容器の中の魔性

 エリアスは、孤児院の子供達の人気を独り占めしていた。

 世間をまるで知らない無垢な少女は、何を与えようと何を見せようと新鮮な反応を示すから、面白かったのだろう。

 エリアスも戸惑いを見せていたが、自分の知らない玩具おもちゃや物語に触れるのは楽しい様子で、子供達とも仲良くなれた様子だった。

 

 ベンジャミンは修道女シスターらから尊敬の眼差しを受けていた。

 教会にいる男の腕では足りぬ力仕事を手伝ううち、彼女達の信用を獲得したのだった。

 結果、教会の男性聖職者から羨望と嫉妬を向けられる事となったため、傲慢よりも嫉妬の方が良かったのではないかと再考を迫られるかと思ったのだが、に来て、再考の必要はないと改める。

 ベンジャミンよりも相応しい適正者を、目の前にしたからであった。


「其方が呼んだのか?」


 子供達も教会の者達も、軍人気取りの盲目女は厄介者だったのだろう。

 或いは、盲目の人間に見つけられるはずがないと高を括っていたのかもしれない。


 だが彼らの期待を裏切る形で、アンは見つけ出した。

 多重に張られた結界をすり抜け、警報のトラップも無効化し、杜撰な警備体制と化した隠匿されし地下通路への階段を降りていく。


 ここに来るまで、アンは聖母を聖母として対応してきたが、その必要性はなくなった。

 盲目には映らないものの、アンの眼前には剣と魔法が生きる世界とは対照的な、液体薬品に沈められた生物が入れられた甚大な数のカプセルという、サイエンスフィクション的光景が広がっていたのである。


 アンはそのうちの一つへと歩み寄り、カプセルをノックした。

 気泡が割れる音が漏れ、遅れて濁った雑音ノイズが響く。

 最初はアンも、何を喋っているのかわからなかった。それはアンの知る知的言語の境界から逸脱したかのような、大量の雑音ノイズの中に潜んだ意思とでも言うべき音であり、声として認識出来なかったからだ。


「アでラダへ――アも」

「私はアン・サタナエル。異世界転生者にして七つの大罪、憤怒の罪。この世界にて、英雄と呼ばれる者達に牙を剥く者」

「アかィシヹシェンてィあけシアメアも……ア――コヌレタっ……ク」

「さぁ、どうだかな。喧嘩はこれから売るところだが、正直に言って、このままではあの聖母にすら勝てまい」


 は押し黙る。

 液体の中に浸された状態で、尚且つ盲目であるアンには実際の様子がわからなかったが、漏れて聞こえる音は、泣いているように聞こえた。


「……少し話そう。其方は誰だ。何故こんなところに沈められている。あの聖母は、其方達で何をしようとしている」

「アティインぬ、グ、オンうおム、ヹツタかハレラう――アったノとイロハヘラウェ、れう、エラそアタふ、オアめっト、イ、なルルイエイサキス」

「そして聖母に引き取られ、この様、か……魔王が倒された其方達には、降伏以外の道なく、戦う意思さえ湧かなかったであろう。それでこの仕打ちとは、英雄は魔王とその部下に、随分と怒っていたのだな」


 などと、自分の罪と重ねてみたものの、同情はしない。

 今目の前で話している、魔王の部下と名乗る者に対しても、英雄に対してもだ。


 魔王と部下の軍隊は、この世界の富と命、財産と呼べるものを搾取した。

 英雄はそれらを討伐し、代わりに彼らの命を搾取している。


 獣の本能か支配欲か。いずれの理由であろうとも、大罪を犯したことに変わりなく、魔は英雄に狩られ、英雄は見えざる手によって狩られる対象と捉えられた。

 ならばよりにもよって、アン・サタナエルが同情などするわけにもいかない。

 自分は見えざる手が用意した、新たなつみ。新たな狩人えいゆうにして、新たに用意された悪役たいざいなれば、同情などしても意味はない。


 同情しては、いけないのだ。


「……E、テくサ――ト」

「助けて欲しいか。そうやって助けを乞うてきた相手を、其方は助けたことがあったのか?」

「……E、テくサ――ト」


 同じ言葉を、祈るように繰り返す。

 蓋を開けた空き缶を前に置き、正座して物乞いをするかの如く、何と情けなく、何と弱々しいのだろうか。仮にもかつて、世界を蹂躙した魔王の配下とは思えない。

 がどれだけ恐ろしい姿をした化生であるのかわからないものの、アンは情けないとばかりに吐息を漏らして、腰に下げた軍刀へと手を伸ばす。


「もう大丈夫だ。私が、殺してやろう。其方の言葉で言うのなら――うおらえちそろか、ぎさたう。あづぶおょじあづおむ、と言ったところか」


 液体の中、魔性は荒立たしく気泡を立てる。

 溢れる感謝にむせび泣いているのか、最初の時と同じく雑音ノイズが酷い上、操る言葉がすべて逆さ。さらには周囲で死んでいるも同然の者達まで騒ぎ始めて、まるで聞き取れなかった。

