脱獄騒動

 警報が鳴る。


 千人を超える看守が跳ね起き、看守長ドボルロック・アルフォンスは看守服に着替えながら、管制室へと向かう。

 途中で合流した部下からサーベルと魔弾銃を受け取り、管制室の扉を蹴飛ばした。


「侵入者です、看守長!」

「数は」

「一人! ただ、第一区画の囚人全員を脱走させ、騒ぎに乗じて逃げ出す算段のようで――!」


 第一区画の様子が、通信の魔法で正面の壁に映し出される。

 解放された囚人が暴徒と化して、駆けつけた看守を相手に暴れ回り、他の区画に繰り出して仲間を増やそうとしていた。

 事態の収拾が追いつかないほど騒動の規模を大きくして、獄内の混乱がピークに達したときに、娑婆へ一気に流れ出すつもりだ。


 ドボルロックは各区画を任せている全六人の看守主任へと、念波を飛ばす。


「第一区画で暴動発生! 第二、第三、第四区画の看守主任は暴動の鎮圧のため向かえ! 第五、第六看守主任は脱獄を警戒! 看守達に、外の警戒を強化させろ!」

「看守長! 侵入者を見つけました! 見つけたの、ですが――」

「何だ!」


 管制室に怒号が飛び交っていた頃、アンとベンジャミンは調理室にいた。

 六つの区画それぞれに専用の食堂と調理室が設けられており、二人がいるのは第一区画に専用に設けられた調理室である。


「そうか、おまえも異世界転生者か」

「ウム。そういう其方には、異世界転生者の知り合いでも?」

「幼少期に世話になった人間の中に、異世界転生者がいた。良い奴だったよ」


 そう語る口で、ベンジャミンは骨付きの肉に生のまま喰らい付く。

 骨まで噛み砕いて食べる様は狼そのもので、咀嚼音だけで聞いた者の背筋をゾッとさせた。

 ただし、目の前で優雅に紅茶を嗜むアンは例外だろうが。


「俺に戦い方を教え、獣人も同じ命だと、最後まで一緒になって訴え、戦ってくれた。結果、そいつは俺達の命を護るため、見せしめに処刑されちまったがな。その仇を、数年後に俺が果たしたってわけだ」


 牢獄から解き放たれてすぐ、腹が減ったと調理室に忍び込み、現在までに人間が飼う乳牛二頭分を喰らい尽くしたベンジャミンは、早くも三頭目を平らげようとしている。

 それでもアンは驚くことなく、自分のカップに紅茶を注いでいた。

 正確に言うと、驚いていないのではない。驚けないのだ。

 どれだけの量をどれだけ大口を開けて食べて見せようとも、アンは驚けない。真白に染まった双眸は、一縷の光も映さないのだから。


「おまえの目、まったく見えないのか」

「あぁ、まったく見えない。医師曰く、神話の時代に失われた秘術でもない限り、光を取り戻すことはないそうだ」

「そうか」


 美人の顔に、もったいなく付けられた横一線。


 両目から光を奪った傷跡が高い鼻の上を跨ぎ、両目を通過している。

 今となっては彼女の両目の端で止まっているが、体は成長しても傷というものは成長しない。

 十年前の当時、まだ少女だったアンの顔に付けられた傷は、彼女の顔そのものを横断していただろうことを想像すると、ベンジャミンの眉間には、自然とシワが寄った。


 日が昇ると起床し、日が沈むと眠る。太陽と光と共に生きる獣人族には、目を覚まそうと眠ろうと、目蓋を上げようと下げようと、暗夜の如き暗闇の中だなんて、一種の恐怖さえも覚えるくらいに、考えたくもない光景だったからである。


 ましてや、アンは十年間眠り続けていたというのだから、それでどうして平然としてられるのか。ベンジャミンには、好奇心にも似た興味があった。


「そんな体になってまで、あんたは英雄を倒そうって言うのか」

「十年前、倒れていった彼らのためにも」

「……知ってたのか。そうさ。あれは七つの王国の反逆なんかじゃあねぇ。七つの王国と協力し、英雄を倒そうとした、おまえと同じ、異世界転生者達の起こした戦争だ。結果は、言うまでもないがな……奴らは七つの国の兵力そのものをも討ち倒した怪物だ。そんな奴らに勝つ術が、おまえにはあるのか」

