翼の折れた熾天使

 アン・サタナエル、“憤怒の魔眼”。

 捉えている相手の膂力、魔力、機動力、体力――その他能力値ステータスを把握する、救世主を求めた見えざる手の齎した供物ちから

 他の転生者が不死身の回復能力や、全属性の魔力など、全異世界で不条理チートと呼ばれる能力を欲する中、アン・サタナエルとして転生した■はそれしか求めなかった。


 更に言うなら、■は能力ちからさえ求めなかった。

 ■が求めたのは光と色彩のある世界であり、英雄と戦う力でも、異世界で無双出来る能力でもなかったからで、異世界に転生してまで生きたいと思っていなかった■には、無双も不死身も興味の生じる分野ではなかったのである。


 故には英雄と戦う事を決めた後、アン・サタナエルが獲得した力。

 監獄所長ドボルロックや怪物と化した元貴族。聖母と同じ、この世界で生まれ、生きて来た人達のように、努力と研鑽、鍛錬によって身に着けた力。

 自身で身に着けた力故に、そのときの彼女の身の丈にあった力を揮う事になるため、必然的に生じてしまう力不足。

 しかし自分自身で獲得した力故に、見えざる手によって与えられた付属品ちからにはないメリットが存在する。


 単純な話――成長である。


  *  *  *  *  *


「天、使……?」


 自分がそうだと言いたいのかと、罵る事を忘れてアリアは見入る。


 二対四枚のあかい翼を広げ、熱風を扇いで飛び上がるアン・サタナエルの姿は、さながら絵画に描かれる堕天使が如く。

 禍々しさと神々しさ、相反する二つの美を両立させた姿は、先に破壊した神の彫像よりも美しく、見入るだけの魅力があった。


「“翼の折れた熾天使クリューエル・セラフ”。英雄と対峙するために編み出した技ではあったのだが、こうも早々に出す羽目になるとは思わなかったよ」


 アンの右手に灼熱が宿る。

 未だアリアは、アンの姿を見上げたまま、動けない。


「まぁしかし、そちらも切り札を出したのだ。こちらも切り札を出すのは、至極当然の流れと言えような」


 ここで、アリアはようやく見入っていた硬直から己を解いた。

 確実に投擲、もしくは射出されるだろう形状に構築された灼熱を見て、魔力による障壁を展開。真正面から迎え撃つ体勢で構える。

 盲目故に直接は見えてないが、魔眼で以て認識した様子のアンは、ほくそ笑むような微笑を浮かべて、アリアの動揺を誘って一歩、後退りさせた。


「“聖なる者、主の下へ招来せりイミテーション・ディオニシウス”――今の私が繰り出せる、最強攻撃魔法だ。出来る事なら、そのまま受け切ってくれよ、アリア・マリア。もしも避けようものなら、背後の孤児院がどうなるか……察して、くれるよな?」

「あなた……っ!!!」

「……そう、それでいい。より強く、より硬く、障壁を展開しろ。そして丁度いい感じで、られてくれ」


 投擲される灼熱の槍。

 岩と土を圧縮して作られたアリア・マリアの防壁と激突し、光と熱が衝撃と共に爆ぜて、後れて来た轟音が鼓膜をつんざいて破らんとする。

 光と炎とが天井を破壊。先に繰り出されたアリアの名前も与えられていない火柱とは比較にならないほど高く、太い火柱が天を衝く。


 咄嗟に台座の後ろに隠れ、エリアスとアドレーを抱き締めて衝撃と轟音とに耐えていたベンジャミンは、すべてが沈黙、沈静化して見た光景に息を呑んだ。

 礼拝堂を埋め尽くさんばかりに並んでいた木製の長椅子はすべて燃え果て、周囲の石柱も熱を持って、しゅぅぅ、と音を立てている。

 火柱に貫かれた天井は蒸発したかのように跡形もなく消えて、凄まじい熱を与えられてみるみる雲を生み出し、鉛色に染まっていく光景を見る事が出来た。


 だがそんな一撃を受けたはずの聖母は――アリア・マリアは立っていた。


 土と岩を圧縮して作り出した防壁は跡形もなく崩れ果て、元々目のやり場に困る意匠だったが、所々が焼け落ちて更に肌を晒して、より、目のやり場を奪われる。

 が、痛々しく焼け爛れ、焦げ付いた肌を見て欲情する者は無く、魔杖ロッドを文字通りの杖として、支えとして使ってようやっと立っている姿は、目のやり場に困るはずの彼女への視線を釘付けにして離させなかった。


