■■という救済

 殺す。


 嗚呼、何て魅力的な言葉なのだろう。

 その言葉の通りに殺してくれる人に対して、■という人間は敬意を表する。


 人間五〇年。

 ■の生きていた世界。戦国と呼ばれる時代に生きていた偉人が、人の短い生を謳った文句よりも、単純計算で二倍の時間を生きられるようになった当時の環境の中で、■にとって殺害とは罪ではなく、むしろ救済に分類されていた。


 物理的にも先が見えず、将来の観点からも先が見えない■を引っ張ってくれる人はなく、文字通りのお先真っ暗な状態で、■は「死にたい」と嘆く。

 すると人は決まって、生きろと言う。死ぬなんて馬鹿馬鹿しいと言う。


 綺麗事だ。

 皆、自分の事ではないから言えるのだ。他人事だから言えるのだ。

 自死と自殺を悲しい事と思い込み、懸命に生き続ける事、生きるために足掻くことを美しいと陶酔した人間達の戯れ言だ。

 生きている事は素晴らしい事なのだと語る自分にこそ酔いしれ、溺れている人間の台詞だ。


 でなければ、誰もが転生などと言った夢は描かぬ。


 生きている事が真に素晴らしいのなら、自分の都合通りに動く世界で、自由奔放に生きられる世界に生まれ変わりたいなどと思い描くはずはない。

 チートも神の救済も要らず、主人公補正も美男美女要素も要らず、どんな世界だろうと生を謳歌出来ると宣うのなら、転生した世界で無双する夢など、見るはずがない。


 この考え方をと哀れむ眼差しで見つめてくる人間もいるだろうが、彼らはそんな眼差しをただ向けるだけで何もしようとはしてこない。

 蔑む人は蔑んだまま黙り、哀れむ人は哀れむ人同士で嘆くフリをする。

 もしもそんな人達の中に、このひねくれた考え方を真っ向から否定してくれるような、自分が傷付くことも厭わない人間がいてくれたら変わったかもしれないが、少なくとも■の盲目の人生に、そんな人が現れた事はなかった。


 そんな考え方しか出来ないのなら、一回転生でもして体験して来いと、殺してくれる人もいなかった――。


  *  *  *  *  *


「姉御、姉御……姉御すまない、起きてくれ」

「どうした……夜這いか」

「それがお望みなら、残念ながら別件だ。話がある」

「ウム……わかった。では、熱い珈琲を淹れてくれ。とびきり濃い奴を頼む」


 眠気覚ましに苦い珈琲を飲みながら、ベンジャミンと聖母の間に交わされた話の内容を聞く。

 国を脅かす山賊の存在。聖母が討伐隊を率いている間、孤児院兼教会の留守を任される事となった経緯いきさつを聞き終えたのと同時、口の中に濃厚な後味を残す珈琲を飲み干した。


