~憤怒と嫉妬~

聖母、アリア・マリア

 国全体を一つの外壁がグルリと囲うアクロポリスの王国に敷かれた検問所。


 商売のために国へやって来た商人が、腕に巻いた時計らしき物を見て溜め息をつく。

 以前に訪れた時よりも倍以上の時間が掛かっているようで、並んでいる人々全員の顔に苛立ちの色合いが見て取れた。


 検問所でもかなり厳しい検問がされているのか、時折怒号のような声が聞こえてくる。

 国内で何か物騒な事件でも起きたのか。しかし警備が厳重に過ぎて、今まさにここで事件が起きそうな物々しい雰囲気さえ漂っていた。


「フム……某ネズミの国のアトラクションのようだな」

「全然進んでる気配がねぇな。どうする。用件は中にあるんだろ?」


 門は東西南北で四つ設けられているらしいが、他の門にも検問所があるだろうし、どこも同じ様な雰囲気だろう。

 わざわざ長蛇の列を抜けてまでまた並ぶと言うのも嫌だし、何よりエリアスが持たない。


 炎天下とまでは言わないものの、強い日差しが燦燦と降り注いでいて、日除け代わりにレインコートを着させているものの、雪だるまが如く蒸発してしまいそうだ。


 かと言って外壁を乗り越えようものなら、国内で見つかった時に面倒だし――


「ん?」

「……姉御、なんか臭くねぇか?」

「狼らしく鼻が利いたな。確かに臭うな。嗅ぎ慣れぬ臭い故、わからないが……」


 とりあえず、良からぬ雰囲気である事だけは確かだが。


「何だ?!」


 豪く騒がしい駆動音が聞こえて来る。

 四頭もの馬に引かせた比較的大きな荷馬車が減速する様子も一切なく、真っ直ぐ門に向かって突進して来ていた。

 徐々に詰まってくる距離に合わせて、より強くなってくる臭いの正体にやがて気付く。


「火薬か……!?」

「穏やかではないな――ベンジャミン」

「おぉよ!」


 馬車の目の前にベンジャミンが陣取る。

 アンの生み出した風が手綱を切り裂き、解き放たれた四頭とすれ違ったベンジャミンが獣人の膂力で以て、余韻で走る馬車を真正面から受け止める。


 百キロ近い火薬が乗っているのだろう荷馬車が、時速六十キロ程の速さで突進してきたのだとすると、ザっと計算しても四〇〇キロを超える衝撃だ。

 アンが前世を過ごした世界なら、速攻あの世逝きからの転生コースだったろう。

 が、ベンジャミンは五メートルは後方に下げられながらも、見事大量の火薬が積まれた特攻爆弾を二本の腕で止めて見せた。

 獣人と聞いた時から、アンには彼らに対して力強いイメージがあったのだが、ベンジャミンは期待を裏切らなかった形となった。


「よくやってくれた」

「あぁ。にしても……この壁を吹き飛ばすつもりだったのか?」


 などと問うてみたものの、そうとしか思えない量の火薬が積まれている。


 だがおそらく、目論見通りにぶつけられたとしても、外壁は破壊出来なかっただろう。多重に敷かれた結界の前に阻まれ、馬と火薬を失って終わったはずだ。

 仮に結界がない場合を想定してみても、国を護るための外壁がその程度で吹き飛ぶとは思えない。ベンジャミンは改めて、外壁の方を見て思う。


 だと言うのに、壁を護る衛士らはそれこそ国の一大事だったとでも言わんが如く、馬車を止めた事に感謝の言葉を満漢全席の量で並べ、検問もスムーズと言えば聞こえが良い手抜きで済ませて入国を許可してくれた。


 事が上手く行き過ぎている気がして、ベンジャミンは気持ち悪さを感じずにいられなかった。

 外敵の存在に酷く怯えているようなのに、聖人殺しと呼ばれるベンジャミンに対してはまったくの無警戒どころか、聖人殺しの存在さえ知らない様子だからである。


 無論、聖人殺しとして知られるベンジャミンには、アンが認識を阻害する魔法をかけて周囲からの認識を反らしていたのだが、にしてもだ。

 逆に認識があやふやな存在を、こうも易々と受け入れるのが解せなかった。


「どう見る、姉御」

「彼らが何かしらの脅威に対し、怯えているのは事実なのだろう。検問の厳重さからもそれは明白。彼らにとって重要なのはその人の善悪であり、私達が脅威に立ち向かった事で、彼らにとっての善性が示されたのならば、多少存在が有耶無耶であろうとも関係ないのだろうさ」