 が、関係はない。

 やるべき事をやり、って欲しいと懇願されたのならば、るだけだ。


「で、どうすれば良い。その其方達を閉じ込めるこの容器を、叩き割れば良いのか?」


 皆が口を揃えて、最奥を示す。

 辛うじて聞き取れる言葉をくみ取るには、毎日最奥に置かれている装置へと聖職者が向かい、大量のカプセルを満たす薬品を操っているのだとか。

 そして、それらの薬品に染み込んだ魔性の液より造られた魔性――人造の怪物が、いるのだとか。


「フム……いまいち掴めぬ。魔性の力なぞ結束させて、聖母は何を造ろうとしている。目的が、意図が読めぬ。新たな魔王でも生誕させようとしているのか」

「イあにけぢあキィリ、おみにックァティさたウ」

「まぁ、理解出来るはずもなしよな。ともかくその最奥の装置とやらを破壊すれば、其方達を殺す事が出来るのだな?」

「あづずほのす」

「よし、引き受けよう。だが一つだけ、其方達に条件を提示する。この場にいる全員が是、頷くのなら、満場一致ならば、我が鼓膜に喝采を聞かせよ――」


 条件は単純だった。

 単純故に理解も早く、助かりたい一心の彼らに迷いなどなく、すぐさま割れんばかりの喝采が、大量の気泡を立て、薬品をかき混ぜながら聞こえてきた。


 同時、アンの心の底から湧き起こる怒り、怒り、怒り――もはや、聖母の目的など些細な事。彼らの喝采に籠もった怒りの念が、歓喜と聞き間違う怒りの声が、気泡を割る怒りの息が、アンの体を震わせる。

