エピソード 1ー1

 部屋で一人になって一息吐いたシャノンは、自分が紙袋の手提げを持っていることに気付く。勇者召喚に巻き込まれる切っ掛けともなったゲームの包装だ。

 シャノンはその包装を解いて、花音に渡すための購入特典を取り出す。どうやら、ヒロインのライバルとなる悪役令嬢のキーホルダーらしい。


(ほぅ……悪役令嬢が登場するのか)


 悪役という言葉に親近感を抱いたシャノンは、パッケージの裏にあるあらすじに目を通す。


 どうやら、魔王を滅ぼすために異世界から召喚された少女が勇者として立ち上がり、それを支えてくれる七人の騎士達と恋に落ちるのがゲームのシナリオらしい。


 ちなみに、悪役令嬢として立ちはだかるのは勇者召喚に巻き込まれた少女で、貴族待遇を受けた彼女は異世界の知識を生かして成り上がり、勇者の想い人を奪おうとするようだ。


(ふむ……何処かで聞いたような設定だが、純粋なヒロインと策略を巡らす悪役令嬢の対比なのか。プレイしてみたいが……自分だけ抜け駆けするようで気が引けるな)


 シャノンならば、この部屋をゲームが出来る快適空間にすることも可能だ。だが、自分にゲームを譲ってくれた花音に引け目を感じて踏みとどまった。


 パッケージを包みの中に戻したシャノンは購入特典のキーホルダーを手に取る。万一にもキーホルダーが壊れてしまわぬように、軽く強化の魔術を施しておく。


「これでよし――と、ちょうど来たようだな」


 シャノンが視線を向けるのとほぼ同時、扉がノックされる。それに応じるとほどなく、なんらかの覚悟を秘めた顔つきの花音が部屋に入ってきた。


 だが、シャノンを見るとその覚悟が揺らいだようで、彼女は視線を泳がせる。


「どうしたのだ、花音。ひとまず、そこに座ったらどうだ?」

「あ、うん……でも、その前に――ごめんなさい」


 彼女は唇をきゅっと結んで深々と頭を下げた。


「なにを謝っているのだ?」

「召喚にシャノンを巻き込んでしまったから……あの召喚、私を召喚するためのものだったの。なのに私、貴方にしがみついて……」

「それは私を護ろうとしたからだろう? 私は花音を振り払うことが出来たし、そうしなかったのは私の意思だ。だから、責任を感じる必要はない」

「……シャノンは優しいんだね」

「気遣っている訳ではないぞ。それに……」


 シャノンは事実しか言っていない。優しいというのなら、自分だって大変な状況なのに、こんな風に巻き込んだ相手を心配できる花音の方だろう。


「それに?」

「そなたは私を友人だと言ってくれた。それだけで、ここに来てよかったと思っている」


 シャノンは笑って、購入特典のキーホルダーを花音の手のひらに乗せる。


「……シャノン」


 花音は感極まったように目を潤ませ、それから受け取ったキーホルダーを握り締めた。


「私、決めたよ。悪い魔王を滅ぼしてこの世界を平和にする! それで王様達に協力してもらって、シャノンが元に戻れる方法を探してみせるよ!」


 その瞳には、たしかな意思が宿っている。悪しき魔王を滅ぼして、シャノンを元の世界に戻すための方法を探すと、彼女が本気で言っているのが伝わってくる。。


「そうか……ならば私も、出来うる限りのサポートをすると約束しよう」


 目には目を歯には歯を、受けた好意には同じだけの好意を。彼女が自分のために戦うというのなら、自分もその手伝いをしようとシャノンは決意した。



 花音はさっそく勇者として訓練を受けると部屋を出て行った。そんな彼女を送り出し、これからのことを考えていると、メイドや側仕えを連れたフラウが部屋を訪ねてきた。

 彼女のメイドや側仕えがテキパキと紅茶やお茶菓子をテーブルの上に並べていく。


 唐突に開かれた、ささやかなお茶会。

 フラウの目的は最初に言っていたとおり、シャノンの持つ異世界の知識のようだ。ただし、一方的に知識を奪おうという訳ではなく、この部屋に不足はないかなどの配慮も見せている。


