脱獄戦 vs看守長ドボルロック

『本当に、何も起きていないのですね?』

「もちろん。我々で充分に対処可能な事態です。ご安心を」


 一体、どこから情報が漏れた。


 いや、あのお方はすべてを見通しておられる。

 “千里眼せんりがん”を超えた“万里眼ばんりがん”、だったか。とにかくあのお方の目を誤魔化す事など誰にも出来ない。

 七人の英雄の一角を担うあのお方には、全ての事象が筒抜けなのだ。


 故に、失敗は許されない。

 万象を見通すあのお方には、虚言の類さえ筒抜けなのだから。


『……わかりました。貴方の言葉を信じましょう。ただ、どのような些事であれ、油断だけはしないように。かつて英雄が倒した魔王も、慢心によって滅んだのですから』

「は。全力を賭して鎮圧に臨みます」


 この会話が、およそ一時間前の出来事である。


 一体、何と報告すればいいのだ。

 第一、第二、第三の区画を護る看守主任を喪い、看守と囚人、双方合わせて途方もない数の命が喪われた。

 この際、囚人の命などどうでもいい。が、彼らに殺された看守らの遺族と家族に何と報告すれば、この責任を逃れられる。

 辞任すれば治まる問題でもなし。最悪、命で以て償わなければならない可能性だってあり得る。


 ふざけるな。

 今の地位に上り詰めるために、どれだけ苦労して来たと思っているのだ。


 許さない。

 この地位を脅かす存在は、誰であろうと容赦などするものか。

 そうして、今までだってこの地位を護って来たのだから。


「来たな――」


 扉が勢いよく吹き飛ばされる。

 直後、ドボルロックは構えていた魔導乱射銃に魔力を装填。回転する銃口から順に魔弾が発射され、扉を破った侵入者を蜂の巣にした――はずだった。


「あっぶね!!!」


 魔力の障壁が、扉を蹴破ったベンジャミンを護っていた。

 貫通性に長けた魔弾さえ防御し切るとは、なかなかの防御力。そこまでの障壁を張れる人間は、看守の中でもドボルロックとハイレインくらいだ。


 が、いつまでも持つような代物でもあるまい。

 ドボルロックは追撃の魔弾を乱射。

 障壁に亀裂が入るとベンジャミンはすぐさま部屋の外へ飛び出し、通路の端へと逃げ出した。


「っとと! ヒヤヒヤしたぜ……」

「だから言ったろう。用心するに越したことはないと」

「でもおまえ。あんなデカぶつ、普通部屋に置いてあると思うか?」

「まぁ、侵入経路が一つしかないようだしな。入って来た瞬間に蜂の巣、と考えてもおかしくはあるまい」

「何でそんな冷静なんだよ、おまえは。何か手があるって言うのか?」

「あぁ。だから、すでに仕掛けている」


 魔弾の装填は完了済み。

 看守長室の出入り口は一つしかなく、看守長室にあるスイッチを切らなければ外に出る事さえ出来ない。

 魔弾を防げる障壁が展開出来るにしても、打ち破られてから次を展開するまでの間に、風穴が空くことは確定している。

 故に向こうが看守長室攻略を諦める事は、脱獄する上ではあり得ない。

 そして魔弾乱射銃がある限り、突破は不可能と、ドボルロックの中で勝利の演算は完了していた。


「どうした侵入者! 大人しく蜂の巣にされたらどうだ?! あ?!」

「あんなこと言ってるが?」

「フム……よし、わかった」

「あ、おい!」


 アンは魔力障壁を展開もせず、悠々と闊歩して出て行く。

 そのまま引き金を引けばいいものを、悠々と闊歩して出て来たアンを見てドボルロックは何かあると勘繰り、思わず躊躇してしまった。

 とりあえず悟られまいと、わざとらしく高笑う。


「てめぇか! よくもまぁここまでやってくれたなぁ」

「アン・サタナエルだ。看守長のドボルロック・アルフォンスとお見受けする――と言っても、この目は姿を映しはしないがね」

「だから囚人共をそそのかしたってわけか。だが残念だったなぁ。囚人も大半が捕らえられ、牢に戻された。俺の仕事は、今回の騒動の首謀者であるおまえとそこの聖人殺しを殺すだけ。何がしたくてそいつを連れ出そうとしたのかは知らないが、大人しくこの銃の餌食になっちまいな!」

「その武器。こちらの世界のマシンガンによく似ているようだが、この監獄にも異世界転生者はいるのかな」

「何?」


 時間稼ぎのつもりか。

 だが彼女と銃の距離感は、魔力障壁を展開しても銃撃にとても間に合わない。

 帯剣もしているようだが、一秒間に八発もの弾丸を射出されては斬り伏せることも出来ないだろう。


 前に出て来た時点で、彼女は詰んでいるはずなのだ。

 それでも感じられる余裕の正体を、ドボルロックは異世界転生者という可能性の中に見た。


「そうか、おまえもあのお方と同じ……ってことは、何かしらのチート性能魔法か、異能を持っているという事か」

「さぁ、どうだろうね」


(馬鹿め……今おまえは、自らの墓穴を掘った!)


