聖人殺しのベンジャミン

 綺麗な満月だった。

 さながら、狼男が変身でもしそうなくらいの円い月が輝いている。


 だが生憎と、ベンジャミンに変身の必要はなかった。

 その身は元より、人の形をした狼だったからだ。


「今日は夜だってのに、明るいな。お陰で外が見えやすくていいや」

「それは私に対する何かしらの因縁かな? いつ私は、其方の機嫌を損ねたのかな」

「あぁ……いや、すまん。喧嘩を売ったわけじゃないんだ、許せ。なんかおまえは、怒らせると怖い気がしてならねぇ」

「当然だ。何せ、憤怒の罪を背負う者であるぞ?」

「そいつぁ、お見逸れ致しました」


 魔導拳銃を構えた看守達に対して、アンは風を切る速度で鞭を振るう。

 第一区画看守主任、メルプールの遺した毒鞭は、人を無闇に殺すことなく突破するのに打って付けの武器なので、拝借していた。


 手首を穿たれた看守が拳銃を落とし、全身に麻痺毒を巡らせてその場に倒れる。

 悠々とそれらの間を闊歩するアンは、満足そうに笑っていた。


「良し良し。初めての武器なので御しきる自信がなかったのだが、いや、良い武器を貰った」

「俺から見ると、あのサディストには違う意味で似合ってるぞ、おまえと鞭」


 横に狼を連れてるせいもあって、まるで猛獣使いのようだ。


「これでも一応、魔導剣士なんだが……まぁ良いか。使えるなら越したことはない」

「前世で鞭を振るってた記憶でもあるのか?」

「まさか。前世で鞭を振る機会こそないさ。私の世界では、戦いなんて銃火器だの爆弾だの、とにかく一発で多くを殺すことを目的とした武器ばかりだった。尤も、私は戦争とは無縁の生活をしていたし、銃火器を握ることも許されていなかったがね」

「それはつまり……平和って事か?」

「一応は。だがいつ戦争に巻き込まれてもおかしくなかったし、何度も戦争が起きそうになって、ヒヤヒヤしたものさ。私の国は、爆弾の中に人を詰め込んで特攻させるような国だったからな」

「それは……自己犠牲、なのか?」

「さぁ? ただ、私は前世の頃から、ずっと自暴自棄だと思っているけれどね」


 「あくまで個人的な感想だが」、と付け加えながら、アンが毒の鞭を振るってまた、看守の手から武器を落とし、麻痺で動けなくさせる。

 腰が抜けて立てなくなった看守のガンベルトから拳銃を抜き取ると、弾と一緒に頂戴した。


「まぁ、私はそんな自暴自棄の自爆特攻はさせないから、安心し給え。それよりベンジャミン。其方は狼だと言うのに、あまり鼻が利かないのかな?」

「服に死体みたいな臭いが染みついて、利かせたくないんだよ。どっかで着替えたいものだが、他の囚人からも看守からもゴメンだ。看守長くらいの服なら、着てやっても良いが」

「いいな、傲慢ぽい。だが、まずはここを出なくてはなるまい。看守長の服は、縁があったらと言うことにしておこう」


 看守らを再起不能にしつつ、庭へと向かう。

 そのまま外へ出て外壁を登って脱走しようと思ったのだが、そう簡単にはいかないらしい。


 監視塔から、隠す様子もなくむき出しにされた連射式魔導猟銃。

 外に出た瞬間、蜂の巣は愚か、人型さえ留められずに肉塊と化すだろう。

 本来人に向けるべき代物ではないのだが、罪人はもう人として見てはいないという意思の表れでもあるのだろうか。

 とにかく、このまま庭に出るわけにもいかなかった。


 管制室か看守長室か。

 どこかにある銃の電源を落とさなければ、せっかく解き放った囚人らにも、もっと暴れて看守らの気を引いて貰わねば。


「あの機関銃とかいう武器なら、看守長室で無力化出来るはずだ。どうする? 看守長の服をはぎ取る縁、出来ちまう事になるが」

「やむを得ない。看守長ドボルロックとの対峙はなるだけ避けたかったが、さすがにそこまで簡単には行かぬか……よし、看守長室だ」

「向こうもそれを読んで手練れを配置してるだろうさ。第一区画近くなら、第二と第三……第四まで動かしてるかも知れねぇ」

「構わぬ。だが第四区画看守主任、ハイレイン・シャトーブリアンだけは殺してくれるなよ。純粋な正義心で看守の任に就いている数少ない男だ」

「逆に第二と第三はいいのかよ……よくわかってるじゃあねぇか」


 第一区画看守主任、メルプール然り、ここの看守はどいつもこいつも囚人を人と思ってない外道ばかりだが、第四区画の看守主任だけは囚人にも慈悲と慈愛を掛ける優しい男だった。