「人の善悪なんて、どんだけ調べたのにわからないのになぁ」

「だからこそ、咄嗟の時に本性が出る。火薬と悟るなり真っ先に商売道具を護らんと跳び付いた商人のようにな」

「あんた、本当に盲目なのか?」

「それもまた、調べたところでわからぬ事さ」


 とにかく入国には成功したし、宿も取れた。今日のところは旅の疲れを取るため、休息を取る事にした。


 エリアスにはシャワーを浴びさせ、ベンジャミンは爪を研ぎ始める。


 各々が久しく自分の時間を過ごす中、アンは何もせずただベッドに身を沈める。顔色を見せないよう片手を顔の上に置いているが、相当疲れている様子だった。


 しかし当然と言えば当然だろう。

 盲目のアンにとって、本当はただ歩くだけでも精神をすり減らす作業なのだ。エリアスの補佐はあっても、疲れるに決まっている。


「肩でも揉んでやろうか? 姉御」

「うん……いや、其方は客人の相手を頼む」

「客?」

「お客様」


 ノックされた扉を開けると、宿の人間が深々と頭を下げた。

 先にアンより用件を聞いていたため首を傾げる事はなかったが、今さっき到着したばかりの旅人に客人など、これ以上なく怪しい話だ。


 が、前以て知っていたと言うのも気味悪がられると思ったので、ここは知らないフリを通す。


「お客様にお会いしたいという方がいらっしゃるのですが……通しても大丈夫でしょうか」

「あぁ。ただ、連れが寝ちまったもんだから、部屋に入れたくねぇんだが――」

「でしたら、玄関ロビーで構いませんわ」

「アリア様」


(アリア? って事はこいつが……)


 七人の英雄が一角、アリア・マリアは確かに、聖母と呼ばれるだけの雰囲気を醸し出していた。


 女性らしい丸みを帯びたシルエットが、黄金の装飾が施された真白の修道服に身を包み、静謐な美しさと神々しさを湛えた姿で顕現している。

 同時、裾に深く入ったスリットから見える生足。横からわずかに露出して見せている側面胸部。敢えて露にしている両肩など、下心しせんを誘う部分が多く、目のやり場に困る意匠でもあった。


 アンには言っても伝わらないだろうが、聖職者としての実績と聖母の異名さえ無ければ、その手の淫婦とさえ思わされても仕方ない格好である。

 実際にベンジャミンも聖母と呼ばれている人間がそのような格好をしているとは思わず、完全に不意打ちを喰らって目を逸らしてしまった。


 対してアリアの方はもう慣れているのか、目を逸らされている事に気付いてないはずはないだろうが、気に留める様子もなくベンジャミンを見上げ、聖母らしい柔和な微笑を湛えて見せた。


