テテノ・ベネドールの逆襲
スライムの少女エリアス・エクロンが買われたオークション会場に、テテノ・ベネドールも参加していた。
貴族が奴隷を買う事は珍しい事ではないし、彼の上にいる二人の兄も奴隷を持っている。
が、テテノは兄よりも優れた奴隷を買うことに執着を持っており、この日も買った奴隷を使って、いつも自分を馬鹿にする二人の兄を見返してやろうと企んでいた。
そのうえで、スライムの少女は最高の逸材だった。なのに――
「三五億」
貴族とて、そう易々と手放せるような額ではなかった。
ましてやテテノ個人の財産を搔き集め、すべてを売却しても届くか否かの額だった。
無論、当時のテテノに持ち合わせなどあるはずもなく、張り合う事さえ出来なかった。
ベネドール家の後ろ盾があってこそ、堂々と奴隷のオークションを開けるのだと言うのに、運営側は断固として、スライムを買い取った人物の情報を開示しなかった。
この国で、王族の次に権威を持つ貴族ベネドール家に逆らった事を後悔させてやるつもりだったのに、相手は見つからず。
それで苛立って、連れていた奴隷に八つ当たりしていたら妙な女に捕まり、庶民の前で大恥を掻かされた。
アン・サタナエル。
二人の兄の事は今はどうでもいい。
まずはあの女にどれだけの辱めを与えてやろうかと、あれこれ考えながら帰って来たテテノを待っていたのは、他でもないベネドール家当主にしてテテノの父、ガネーディッタ・ベネドールの制裁だった。
平手打ちならまだしも、魔力を籠められた鉄拳で一切の躊躇なく殴られて、百キロを超える巨漢が軽々と吹き飛ばされる。
近くにいた三人の奴隷の首輪が、ガネーディッタの持っていた鍵で外された。
「ち、父上! 何を!」
「黙れ! 貴族が奴隷を買うのは、我々が如何に高貴な存在であるかを知らしめるため! だと言うのに奴隷を足蹴にした挙句、諭されて反抗した上に恥を掻いて戻ってくるとは何事か!」
いつ、どこでその情報を知ったのか。
大方、自分達を陰から監視、護衛している暗殺者かぶれの連中の告げ口だろうが、余計な事まで報告してくれたものだ。
が、彼らは父の直属の部下。奴隷ではない。
もしも手を出せば、それこそ父の逆鱗に触れる。
「貴様に奴隷を与えては付け上がるだけのようだからな、こいつらは解放する」
「そんな! 待ってくれ父上!」
「待たん! 貴様のその
ガネーディッタは奴隷を引き連れ、そそくさとその場から去っていく。
息子が待ってくれと懇願しても一瞥もくれず、屋敷の奥へと消えてしまった。
一人残されたテテノが、久しく感じていなかった誰もいない虚しさを痛感している玄関ホールに、高笑う声が響き渡る。
上を見上げると、上階から二人の兄が、唯一テテノの下にいる妹を抱きかかえて見下ろしていた。
「御覧、アイリス。テテノお兄様の無様な姿を。自分の力じゃ敵わないからと、奴隷ばっかり集めて頼ってたから罰が当たったんだ。御前もあんな風になっちゃあダメだからなぁ?」
次男、コルトス・ベネドールは高笑う。
長男、フェナメルラ・ベネドールが片腕に抱き抱える末の妹にして長女、アイリス・ベネドールは状況がよく理解出来ていない様子で小首を傾げたまま、膝を突く兄を見下ろしていたが、フェナメルラが良くないと見切って、その場から共に引き下がった。
「フェナメルラの兄貴はもうお前に興味すらないってよ! 残念だったなぁ! その豚みたいな体を引き締めてから出直して来いよ、テテノ!」
コルトスの笑い声が、去った後も響き渡る。
悔しさの余り床を殴り付けたテテノの絶叫が聞こえないよう、アイリスを自室へと送り届けたフェナメルラは、彼女の耳を塞いでいた。
テテノが部屋に戻って行ったのだろう頃合いを見計らって、そっと両耳から手を離す。
「兄様、テテノお兄様はどうなさってしまったのですか?」
「おまえが気に掛ける事はないよ。ただ、テテノに何かされたなら、構わず私に言いなさい。隠し事はしなくていいからね……さぁ、今日はもうお休み」
「はい。お休みなさい、兄様」
差し出した右手の甲に口づけを受け、妹がベッドに入ったのを見届けてからフェナメルラは部屋を出る。
