寺院襲撃
襲撃当日、七日前。
とある山に敷かれた一万を超える石段を登り切ったところに、それはあった。
前世にて、未だ完成しない巨大教会の建築に携わった転生者と、二度も焼け落ちた王宮の復元に携わった転生者とが制作に携わった巨大寺院。
青青しい森の中、ひと際目立つ朱色の塗装がされた外壁には多重の結界が張られており、獣の侵入はもちろん、そこらの魔法使いの魔法程度でも揺らぎはしない。
例え侵入出来たとしても、中には日々の修行に励む多種多様な僧侶が五〇〇人。
彼らの手に掛かれば、盗賊も山賊も烏合の衆。雑兵の群れ。瞬く間に捕らえられ、監獄へと送られるか、改心するまで艱難辛苦の修行の日々に身を置かれる。
まさに堅牢鉄壁。
強固かつ強靭なこの寺に、挑む者がいると言う。
『聖母アリア・マリアを襲った賊は、物資の供給源たるあなたの寺院を襲うでしょう。あなたと、あなたが鍛えた僧侶達……つまりは寺院の力の見せ所ですよ、ハイド』
ハイド、と呼ばれた僧侶は手を合わせる。
対話の相手はそこにはなく、燃え上がる炎と喋っているかのように、ハイドは目の前の炎を見つめていた。
「お任せください、魔導女王ヴィヴィアン・スー様」
『……あまり、私の名を口にしないように。誰が傍受しているともわかりませんから』
「かの魔導女王の
『敵を侮れば、自らの墓穴を掘る事になりますよ。現にアリアも、かなりの深手を負わされましたからね』
周囲の松明が、突如として燃え上がる。
火の気もなく突如燃え上がった火の勢いは、さながら坊主の内に燃える憤怒を表しているかのようだった。
「拙僧にお任せを……必ずやアリア様の仇、拙僧が必ずや、取ってみせます故」
『気合が入ったのなら充分。頼みましたよ、ハイド。あなたも異世界転生者の端くれならば、同じ転生者に格の違いを見せ付けて勝利なさい』
* * * * *
「しぃあわっせなら手ぇを叩こっ」
「はいはい!」
「しぃあわっせなら手ぇを叩こっ」
「はいはい!」
「しぃあわっせなら態度で示そうよ、さぁみぃんなで手ぇを叩こっ」
「はいはい! 出来た出来たぁ! 次はアドレーが歌うぅ!」
「良し良し。では私は合いの手をしてやろう。エリアス、付き合ってくれ」
「は、はい、アン様……!」
緊張感がない。
同行する破戒僧らは、そう思いながらも何も言えなかった。
子供に対して黙れと言うのも酷だし、子供に付き合ってあげている彼女の事も思うと、余計に止めさせる事は出来なかった。
それは、ベンジャミンも同様で。
話は、山を登る前。二時間以上前の、出発直前にまで遡る――
「姉御、実際にはどうなんだ。体の具合は」
アリアの魔法によって軍服がとても着られるものではなくなってしまったので、尼僧の衣装に着替えるアンを背に、ベンジャミンは問う。
グレイや他の破戒僧の前では気丈に振舞っていたものの、聖母の繰り出した最強の魔法をまともに受けて、無事でいられるはずはないと、ベンジャミンは心配していた。
「あぁ、完治には程遠いな。万全の状態を十割とすれば、良くて七割と言ったところか」
「いや、五割だろ」
「まぁ悪く言えば、四割だな」
「全然違うじゃあねぇか!」
九日間。
設けられた期間を以てしても、アンの体は完治には至らなかった。
整った顔に刻まれた横一線の切り傷だけでも痛々しいのに、アリアの魔法で負った左の頬から首にかけて火傷も、消えぬまま残ってしまった。
大きめの袖から見える両腕にも肩までビッシリと包帯が巻かれており、やはり痛々しいと言わざるを得ない。
蘇生と見紛うだけの回復能力だとか不死身の肉体だとか、死ぬ直前からやり直せる選択分岐能力だとか、そう言った力をどうして受け入れなかったのか、ベンジャミンは今更になって疑問を抱く。
抱いたが故につい、訊かなくてもいい事を訊いてしまった。
「……なぁ、姉御。何で姉御が、こんな戦いをしなくちゃいけないんだ? 姉御の言う見えざる手とやらが、もっと凄い力をくれてやった奴らが、代わりに――」
「そのもっと凄い力を貰った奴らが、皆、死んだからだ」
何も言えなかった。