 自分よりも年下でありながら交渉のなんたるかを知っている。また、王の娘でありながら、勇者召喚に巻き込まれただけのシャノンにも礼節を忘れない。


 そんなフラウに、シャノンは相応の好意を抱きつつあった。花音のサポートをすることに決めているシャノンは、フラウを通してこの国に技術を流すことにする。

 シャノンはお茶会の話題として、井戸についての技術を零した。


「井戸の水を容易に汲み上げるポンプですか……異世界の技術はとても便利そうですね」

「この世界にポンプはないのか?」

「ええ。さきほどおっしゃった、つるべ式や滑車式の井戸もありませんわ」

「……なるほど、それならば井戸の水を汲むのが大変そうだ」


 ポンプは言わずもがなで、つるべ式や滑車式も井戸の水を汲むのがかなり楽になる。それらを使っていないと言うことは、井戸の水を汲むだけでも一仕事、という訳だ。


「ポンプの作り方なら把握している。後で作り方を教えよう」

「それは……とても助かりますが、作り方なんて把握しているものなのですか? 普通は存在や素材を知っていても、作り方までは知らないものだと聞いていたのですが」

「そこは人によるだろうな」


 実際のところ、シャノンもポンプの詳細な構造までは知らない。だが、あえての言い回しで、自分ならばその詳細を識っているとフラウに認識させる。


「であれば、さっそく技術者の候補となる方々を集めますので、その方々にポンプの作り方を教えてくださいますか?」

「うむ、準備をしておこう」



 お茶会の成果が満足のいくものだったのだろう。

 ご機嫌で帰って行くフラウを見届けたシャノンは部屋の真ん中に立ち、自分の前の足下に自らの魔力で描き出す魔法陣を構築した。

 勇者を招いた魔法陣に似ていて、けれど比べものにならないほどに洗練されている。


「来なさい、ディアーナ」


 魔法陣が輝きを増し、次の瞬間には側近で文官のディアーナが出現した。彼女はシャノンに気付くやいなや、妖艶なドレスの裾を翻して片膝をついた。


「召喚に応じはせ参じました、シャノン様」

「うむ。これから私はこの地でしばしの休暇に入ることとした。国の治政はそなた等に任せるが、なにかあれば私に報告するように」

「承りました」


 気負いなく答える。

 ディアーナに任せておけば安心だと、シャノンは満足気に頷いた。


「それと……この地にポンプを広げることとなった。この地の鍛冶職人にも作れるように、設計図を用意しておいてくれ」

「ポンプですか? ……自国の商品となると、この国では再現が難しいかもしれません。また無理に広げることになると、この世界のバランスを崩すことにもなりかねませんが……」


 部屋の内装を見回してこの国の技術レベルに憶測を立てたディアーナがそんな結論を下す。


「であろうな。その辺りのさじ加減はディアーナに一任しよう。私としては、しばらく滞在するこの国が住みやすくなればそれで良いと思っている」


 自分の要望を伝えておけば、あとは彼女が上手く調整してくれるだろう。当時12歳でしかなかったシャノンが魔族領を纏められたのもディアーナの助力によるところが大きい。


「承りました。必ずやシャノン様のご期待にお応えいたしましょう」

「うむ。頼りにしておる。それと、この部屋も少し改良してくれ。ただ、私が異世界と行き来する技術があることはいまのところ秘密にしているので、ごまかしの利く範囲で頼む」

「仰せのままに」


 ディアーナはかしこまり、さっそく準備をして参りますと自らの魔術で帰還した。





 そんな訳で、この国に滞在することになったシャノンは精力的に活動を始めた。

 まずは城に招いた鍛冶職人に、自国から取り寄せたポンプの設計図を始めとした技術提供などをおこない、その報酬の前払いとして、ある程度の自由と資金を勝ち取る。


 シャノンは続いて服のデザイン画とその型紙を自国から取り寄せ、城に招いた服職人に作らせ、自分や花音の服を準備する。

 続いて同じように料理のレシピを取り寄せ、城の料理人にいくつか分け与えた。


 最後に、ディアーナの手によって自分の部屋を密かに改装させる。見た目はそのままでも、中身はまったく別物の家具を揃え、空調完備の快適な自室を作り上げた。


 この間、わずか一ヶ月ほど。衣食住のすべてを改善したシャノンは、続けてディアーナにいくつかの指示を出した。優秀なディアーナはすぐにその指示を実行に移す。

 その完了の報告を聞いていると、不意に扉がノックされた。


 シャノンは即座に目配せをする。

 ディアーナは無言でかしこまり、それから転移の魔術を使ってその場から姿を消した。


「入るがよい」


 シャノンが部屋の外に向かって答えると、外からメイドが扉を開ける。

 開け放たれた扉から花音とフラウが入ってきた。その後に続いて花音の側仕え、それにトレイにお茶菓子を乗せたメイドが続く。


「ふむ。今日は二人一緒なのだな?」

「ここへ来る途中、訓練の合間に休憩する花音様をお見かけしてお連れしました。先日シャノン様から頂いたレシピにあった、ショートケーキが完成したので試食してください」


 フラウの声に応じて、彼女の側仕えやメイドがテキパキとお茶の用意をしていく。


「それはかまわぬが……相手の部屋でお茶会をするのはこの国では一般的なのか?」


 シャノンの知る貴族社会のマナーにおいては、相手を招いてお茶会をするのが普通。このように相手の部屋にお茶会の準備をするというのはあまり聞いたことがない。


「一般的ではありませんね。ただ、お庭だと花音様やシャノン様はとても目立ちますし、わたくしが招くと、どうしても堅苦しくなってしまうので。……もしかして、不快な思いをさせてしまったでしょうか?」