奴隷という苛立ちの吐け口を失ったテテノが、屋敷で最も力の弱い妹に手を出さないとも限らない。破壊されればすぐ、自分へ伝わるよう細工を施した結界を扉に張って、他者――主にテテノの侵入を遮断した。
「フェナメルラ様」
廊下に並んで飾られている絵画の一つ――鎧をまとった騎士が、魔獣の群れに囲まれながらも高々と槍を掲げている勇ましい姿を描いた絵の中央に描かれた、勇ましき姿の騎士の口が動きだし、喋り始めた。
テテノは自分を監視していたのがガネーディッタ直属の部下だと思っていたが、実際はフェナメルラの部下であり、告げ口をしたのもフェナメルラであった。
フェナメルラにガネーディッタの部下と同じ動きをする部下がいる事を知っている人間は限られており、テテノがフェナメルラを怪しまなかった理由もまた、知らなかったからである。
「どうだった」
「白昼のテテノ様の騒動は街中で聞かれまして、相手の名前も知れ渡っておりました。名を、アン・サタナエル。盲目の身ながら、帯剣していた様子を聞く限り、魔導剣士かと思われます」
「そうか。ご苦労だったな」
部下の存在は掻き消え、絵画は元の勇ましさを取り戻す。
自室に戻ったフェナメルラは、窓越しに鈍足を鳴らして走るテテノの姿を見つけた。
ただの家出、とは思えない。
あれは父の遺産、今は亡き母の遺産に縋って生きる寄生虫のような生物。世に出すのも恥ずかしく、弟と紹介するのも拒まれる存在だ。
であれば、家を出て行くなどあり得ない。あれには家を出て、自分だけの力で成り上がって見せようだなんて度胸などあるはずがないのだ。
しかし、何の当てもなく出て行くような奴でもない。
一体どこへ向かったのか――フェナメルラの求める答えとなる場所へテテノが辿り着いたのは、およそ二時間後のオークション会場の裏。
実は地下通路で繋がっており、オークションを取り仕切るオーナーの自宅である事を知っている者は数少ない。テテノは、その数少ない人間の一人であった。
「グロウドール! グロウドールはいるか!」
何度も叩いた扉が独りでに開いて、無言の圧がうるさいから入れと促してくる。
現代で言うところの立てこもり現場に突入する機動隊の如く突入したテテノは、天井から飛び降りて来た黒尽くめに押さえ付けられた。
首筋にナイフを突き付けられて、テテノは言動のすべてを封じられる。
「困ります、テテノ・ベネドール様……表でその名を呼ばれては」
闇の中から、女性が推す車椅子に乗った初老の男が現れる。
テテノが訪ねた奴隷オークション会場のオーナー、グロウドール・ビディオデール。
奴隷をよく買うテテノとは、客と会場の責任者以上の繋がりはないものの、オークション会場のオーナーである事をテテノが知る程度の付き合いはあった。
が、例えそんな相手だろうと、情報漏洩の危険性が見られれば容赦はない。テテノの返答次第で、彼は容赦なく暗殺者にその丸々と肥え太った首を斬らせるだろう。
「私があの会場のオーナーである事は、この国でも知る者の少ない事実。あなた様やガネーディッタ様には感謝こそしておりますが、互いの不可侵領域は護って頂かなければ」
「す、すまない……気が立って、混乱しておった、のだ……ゆ、許してくれ」
「まぁ良いでしょう」
暗殺者がテテノから離れる。
四つん這いになって咳き込む姿はまさに豚そのもので、グロウドールは喉の奥に笑いを堪えるのに必死だった。
「さて、今日は何事でしょうか。今月のオークションはすでに終了致しました。スライムの購入者の個人情報は、繰り返し申し上げた通り個人情報保護の観念から、お教えする事は出来ないのですが……」
「――奴隷をくれ! 強い奴だ!」
「となると、またフェナメルラ様やコルトス様に負けたのでしょうか……困りますなぁ。買った傍から他人に奪われたとしても、こちらは一切の保証はしないとあれほど――」
「違う! 今はあいつらの事はどうでもいい! 女だ! 我を愚弄したあの女――あの忌々しい盲目の……アン・サタナエルと名乗った女を殺せる奴隷が欲しいのだ!」
「アン・サタナエル……?」
