は、相手が女王とわかって安堵した様子で頬杖を突き、大口を開けて欠伸した。


「またですか……玉座はあなたのベッドではないのですよ、アロケイン」

「あぁ、ぁぁ……あぁ、起きた。意識が覚醒したぞ。そこらの目覚まし時計より、よっぽど心地のいい目覚めだ。というわけで。おはよう、スー」

「す、スーはやめて下さい! せめてヴィヴィアンと!」

「俺とおまえの仲だろう。それに、俺は帝王でおまえは女王。夫婦なのだから」

「ふ、ふふ――!」


 魔導女王が赤面し、その場で縮こまって座り込む姿など、見られるのはアロケインただ一人。

 同じ英雄として苦楽を共にした仲であり、今や夫婦である彼だからこその特権だった。

 実際、魔導女王ヴィヴィアン・スーを下の名前で呼べるのも、アロケインだけである。


「今日も愛らしいな、我が妻は。今宵は一緒に寝るか」

「か、あ、あ……頭の片隅に置いて、おきます! それより報告を!」


 未だ健気な淑女ヴィヴィアン・スーは身を潜め、荘厳な雰囲気をまとう魔導女王へと戻る。

 背中を覆う程長く、光を受けるときめ細かな艶と光沢を反射する天鵞絨ビロードのような金髪。他の人と比べても明らかに白く、綺麗な柔肌。

 それらが映える漆黒の意匠に身を包み、かつて魔女と呼ばれた偉大な魔法使いへと戻った事に、アロケインは若干の寂寥を感じながらも、微笑で返して受け止めた。


「報告。アリアへの定期供給を行なっていた和尚ハイドの寺院が、七つの大罪を名乗る者達と寺院を抜け出た破戒僧らの賊に潰されました」

「へぇ。六剣聖を三人も行かせたはずだったがなぁ」

「六剣聖は、ウォルガーダ・エイジスが戦死し、魔剣も消失。ヴィオレル・ウォーカー、アリステイン・ミラーガーデンの二人は無傷の内に、こちらで帰還させました。アリステイン・ミラーガーデンは、魔剣を奪われたと言っていますが、実際は……」

「くく……そうか」


 憤慨を抑えて笑っている様子はない。

 何か企んでいる様子も見られない。

 彼の今の笑い方は、純粋に今目の前の出来事を面白がっているときのそれだと、昔からの付き合いだからこそ、女王は理解出来た。


「アリステイン……あの堅物が人を認めたか。それとも惚れたか? そいつは女なのだろう。美人か?」

「……それなりには」

「ま、おまえには劣るだろうがな」


(すぐ言う! こういう事を本当にすぐ言う! この人は!)


 もういい歳なのだから、惚気話も周囲が困るだけと理解して欲しい。

 尤も、惚気る相手が女王当人だけなので、何ともしがたいものがあるが。


「七つの大罪、か。聖人殺しの獣人を連れ出し、アリアと戦った女……転生者だな」

「ほぼ間違いなく、そうでしょうね。ただ私が見た限り、際立った力はあまり見られないけれど、まだ隠し持っているのかもしれない。同じ異世界転生者として、あなたならどう見ます?」

「十年前の大戦で、俺に歯向かう転生者には全員、二度目の死を与えたつもりだったが……まだ、生き残りがいたか。それとも神が寄越した新たな反乱分子か。どちらにせよ、現段階では興味こそあれ、脅威ではない。こちらで言うところの、転校初日の異国からの留学生、と言ったところか」

「そちらの世界で例えられても、私が困るのだけれど……とにかく、今は静観していると?」

「そうだな。まだ様子見でいい。規模も小さいようだし、そこまで目くじらを立てるほどの者でもない。それでもまぁ、一度心を折っておくか」

「と、言うと?」


 また、魔剣帝は笑う。


 先とは違って、今度は企んでいる顔だ。

 心を折るとは文字通り、自分が何と戦おうとしているのかを知らしめんとしていると言う事。

 即ち大罪を名乗る者こそ放っておき、その周囲を抉る。死という終結ではなく、絶望という継続的負荷で苦しめ、力の差を思い知らせる、という事だ。


 幾度も魔王と戦い、辛勝した英雄が故に、彼は嫌という程知っている。

 人の心は木の枝よりもいい音で、過ぎるくらいにヤワに折れると。


「まさか、あなたが出張りはしませんよね?」

「それでも良い。が、それでは絶望するには単純過ぎる。大罪は力を見誤ったアリアと引き分け、アリステイン相手には見逃された形で生き残った。つまり。そこに俺が赴いても、単純な強弱だけが示されるだけ。それでは、ある程度の実力を付けた時にまた戻ってきてしまう。もう二度と反旗を翻すまいと思うくらいに、俺はそれの心を踏みにじり、侮辱し、折ってしまいたいんだ」