 ドボルロックの中で、自らの勝率が跳ね上がった。


(異世界転生者なら、俺も何度か対峙した事がある。不死身級の回復能力か特定条件以外で死なない不死身の体かはわからないが、この距離は遠距離系統の能力じゃあるまい。剣の速度が幾ら速かろうと、乱射銃の速度に追い付かなくなるのは明白。やはりこの状況、勝つのは俺だ!)


「今、其方の頭の中を巡ってる物の正体を、言い当ててやろうか?」

「そんな時間稼ぎに乗るか! ハッタリに乗って攻撃をやめた俺が馬鹿だったぜ! くたばれ、侵入者!」

「――そういうのを、こちらではフラグと言うんだよ」


 引き金を引いた瞬間、魔導乱射銃の巨大な銃身が回ることなく破裂し、爆発する。

 爆発の衝撃と炎に吹き飛ばされたドボルロックは壁に打ち付けられ、この場面を予想して魔力障壁を展開していたアンは炎の中で立ち尽くす。

 打ち付けた頭をさすりながらも辛うじて立ち上がったドボルロックは、何が起きたのかわからないまま帯刀していた刀を抜いて、改めてアンと対峙した。


「て、てめぇ! 何をしやがった!」


 先程までの余裕はどこへやら。

 アンの住む世界では定番の展開であることを知らないドボルロックは、アンがほくそ笑んでいる意味がわからず、不安を積もらせる。


 後ろで見ていたベンジャミンも何が何やら。

 驚き具合ではドボルロックといい勝負で、銃が無くなったから出て来たものの、意味もわからぬ暴発のトリックを聞きたくて仕方がなかった。


 だがこの短い間で、アンの性格は何となくわかって来ていた。

 アンは調子に乗って、敵に自分の能力を開示するようなタイプではない。


「さぁ、何をしたのだろうね。もしかしたら、君の知っているチート性能魔法の類かもしれないが……明かすメリットはないので、説明は割愛させて貰う」

「ふざけるな! 一体……何をしたぁぁぁっっっ!!!」


 青白い雷が迸る。

 ドボルロックが右手に圧縮した光を雷として放ったのに対し、アンは構えなしで魔力障壁を展開させ、雷から自分とベンジャミンとを護る。

 さり気なく、ドボルロックの質問に答えてやったつもりなのだが、ドボルロック当人は驚くばかりで気付いた様子はない。

 その隙に、ベンジャミンが背後へと回る。


 両手に伸ばした爪で以て、応じて振られる剣撃と真正面から衝突。

 リーチの差で剣に劣るものの、腕力に物を言わせて力任せに振り回し、万全の体勢から振らせないまま、ひたすら攻め立てて押し込める。


 ドボルロックもがたいのいい体躯をしていたが、ベンジャミンには劣る。

 さらには獣人の膂力は人間の倍と言われており、ベンジャミンに限って言えば三倍と言っても過言ではない。

 そんな力で右へ左へ薙ぎ払われるドボルロックの剣が折れてしまっても、何ら驚くことはなく、当然の展開と言えた。


 折れた刀剣とは別の方向へ自ら飛んで、ドボルロックは距離を取る。


「クソ!」

「ヤワな作りの剣だなぁ! そんなの何本用意したところで、またへし折っちまうぜぇ、ドボルロック!」

「黙れ! 囚人風情が俺に口を利いてんじゃ、ねぇ!!!」


 再び、青い雷が走る。

 ベンジャミンの目の前に障壁が張られて雷を隔て、すぐ側をアンが滑空するように走る。

 放たれる雷の中を掻い潜り、真横に薙ぎ払った剣撃が雷を放つ腕を斬り飛ばし、胴を蹴り飛ばして仰向けに倒すと、馬乗りになって腕を斬り飛ばした方の肩を貫いて、ドボルロックよりも白い雷光で悲鳴ごと焼き焦がした。