「出来過ぎているくらいに都合の良い話だ。罠ではないかと、勘ぐってしまうくらいに」


 この世界へと招き入れた者による予定調和見えざる手が働いた結果なのか。

 それとも巧妙に張られた英雄の罠か。はたまた重なり重なって、そう見えるだけの偶然か。


 いずれに断定するにも、情報が欠如し過ぎている。

 部屋で脚を組んで抱え続けていたって、名探偵でもない自分達にどんな推理も浮かびなどしない。

 仮にこれが予定調和と呼ばれるものだとしたら、罠であろうとなかろうと行くと言う選択しか用意されていないこの粗末な状況に、文句を言わざるを得なかった。


 が、この世界においても前の世界においても、天に唾吐く行為と同義ならば、文句を並べたところで意味はない。

 ならば今、並べるべきは文句ではなく、今後の方針に他ならない。この場にいない赤の他人を責めたところで、状況は良好にもならず、悪化もしないのだから。


「しかし行くしかあるまいよ。良くやってくれた、ベンジャミン」

「だが姉御、孤児院なんかに行ってどうするんだ。英雄に喧嘩を売るって言うなら、その……」

「皆まで言わずとも、孤児院を破壊するような真似はしないさ。英雄に喧嘩を売りたいのはそうだが、だからと言って関係のない子供まで巻き込むつもりはない」

「だよな……」


 ただし、そこが本当にただの孤児院ならばの話に限られる。


 考えてみれば、簡単な話だ。異世界から人を呼び寄せてまで倒したいと思われるほどの者が、何もしていないとは考えづらい。

 無論、証拠も何もない状況で、アリア・マリアという英雄を聖母の皮を被った化け物にしてしまうのは簡単だが、それではあまりにも不条理というものだろう。


 ならば実際に彼女の治める教会しろに出向き、彼女が本物の聖母か否かを確かめるのが、一番手っ取り早いと言うだけの話なのだ。


 仮にも英雄と呼ばれた人間だ。

 例え失望する事になるとしても、一度くらいは信じてみたい。

 何せまだ、アン・サタナエルは英雄と呼ばれる人間に会ったなどないのだから。


 翌日、一行はベンジャミンが聖母から預かった地図を頼りに、孤児院を運営している聖母の教会へと向かった。


 街から少し離れた場所にあったため、孤児院に近付くに連れて街の活気が聞こえなくなり、反対に子供達の声が聞こえてくる。

 孤児院とは繰り返し聞いていたが、勝手に教会としてのイメージを強く持っていたアンは、予想以上に幼い声が遊んでいる事に少しばかり驚かされた。

 てっきり修道服に身を包んだ聖女達が、静かに聖書でも読み耽り、信仰を胸に神の偶像にでも祈っている静寂な光景を想像していたのだが。


「ようこそおいでくださいました、ベルガー様。そちらのお二人が御連れの?」

「あぁ、紹介するぜ。アナ・ストーンマンとイリス・イプシロンだ」


 エリアス・エクロンはまだしも、アン・サタナエルは英雄の面々に伝わっているかもしれない。罠であれば無意味ではあるが、一応、偽名を名乗っておく。

 尤も、軍服を着た盲目の麗人など、人型のスライムと同じくらいに希有で、そう見られない存在ではあろうが。


「アナ・ストーンマンです。聖母、アリア・マリア様とお聞きしました。お会いできて光栄の極みにございます」

「初めまして……神話の時代に語り継がれていた神秘を操れれば、その目を治す事も出来たでしょう。私の力不足で、それは叶いません。申し訳ございません、アナ様」

「構いません。元よりこの目に関して、そこまでの執着はもうないのです」


 そう自分に言い聞かせなければ、色彩を知った幼き十年が、宝物でなくなってしまうから。


「じゃあ早速、仕事の話と行こうか。その間、二人はどうすればいい」

「ではせっかくですから、子供達と遊ばれますか? 子供達も、皆様に慣れていた方がいいでしょうから」

「そうですね。本来、それが目的なのですから」

「では、どうぞ。こちらです」

「……デカいな」

「え――」


 胸の話か、と失言しそうになってベンジャミンは踏み止まった。

 盲目のアンに、彼女の胸部の豊かさがわかるはずないのだ。さすがの“憤怒の魔眼”でも、聖母のスリーサイズまではわからない。


「改めて魔力を見たが、相当なデカさだ。あれで七人の中では最下位とは、恐れ入ったよ。今の私達の実力では、間違いなく返り討ちだろうな」


 そんなことはない、と言いかけて止めた。これも失言だとわかったからだ。


 悔しいがアンの言うとおり、今の三人がまとめて掛かっても、聖母には敵わない――いや、と言う方が正しいか。

 七人の中でも戦闘能力は一番低く、魔王討伐の際も六人の補助に徹したとされる彼女にさえ敵わない今、他の六人に敵うはずもない。


 傲慢の罪としてはそれらしく、自分に敵う敵などなしと豪語したいところではあったが、それで殺されてはあまりにも呆気なさ過ぎる。

 自分を勧誘したアンの面目を護るためにも、何より自分の命のためにも、素直に認めるのが最適だと考えた。


「上手くやれよ、ベルガー。くれぐれも、あの女の美貌に喰われてしまわぬように。豊かな胸元に飛び込みたい気持ちは、わからんでもないがな」

「わ、わぁってるよ! 言われなくたって!」


 何とか踏みとどまれたはずだったのに、アンにはお見通しだったらしい。

 図星を突かれて、思わず大声になってしまったベンジャミンに微笑を浮かべたアンは、エリアスに腕を引かれて行った。


「ここでは約六〇人の子供達を預かっています。年齢も種族も関係なく、私の手が届く範囲の子供達は助けている次第です」

「通りでイリスにも、特別反応を示さないわけだ」

「数人ですが、スライムの子もいますから。魔王討伐のため、仲間達と旅した少女だった頃に知ったのです。彼らもまた、他の子供達と同じく苦しんでいるのだと。ならば助けるのに、特別な理由も必要ないでしょう」

「仰る通りです」


(だが、六〇人? 思ったより……)


 少ない。

 最初に感じられた雰囲気から、百人に届く数はいると思ったのだが、思ったより少なかった。

 ただの思い違いか、それとも――。


「しかし、子供が六〇人。それだけの子達を見るのは、さぞ大変でしょう」

「確かに手を煩う事もありますが、ここには三六の修道女シスターと三六の聖職者プリーストがいますから、そう大変なことばかりではないですよ」

修道女シスターと言うのは、もしかしてお弟子さんか何かで?」

「いえ、全員というわけでは。ここで育った子供達が行く先を見つけられず、そのまま教会にて信仰を学ぶ事も多いので」

「なるほど」


(多く感じられたのは子供ではなく、まだ信仰の道に入り切れていない青年らの気配。と言うことか――)