「その場で殺してしまおうとは、考えないの?」

「敢えて殺さない。女には、俺が絶対的強者である事を示す見せしめになって貰う。大戦ですべてを殺してしまったが故に、俺は転生者すべてを返り討ちにした事実こそあれ、証人がいなかった。だからこそ反乱分子が燻ったのだとしたら……そいつらには、自ら味わった地獄を伝える生き証人になって貰わなければ。この世界を作りし神より、俺が王だと承認を得るためにも」


 さらっと残酷な事を言う。


 つまりは死にたくなるほどの地獄を見せた上で、自決も許さず自殺も思わせず、わずかな希望に縋る程度に生かして、自分の力を証明するためだけの案山子にしようと言うのだから。

 自分の旦那を悪く言うのは気が引けるが、異世界転生者と言うのはどうしてこうも残酷な事がすぐさま思い付くのか。


「俺が怖いか、スー」

「ごめんなさい。顔に出ていましたか」

「おまえの事なら大抵はわかっているつもりだ。夫婦、だからな」


 来い、と手招きを受ける。

 招かれた魔導女王は下げるよう促された頭に置かれた手で、犬のように撫でられた。

 下を向く顔が真っ赤に紅潮して、恥じらう余りに上げられない事を良い事に、魔剣帝は少女を扱うかのように優しく撫で回す。


「いつか語ったな。俺達のいた世界に魔法はなく、剣も銃も持つ事を許されない。戦いは常に国規模で行われ、万人単位で生物ひとが死ぬ。故に人々は戦いを恐れ、遠ざけながらも、魔法や剣による、この世界では日常である非日常を求めていた」


「――だから、感覚が鈍っているんだ。狂ってしまっているんだ。野鳥一羽傷付けて罰を受ける世界から、小鬼ゴブリンを殺す事で報酬が手に入る世界に来て、前世よりも躊躇なく命を奪い、他人を殺せてしまう。誰もが比較的簡単に、己が正義を翳せてしまう。そのための破壊を、殺害を厭わなくなってしまう。異世界転生者は強いんじゃない。ただ、壊れているんだ」

「だからと言って、私はあなたを怖がりはしません。今のあなたが世界中から批判を受ける対象であろうとも、私にとっては、この世界を救った英雄に、他ならないのですから……」

「ありがとう。そう言ってくれるから、俺はおまえを愛おしく思うんだ、我がつがい


 そう。彼女のためならば、魔剣の王は魔王にもなる。

 なろうと決めたのだ。


 小鬼ゴブリン一匹殺すのに、吐き気を催していた子供はもういない。

 仲間のために尽力しながら、力を妬まれてギルドから追放された剣士はもういない。

 攻め入って来た魔王の軍勢に押し負け、人一人護れなかった無力な自分を嘆く英雄のなり損ないは、もういない。


 正義を掲げた暴力が、殺害が、駆逐が認められるこの世界における英雄にして王。

 この世で最強の魔剣の担い手にして、使い手たる魔剣の帝王なれば。


 抗う者は叩き潰す。背く者は斬り捨てる。

 死にたいと言うのなら死ねばいい。そう言いながらも生き永らえてしまうなら、代わりに首を斬って終わらせる。

 自分はもう、魔剣帝アロケインなのだから。


「六剣聖を動かす」

「再び、アリステインを?」

「今の奴を差し向けても、また手心を加えてしまうだろう。それに何も最強を繰り出さずとも、今の相手には二人もいれば事足りるだろうさ」

「では、序列二位と三位に討伐を命じておきます」

「アリステインとヴィオレルには、謹慎処分を言い渡して置く。特にアリステインには、許可を出すまで国から出るなと釘を刺せ。もう一振りの魔剣の使用も、それまで禁じると」

御意。すべては魔剣帝の御心のままに」


 どこの誰だか知らないが、抵抗も反抗も許さない。

 持ち得る権力のすべてを投じ、持ち得る力のすべてを賭して、おまえの身を穢し、心を壊し、魂を殺してやろう。

 すべて。すべて。俺のすべてを費やして、俺のために、俺はおまえを赦さない。

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