さぁ、大罪を犯そう
破戒僧らがアジトにしていた洞窟には幾つもの出入り口が存在し、そのうちの幾つかは石を敷き詰めた上、人除けの結界魔法を張る事で隠匿している。
今回彼らが選んだ脱出経路もその一つであり、絶対とは言わないまでも、それに近しいだけの逃げられる自信があった事は否定出来ない。
故に先頭を歩いていた破戒僧が驚愕に目を見開いた事、その首が斬り落とされた事に真後ろの尼僧が驚愕した事、その彼女の胸が、僧侶の首を斬った剣に貫かれた事は、後ろで待っていた一行を戦慄させた。
「我ら、魔剣帝配下の剣聖騎士団! 魔剣帝の命により、おまえ達を捕縛する! 抵抗すれば即座始末するよう仰せつかっている。大人しくしろ!」
「何が捕縛だ! 無抵抗の二人を早速殺しておいて!」
「これは見せしめだ。おまえ達にもわかっただろう。我々には、おまえ達を殺せる武器があるのだという事が」
見るからに高価そうな剣を持ち、綺麗な鎧に身を包んだ騎士団が立ちはだかる。
彼らの言う通り、値段に関わらず、彼らの持つ剣は人を屠れる確かな武器らしい事が目の前で証明されたわけだが、だからと言って大人しく捕まるわけにも投降するわけにもいかない。
怪力の怪物を相手に、一人残ったアンの努力が無駄になる。
「他に出口はねぇのか」
「ありますが……ここが塞がれている以上、すべて包囲されているかと」
そりゃあそうだ。
グレイ曰く、一番見つかりにくく逃げやすいルートを選んだはずなのだ。それが見つかって待ち伏せされていた以上、他のルートでも待ち受けているに違いない。
何よりここで引き返せば、後ろから斬りかかられてまた大勢の犠牲が出るだろう。
進むも地獄。戻るも地獄。ならばどうするべきか。
ベンジャミンの力は、洞窟のような密閉空間では使えない。
周囲を巻き添えにしてしまうし、騎士より先に子供達が先に凍え死んでしまう。
エリアスに魔力を吸い取らせ、戦意を喪失させる策も浮かんだが、斬られたアンの左腕を抱き締める彼女の心はここになく、完全に自失してしまっている。
仮に意識を保てていたとしても、怪物の魔力を許容量を超えるだけ喰らった今の彼女では、騎士団全員の戦意を削ぐだけ魔力を喰らう事は出来ないだろう。
「仕方ねぇ……! 悪いが俺は抵抗するぜ! 破戒僧ども、ガキ共を護りな!」
「拙僧も微力ながら、お力添えを」
「頼む!」
時間は掛けてられない。
ベンジャミンの頭にある二つの耳は、洞窟の入り口で他の騎士団と更新しているのだろう騎士の会話を、途切れ途切れながら聞き取っていた。
他のルートを使って、討伐隊の残りの騎士らが自分達を囲いに来る。
そうなればもう、手の打ち用がない。ならば囲まれるより前に、今目の前に見えている出口を確保する。少なくとも、アンならそうするはずだ。
「姉御……!」
* * * * *
嗚呼、剣を握る手が熱い。
魔剣同士の衝突とはいえ、火花が散るなんてどんな速度でぶつかり合っているのか。こちらは受けているだけだから、繰り出している
そんな速度で繰り出される剣撃を受ける腕には、鈍くて分厚い衝撃という衝撃が重なり、徐々に剣撃を受けるための握力と腕力を奪われていく。
「“
荒ぶる風が熱をまとって吹き荒び、灼熱の真球を作り上げて閉じ込める。
真球はそのまま圧縮され、より荒ぶり、速く吹き抜ける風によって熱量を増していく。
四〇度を超える炎天下の中、台風が直撃したのような突風と真正面から対峙するような物だ。
簡潔にして簡素。歴史上最小の規模、世界最高の温度を誇る灼熱地獄。
生物ならばまず生きていられない環境であり、それは怪力無双の怪物であるベルとて例外ではなかったらしい。ベルの危機を察して、ディコルドが助けに来た。
ディコルドの振り被った魔剣が炎の真球を両断。炎から解き放たれた怪物は怒号を発して、甲冑の隙間から熱気を逃がしながらアンの姿を探して、見上げた瞬間に、濡れた。
ただの水ではない。少し酸っぱいような、臭いような、独特な臭いが鼻を突く。その正体に気付いた時、ディコルドは同じ液体で濡れたガントレットを捨てて、一人後退した。
「“