「囚人風情、とは、其方の立場は偉いんだな、ドボルロック。其方もまた、過去に殺人歴のある罪人であると言うのに」

「う、るせぇ!」


 アンが初めてまともに蹴り飛ばされる。

 後転して受け身を取り、怪我こそしなかったが、雷の魔法を直接、しかも流血している状態で受けて、まだ抵抗出来るとは思っていなかったらしい。

 光を映さない空白の目が、驚きの色で染まって見える。


「あれは正当防衛だ! 俺の村が、家族が、財産がすべて奪われそうだってのに、英雄も騎士も現れやしねぇ! だから殺したんだ! 俺は罪人じゃねぇ! むしろ英雄だ! 俺が俺の村を、家族を、財産を守った英雄なんだ!」

「どういうこった……」

「この男のいた村は昔、異世界転生者が頭目を務める盗賊団に襲われたのだ。その団員を、この男が始末した。一人残らず、な」

「じゃあ、俺と同類じゃあねぇか」

「黙れ! てめぇは奴らを殺した後何もしなかったじゃねぇか! そんなのただの自己満足だ! だが俺は違う! 俺は村の防衛線を作り、罪人を捕らえた際の新たな法律を作り、罪の意識と向き合って生きる村を再構築した! その功績が認められてここに配属され、今や看守長だ! 俺とおまえのどこが同類だ!」

「そうだな。確かに、其方とベンジャミンは同類とは言えないな」


 そう言って、軍服の裾を叩きながら立ち上がったアンは剣を向ける。

 剣の切っ先は真っ直ぐに、焼け焦げてはだけたドボルロックの心の臓腑を差す。


「其方は自らの罪から逃げている。己を真の英雄と嘯き、己が侵した罪から逃げ続けているのだ。そのような軟弱者と一緒にされてしまっては、ベンジャミンも困るし私も困る。七つの大罪は、己が罪と向き合い、己が罪を背負うことを方針とする組織なのだからな」

「んだと……? 俺よりそいつの方が上だって言うのか!!!」

「あぁ、言わせて貰おう。己の罪を認め、仲間達を護るため自ら手錠を嵌められたこの男より、罪を認めることなく正当化し、未だ償うことなく重ね続ける其方の方が下だ。ドボルロック・アルフォンス」

「黙れぇぇっっっ!!!」


 ドボルロックは斬り落とされた腕を拾い上げて、頭上高く抛る。

 抛られた腕目掛けて雷を放つと、雷電を帯電しながら空中で固定された。


「俺は英雄だ! 俺は家族を、村を護ったんだ! その後法を犯す罪人を何人も処刑して来たんだ! 七人の英雄の次に並ぶ英雄は、この、ドボルロック・アルフォンス様だぁぁっ!!!」

