~憤怒と破戒僧~
破戒僧グレイ
「――アン様!」
「アンお姉ちゃん!」
目が覚めると、まずエリアスとアドレーの驚きと歓喜とが入り混じった声が聞こえて来て、魔眼を発動する間もなく左右から抱き締められた。
我が身にもそれなりの物が付いているが、両腕に触れている柔い感触は、振り払うにはもったいない気がして、勝手ながら美女と美少女に抱き締められていると思うと、やはり無理矢理振り解く理由は見出せず、アンはそのまま抱き締められた。
「よかった……よかった、アン様」
「アンお姉ちゃぁぁぁん!!! もう起きないのかと思ったよぉぉぉ!!!」
「おぉ、よしよし。この通り、再び転生する必要もなく戻って来たぞ。だから泣くでない。まったく、可愛いなぁ其方達は」
(に、しても……)
やけに冷える。
そして、やたらと声が反響して聞こえる。
座ってる場所の感触も合わせて岩の洞窟と推測したが、だとすれば街中にあった聖母の教会から、随分と遠くに逃げられた事になる。
どうやら何かしらの異変ないし、状況を変える何かしらがあったらしい事を察したが、今は両手に花を携えている状況を楽しむことにしたところに、タイミング悪く――いや、丁度良く、やたらと薬臭いベンジャミンがやって来た。
「おぉ、姉御! 目が覚めたか!」
「何だ、其方も来るのか? 構わないが、どさくさに紛れての
「俺はそんなガキじゃねぇし、狙ってもねぇよ。第一そんなことしたら、絶対殴るじゃ済まさないだろ、姉御は」
「其方、私を怪物か何かと思っているのか?」
「全身火傷と裂傷で、英雄の一角である聖母様と善戦したんだ。充分化け物じみてるぜ。少なくとも、姉御を手当てしてくれた奴らはそう言いたげだったぜ?」
「それだ。まずはそこから聞かせろ。何やら大量の気配を感じるが、何があった」
「実はなぁ……」
かくかくしかじか、閑話休題――で省略出来るようならしたいところだが、説明下手なベンジャミンの説明を解釈するのに改めたいので、自分の中で整理してみる事にした。
まず教会から脱出しようとした大罪一行は七二人の
後から思えば、おそらく異世界転生者が前世の記憶から持ち出した産物――スタングレネードの一種だろう。とにかくそれに彼らが混乱させられていたのに乗じて脱出。逃亡に成功した。
そして、スタングレネードを投げた一行と遭遇し、何故か好待遇で匿って貰っている、と。
何せその一行と言うのが――
「其方が一度、聖母から討伐を頼まれていた、
「どうもそうらしい。まぁ、事情を話したらまだ何かあるらしくて、こうして姉御を手当てして匿ってくれたわけなんだが」
「フム……とにかく、助けてくれた礼も言わねばなるまい。賊の首領の下へ連れて行ってくれ」
「その必要はなし。すでに我が身はここにある」
ベンジャミンとは違う男の声。
魔眼を開いてみたが、かなり背丈が高く、ガタイもいい。ベンジャミンとはまた違う意味で、屈強の二文字が似合いそうな大男だった。
体の大きさはベンジャミンより一回り小さいが、筋力を含めた膂力の
「お目覚めになったか、異世界からの使者よ。拙僧はグレイ。鬼族の破戒僧にして、この賊の長を務める者。以後、見知り置きを」
(鬼、と来たか。ならば肌は赤か青か……っと、これは種族差別かな。白と黒だけでも大問題だった前世の弊害だな、これは)
「憤怒の大罪、アン・サタナエル。其方、異世界転生者は初見ではなさそうだな」
「拙僧がかつて学んでいた寺院には、異世界からやって来た者も数多くおりました故。皆、貴殿のように戦いを求めず、俗に言うすろうらいふを求める者ばかりなれば」
「なるほど、スローライフか。確かに魅力的だ。私も、最初はそのつもりだったのだがなぁ……神か仏か、とにかく見えざる者の手が働き、このような宿命を背負わされている次第だよ」
「その件に関して、お話があります。アン・サタナエル殿。拙僧らに協力して頂けませぬか」
「協力、と来たか」
元々賊のようなものだが、いよいよ本当の賊になる日が来るとは。