言い返す言葉などあるはずもない。
そんな事を言われてしまったら、返す言葉など見つけられるはずもなかった。
「不死身の肉体を持つ者。すべての属性の魔法を操る者。魔剣、聖剣問わず、剣の力を十二分に引き出せる才を与えられた者。あらゆる転生者が存在しただろう。其方を救った者のように、数多の転生者がこの世界に呼ばれて、自身のやりたいようにやり、英雄に戦いを挑んだ。が、負けた。誰一人として勝てなかった。だからだ」
「だからって……姉御が貰ったのは、ただ情報を知るだけの目だろ? 光も色もわからない、情報を知るだけの目何だろ?」
「だから其方達を頼るのだ」
不意に尻尾をぐい、と引っ張られて振り返らされる。
盲目ながらしっかりと帯を締め、僧侶の格好に着替えたアンの手が、うんと背伸びしてベンジャミンの頬に触れた。
「私には、この世に活かせるだけの前世の経験もなければ、恵まれた能力もない。この世界で会得した魔法と体術、若干の剣術のみが私の武器だ。しかしそれでは当然の如く足りぬ。故に、其方達に頼るのだ。英雄は七角。ならばこちらも七つの大罪にて突き崩す。だから――」
「頼りにしているぞ。傲慢の大罪を司る獣人。ベンジャミン・プライド」
そんな事を言われてしまっては返す言葉は限られていて、結局、あぁと頷くに終わった。
無論、納得の出来る終わり方ではない。ではなかったが、そうするほかなかったのだ。自分は付き合うと言ったし、彼女の覚悟も決まっているし肝も据わっている。
どこまでも付き合うつもりではいるが、覚悟と納得は別の場所にあって、彼女の体を思えば、今回の作戦に対してあまり乗り気でない事は否定しない。
実際、エリアスとアドレーに心配を掛けまいと空元気を振り撒いている姿が痛々しくて、ベンジャミンは見ていられなかった。
「さて。グレイよ、正面突破はなしと言われて獣道も同然の道を進み続けて来たが、そろそろ作戦の概要を説明しないか。私としては
「……確かに。ここまで来れば傍受もされますまい。では説明しましょう。作戦はこうです」
* * * * *
縦に十。横に十。合計百人の僧侶が並び、足並みだけでなく、息も合わせて一斉に動く。
拳打に足技。槍術。初めから終わりまで、組まれた順にキレの鋭い体術を繰り出す彼らの動きに、一切の乱れは見られない。
始まりこそ、先祖代々僧侶の家系に生まれた子供から僧侶であった転生者。人殺しの経験さえある極悪だった元犯罪者まで様々だが、今や全員がこの寺院の僧侶として、誰も息を乱す事無く、修行のすべてを共に終える。
それがこの寺院の毎日であり、日常であり、不変であった。
が、今日はそこに若干の異物が紛れ込んでいる。
鍛え上げられた僧侶の健全なる心と体を見せる意匠とはまるで対照的な、己が身を鋼鉄で覆い隠した鎧と兜を身にまとった三人の男達。
俗に言う、騎士の面々である。
「おぉおぉ、精が出るねぇ。俺も朝から頑張っちゃおうかなぁ」
「お止め下さい、ウォルガーダ様。この身も修行の身、なれば……」
「んんだよぉ、つれねぇなぁ。少しくらいいいじゃあねぇか……なぁ?」
「いえ、あの――!?」
尼僧の体に回した手で力強く胸を掴み、金色の双眸を光らせるウォルガーダが強姦にも近しい行為に及ぼうとしたところに、目の前で寝そべっていた女騎士が
確実に潰すために放たれた串は、文字通りウォルガーダの目の前で止められて、囲炉裏の中に投げ捨てられた。
「よぉ。てめぇ、どういうつもりだぁあ、ヴィオレルぅ」
「どういうつもりも何も、詰まるも詰まらないもないでしょう。目の前で強姦が始まりそうだったので止めた。これに限るかと」
「あぁあぁ、英雄色を好むって言うだろぉ? 女の一人や二人、食べるのが男ってもんだろうがよぉ」
「いや、女の私に言われても理解されないのは仕方ないと言うか当然と言うか、正直に言って諦めて欲しいんですが。ねぇ、先輩」
胡坐を掻いた姿勢のまま、ずっと沈黙を貫いていた金髪の男が、閉じていた双眸を開く。
右が蒼。左が緋色のオッドアイ。ただし中央に据わっている鋭い眼光は等しくウォルガーダを射貫き、沈黙を強いる。