 聖母にもまた、不死身の体はもちろん、蘇生級の回復能力はない。

 今すぐに畳み掛けて攻めれば、このまま倒せてしまうかもしれない――などと考えそうになって、ベンジャミンは浅慮だとすぐさま否定した。


 彼女の目を見れば、否が応でもそう思う。

 今ここで彼女に仕掛けても、返り討ちに遭うだけだと思わざるを得ない。

 もしもただの虚勢ブラフだったとしても、そう思わされるだけの迫力があった。鬼気迫る、鬼さえも怖気づくだけの圧があった。

 もはや聖母の称号すら、相応しくもない。彼女もまた紛れもない英雄の一人であり、紛れもない戦士だった事を認識せざるを得なかった。


 ただ一人、彼女の目を見ていないアンだけが、元より見知っている事実として、アリアが立ち続けている事を黙認している。

 何も言わず、次の一撃を用意しているアンを見上げるアリアの目は、憤怒の魔眼と翼を反射して、赫く光っていた。


「出来る事なら、今の一撃で倒れて欲しかったものだが」

「手負いの魔法使いの一撃一つで、私を倒せるとでも?」

「……なるほど。そう言われると確かに、手負いでは届かぬだろうな……では、追撃してみたらどうなるか」

「させない!」


 アリアの魔杖ロッドから生み出された、いくつもの小さな光球から、一直線に伸びる破壊光線レーザービーム

 応じるように、アンの赫い翼から白い熱線が放たれて相殺。直後、四枚の翼を羽ばたかせ、アンは飛んだ。


 翼を羽ばたかせる度に散らせる火の粉に混じって、赫い羽根を落としていく。

 橙色に輝く火の粉と赫い羽根とがアリアの周囲を舞い落ちると、羽根と火の粉とがくっ付いた瞬間、火の粉が羽根に引火したかのように羽根が燃え、爆発。

 爆発が次の爆発を呼び続け、連鎖爆発を引き起こす。


「“夜の帳に啼くサンダルフォン”」

「っ――! このぉっ! 堕ちなさい!」


 アンが飛び続ける限り続く技と気付いたアリアは、撃ち落とすべく床を変形させ、岩と土の鞭に変えて飛び回るアンを追いかける。

 風を切り、爆裂を振り撒きながら飛ぶアンは迫り来る岩の鞭を躱しながら、羽根と火の粉を落としてアリアへとぶつけ続けた。

 が、アリアは自身の体に薄い魔力の膜を張っており、爆発の熱も衝撃も直接は届かない。爆発に揺らぎながらも的確なコントロールで、アンを追い詰めていく。

 防御壁も膜も何も無いアンは掠められる事さえ許されず、徐々に追い詰められ、遂に囲まれた。


「堕ちなさい! 堕天使らしく!」

「させるかよ!」


 と、ベンジャミンが吠える。

 口内に蓄えられた魔力を咆哮と共に解き放つ獣人の秘術、“獣王之咆哮ウォークライ”をアリアに回避させ、岩の動きを一瞬だが止めて、アンの脱出する時間を作った。


 さらに回避した先にはエリアスの張った水飴のような粘着質な水溜まりがあり、踏んだアリアの足を捕まえて魔力を吸い取っていく。


「っ――! 獣とスライムの分際で!」

「傲慢だなぁ、聖母様よぉ!」

「アン様は……私の主様は、殺させない……っ!」


 魔杖ロッドを捨て、両手を合わせる。

 指と指とを絡めて強く握り締め、アリアの足を捕まえていた水溜りをアメーバよりも活き活きと動かして脚、腰と伸び、更に魔力を吸い取る。


 だが、同じく魔杖ロッドを捨てたアリアの魔法が水溜りのあった地面ごと隆起して脱出。

 そのまま、ベンジャミンとエリアス目掛けて岩の鞭を伸ばそうとして、舞い落ちて来た羽根の爆発で大きく揺られ、照準を誤って放たれた鞭は明後日の方向へと突き刺さった。


 それでも凄まじい衝撃に揺らぎながら、ベンジャミンは再度、咆哮を放つ。

 直前で聳え立った岩の盾を貫通したものの、岩を貫通するため生じた一瞬の間に体勢を立て直されたアリアに回避された挙句、エリアスのお陰で一時的に捨てさせていた魔杖ロッドを拾われた。


 羽根の連鎖爆発の中、魔杖ロッドを突き立てたアリアが展開したのは水の渦。

 水気などどこにもないと言うのに、どこからともなく水が現れて、彼女を中心に激しくうねり、渦を巻いて羽根を呑み込んでいく。


 すでにかなりの規模の魔法を使っているはず。地下で始まったアンとの戦闘から、かなりの数を乱発し、エリアスに魔力も吸われた。

 なのにまだ、アンの魔眼は有り余る聖母の魔力を捉えている。

 防御の魔力を障壁にせず膜にして節約しているが、節約しなければいけないほど切迫している様子はない。先に繰り出したアリア・マリア必殺の魔法も、あと一度だけなら繰り出せるだろうだけの魔力が、まだ残っている。