 疑問は一つ解消された。

 が、また別の疑問が浮かぶ。だがこれ以上は怪しまれる。


 ベルガーによって設けられたアナ・ストーンマンという人間は、軍人の家に生まれたものの、盲目だったために軍人になれずに放浪している流浪人、という設定だ。

 あれこれ聞き続けて怪しまれては、潜入捜査も出来なくなる。

 新たに浮かんだ疑問符を消失させるには、自分自身で調べてみる他ないようだった。


「あ! アリア様!」

「アリア様ぁ!」

「あ、あのみんな……私のことは先生と……」


 アリアの訴えは完全に無視され、子供達はみんな、アリアを様付けで呼んでいた。

 周囲がそう呼ぶための影響だろうが、英雄としての功績がそうさせているのだろう。七人の中では最弱に位置されているとしても、紛れもない英雄の一角には違いないのだから、当然と言えば当然だ。

 例え当人は納得出来ていなくとも、こればかりは世間がそうさせてしまう。


「アリア様! 私、アリア様の絵を描いたんだよ! 見て見て!」

「アリア様! 俺、粘土でアリア様の新しい聖剣を作ったよ! 使って使って!」

「アリア様!」

「アリア様!」

「アリア様――!」


 が、さすがに可哀想になってきた。


 自分はどちらでもなかったが、前世でこういう類のイジメがなくもなかった気がする。

 当時の自分は何も出来なかったし、何もしようとしない第三者だったが、こうして目の前で広がっているのならば、見えていなくとも無視は出来まい。


「ふぅ」


 わざとらしく添えた手の上に吹きかけた息が、子供達の体を攫って浮かび上がらせる。

 最初は怖がる声も聞こえたが、ただと浮いているだけだとわかると自ら腕を掻き、脚をバタつかせて宙を泳ぎ始めた。

 アリアの事を完全に忘れ、突然始まった空中遊泳に全員ではしゃぐ声が聞こえ、アンはまた、わざとらしく笑ってみせる。


「元気があってよろしい。挨拶としては不意打ちになってしまったが、最大限のアピールにはなったでしょう。仲良く出来そうです」

「……ありがとう、ございます。魔法がお上手なんですね」

「いえいえ、それほどでも」


 一挙手一投足がわざとらし過ぎたか、返って怪しまれているらしい。

 が、そこは敢えて微笑を湛えて流し、それ以上の言及はさせなかった。


 肯定も否定も、下手にすると変に勘繰らせてしまうし、探りを入れられても困る。

 こちらはただでさえ劣っているのだ。相手の警戒を削ぐためだけに、手の内を晒すような真似はしたくない。

 相手も未だ初見の相手に、そこまで深入りしようとは思わないだろう。良心と警戒の端境で地団駄を踏む聖母より先に、アンはアナ・ストーンマンという人間の設定を更新した。


「軍人になることを、諦めきれなかった結果ですよ。魔法戦ならまだ役に立てると思って、あれこれ勉強したのです。結局、無駄でしたがね」

「……失礼しました。思っていたより魔法の技能がお上手でしたので、つい。勇者の一行として旅していた頃の悪癖です、お許しください」

「何、盲目の女が突然魔法を使ったのだ。警戒して当然だろう。善意だとしても、盲目故に起きる事故を想定して警戒するのも、ここを治める者として当然の義務。何も悪いことなどないさ」

「そう言って頂けると、幸いです」

「アリア様! その人お友達!? 凄いお友達!?」

「えぇ。そうです、素敵なお友達ですよ」


(友達、か……)


 友達、と言うしかあるまい。

 そう言わなければ、子供達を不安にさせてしまう。これから子供達を任せると言う人に対して、不信感を与えるわけにはいかないからだ。


 アンもまた、この場では友人として通すが、内心はかなり揺らいでいた。

 迷っている事には違いない。

 が、教会ここへ訪れる直前までの、英雄としての聖母を信じたい気持ちは大きく削がれ、倒すべき宿敵の一人として数える気持ちの方へと、強く傾きつつあった。


 他の誰にも聞こえなかっただろうノイズを拾い、“憤怒の魔眼”にて知ってしまった今、彼女を聖母として崇めるのは難しい。


「……E、テくサ――ト」


 その日その夜、アン・サタナエルは神の信仰を集める教会の地下にて知った。


 それがすべてとは、敢えて言うまい。

 彼女だけの隠された顔なのかもしれないし、他の英雄が黙認しているのか本当に知らないのかもわからないが――

 ならば、敵対するには充分だ。

 未だ、最強の中の最弱にさえ届かぬ身ではあるが、戦いの狼煙を上げるには充分だ。


 故に、アナ・ストーンマンという仮初を子供達の前に置いてきた憤怒の罪アン・サタナエルは、隠匿の地下にて刃を振るう。

 ただし相手は聖母ではなく、目の前に広がるに対して。

 慈悲深く、救済の意味合いを込めて、楽土を祈って告げて、振った。


「もう大丈夫だ。私が、殺してやろう」


 私は、私の行いを卑下する者を否定する。

 罵倒する者に罵声を返し、見下す者を蔑もう。


 殺害は決して救いにはならないのだと、善人ぶって言うのなら、どうやって目の前のを救ってやると言うのか、是非とも意見を聞いてみたい。

 終わりがないという結末らしからぬ結末を与えられた者に、結末を与えることでは救いには値しないのか、問うてみたい――。

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