スライムの奴隷
最大の目玉商品であったスライムの少女は、どうやらこのオークション会場でも最高価格で落札されたらしかった。
過去にあっさり手放す人間などいなかったろう大金だし、納得出来る。
ただ納得出来ないのは、監獄からくすねて来た元看守長が、それだけの大金を隠し持っていた事である。
一体どれだけ着服すればそれだけの額になるのか、ベンジャミンはやけに腹が立った。
「で、では三五億……ちょうど確認しました」
「うん、ありがとう。これが錠の鍵だな?」
「は、はい。合鍵はないので、くれぐれも紛失されませんよう」
それは紛失したら、奴隷が先に見つけて首輪と手錠を外してしまうかもしれないので、という忠告だ。まさか奴隷を買った当人が外す事など、バイヤーは考えてもないだろう。
だから会場を出て裏道に入ってすぐ、首輪と手錠を外されたスライムは驚きのあまり言葉を失っていた。今の今まで奴隷として扱われて来たのだから、当然の反応だ。
「どうするんだよ、姉御。このまま逃がすのか?」
「そうしたいが、それではまた捕まってしまうだろうからな。あくまで私の側にいて貰う。ただし奴隷ではなく、従者としてな」
アンが差し出す手を、少女は震えながら取る。
詠唱も構えも必要としないアンの手を取った少女の手の甲に、主従の契約を交わすことで発現する契約の刻印が浮かび上がった。
契約の刻印は主となる術者によって様々な形に変化すると言うが、アンの刻印は白と黒の翼が広がっているところにアンが転生する前の世界での番号が振られた簡素なものだった。
が、主従の契約刻印が刻まれている以上、もう奴隷にする事は出来ないし、法律によって裁かれる対象となり得る。例えそれが、未知の人型スライムであるとしてもだ。
「これで良し……魔力の繋がりを感じる。其方、名前は?」
問うてみたものの、返答がない。
盲目のアンが顔色を窺うことが出来ずに待っていると、背後からベンジャミンが爪の先で肩を叩き、耳打ちした。
「姉御。奴隷は首輪を付けられる時に、名前を奪われる。名乗りたくても名乗れねぇよ」
「なるほど。あくまで物であれ、と言う事か。女なら、最悪男の慰み者か」
なんてアンが言うものだから、少女はベンジャミンを見上げてビクリと体を震わせ、その場で頭を抱えてうずくまってしまった。
確かにベンジャミンが殺した聖人しかり、獣人は何かと動物のように本能に忠実な部分が多いと見られがちだが、実際に片っ端から食い散らかすような真似はしない。少なくとも、ベンジャミンは紳士であるつもりだった。
まぁ、獣人の中でも特殊な、獣により近しい体。怖がられても仕方ないとは思うが、いざ目の前で怖がられるとショックを禁じ得ない。
「安心し給え。慣れるまで少し時間が掛かるやもしれないが、これが悪いのは口調だけだ。生憎と盲目なので見た目をどうこう言えた義理ではないが、中身は良い奴だと保証しよう。しかしそうか、名前がないのか……」
少し考えて、アンは人差し指をピンと立てる。
指先に集まった水が蝶の造形を取って凍り付くと、音もなく羽ばたいて少女の方へと飛び立ち、少女のつま先に留まってゆっくりと羽の開閉を繰り返す。
少女が恐る恐る触れようと指を伸ばすと、溶けるように消えて行った。
そこでアンが不意に指をパチン、と鳴らしたものだから、ベンジャミンも少女も体を思わずビクッ、と体を震わせた。
「よし、其方の名はエリアス・エクロンだ。エリアス・エクロンにする」
「エリアス……エク、ロン……」
「私の世界における四大精霊が一角、水の精霊から拝借した」
「そんな……! 私なんかに、そのような大層な名前……勿体ない、です」
「何を言う。其方はこれから七つの大罪が一角、暴食の罪を司るのだ。四大精霊も、喜んで名を貸してくれるだろうさ」
エリアス・エクロン。