無論、話を聞いてから決めるが、手当もして貰って匿って貰っているのに、嫌ですとは言い難いし、出来る限り応えたくもなる。
が、とりあえずは話し合いだ。
自分の我儘で仲間を振り回すにも、限度と言うものがある。
「具体的には? 私達に、其方達は何を求める」
「かつて拙僧が学んでいた寺院を襲撃する作戦に、其方達にも加わって欲しい」
「それは、本気か?」
「問われるまでもなく」
それだけ聞いて、正気の沙汰と思えないのは必然的な事だ。
彼は自らを破戒僧と言ったが、とはいえ、かつての学び舎を襲撃しようと言うのだから、余程の恨みつらみがあるのか、藁人形に釘でも刺して呪いたい相手でもいるのか。
そんな事を考えるアン自身、今すぐにでも聖母アリア・マリアへの
「目的は何だ。ただ壊し、殺すだけと言うなら、私には
「拙僧が教えを受けていた寺院の住職は、七人の英雄――特に聖母アリア・マリアに心酔している。彼女の求める物資、食料を定期的にあの教会へ捧げているのだが、それらは元々、寺院が治める村の民達の貴重な財産。彼らは不当な搾取にて、常に貧困に喘いでいる。年々、飢餓と疫病とで、死ぬ民が増える一方だ」
「……なるほど。つまり最終目標は、その住職の――其方の師の暗殺、と言う訳だな」
敢えて、僧侶の心を抉る言い方を選んだ。
自らを破戒僧としながら、未だに自身を拙僧と呼ぶ彼の覚悟が知りたかった。
心の在り様など、魔眼を以てしてもわかりはしないが、失った視力を補うように発達した聴覚は、彼の息遣い、心音を捉え、臆した様子は聞き取れなかった。
戒律を破ったときか賊に成り下がったときかは知らないが、襲撃を決めた時点で、ある程度の覚悟は決めていたらしい。
ならばせめてもの懸念は、その場になって現場のリアルに怖気づくか否かだが、こればかりはその時にならないとわからない。
杞憂と終わるか予想通りとなるか。
もしも後者の展開になるようならば、そもそも協力してやる筋合いもないが――先も言った通り、こちらは先に恩を売られている。買ってしまった以上、余程の理由がなければ断れない。
「その奇襲。まさかノープラン、と言う訳ではあるまいな。スタングレネードなんて僧侶らしからぬ代物を用意していたくらいだ。何かしらの策はあるのだろう」
「然り。しかしそれは協力を確約出来た時にのみ、教えたい。貴殿らを疑うわけではないが、情報漏洩の危険性は出来る限り排除したい旨を理解して頂きたい」
「うん、尤もだ。その理由なら納得出来る……だがさすがに、決行日くらいは教えてくれないか。見ての通りの重傷だ。協力するのなら、万全の状態で挑みたい」
「必要物資が届き次第となっているが、まだ一週間は掛かる見通し。更に、ここから寺院まで二日は掛かるため、最低でも九日後、と見て頂ければと」
「九日後、か……」
(確かこの世界と前世とで、時間と日にちの概念に誤差はなかったな……)
と思って、ふと、アンは幼少期のまだ目が見える頃を思い出していた。
前世でも、終ぞ見る事の無かった時計。
時針と分針がゆっくりと回り、秒針が決まった調子で動いて時を刻む様を、ジッと見つめていた事もあった。
母親には、「アンは時計が好きなのかしら」と言われたが、嫌いではなかったのだろう。
自分が皆と同じ時間の中で生きていると初めて実感出来た事が、堪らなく嬉しかったのを憶えている。時間も日にちも、今まで一度として視認したことがない故の感動だった。
「――と、いかんな」
「何か……」
「いや、すまない。勝手に脱線していただけだ……良いだろう。その作戦、詰まる所は私達にとっても、聖母の教会を弱体化させる
「あ、アン様! そんなお体で、無茶です!」
「エリアス。私達は英雄と対峙するのだぞ? 必ずしや万全の状態で挑めるものではない。ましてや今回は九日間も猶予があるのだ。これ以上の贅沢は言うまいよ」
「感謝致します。それと……少し、アン殿と内密な話し合いをしたいのだが、よろしいでしょうか」