「初めまして、アリア・マリアと申します。以後、お見知りおきを」

「ベルガーだ。かの英雄の一角たる聖母様が、名も無い旅人に何の御用かな」

「えぇ。先程、南門にて起きた騒動に付きましてお話を」


 まさか英雄直々のご登場とは。

 検問所での事もそうだが、やはりこの国は何かしらの脅威に脅かされているらしい。

 これは利用するにしろ悪用するにしろ、今後のために聞いておいた方が良さそうだ。アンならば、そうするだろう。


「この国で何が起こってるか、教えて貰おうか」

「えぇ、もちろんです」


 ロビーの待合椅子に対面して座る、アリア・マリアの話はこうだった。


 王国に一番近い山に賊が住み着き、国に侵入しては比較的裕福の家に押し入って金目の物を盗んでいると言う。

 中には殺しにまで発展している事件もあるそうで、かれこれ十人以上の人が犠牲になっているらしい。


「王に頼んで、軍を動かして貰えばいいじゃねぇか」


 それが妥当な対策だ。

 王国の軍を動かして掃討する働きを見せるだけでも、賊に対して抑止力になる。


 だが聖母は、溜め息交じりに首を横に振った。


「王はこの事態を楽観視しておられます。貴族や王族が被害に遭っていないだけまだマシだと。何よりこの国には私がいますから、最悪私が行けば良い、と」

「英雄がいるが故の油断……いや、怠慢か」

「お恥ずかしい限りです。ここだけの話、王は異世界転生者。賊などいない世に育ったが故、事の重大さが理解出来ないのでしょう」


 アンも似たような事を言っていた気がする。


 戦いを知らないと言うのは一見平和に聞こえるが、裏を返せば、戦えない、戦い方を知らないという事だ。

 故にこの世界に来て最初に苦労したのは自衛――自分の身を護る術を身に着ける事だったと。


 王族なんて温室で育ち、戦う術も自衛の術も碌に学ばなかっただろう人間に、軍を動かせなどと言ったところでまともな命令も出来やしない。自分の無能さを露呈するだけだ。

 と、想像は出来ても本当の理由は知る事が出来ないが、アンが聞いたら落としに行くと言いそうな話ではあった。

 尤も、この国ではそれよりも優先すべき用件があるから、やるにしても後回しになるだろうが。


「それで、俺にどうして欲しいんだ。本題はそれだろ」

「はい。あなたには是非、私が組織する賊の壊滅部隊に加わって頂きたいのです。もちろん、相応の報酬を用意致しますし、協力してくださっている期間、この宿の宿泊料金は支払いましょう」

「そこまでして、俺の協力が必要なのか。王様と同じ意見って訳じゃあねぇが、あんたがいれば戦力は充分だろう」

「私が孤児院を離れるわけには、いきませんから」


 孤児院。

 今回のアンの目的地。


 未だ何をするかは聞かされていないが、おそらく興味本位で覗きたい程度ではないはず。

 戦闘になりかねない事態になるのは出来るだけ避けたいところではあるが――


「わかった。出来る限りの協力はしよう。だがこっちにも連れがいる。一人は子供で一人は盲目の女だ。こいつらを置いて留守にするわけにもいかねぇ。だからどうだろう、俺が連れと一緒に孤児院の方を護るって言うのは」


 聖母の眉根がピクリ、と動いた。

 反対か肯定か。いずれにせよ反応があったなら、アプローチを続ける。考えさせる余地を与えず、相手がなるだけ譲歩して、それでも良いかと言う条件を畳みかける。


「俺は生憎と子供に好かれないだろうが、連れの二人は子供受けするだろ。あんたが行く分、あんたのところの修道女をより多く残せるし、あんたが行くだけ時間も掛からねぇだろうから、そこまでの負担にもならないはずだ。どうだ」

「……なるほど。確かに協力を仰ぐ以上、そちらの条件も飲まねばなりませんね」

「どうだ」

「……わかりました。では子供達を、よろしくお願いします」


 思わずガッツポーズしそうになった。

 こういう交渉はアンの方が得手だと思っていたが、成功して顔がニヤけそうである。

 アンが何と言うかわからないが、少なくとも罵倒はしないはずだ。

 我ながら良くやったと、久し振りにたらふく肉を喰らいたい気分だった。


「ですがそうなると、いきなりあなた方が来られても、子供達に緊張感を与えてしまうでしょう。出来れば明日から、子供達と会っては頂けませんか」

「あぁ、わかった。連れにもそう伝えておく」


 折り合いはついたらしい。

 聖母はゆっくりと立ち上がり、金色の魔杖ロッドを手に取った。


「では明日、連れの方々とお越しください。昼過ぎならば、いつでも歓迎致します」


 思わぬ形で、孤児院への潜入経路を確保したベンジャミンだったが、予想以上に上手く行き過ぎて気付いていなかった。

 それこそ最初に違和感を感じていたくらいに事が上手く運び過ぎている事に。


 皮肉ながら、自分自身で思わぬ功績を上げた事に舞い上がって、この時のベンジャミンには気付くだけの余裕が残されていなかったのだった。

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