 ベンジャミン自身、食事を抜きにされた時に他の看守に隠れて水とパンを施して貰った恩があったから、アンの提案には賛成だった。


 逆に、第二と第三は駄目だ。


 奴らは囚人を囚人とさえ思っていない。

 監獄を運用するのに必要な電力と魔力を、囚人の労働力で賄わせる事を提案し、実際にやらせるような連中だ。

 別の区画ながら、奴らの噂はよく聞いていたし、奴らの強制労働で死んで逝った自分よりも軽い刑罰で囚われていたはずの囚人を、何人も知っている。


 第五と第六に関しては、区画が遠いのでまったく知らないのだが――


「第五と第六まで出しゃばってきたらどうする」

「……そうだな。看守長も仕留めるとなると、後任の第四を支えるのが必要になる、第二と第三を殺してしまった場合は、なるだけ致命傷は避けるようにしよう」

「了解した」


 七つの大罪を背負うなどと言っている割に、監獄の今後まで考えているのだから、ベンジャミンにはアンが不思議な人物に見えた。

 異世界で過ごしたという前世の記憶を含め、後で聞こうと決めたベンジャミン含める二人の前に、三人の看守主任が立ちはだかる。


「あら、駄目じゃない。罪人が獄内をウロウロしちゃ」

 第二区画看守主任、ロイ・ジンジャーバック。

「罪人よ。裁きの時だ。大人しく懲罰房に入るがいい」

 第三区画看守主任、アダムス・ローダン。

「……」

 第四区画看守主任、ハイレイン・シャトーブリアン。


 予想通り、第四区画主任看守まで出して三人掛かりで捕らえる気だ。

 ドボルロックなんて囚人排他主義者の考えがわかっても嬉しくないが、予想通り過ぎて不適とはわかりつつも笑えて来そうになる。


「聖人殺しのベンジャミンね。囚人なんてどいつもこいつも似たような顔してるけど、またとんでもなく悪そうなのが暴れてるじゃあないの」

「メルプールめ。音信不通になったと聞いていたが、しくじったのか。奴もまた、罪深い」


 盲目のアンには容姿で識別することは出来ないが、声色でわかる。

 先ほどから女性的口調が混じっているのがロイで、低い声音で罪人だ罪だと呟いているのがアダムス。で、先ほどから何も言っていないのがハイレインか。

 なら、おそらく彼らの先手は――


「まったく、勘弁して頂戴。夜更かしはお肌の大敵なんだから、ね――!」

「銃だ!」

「わかっている」


 ロイが監獄でも随一の魔導拳銃の使い手であることは、前以て調べてある。

 故に真正面から対峙した場合、如何にして近距離戦に持ち込めるかだが。近距離に入ろうとしても、アダムスの薙刀が間合いを詰めさせない。

 そしてハイレイン。彼は戦術面においても、同時に相手にしたくなかった。

 彼の補助の魔法は、味方の速度と攻撃の破壊力を上げるから厄介なのだ。しかもかすり傷程度なら回復までさせてしまうし、毒の類も効果がない。

 彼が出てきた時点で、メルプールからくすねた鞭はもう使い物にならなかった。


 ロイの拳銃から放たれる弾丸を躱し、通路の両脇へ。

 アンがロイ、ベンジャミンがアダムスをそれぞれ相手することを指差し確認してから、カウント二秒で弾丸の中を特攻していく。


 風の魔法で天井付近まで飛翔。

 撃ち出される弾丸の全てを斬り払い、薙ぎ払いながら後方へ飛んで、前方のベンジャミンと同時に仕掛けて挟み撃つ。


「頭使って来るじゃない。まったく、手間かけさせないで頂戴な!」


 二丁の拳銃で連射する。

 アンは紙一重で銃弾を躱しつつ後退し、一度取った距離を一挙に詰めて肉薄。迫り来る銃弾はすべて斬り伏せ、ロイの銃口を上下に両断。同時、ロイの両腕まで、肩から先を上下に両断して斬り落とした。


 銃を握る腕を縦半分に失い、引き金を引ける指さえも失ったロイはその場で脂汗を浮かべながら血溜まりの上に膝間突く。


「そんなに夜間働くのが嫌なら、夜間仕事の無い職業に就けばいいと思うのだが……まぁ、何かしら別の理由を付けて、自身の行動に正当性を持たせたいのはわかるがな。其方の肌事情など、知った事ではない」