音源も電源も合図もない。ただ静かに呟かれた名前こそが合図。
ベルの体を濡らす液体――昨日まで破戒僧らが浴びるように飲んでいながら、まだ残っていた酒が燃え、爆発的に燃え広がった。
ベルは魔剣を捨て、その場で転げまわって火を消そうとするが、そんなもので消えるはずはない。
先程までの怪物らしさはどこへやら、獣は獣らしく炎に怯え、焼ける激痛に悶え苦しむ。
というかそもそも、全身を甲冑で包んでいる時点で、熱には弱い。
熱伝導の良い鉄を全身に巻いている状態で炎の中にいれば、蒸し焼きは必至。内部は外部を遥かに超える高温に達し、彼女を焼き殺すだろう。
それこそ、ディコルドが水の魔法を掛けさえしなければ、ベルは死んでいた。
「なぁ、地獄はどんな光景だった?」
「貴女は悪魔ですか!? よくもこんな惨い策を――!」
「生憎と、こちらも人命が掛かっている。更には彼女に片腕を斬られて隻腕だ。選べる手段が限られてくる上、選んでいる暇もそちらがくれないのでは、惨かろうが酷かろうが実行するしかない。案ずるな、許せとは言わん」
などと強がってみたものの、状況は相変わらず劣勢だ。
ベルの甲冑に耐熱性能がほとんど施されていないのに気付き、状況を打破するための突破口に出来るかと思ったのは一瞬で、ディコルドが水の魔法を使えると判明した時点で、突破口として使えなくなった。
ベルにとって熱が脅威である事には変わりないのだが、それを補えるディコルドの存在が邪魔だ。飛行能力こそないようだが、常に洞窟の出口を背にしており、抜け出そうとすれば両断出来る位置を保持しているから腹が立つ。
炎と風――寺院で見せた惨殺から、最適と判断されたのだろう。
囮として機能するため、侵入者として、寺院にとっての脅威として見て貰うためにアピールしたのが、もう裏目に出るとは。
油断したつもりはなかったが、多少は傲慢であった証拠だろう。だからこそ、これ以上なく腹が立つ。
「そうだ。ふと気になったのだが、あの寺院で死んだ騎士……何といったか、あの男もまた六剣聖の一角だったのか? 私は対峙していないので知らんのだが、どれほど強い。
何故今、そんな
単純な話、時間稼ぎだ。
ベンジャミンらが逃げる時間と自分が逃げるための策を考える時間。二つの時間を稼ぐための悪足搔きに過ぎない。
情けない事に、それ以外の理由はない。余裕もない。まったく以て、腹立たしい。
「ウォルガーダ卿は確かに、六剣聖の一角でした。そして、実力で言えば……五番目、と言ったところでしょうか」
「何だ、一番下ではなかったのか」
その事実については純粋にそう思った。
こういう場合、大体にして展開的には「貴様が倒したのは、俺達の中でも最下位だった男!」みたいなのが定番なのだが。
まぁそれでも、六人中五位ではまだ妥当と言ったところか。
魔眼で一瞥した程度だが、寺院でアリステインより先に帰還した飛空の騎士が最下位かつ若輩者なのだろうな、とアンは読む。
少なくとも、目の前の二人より上、という事はあるまい。
「だからと言って、ウォルガーダ卿を馬鹿にしないで頂きたい。確かに人格的には問題のある人だったことは否めませんが、剣聖としての力は本物だったのですから」
「フム……対面すらしていない私には、馬鹿にするにしろ敬意を抱くにしろ、明確な物差しもないので難しいのだが、今は劣勢だ。其方達の怒りを買って、わざわざ負ける方向に持っていきたくないので、今この場では馬鹿にはしない」
「素直なのですね、貴女……嘘が不得手なのですか?」
「さぁ、どうだろう」
確かに不得手かもしれない。
憤怒が裏で燃える事もあろう、だが、憤怒は表に出てこそ大罪と呼べるもの。憤怒の大罪を名乗るアン・サタナエルと言う人間には、難しい事なのかもしれないが――
そこまで考えて、思考回路が一時停止した。
停止させたのは、二人の騎士の言動のどれでもない。盲目を補う形で発達したからこそ聞き取れた、エリアスの悲鳴は、思考を停止させるには充分過ぎた。
「その様子だと、貴女にも聞こえた様ですね。どうやら、待機していた騎士団が逃げようとしていたお仲間を包囲した様です。全員の捕縛ないし処刑は、時間の問題でしょう」