 光を持たない双眸が濁った赤色に転じ、憤怒の炎で静かに燃え始めると、魔性の喝采を浴びながら中央を闊歩し、施錠された最奥の扉を両断した。


「――!? あなたは――」

「赦さなくて良い。私も、其方らを赦さない」


 その場で装置を操っていた聖職者を、三人ばかり血祭りに上げる。

 一切の抵抗も反撃も許さず、粗相をする最後の一人が逃げようとしたのをわざわざ追いかける事もなく、風の刃だけを動かして首を刎ねる。

 浴びた返り血がすぐさま蒸発し、一瞬の喧噪が掻き消えて再び静寂が訪れたその瞬間、訪れたばかりの静寂を割る、一つの拍手が聞こえてきた。


「凄いね! 凄いね! お姉さん凄いね! その刀、魔剣?! 聖剣?! そんなスパスパ斬れる刃物、初めて見た! 良いなぁ良いなぁ良いなぁ!」


 目の前で繰り広げられた惨劇と、広がっている惨状を前に、まるで似つかわしくない声。

 地上の孤児院で、エリアスと遊んでいる子供達に混ざって聞こえた方が、ずっと似合う。

 声の正体にすぐさま辿り着いたものの、想像していたのとは随分とかけ離れていて、呆気に取られたというべきか。それとももはやテンプレートに沿った展開というべきか。

 このような場面でも聞こえてくる子供の声は、大抵、殺人鬼の娘か猟奇的殺人鬼の素質のある娘か、悪魔か魔王だかの血を引くような子供だと、相場は決まっている。


「ねぇねぇ、お姉さん! その刀、アドレーに頂戴!」


  *  *  *  *  *


「ベルガー様? あの盲目の方……アナ様の姿が見受けられませんが」

「あ? あぁ、散歩にでも出てるんじゃあないか? あの人、盲目の癖に歩くの好きだから」

「そう……ですか」


 何かを察したのか勘付いたのか、それとも一歩手前か。

 とにかく、聖母が何かしらの違和感を感じているらしいことは、同じ地図を覗き込んでいたベンジャミンにも察せられた。

 同時、アンが何かしでかしたのだろう事も察したので、ベンジャミンは時間稼ぎに徹する事にした。


「それより聖母様よ。とっとと打ち合わせしちまおうぜ。明後日にはもう出るんだろ? 子供達を護るためにも、こちとらこの施設についてよく知っておかねぇと」

「……そうでございましたね。失礼を致しました」

「でだ。早速気になるところがあるんだが、この教会と孤児院の図面の境にある、この黒い四角は何だ。何かあるのか?」

「いいえ、何も。文字通り、ただの空白でございます」


 文字通りならば空黒であろうが、とにかく何もないことにしたいらしい。

 だがベンジャミンに備わった、獣の嗅覚が告げている。何もないと書き記されているこの黒点には、空白を黒く染めるだけの何かがあると。

 そしてアンが、その何かと接触したのだと、第六感的何かが告げてくる。


(姉御……頼むから無理だけはしないでくれよ)


  *  *  *  *  *


「いいなぁいいなぁ、その刀欲しいなぁ」


 前の部屋にいた他の魔性と違って、少女はカプセルの中を悠々と泳いでいた。

 四肢はもちろん、呼吸器の類いにさえ繋がれていないからだろう。魚でも苦しいだろう薬品のプールの中でも、少女は呼吸できているらしい。

 かと言って外で呼吸出来ないのかと言えばそんなことはなく、定期的に聖母に外へ連れられて、歩く練習をしているとのことだった。


「すまぬな。大した愛着こそないが、収まりのいい得物はそうそう見つかるものでもない故。しかし其方、その体で刀を使うのか?」

「ううん、ないよ。むしろ、使ったことがないから使ってみたいの! 聖母様が持ってる魔杖ロッドみたいに、自分だけの特別な何かが欲しくて!」

「そうか……気持ちは良くわかるよ。私も特別な何かを欲し、求めていた時期があったものだ。私は、異世界転生者故な」

「異世界転生者!? 知ってる! 別の世界から来た人でしょう?! 良いなぁ、良いなぁ、二回も生きられて良いなぁ」

「……良いことばかりでもないさ。もはや、そう……都合の良い設定テンプレートとなっているが、転生者と選ばれるのは、前世が不運な連中ばかり。だからこうも良いように、見えざる手に利用される。情けないことにな」


 だから私は、この世界へと転生させた見えざる者に怒る。

 だから私は、見えざる者の手のまま動かされる、アン・サタナエルという大罪に怒る。


 自分もまた、彼らの思惑通りに動かされている傀儡と知りながら、彼らの思いのままに動き、踊り、戦う己に怒り、嘆く。

 たかが光と色彩に満ちた幼少期。優しい両親と、暖かな家庭に恵まれた十年の恩を返すため、命を賭して、盲目になってまで戦おうとしているのだから、嘆かわしい事この上ない。


「我が目はすでに盲目だが、二度も地獄を味わうのだ。羨まれるような事はない」

「……そうなの? 私、ここから出た事ないけど、外は地獄なの?」

「東のはてから西のはてまで、すべてが地獄とは言うまいよ。良いところもある。が、良いところに隠された地獄が存在することもまた事実だ。のように」

「……だから。だから、みんなは死んじゃったの?」

「あぁ。そうしてくれと、頼まれた」


 外よりの喝采は、もう聞こえない。感謝の声も気泡の割れる音も、聞こえない。

 音どころか気配さえなく、カプセルの中の魔性はすべて跡形もなく、影も残さず消えていた。


 彼らは死んだ。つい先ほどまで、一時間も経たないほんの少し前まで、辛うじてだが生きていた彼らは、求めていた終結を与えられて死んだのだ。

 魔王の配下として多くの命を奪い、多くの富と財を奪った大罪人たる魔性達かれらが、慈悲を与えられるだけの罰を受けたのかは知る由もない。

 しかし正体不明のはかりごとのため命をすり減らし、強制的に生かされながら殺され続けた彼らの前に立ったのは、英雄ではない。大罪である。


 罰のためでもない。懺悔のためでもない。

 ただ求められるまま、己が背に刻む業に従って、罪を犯すだけの大罪によって殺される。

 結果的に、それが彼らの求める終結と重なった――それだけの話である。


 故にアンの顔に自己満足の笑みすらなく、哀れみ、悲しむ涙もなく、ただ淡々と真実を告げるだけで、自身をアドレーと呼称した少女は、酷薄に過ぎる淡泊さの受け止めた方がわからないのか、先まで饒舌だったのが嘘だったかのように、何も言わなくなってしまった。