 故にそれだけは死守せんと、アンは羽根を降らせるが、アリアの水はそれらを容易く呑み込み、鎮火してしまっていた。


「突拍子もない発想には驚かされました……が! やはり異世界転生者特有の不条理チート能力がないだけ、つまらないですよアン・サタナエル!!!」

「言ってくれる……!」


 だが事実だ。

 英雄相手にチート性能能力の一つもないのでは、確かに詰まらない。

 せめて戦っている数が多いのだ。あと一つ、攻め手があればまだ――そこまで思い立って、アンは思いついた。いや、思い出した。


「アドレー! !」

「!?」


 なんでアンが彼女アドレーの能力を知っているのかと、問いかける暇などあるはずもなく、アリアはアドレーへと魔杖ロッドを向けようとする。

 そこへ飛んで来たアンが魔杖ロッドを掴み、捻るように回してアリアの体勢を崩しつつ、握っていた手から引っぺがした。


「やれ!」

「ダメ! 私を誰だと思って――!」

「聖母様……魔力それ頂戴いいなぁ


 アドレーが言った直後、アリアが突如として重力負荷に負けたかのように膝を突く。

 だが同時にアドレーが倒れ、アンの翼が閃光となって弾けて消えた。


「ベンジャミン!!!」


 倒れたアドレーを受け止めたベンジャミンが、三度目の咆哮を放つ。

 一直線に走った咆哮で作った退路をエリアスと共に走り、途中でアンを拾い上げて外へ目指して全速力で走る。


 アドレーの能力でアリアの魔力を奪い、ベンジャミンの走力で以て逃げる。

 他人の能力を開示する、アンの魔眼が見出した脱出経路。


 エリアスもすでに魔力はギリギリ。

 ベンジャミンは負傷が酷い。

 アドレーは奪い取ったアリアの魔力に酔い、昏睡している。

 そしてアンは、魔力も気力もほとんど使い果たし、もはや戦うどころか立っていることさえ出来ない状況にまで、追い込まれていた。


 故に、この戦いは諦める。

 この戦いは、大罪の負けだ。故に文字通り敗走する事をアンは決めた。

 苦渋の決断だが、これが最終決戦でない以上、無理を通す必要はない。ここで無理を通してアリアを倒したとしても、総勢七二の修道女シスター聖職者プリーストに包囲され、捕まって終わるのだから――だから、逃げようとしたのだが。


 すでに、包囲は完了していた。

 前後、左右、どこを見渡しても逃げ場などない。


「御終いです。大罪の皆様……アドレーも、お仕置きが必要ですね」

「……やれやれ。英雄を倒すと息巻いて、一人も倒せず終了とは、情けない。せめて大罪を七つ揃えるくらいは、したかったものだが」


 私だけでも逃がしてくれないか――なんて言うつもりはない。


 私はいいから三人は逃がしてやってくれないかと慈悲を求めようとも逡巡したが、聖母の聖母らしからぬ怒りに満ち満ちた表情かおを見て、無駄と悟った。

 せめて、巻き込んでしまった二人に謝罪くらいはしておくか、などと自暴自棄も良いところの唾棄に転じようとしたときだった。


「――早急に、目を閉じて耳を塞げ」


 そう二人に言ったものの、アンの仕業ではなかった。

 聖母を含めた誰もが不意に喰らった爆音と閃光に呑まれ、その場に立ち尽くすしかなく、他の全員が目を眩ませる中、唯一眩む事のない目を持つアンだけが、状況を把握していた。


「ベンジャミン、火薬の臭いがする方に走れ! エリアス! ベンジャミンの尻尾を掴んで並走しろ! 決して離すな!」


 ベンジャミンもエリアスも訳が分からないまま、アンに言われた通りに走る。

 すると今の閃光と爆音とで、比較的若い修道女シスターらが固めていた部分が崩れたらしく、万全だった包囲網に唯一空いた抜け道を突破する事となった。


「追え! 追いなさい! 彼らは英雄に対する反逆者です! 逃がしてはなりません!」


 アリアが叫ぶが、誰も視覚と聴覚とが万全に機能しておらず、走る方向すら定まらない。

 アンが先に忠告した通りに目を閉じていた二人でさえ目が眩むほどの閃光をまともに受けたため、一時的な失明状態に陥り、集団でパニックに陥っていた。


「ったく、何だったんだ今の!? 姉御、何かしたのか! ……姉御?」

「……アン、様?」


 沈黙。

 アンは完全に意識を喪失し、虫の息ながら眠っていた。

 ベンジャミンの腕の中でグッタリと項垂れ、まるで返事を返さないので、逃走途中の二人は何度か最悪の事態を想定しながらも、ひたすらに走り続けて、遭遇した。


 彼らは見る。

 全身火傷と裂傷を負った女と、少女を抱えた狼の獣人と、その尻尾を掴んで走る人型のスライムを。

 高値で売れるだろうかと値踏みしているのか。それとも奴隷として買う算段でも付けているのか。どちらにしても余りいい展開にならなそうだと考えた二人の前に出て来た男は、そっと二人に手を差し伸べて。


「――来なさい。その人達の手当てをしよう」


 と、見事に予想を裏切られたのだった。

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