それでもウォルガーダが抗う姿勢を見せると、鞘から剣をわずかに抜いて見せ、さらに鋭く眼光を
ウォルガーダは隠す事なく舌打ちしながらもその場に鎮座し、ヴィオレルは「ざまぁみろ」と言わんばかりにほくそ笑んで、肉の突き刺さった串を頬張る。
すると女らしく股を開いて寝そべっていた彼女にも眼光が向けられ、ヴィオレルは嫌々ながら正座させられた。
が、実際わざと股を開いて注意を促したので、ヴィオレルは狙い通りに事が運んで、内心強くガッツポーズを決める。現実にもガッツポーズしてしまいたいほど、先輩――アリステインの事が好きだった。
「ウォルガーダ・エイジス殿。ヴィオレル・ウォーカー殿。アリステイン・ミラーガーデン殿。此度はわざわざこのような山奥の寺にまで、ご足労頂き誠にありがとうございます」
「ハイド和尚」
和尚と呼ぶには、かなり若々しい男。
青年と呼ばれても違和感が仕事をしないくらいに、若々しい見た目の男が両脇に護衛の僧侶を引き連れてやって来る。
今この場に、見た目と実年齢とが噛み合わない寺院の和尚。
寺院という場所には似つかわしくない鋼の鎧に包まれた三人の騎士、と異質と異色ばかりで、逆に誰の意識も刺激しない異色の光景が広がっていた。
和尚の背後に控えている二人の僧侶も、内心何かしら思うところはあったものの、適切な語彙が思い浮かばず、何も言い出せない。
ただし、もしもこの場で思いつく言葉があったとしても、アリステインの鋭い眼光が、発する事を許さないのだが。
「たかが賊の一つや二つ、我々だけで対処可能と申し上げたのですが、まさか魔剣帝直属の騎士団である御三方に来て頂けるとは……何と、心強い。ですがご安心を。この寺院の総力を賭して、見事、撃退してご覧に入れましょう」
「おぉおぉおぉ。粋がるのはいいけどよぉ、和尚さんよぉ。手伝って欲しいなら遠慮なく言ってくれよぉ。わざわざこんなところまで来させられて、何もしねぇんじゃあ無駄足もいいとこだぜ。せめて女の一人や二人、抱かせろってんだよぉお」
「ウォルガーダ卿」
(……しゃ、喋ったぁ! イケボ! アリステイン先輩マジイケボ!)
ここに来て初めて、アリステインが沈黙を破る。
ヴィオレルが内心歓喜の渦にある事など知る由もなく、ウォルガーダを睨み付けていた。
「
(ッゥゥゥ! 先輩マジカッケェ! 一生付いて行きます!)
騎士としての本懐を語られ、反論する言葉を失ったウォルガーダは完全に押し黙る。
憎しみと苛立ちとを籠めた視線に睨まれるも、一瞥だけ返したアリステインは、和尚へと深々と頭を下げた。
「申し訳ない、ハイド和尚。信頼の揺らぐ発言が聞かれたが、どうか信用して頼って頂きたい。我らが師であり、王である魔剣帝の名に懸けて、必ずや、賊を捕らえてみせましょう」
「えぇ、もちろん信用しておりますとも。頼みましたよ、御三方」
ただし、信頼しているのはアリステインただ一人だけの話だ。
魔王を倒して世界を救った英雄、魔剣帝直属の部下である六人の騎士。その中でも最強であり、最も気高く誇りある騎士、それがアリステイン・ミラーガーデンだ。
実力は七人の英雄に続くと言われ、素行と手癖の悪い
少々個性が強めでとっつきにくい部分がある事は否めないが、とにかく実力の面でこれ以上頼りになる存在もない。
本当は賊を捕まえ、聖母に牙を剥いたという女を殺した手柄で以て、聖母アリアにより近付こうと言う算段だったのだが、アリステインの存在は、元々強かった勝算を和尚の中で確定する事となった。
だからと言って、聖母から更なる信頼を得る事を、諦めたわけではないが。
「しかし皆様はどうぞごゆるりと。今まで如何なる賊の狼藉をも許してこなかった我らが力、これから来るという連中に、存分に見せ付けて――!?」
外壁の崩壊音が聞こえて、和尚の中で保たれていた平静もまた崩れ落ちる。
今まで幾度となく賊の襲撃を防いできた。どのような魔法にも物理破壊にもビクともせず、寺院を護って来た鉄壁の外壁。