「あ、あなたまさか転生者――っ……」

「知らずとも、いい事だ」


 背後から剣が後頭部を一突きし、絶命。

 ロイが起き上がって来ないことを確認すると、唯一弾丸に掠められた傷口に治療の魔法を掛けて止血。傷口を塞いだ。


「大人しく縛につけ! 聖人殺し!」

「聖人? てめぇにとっての聖人は、獣人を差別する上に強制労働までさせるのか!」

「人間と獣畜生を一緒くたにする事こそ人間への冒涜! この世の七割を占める人間こそ知性を有した由緒ある所属であるぞ! 罪人め!」

「アダムス、やめろ! ベンジャミン! これ以上、お前も罪を重ねるな! 監獄から出られなくなるぞ!」

「安心しなってハイレイン。すぐにこっから出るからよぉ!」

「そういう意味じゃない!」


 ハイレインの魔法で加速したアダムスの槍が、ベンジャミンを追い詰める。

 爪の一撃も剛腕の一撃も掻い潜り、繰り出される槍がベンジャミンの胸座を突いたものの、大きく膨らんだ胸筋に弾かれた。


 獣人族の体毛は個体差があるものの、他の種族の体毛と比べて硬い。中でも獣の特性が強いベンジャミンの体毛は、軟な刃程度なら通さずいなす。

 爪と腕の一撃を弾くのに踏み込んだ分の力を使ってしまった槍の一撃では力不足で、ベンジャミンを仕留めるどころか肉に傷を付ける事さえ出来ず、表皮を斬り裂くに留まった。


 が、リーチの差を詰められず、ベンジャミンは苦戦していた。

 踏み込むタイミングを間違えれば一撃で両断されるため、なかなか一歩踏み出せない。


「愚かな。怪力だけが取り柄の獣人族に、我が槍を掻い潜る術などない。獣らしく、餓死するまで懲罰房に閉じ込めてやろう!」

「仕方ねぇ……」


 距離を取ったベンジャミンを逃がすまいと、アダムスは一挙に距離を詰めた。

 そのまま一突きで串刺しにしてやらんとして、アダムスが飛び込んだ次の瞬間、ベンジャミンの口内に蓄えられていた魔力が咆哮と共に解き放たれ、跳び込んだ影諸共焼き払った。

 槍は微塵に砕け散り、施された強化の魔法は溶けて朽ちる。


 元々高い魔法耐性と防刃性能を持ち合わせていた看守服がズタズタに引き裂けて、鼓膜を破る衝撃波が後方へ吹き飛ばした。


「な、ぁっ……」

「獣人族の秘術、“獣王之咆哮ウォークライ”だ。獣人の中でも使える奴は少ないんだが、生憎と、俺にとってはでね。聖人殺しのベンジャミン、最強の技さ」

「こ、の……ぇぉの、ぃぅしょお、の……ぁけぃぉぇ……ぉと、き、ぬぃ……」

「驚いたな。両耳の鼓膜はもう機能してねぇはずだが? まぁ、全身やけどでもう永くもねぇだろうから、放っておいても死ぬだろうが――!」


 獣人を獣畜生などと呼び、蔑むアダムスを許す事など何故出来ようか。

 アダムスの考え方は、紛れもなくベンジャミンが投獄される原因となった聖人と同じだった。聖人殺しのベンジャミンが、放置などしておくはずがなかった。

 爪で喉を引き裂き、鮮血を撒き散らして命を絶つ。


「ベンジャミン……」


 残すところ、ハイレインただ一人。

 だが――


「ベンジャミン。これ以上はやめろ。やめてくれ。獣人族が差別され、不法な労働を強いられていた怒りはわかる。だが、これ以上罪を重ねるな。おまえが殺した連中もアダムスも、確かに酷い価値観の持ち主だった。だが、殺してしまっては奴らと同族に成り下がってしまう!」

「相変わらず、優しい奴だよおまえは。だがなぁ。人を法律だけが裁けるなんざぁ、酷な話じゃあねぇか。人が人を裁けねぇでどうするよ。法律にさえ捕まらなきゃいいや。法律を司る奴に見つからなきゃいいやなんて考えだから、この世界にこいつらみたいな連中が蔓延るんだ」

「だからと言って――」


 銃声が二発。

 直後、ハイレインがうつ伏せに倒れる。


「丁度、二発しか入っていなかったな」


 銃の引き金を何度も引いて、空である事を確認したアンは銃を捨てる。

 両脚を撃たれて倒れるハイレインは杖を握り締めて立ち上がろうとするが、筋肉が切れていて立ち上がることが出来ない。

 致命傷にこそ至らず、動きを封じるには充分過ぎる傷を負わせられた。

 アンが本当に盲目なのか、疑いたくなるほどの正確さだ。


「そして見せて貰った――いや、私の場合、聞かせて貰ったという方が正しいか。あれが“獣王之咆哮ウォークライ”。殺された聖人も、全身に治療不可能の大火傷を負っていたと聞いたが、其方の咆哮の仕業だったのだな」

「ベンジャミン……」


 両脚を撃ち抜かれて、まだ立ちはだかるつもりなのか。

 だが生憎と、こちらにもう用はない。アンの計画上、看守長と六人いる区画看守主任のうち、最低でも生かしておきたい人間の無事は確保した。両脚が治るかどうかはわからないが、命さえ繋いでおけば何とかなるだろう。


「悪いな、ハイレイン。首を打って気絶させるとか、器用な真似が出来なくてよぉ」


 鈍痛を響かせる巨拳が唸る。

 意識を刈り取られたハイレインを置いて、二人は先を走る。

 走る先にある部屋はただ一つ。看守長ドボルロックのいる、看守長室だ。

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