少女は与えられた自分の名前を幾度も反芻しながら、モジモジと体を動かし、何とも言えない感覚に体をくすぐられながら、俯き加減の顔の中に照れくさそうな微笑を浮かべていた。
スライムはモンスターの中でも最低位。貴重な人型でなければ奴隷にする人すらいないし、奴隷にしたって名前を付けてくれる人だっていない。
それが当たり前の中、不意に貰った高名な名前。
自分の体が沸騰してしまいそうな感覚の付き合い方がわからない少女は、図らずも上がってしまう口角を隠そうと俯かせる顔を手で覆い、必死に堪えようとしていた。
が、俯いて落ちた視線の先にアンの手が差し伸べられる。
「気ままに振舞うことを許す。私達の間にあるのは隷従でなく、主従であることを
その計画と言うのが、世界を魔王の支配から救った七人の英雄を倒すことなんて聞いたら、彼女の目には、アンがどのように映るだろうか。
天使の翼を生やした堕天使か。天使の微笑を浮かべる悪魔か。はたまたそれ以外の何者か。
もしもそれらのどれにも該当しない何か――例えば地獄から自分を救い出してくれた聖女か聖母の生まれ変わりか何かに見えると言うのなら、少女はやはり、彼女の奴隷となってしまったのだろう。
いや、奴隷ではなく虜か。
どちらにせよ、彼女に信心を捧げて、奴隷以上に従順に、従者以上に献身的に尽くすだろう事は想像に難くない。
果たしてどこまでが、アン・サタナエルの手の上なのか。
ベンジャミンはますます、アンという女が恐ろしく思えて来た。
「そういえば、まだ名乗ってはなかったか。私は憤怒の大罪、アン・サタナエル。こちらは傲慢の大罪、ベンジャミン・プライド。有名な聖人殺しだ」
「その情報はいらねぇだろ、姉御。無駄にビビらせてどうするんだよ」
「何、そんなつもりはない。これの鼻には聖人と名乗る阿呆しか掛からぬ故、安心しろと言うことだ。むしろ其方を襲おう者あれば、率先して片付けてくれる事は間違いない。なぁ?」
と、思わぬ形で振られたので返答に困ってしまったのだが、怖がるエリアスが見えてしまって思わず自分の胸を強く叩き。
「おう、任せとけ。おまえに何かあったら、俺が護ってやらぁ」
と、大見得を切ってしまった。
安堵するエリアスに「よかったなぁ」と笑うアンの笑顔が、また恐ろしく見えてくる。
「ではまず、衣装を整えねばな。其方には杖が似合いそうだ。と言っても、盲目の私の目には映らないが、どうかなベンジャミン」
「おう。いいんじゃあねぇか? 元々美人だし、映えそうだ……って待て、俺の服は?」
「男より女の身嗜みを優先すべきであろうが。其方、このような可憐な少女にいつまでもみすぼらしい衣装でいろと? まぁ、酷な」
「んな事言ってねぇだろ?! ただ、七日間も我慢させておいて――」
「心配せずとも、其方の衣装も
「うぅぅ……わぁったよ、ちくしょぉ……」
確かに、女の子にいつまでも見すぼらしい身なりでいさせるのは男として許せはしない。のだが、ここまで我慢して来た手前、どうしても納得し切れなかった。
だが抗うのもなんか怖いし、少女相手に駄々を捏ねるのも恥ずかしいのでやらないが、やっぱりどうしても納得出来ない。
出来ないのだが、先を行こうとする少女に一瞥を配られて、
「ごめんなさい」
なんて言われてしまったら、もう完全に負けで、ベンジャミンは何も言う事が出来なかった。
「さ。では行こう。気に入った服屋を見つけたら、遠慮なく言いなさい。エリアス」
「……はい、アン様」
エリアスに手を掴ませ、補助を任せる。
そうして盲目であることを周囲に明らかにしたのは、果たして余裕なのか計算なのか。
いずれにせよ、自分達をずっと監視している何者かの視線に気付いてないなんて事はないはず。
果たして彼女の狙いは何なのか、ベンジャミンは背後の視線に気に掛けながら、トボトボと進む二人の後ろをついて行った。
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