「話は聞いている。前のカプセルに収められていた者達の魔力と体液とで造られた存在であると。私の世界では、そういった人工の生命体をまとめて、ホムンクルスと呼称したものだが……聖母が何故、其方を造り上げたか、知っているのか」

「……私、知らない。聖母様に、何度も教えてって言ったんだけど、教えてくれなかったの」

「そうか」


 この少女は、先に死んで逝った連中とは違うようだ。

 死を求めている様子はなく、かと言って深い欲があるわけでもない。

 彼女の世界はこの地下と、地上の教会兼孤児院の敷地内だけに限定されており、再びカプセルに戻されている辺り、聖母の計画に投入するにはまだ、何かが足りないのだろう。

 彼女はまだ始まっておらず、生きてさえいないのだ。欲が生じるはずもなく、ただただ羨望を抱くのみ。

 ならば――


「一つ、提案をしよう。其方、ここを出る気はないか」

「出してくれるの?!」


 思ったより、ずっと好感触だった。

 刀に興味を持ち、聖母のような特別な何かを求める辺り、外に対しての好奇心は感じられていたが、それでも予想以上の反応を聞かせる。

 先までの悲しさも虚しさも消えたわけではなかろうが、それでも外への興味と好奇心は、彼女の原動力として充分に機能する様子だった。


 そのときに決めた。

 聖母の陰謀も彼女が造られた意図もわからなかったが、そうするべきだと、アンの中の直感が囁いていたのである。


「でもでも、私……アドレーを出したら、お姉さん、聖母様に怒られちゃうよ?」

「どちらにせよ、私は聖母と対峙せねばならないだろう。ならば少女の一人、追加で外へ出したところで変わるまい。殺されるやもしれぬが、元々、殺し殺される戦いをするつもりだ。問題はない」

「聖母様と、戦うの?」

「そのために、私はここにいる」

「……わかった」


 腹は括ったようだった。

 幼いながら、力の籠もった声。

 これが聞こえた時、アンの中で囁かれていた直感が確信に変わって、大きく叫び始めた。


「お姉さんは、アドレーのパパとママ? を、助けてくれたんだよね。私も……助かりたい。でも、死にたくもないの。私も、私をアドレーにしたパパ達ママ達の見てきた世界を歩きたいの! 何も知らないまま、死にたくないの……そんなの、狡いもん……」

「ならば……その願いを叶えよう。私と共に来るが良い。

「? アドレーは、ただのアドレーだよ? 聖母様から、アドレーって呼ばれたことしか、ないよ?」

「新たな名だ。其方は我ら七つの大罪が一角、嫉妬の罪を背負う者となる。故にそれに相応しき怪物ものの名を一部、拝借した。異論はあるか?」

「……ない!」

「よし」


 話は決まった。

 やるべき事も定まった。後は――


「この施設の、防衛機構か何かか?」


 アドレーと話している間、ずっと迫り来ている存在には気付いていた。

 てっきり神父か修道女シスターかと思ったのだが、どうも様子が異なって感じる。

 強いて言うなら、先までカプセルの中で生きていた魔性達。目の前の少女、アドレーと同じ気配を感じて、アンは軍刀を抜刀。振り下ろされた拳を躱し、異物の皮膚へと叩きつけた。


 が、弾かれる。


 繰り出された追撃を躱し、体を蹴って跳躍。

 後方へと跳んで距離を取り、アドレーが欲しがっていた軍刀が軽くなっているのに気付いて、折れたのだと察して捨てた。


「何だ? この怪物は」

「お、お兄ちゃん……」

「其方の兄?」

「本当のお兄ちゃんじゃないよ? でも、私と同じで、カプセルに入ってたパパとママから造られたの……みんなは、初号機って呼ぶの」

「初号機、か」


 聖母の意図はますますわからなくなった。

 が、どうやら世間的に役立つ者を生み出そうとしていたわけではなさそうだ。

 でなければ、叩きつけた刀剣が折れるほどの皮膚を固めた拳で、躊躇なく女を殴るような怪物など生み出すまい。

 言語も碌に操れないような、機械的に、人形のように、ただ命令されたまま動く傀儡のような存在を作りはしまい。


【@*+<”$$$%――■*■*!!!】

「……私は盲目なのだ。せめて、意思疎通が出来る程度の言語は、習得していてくれ」


 怪物と大罪が、対峙する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る