嫌でも聞こえて来る。
鳴り響く剣戟の音。斬られる破戒僧の悲鳴。子供達の泣き声。それに対して黙れと振られる剣の風切りまで。
ベンジャミンやグレイ、破戒僧らが必死に抵抗しているようだが、兵力の差は明瞭。ディコルドの言う通り、捕まるのは時間の問題――そう、時間の問題。
「ベル、こちらも片付けますよ。部下に捕縛を命じておきながら、我々が取り逃がしては恥ですからね」
【――】
「……ふざけるな」
恥と言った。
そこの女装剣士は今、罪人を逃がす事を恥と言った。
女子供を斬り捨てて、武器も持たない相手を斬り殺した部下を相手に面目が立たないと宣った。
確かに彼らは罪人だ。戒めを破った破戒僧だ。犯した過ちの多さから見ても、実刑は免れないかもしれない――いや、免れる事は出来ないだろう。
しかし、だからと言って殺すのか。そうも容易く。そしてそれを見逃す事を恥と言うのか。
――貴女は、大罪を名乗るには美し過ぎる
嗚呼、そうだ。おまえは正しかった。
確かにアン・サタナエルは、大罪を名乗るには少々善人過ぎた。
――この世界に来て、命の価値が余りにも変動し過ぎている事に改めて気付いてしまって……
傲慢。
何という傲慢だ。大罪人が命を語るか。英雄を殺す事を目的にしている大罪人が、命の価値を、重さを語るなど。
怠惰。
何という怠惰、怠慢だ。命の価値を語りながら、それに悩みながら、酒を飲み、歌って踊って忘れようとした自分の犯した行為は、怠惰以外にない。
怒。
嗚呼、だから――
怒。
私は私に腹が立つ。
怒。
心の底から湧き上がるこの衝動、この感情を、他に何と形容すべきか。いや、そんな必要はない。他に例える必要も、他に代える必要もない。
怒。怒。怒。
あるのは自らに対する、殺意に等しい――
「怒りで我を忘れ、暴走するという設定が……ありきたりなくらいにありふれていた事が疑問だった。しかしそうか、そうか、そうか、そうか! ようやく納得がいった! 確かにこれは暴走するな! うん、するしかない! しなければ、私は私を保てない!!!」
「何……?」
突然の豹変ぶりに、ディコルドだけでなく理性のないベルでさえ本能的に警戒していた。
追い詰められたネズミが猫を噛むように、追い詰められた賊や罪人が、最後の抵抗で騎士を道連れにせんと襲い来ることは、二人も経験した事があるし、警戒もしていた。
だが目の前の彼女は、最早自分達の事など見ていない。自分達の存在など、もはや蚊帳の外。
怒りに満ち満ちて歪み切ったその笑みで天を仰ぎ、自らの体を圧し潰さんばかりに抱擁する彼女の殺意と逆鱗は、彼女自身に向けられていた。
それはもはや、自傷行為とも自殺とも言い難い、自己嫌悪の極み。
留まる事を知らず、止まる事を知らず、やめる事を知らない。際限も限度も限界も知らず、自分という対象をただ破壊する事、殺す事に特化した感情に、明確な名は存在しない。
明瞭なのは、ただ一つ。
極みに至った自己嫌悪は、ついに自分という檻すら破壊し、周囲に大きな影響を齎す。そしてそれは、悪影響以外の何物でもないという事を。
「ディコルド・ヴァレンシュタイン。そして、ベルと呼ばれている狂戦士よ。悪いが私は、私を止められそうにない。これから私は、私に向けるべき自暴自棄と自己嫌悪と自傷行為のすべてを其方達に与えるが……赦せよ?」
情緒さえ不安定だ。
今の今まで身に余る怒りで震えていた癖に、一秒後の今には玉座の鎮座する皇帝が如き落ち着きぶり。最早破綻寸前の自殺志願者に、対抗策など存在しない。
「其方達はただ、この場に遭遇してしまった不運を呪いながら、私の
自分を壊し、自分を呪い、自分を憎み、自分を殺す。
そんな相手を一体、どうやって止めればいいと言うのだ。
「さぁ、大罪を犯そう」
そう宣ったアンの背で燃える四枚の翼は、一枚一枚が太陽の如き眩さと熱量で燃えており、洞窟全体を同じ色に染めていく。
ひたすらに赤く。
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