。現段階ではな。これから倒せるだけの戦力を集める」

「出来るのか? おまえに」

「やるのさ、私が。その手始めが其方だ。まずは其方と共に、この監獄を脱する。まずはそれからだ」

「……そうか」


 最後の肉塊を噛み砕き、喉を大きく膨張させて呑み込む。

 アンもティーカップを空にして、ゆっくりと立ち上がった。


 狙い澄ませたようなタイミングで、施錠した調理室へ看守達が体当たりを始める。


「其方にはまた、罪を重ねさせるが」

「何。聖人だろうが看守だろうが、これから英雄を殺そうって大罪に比べれば軽いもんよ。それに、勝手だが俺はおまえが気に入ったぜ。死んでも取り憑いてでも、おまえの英雄殺しをこの目で拝んでやらぁ」

「そうか。では其方はこれからベンジャミン改め、ベンジャミン・プライド。七つの大罪、傲慢を背に戦え」

「良いぜぇ、聖人殺しでも七つの大罪でも、好きに呼びな!」


 施錠された扉を体当たりで破った看守達がなだれ込んでくる。


 ベンジャミンの爪が次々と斬りかかってくる看守を引き裂き、胸倉を捕まえて投げ飛ばす。

 アンを狙って魔導拳銃を構える隊列に突進し、爪と拳とで次々と発砲されるより前に突き崩していく。

 発砲した弾丸がベンジャミンの体に当たっても、青と銀色の体毛とに絡め取られ、勢いを殺された銃弾は体を傷付けるにまで至らない。


「俺をそんじょそこらの獣人と一緒にするんじゃあねぇぞ!」


 ぶら下がっていた肉の塊を投げつけ、その場にあった厚底の鍋などを投げつける。

 怯んだ看守らへと、ベンジャミンが飛び掛かる。


 拳を叩き込めば胸が沈む、顔面が沈む。

 爪で引き裂けば衣服は切り裂かれ、肉がはぎ取られる。


 人の知性など有していない獣の如き暴れっぷりに、若き看守は臆して逃げようとする。

 が、一人の女が姿を現したとき、逃げだそうとしていた若い看守らはベンジャミンの方へと吹き飛ばされ、裏拳で殴り飛ばされた。

 看守は女の振るう鞭がベンジャミンへ届くまでの目隠しブラインドに使われたようだが、間に入ったアンの剣に鞭が巻き付いて届かなかった。

 女の舌打ちが、喧噪の中でやけに大きく聞こえる。


「私の邪魔してんじゃないわよ! 脱獄騒動の首謀者、罪人風情が!」

「第一区画主任のメルプールか。気をつけな! そのサディストの鞭は――」

「麻痺毒だな。よし、わかった」


 目が働かない分、他の感覚が鋭敏なのか。

 人間では気付けない。獣人族でも数人しかわからないほぼ無臭の毒に気付いたことに、メルプールは驚きを禁じ得なかった。


 何よりこちらは腕二本で鞭を引いているのに、向こうは鞭が絡まった剣を持つ腕一本で張り合っている。筋肉の膨張も強ばりも見られない。


「罪人の分際で……合気でもやっていたのかしら?!」

「多少の心得がある程度だ」


 合気。

 確か相手の力、呼吸を利用して繰り出す体技だったか。


 ベンジャミンは昔世話になった転生者から、知識だけは聞いていたが、実際に使い手を見るのは初めてだった。

 まだ初見で、詳細もよくはわかってないが、力任せに暴れるだけのベンジャミンはメルプールと拮抗するアンに勝てない気がして、何となくだが逆らわない方が良いことを察する。

 実際、ベンジャミンの直感を証明するが如く、アンは剣を手放したと思えば鞭が緩んで抜け出した剣を再び取った勢いのまま直進。怯んでフラつくメルプールへと、剣を振り下ろした。