強度だけなら、先日アンの侵入を許した監獄の防壁にも引けを取らない。故に賊が侵入を試みる経路をすべて塞ぎ、警備も万全と言えるまでに整えた。
しかし今、その鉄壁を誇る外壁が。万全の警備体制の前提条件である壁が今、崩れ落ちた。
「だ、誰だ……何者……」
「ハイド和尚! ぞ、賊が
「……っ! 賊は何人だ! 何人来た!?」
「一人です! 敵は、銀髪の女……聖母アリア様と対峙したという、女一人!」
「何?!」
風が吹く。草木を撫でるような薫風が、暴風、颶風へと昇華しながら吹き荒ぶ。
枝の先に実った果実の如く、斬られた首が落ちる。
台風に負けた大木が如く、人が薙ぎ倒されていく。
花の如く、命が散っていく。
大罪は、絢爛華麗に命を狩り取り、斬り捨て、踏み越えていく。
彼女の周囲に出来る屍の山。血溜まりの河。文字通りの死山血河が築かれていく。
対峙した僧侶は意味も分からぬまま、日々の修行の意味さえ理解出来ないまま殺されていく。かつて罪を犯した者。犯していない者。分け隔てなく、大罪は次々と殺していく。
これもまた、世界を救うための尊い犠牲と偽善者ぶる事さえなく、敵と認識した者をただ殺す。ただ壊す。ただ潰す。ただ冒す。
憤怒の大罪が故に、怒りのままに暴力を揮い、力を揮い、
もはや崇高なる寺院は、一人と五〇四人のぶつかる戦場と化した。
そこには単純明快な
その中を悠々と闊歩し、破壊と蹂躙と殺戮とをさも当然の如く行なっていくアン・サタナエルは、正真正銘の大罪であった。
「あ! その目を見開き刮目せよ! 耳の穴を
大股で一歩踏み出し、右手を前に。
わざとらし過ぎるくらいに大袈裟な振る舞いが、自分達を煽っている事はわかりながら、圧倒的実力差を前に動けない僧侶達の前で、アンの声は怒号が如く響き渡る。
「音にも聞こえし大罪の、憤怒を司りしこの名前! 畏怖を刻みて奉らん! 七つの大罪が一角、憤怒の
和風な寺院と聞いてから、どうしてもやってみたかった歌舞伎の見得切り。寄り目は出来ないし、声にも張りはないが、一通りやれてスッキリした。
本当はベンジャミンあたりに屋号でも呼ばせようかと思ったのだが、特に思いつかないし、作戦に支障が出るのであえなくパス。
それに、どうにも変質者を見る目を上の方から感じて、これ以上ふざけるのは妙な噂を立てられそうだったので、ここからは真面目ムーブに移行する。
「フム。何やら予想していなかった先客がいるようだ……が、なかなかに面白そうだな」
アン・サタナエルを捉えた三人の騎士は、合図もなしに同じタイミングで剣を握る。
図らずも、アンの魔眼と視線が合ったアリステインの二色の双眸は、彼に好意を抱き、よく知るヴィオレルですらほとんど見られない感情を宿し、輝いていた。
「ヴィオレル卿。
「は、はい! 先輩は……!」
「私は、あの珍客の相手を。ウォルガーダ卿、
「あぁあぁあぁあぁ。言われなくとも、いつの間にか消えた和尚の護衛に行って来るよぉ。だが……油断は大敵だぜ、アリステインさ、ま」
「あぁ。忠告痛み入る。
舌打ちしてから行ったウォルガーダの言い方は皮肉に満ち満ちていたが、言っている事は芯を食っていた。
未だ経験値の少ない若輩者たるヴィオレルでさえ、アンの存在は異質に見えて、何か今まで遭遇した事のない巨大な生物と対峙しているかのような緊張感に支配されつつあった。
「先ぱ……アリステイン卿、ご武運を!」
ヴィオレルもその場から消え、アリステインは手摺りに足を掛けて飛び降りる。
アンに飛び掛かった僧侶達が、一斉に血塗れの肉塊となって倒れたのと着地のタイミングとが重なり、アンの耳は着地音を聞き逃していたが、次の瞬間には斬りかかって来たアリステインの剣を掴んでいた。
「魔剣帝直属、六剣聖が一角、アリステイン・ミラーガーデン」
「七つの大罪、憤怒の
片や色の違う二色の双眸。
片や光も色もわからぬ盲目の魔眼。
二人の目は未来を見ない。未来を知らない。
だが二人は直感的に感じていた。
ここから始まるだろう、二人の長きに亘る因縁を。
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