「いや、そういうことであれば問題ない。むしろ配慮に感謝する」


 相変わらずの口調で応じる。最初はシャノンの物言いに眉をしかめていたフラウの側近達だが、いまでは眉一つ動かさなくなった。

 内心までは分からないが、少なくとも表面上は容認しているようだ。


 むしろ、花音の方がお姫様に失礼だよと慌てることが多い。ただ今日に限っては、ショートケーキに釘付けでそれどころではないようだ。


「うわぁ……美味しそう。日本のお店で売ってるショートケーキと変わらない見た目だよ、凄いね。……あれ? でも、この国にイチゴはないとか言ってませんでしたか?」


 花音自身も食にはあれこれ求めていたのか、首を傾げてフラウに問い掛けた。


「はい、この国にイチゴなる果実はありませんでした。ただ、遠方よりまいったという行商人が、たまたまイチゴとそっくりな果実を輸入したのを見つけて入手させたのです」

「へぇ、たまたま輸入されて……あれ、遠方から輸入? 馬車だよね?」


 花音は目を瞬いて「イチゴって、そんなに日持ちしたっけ?」などと呟いている。シャノンは「そんなことより、せっかくだから味見してみたらどうだ?」と話を逸らした。


「そうですね、それでは頂きましょう」


 最初にフラウが口を付ける。このケーキや紅茶には毒が入っていないと示す、貴族のあいだでおこなわれる基本的なマナーである。

 それを見届けたシャノンと花音が同時にイチゴショートを口に運んだ。


「美味しいっ、ホントに日本のお店で買うのと変わらないよ!」


 花音はご満悦だ。シャノンもまた、よく再現できていると笑みを浮かべる。それを見守っていたフラウは笑顔。だが、彼女の連れてきたメイドが小さく安堵の息を吐いた。

 側仕えはともかく、メイドまでは表情を隠す訓練が足りていないらしい。


 それに気付かないフリをして、シャノンは「レシピ通り、上手く作れている。料理長達は相当努力を重ねたのだろう」と称賛の言葉を贈った。


「ありがとうございます。シャノン様からお褒めの言葉があったとお伝えいたしますわ」


 フラウも表情を綻ばせた。

 そうしてイチゴショートを主軸にしたお茶会が始まる。レシピの話題から離れ、今度は世間話が始まり、この世界の気候の話になった。

 この世界には日本と同じような四季があり、この国はもうすぐ夏が訪れるらしい。


「そろそろ暑くなってくる季節なのですが……そういえば、この部屋は涼しいですわね?」

「そういえば、私の部屋ももうちょっと暑かった気がします」


 フラウが小首をかしげ、それに花音が同調する。

 二人の視線がシャノンに集まるが――


「では、この部屋はちょうど日光が当たりにくい場所にあるのでしょうね。石を通しても、外の温度が伝わる、なんてことは普通にありますから」


 素知らぬ顔で答えるシャノンに、二人はなるほどと納得顔を浮かべた。


 その後も世間話は続いていく。

 よほど甘い物に飢えていたのか、花音がおしゃべりの合間にケーキのお代わりをする。シャノンはそれを微笑ましく思いながら、こっそりと花音の姿に注視する。


 彼女はこの一ヶ月で、それなりには強くなっているようだ。――といっても、魔術はまだ使えず、剣技とスキルのいくつかを覚えた程度ではあるが。

 ともかく、日本の女子高生としては、画期的なレベルアップを果たしている。その辺り、異世界から召喚された勇者補正的ななにかが働いているのだろう。


「花音、訓練は順調か?」

「うん。色々と大変だけど、強くなってるっていう自覚はあるよ。明日は実地訓練で、北にあるダンジョンに向かうことになってるんだよ~」

「……ダンジョンだと?」


 シャノンの知るダンジョンとは、魔術師の実験施設などのことだ。侵入者を防ぐ魔物や、様々なトラップが配置されていて、招かざる客には危険な場所となる。

 もちろん脅威にも様々あるが、たとえ最低難易度であろうといまの花音には荷が重い。そんな風に心配していたら、フラウがご安心くださいと声を上げた。


「花音様には既に説明済みですが、北のダンジョンにはいくつも階層があり、一層は比較的安全で、新人の訓練に最適な場所として利用されているのです」


 その言葉を聞いても、シャノンの不安は晴れなかった。

 

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