――アン・サタナエル。妾は興味こそないが、魔導女王の奴めが随分と気に掛けておった。其方も何かの際に聞くことがあるやもしれぬ。一応、伝えておいたぞ
知っていたのか、ただの気紛れか。
いずれにせよ、何という偶然。この機会を逃す手はない。
「いいでしょう。では、とっておきの奴隷を用意しましょうか」
喜びに満ちた顔を上げたテテノが見たのは、これまた喜びに満ちた顔で――さながら、悪魔の如き禍々しさを瞳孔の奥に湛えて輝かせる、老人の歪んだ笑顔。
今までに見た事のない笑顔に怯んで言葉を失っていると、不意に手に何かが触れたような感触を感じて、見てみると、影から生えている触手のようなものがテテノの手の甲を刺していた。
痛みはない。
触手の太さ的に注射針に刺された程度の痛みくらいありそうなものだが、せいぜい感じるのは蚊に刺された際の痒み程度。
と、思っていたテテノの四肢が内側から弾けて、血肉を撒き散らす。
激痛に悶える暇もなく、弾け飛んだ脚の付け根部分から中の臓物ごと表皮を引っ繰り返されながら混ぜ込まれ、肥えた肉塊へと精製されていく。
「ぐ、グロウドール……! きざ、ぎざま、なにヴォ――!?」
「申し上げた通り、奴隷を用意して差し上げているのですよ。あなたに奴隷を買わせるなと、すでにガネーディッタ様より申し付けられておりますので、販売しますとこちらの信用に関わるのですよ。それでも用意しろと申し上げるのなら、あなた様になって貰う他ないでしょう」
「ぐ、ぐヴぉおどヲるぅぅぅぅっ!!! 貴様、貴様、貴様ぁぁぁっ!!! ベネドール家が黙っているとおヴぉ、おヴぉおぼ、思うなよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――!!!」
「お言葉ですがテテノ様……この世界を脅かす外敵を倒すためならば、愚息の一人を捧げる程度の些事など、ガネーディッタ様は厭いますまいよ」
阿鼻叫喚。
背後にいた漆黒の暗殺者が閉めたドアに結界を張り、地獄の獄卒さえも耳を塞ぎたくなるような痛々しい絶叫を閉じ込める。
そうして作られた肉塊より生まれた怪物が上げた咆哮も、結界によって閉ざされたはずであった。
が、怪物が上げる憤怒に呼応したかのように、窓から外を眺めるアンは禍々しい何かの誕生を察して、グラスの中にあったワインをぐい、と一息に飲み干し、漏らす吐息に溜め息を混ぜて深く吐き尽くした。
「どうした、姉御」
「……いや。其方の鼻は、未だ利かぬか? ベンジャミン」
「悪い。さっき食べた飯の匂いがまだ残っててな……何か臭うのか?」
「いや。エリアス、今日は疲れたろう。もう寝なさい」
「は、はい……お休みなさい、アン様」
久し振り――もしかしたら初めてになるかもしれないフカフカのベッドに入ったエリアスは、何とも不思議な感覚と布団に包まれながら、あっという間に寝落ちてしまった。
寝心地の良さも違うだろうが、色々とあり過ぎて疲れたのだろう。ベッドに入ってから眠るまで、本当にあっという間だった。
「で、何かあったのか? 姉御」
「……うん。いや、おそらくは私の杞憂だろうさ。其方も今日は疲れたろう。ここまでの旅路の疲れを、ゆっくり休んで取るがいい」
「そうか? なら、お言葉に甘えるぜ。何かあったら、起こしてくれや」
「あぁ」
何かあったら、などと。
これから英雄を倒そうという一行に、何もないはずはなかろうに。
これからこうして、宿を取って夜を明かす事も出来なくなるだろう。
多くの人間に怒り、多くの人間の怒りを買う憤怒の罪なれば、いつしか自分は世界の怒りを買い、殺される事になるだろうが、今のところ、心当たりのある怒りはたった一つ。
それも他愛のない、何とも自己中心的な憤慨だけだ。
ならば、臆することはない。
そして、そんな怒りに殺されるつもりもない。
一貴族の気位の高さに圧し潰されるほど、軟でもないつもりだ。
が、どうしてもとなれば使う事も厭わない。
この世界へと転生させた者をあるいは神とするならば、神から与えられた唯一の恩恵。転生者が持ち得る
“憤怒の魔眼”を――。
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