 体こそ斬れなかったが、剣先が後退したメルプールの看守服を切り裂き、肌を露にする。


「この……! 罪人に晒すほど、私の肌は安くないのよ!」


 毒の塗られた鞭が舞う。

 使い手次第では音速を超えるという鞭の一撃が風を切り、びゅん、びゅん、と縦横無尽に翻弄しながらアンへと迫る。


 が、アンはいとも簡単に鞭を踏みつけて捕まえた。

 目で追うようなら翻弄も出来たろうが、生憎とアンには通用しない。

 辛うじて、風を切る音が聞こえた程度だろうが、翻弄する鞭を操るメルプールの目が最初からアンを狙っているならば、鞭を捕まえることは難しくとも、出来なくはなかった。


 メルプールは力任せに引っ張って戻そうとするが、剣まで引っ掛けられて戻せない。

 周囲の看守に視線を送って、側面から奇襲を仕掛けるよう仕向けるが、ベンジャミンが許さなかった。

 豪腕に生えた強靱な爪で、魔導拳銃を構えた看守を横から薙ぎ倒していく。


「こ、の……! 離しなさい!」

「わかった」


 そら、とアンが踏ん付けていた鞭から足を離し、絡めていた剣を抜こうとして、力を緩めた直後に引いた。

 今度は前のめりによろけ、重心を崩されたメルプールへとアンは肉薄。握り締めた鞭の先で、メルプールの顔面にしぱぁぁんっ、と風を切って叩いた。


 麻痺毒が塗られた鞭の一撃が、メルプールの顔面を割いて、悲鳴を上げさせる。


 濃すぎる厚化粧と、臭いのキツい香水を手首と襟に付けているメルプールは、見るからに自身の美貌に相当の自信を持っていそうだったが、「顔が! 顔が!」と、毒の鞭が当たったことよりも、顔が傷付いたことに動揺し、悲鳴を上げていたことにはさすがに引いた。

 麻痺毒の影響で動きが鈍くなるよりも、顔面が強ばって表情が固まる事の方が、彼女には重要かつ重大な問題だったのだ。


「おのれ、罪人が……よ、くも、この私の、かを、にぃ……っ」


 顔の傷から麻痺毒が巡り、徐々に全身の自由を奪われていく。

 そうして自由を奪われていった囚人が、彼女の手によって何人嬲り殺しにされたのか、ベンジャミンは数えたことがない。


「待て……ま、待っ、て……ま……ぁっ、くぁ……ぁ……」


 アンは剣を手に、にじり寄る。

 後はそのまま振り下ろせば終わりだ。

 脚の力も奪われ、立つことさえできないメルプールは必死に、震える唇と舌で命乞いしようとしている。


「異世界転生者には、こう言ったときに決まり文句がある。もしかしたらあるかもしれない今後のため、覚えておくと良いだろう。こう言うとき、決まって言うのだ。『おまえは同じ言葉を言われたとき、言われるがまま止めたのか?』と、満ち満ちた表情で――」


 メルプールの絶望に満ち満ちた表情と苦し紛れに放った訴えは、残念ながら盲目のアンの同情を誘うには至らなかった。

 耳が発達すると裏の感情まで聞こえるのか。メルプールが解毒が完了した瞬間、隠し持っていたナイフで刺し殺すつもりだったのを見知っていたかの如く、アンはメルプールがナイフを隠していた脇腹を突き刺し、ナイフごと、臓腑と脊髄を刺し砕いた。


 聞いたことがないような音が人間から聞こえて、今度は年齢もキャリアも関係なく、看守全員の背筋に悪寒を走らせる。


 だが、何より悪寒を走らせたのは、弾けて飛んだ血を頬から滴らせながらも、天使のような笑顔で微笑むアンの笑顔だった。

 さながら、数分間のジョギングでもして、気持ちいい汗を掻きましたと言わんばかりの爽快感溢れる笑顔が、若年の看守を中心に逃げ出させる。

 すぐ側に巨躯の獣人が爪を向け、牙を剥いているにも関わらず、皆がアンから逃げ出していき、調理室には、生者はアンとベンジャミンの二人だけが残されて、皆が蜘蛛の子を散らしたように去って行った。


「まったく、酷いな……仮にも女性を相手に、悪魔だの狂信者だのと。囚人ばかり相手にして、恋人を口説いたことがないと見える。なぁ、ベンジャミン?」


 看守達が逃げ惑ったのと、同じ笑顔で微笑まれる。


 なんと返すのが正解か。

 とにかく機嫌を損ねることだけはしてはいけないのだろうなと思ったものの、つい「ちなみに、おまえは口説いたことあるのか? 恋人」なんて返してしまって、何となくしまったと思ったのだが、アンは少し考えてから。


「前世では告白の経験もなく、勝手に失恋して終わってしまったよ」


 と、また微笑んでから剣を収めて、さっさと行ってしまった。


 けれどベンジャミンの中では、何となく今後も仲良くやっていけそうな気がして、自然と口角が微笑を湛え、鋭い犬歯を露にした。

 先を行くアンをベンジャミンが追いかけ、二人は外へと繰り出す――。

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