「……フム」
ベンジャミンに目配せを――送れたかどうかはわからなかったが、とにかく人払いをさせる。
エリアスとアドレーは残りたがっていたが、ベンジャミンに諭されて渋々退席して行った。
洞窟内故、声はある程度反響する。
内密な話し合いは、三人が気配さえも届かないくらいに遠くに行った時点で行われた。
「地下にいた魔王軍の魔族達……あれは」
「あぁ、私が殺した。釈明の余地はない。死にたいというから殺した。破戒僧が、これを罵るか。それとも
微笑も湛えて答えたが、グレイは何も言わなかった。
返答も応答もなく、話は進められる。
「……先の、アドレーと呼ばれていた少女が、彼らの体液から作られた
「知っている。当人もそれは知っているようだったが、
「では彼女を造るため、多くの子供達が人体実験の被験体にされ、彼女を造る器として、二〇人もの少女が死んで逝った事については」
「……それは、知らなかった」
魔眼で以ても知り得ない情報だ。
魔眼で知れるのは、あくまで
それが、魔眼の嫌いなところでもあった。
知れる情報量は多いのに、踏み込んで欲しくないだろう
仕方のないことながら、憤怒の魔眼に対して怒りを抱かざるを得ない。
「貴殿が聖母と大立ち回りを繰り広げて下さっていたお陰で、今回、孤児院にいた子供達を救出する事が出来ました。今後、同じ様に
「……だから私を助けてくれたのか? 律儀だな。御仏の教えか?」
「人として、当然の事。仮に貴殿が英雄を倒すべく立ち回らずとも、怪我をしている方を見つければ、手当はしましょう」
「なるほど」
話し方から伝わってくる雰囲気から何となく察しはしていたが、肉だの酒だの女だのと、煩悩に負けて破戒僧になったわけではなさそうだ。
賊に成り下がってまで成し遂げたい己の正義に準じた結果と見たが、ここでは敢えて理由を問わない。かつての師を襲うとなれば、否が応でも知る事になるだろうし、迷いを強くしたくなかったからだ。
「しかし、そうか良い事……いや、悪い事を聞いた。そうか、そうか」
――孤児院の子供達も、地下の容器に隔離された魔族も、聖母にとっては同じ、愛しい
いや、今は聖母の事は置いておこう。
完全に聖母の事を忘れる事は出来ないし、この作戦も巡り巡って彼女へとぶつかるのだから忘れる訳にもいかないのだが、一先ず、彼女への怒りは置いておく。
今はその聖母に惚気ているらしい色ボケ坊主に、説法でも聞かせてやるため、傷を治す事に専念する。
専念していなければ、敗北したという事実に圧し負けて、今まで作り上げて来たアン・サタナエルという転生者が、壊れてどうにかなってしまいそうだった。
「……協力はする。約束しよう。だから今の話、あの子には――アドレーには内密に頼む」
「無論です。
「お姉ちゃぁぁん!」
と、ギリギリもギリギリのタイミングでアドレーが走ってくる。
辛うじて受け止めたアンは、両腕と胸とに走る激痛で叫びたくなるのを、必死に耐えた。
「お話終わった? ねぇ、終わった? ねぇ、ねぇえ」
「あぁ、終わった。今まさに……丁度。そう、
わざわざ魔眼で見る必要もない。
両腕にそれぞれ三か所以上のヒビが入り、聖母の魔法をまともに受ける盾にした左腕に至っては、若干の麻痺がある。少女一人抱き留めるのにすら、激痛が生じる。
果たしてこの九日間という期間で、完治するか否か。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ。この期間中に、其方の力に関しても、もっと詳細に知らねばなるまいな」
「うん! 私、アドレーは自分の力……よく、わからないから……もっと知りたい! もっと知って、お姉ちゃんの力になるんだ! いいなぁ!」
「そうかそうか」
この笑顔を護れるか否か。
すべては、九日後だ。
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