「やれやれ。そこまで脱線していると手の付けようがないな。傲慢にも程がある。と言う訳でベンジャミン、後は任せた」

「は?! 任せたって。流れ的におまえが……」


 やるべきだろうと言いかけて、やめた。


 確かに自分の正当性を主張して、自分の罪状から逃げてるドボルロックの姿勢を知ると、無性に腹が立ってきた。

 自分を英雄と宣う姿も、なんたる傲慢。自分の正当性を主張する姿も何もかも、癇に障る。

 同じ罪状で汚れた手を持ちながら、罪と認めない方が罪人を取り締まる看守長で、罪と認めた方が聖人殺しと呼ばれて檻の中だなんて理不尽も癪だ。


 なるほど確かにこれは、ベンジャミン・プライドのするべき相手らしい。


「よぉしわかった。下がってな、姉御。こいつは七つの大罪が傲慢の罪、ベンジャミン・プライド様が、聖人として殺してやるよ!!!」

「ほざくな、罪人風情が!!!」


 頭上から、雷電が降り注ぐ。

 両手両足をつき、四足の獣が如く駆け巡るベンジャミンは、降り注ぐ雷霆の間を縫うように駆け抜け、ドボルロックへと着実に迫っていく。

 真正面に来た時に大口を開け、口内に溜めた魔力と共に咆哮。“獣王之咆哮ウォークライ”を解き放ち、ドボルロックの雷と衝突した。


「貴様如きの咆哮など――!」

「おこがましいぜ」


 だから負ける。


 仮にも獣人の秘術に対して、雷で真正面から受けようというその傲慢は、今までの態度と言動から前以て計算出来た。

 思った通り、咆哮を雷を宿して真正面から受け止めたその手を横から爪で引き裂き、ドボルロックの腕を両断して落としてやった。


 悲鳴を上げる顔に爪を突き立てて引き裂くと、顔を押さえる腕がないドボルロックは涙を流して背中から倒れ、顔面から血を噴きだして転がり出した。

 数秒前まで見せる気もなかったろう情けない姿には、もはや笑いどころすらない。


「痛い痛い痛い! 助けて! 助けてくれ、魔導女王!!!」


 悲痛な叫びが響き渡る。

 一瞬、外から視線を感じた気がしたが、アンが外へと意識を向けたときには、視線は興味を失せたかのように消えて感じられなくなっていた。

 それに気付いているのかいないのか、ドボルロックの悲痛な命乞いが続く。


「あんた言ったじゃないか! 役目さえ果たしていれば、窮地には英雄が駆けつけるって! なのになのになのになのになのに!!! 助けてくれよぉぉぉぉおおおおおおっっっ!!!」

「憐れだな。終わらせてやれ、ベンジャミン」

「あいよ」

「助け――!!!」


 手刀の形で生えた爪が、心臓を貫く。

 一撃で絶命したドボルロックはそのまま大口を開けて動かなくなり、戦いはベンジャミンが想定していたよりもあっけなく幕を閉じた。


 月は白み、夜明けが訪れる。

 看守長室で機関銃のスイッチを切った二人の大罪が、庭を散歩するかのように闊歩し、外壁は獣人の膂力で以て跳び超えて、悠々と監獄を出て行った。


「脱獄成功だな。服が手に入らなかったのは残念だったが、次の街までは我慢するぜ」

「うん。確かにこうして外に出てみると、その服結構臭うな……死体があると思い込んだ獣が、飛び掛かって来そうだ」

「そん時は俺が蹴散らしてやるぜ……なぁ、姉御。さっき、ドボルロックの銃を暴発させたの。あれ、どうやったんだ?」

「うん? 冷気の魔法を銃身へと流して、中で氷結させたんだ。なんだ、気付かなかったのか」

「だって姉御、魔術陣も描かなかったし、詠唱もなかったろ? 魔法って普通そう言うのが必要なんじゃ……」

「あぁ、そうらしいな。だが考えてもみろ。詠唱は……ただ気恥ずかしいので省いているだけなのだが。とにかく私には必要ない。私はすべての魔法を詠唱も予備動作もなく、また構えも必要とせず発現出来る。故にあのような奇襲程度なら、造作もないさ」


 いや、それ以上に脅威ではないだろうか。


 少なくとも、魔法が使えないベンジャミンは相手の攻撃を予測するときに相手の予備動作から次の攻撃を予測する。

 腕を振り下ろせば上からの攻撃。薙ぎ払えば左右どちらかの攻撃で、どちらかというのは振ってくる方向でわかるもの。

 ドボルロックだって、手から雷を出すために撃ち出す方向に手を翳していた。


 が、アンにはそれら予備動作がない。

 つまりどんな攻撃が来るか。どんな魔法がどの方向から襲い来るかわからないという事だ。

 更に構えもないとなると、ますます予測など出来やしない。

 会話している最中に爆散――なんて事だってあり得るわけだ。


「怒らせたら怖いってことだけは、何となくわかったぜ……」

「まぁ、私は憤怒の大罪を背負う者だからな。だからと言って、私はドボルロックのようにふんぞり返る気は毛頭ない。寝首を掻くような真似はせず、言葉で意見や異議を申し立てられれば、受け入れる所存だ。それを重々、忘れないように」

「了解したぜ、姉御。で、今後の方針は?」

「とりあえずは、七つの大罪を背負うに相応しい同志を集めたいと思う。たった二人では、さすがに心許ないからな」

「何だ、そりゃ」

「看守長室でくすねて来た」


 抛られた麻袋を受け取ると、じゃり、と言う感触がした。

 中身を確認したベンジャミンが見たのは、ドボルロックが誰にも知られず着服していたのだろう金貨、銀貨、銅貨の輝き。

 一体どこに隠されていたのか。へそくりにしても、かなりの額が入っていた。


「おいおい。こんな大金で何をしようって言うんだ?」

「無論、買い物だ。其方の服と、

「は? ちょ、待て! どういうことだよ、姉御!」


 かくして、アン・サタナエルによるベンジャミン・プライド脱獄騒動は幕を閉じ、七人の英雄を倒すための旅路は始まった。

 この事件が、後に世界の命運を左右する戦いへと発展するなど、神のみぞ知る事である。

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